憧れの姫様とお茶会したい、オレも姫になってみた
鏡の枠に嵌め込まれた深紅の魔石が、怪しく点滅していた。
「この光は……えぇぇぇぇ、嘘だろ」
貴族令嬢のドレスに身を包んだクラウス——
改め、鏡の魔法で完全に「本物」の少女に変貌してしまった元青年は、震える細指で自身の胸元を確かめた。
布越しに伝わるのは、以前の自分には断じて存在しなかった柔らかで豊かな弾力。
早鐘を打つ小さな胸の鼓動。
喉仏を探して滑らせた指先は、滑らかな白いうなじを滑るだけで、引き締まった男の咽喉はどこにも見当たらなかった。
宮廷の図書室に差し込む夕暮れの光が、少女のものへと変わってしまった長い金糸の髪を煌めかせている。
漂う古い羊皮紙の匂いに混じって、ふわりと鼻腔をくすぐるのは、自分自身の体から立ち上る甘い薔薇の香気だ。
「どうしたの、クララ? 顔色が悪いけれど……紅茶、お口に合わなかったかしら」
高貴で愛らしい声にハッと息を飲んだ。
目の前に座るのは、王宮の至宝と謳われる第一王女、エレノア姫だ。
透き通るような白磁の肌に、宝石のルビーを思わせる深紅の瞳。
ずっと遠くから見つめることしかできなかった憧れの姫君が、今やテーブルを挟んで目と降鼻の先で、心底心配そうにこちらを覗き込んでいる。
(違うんだ姫様、俺はクララなんて令嬢じゃない! クラウスだ! あんたに近づきたくて、怪しい露天商から買った魔法の手鏡でちょっとまやかしの女装をしただけの、近衛騎士のクラウスなんだよぉ!)
喉まで出かかった叫びは、喉の奥の可憐な声帯によって甲高い「あ」という吐息にしかならない。
元はといえば、あまりにガードの固いエレノア姫のお茶会に潜入するための、一夜限りの無茶な変装のはずだった。
「誰よりも美しい少女に見せる」という触れ込みだった手鏡の魔力はあまりに強力すぎたらしい。
幻影どころか、骨格も、肉体も、性別そのものを根底から「本物の令嬢」へと書き換えてしまったのだ。
しかも鏡の魔石は、役目を終えたと言わんばかりにパリンと甲高い音を立てて粉々に砕け散った。
慣れないスカートの裾を揺らして、露天商へ走った。しかし、店は姿を消していて、元に戻る術は完全に絶たれてしまった。
「あ……いえ、エレノア様。あまりの美味しさに、胸がいっぱいになってしまって……」
自分の口から出たとは思えない、可憐で淑やかな声。
咄嗟にレースのハンカチで口元を覆う仕草まで、身についた女性の体の癖として自然に出てしまう。男としての記憶や思考はそのままなのに、身体が、そして立ち振る舞いが完璧な「完璧な令嬢」として振る舞ってしまうギャップに、クラウスの頭は狂いそうだった。
「ふふ、まあ。クララは本当にかわいらしいのね」
エレノア姫が花がほころぶような笑みを浮かべ、身を乗り出してきた。
細く柔らかな彼女の手が、クラウスの華奢な手を優しく包み込む。
温かく、すべすべとした肌触りに、男としての心が激しくドギマギと跳ね上がる。だが、姫の瞳に映っているのは男としてのクラウスではなく、新しくできた大切な「女友達のクララ」だ。
「私、ずっとこんな風に気兼ねなくお話しできる同世代のお友達が欲しかったの。男の貴族たちはみんな、下心のある目ばかり向けてくるでしょう?……あ、そういえば近衛のクラウス卿とかいう方も、最近よく私を遠くから熱い視線で見つめていたわね。少し不気味だったのだけれど」
「ぶ、不気味……!?」
不意打ちの言葉に胸を鋭く貫かれ、クラウスは思わず素の声が出そうになった。
大好きな姫に近づくため、必死に剣術を磨き、遠くから見守っていた日々が走馬灯のように駆け巡る。不気味と思われていた。それが憧れの姫からの直撃評価だった。
「でも、クラリス。あなたと出会えて本当に良かった。これからもずっと、私の一番のお友達として側にいてくれるわよね?」
上目遣いで、心からの信頼と愛おしさを込めて見つめてくるエレノア姫。
その手は強く、けれど温かくクラウスの手を握りしめている。男として告白して玉砕するよりも遥かに近い距離。姫の笑顔を独占し、内緒話を耳元で囁き合える特別なポジション。
(……待てよ? これって、ある意味では目的達成なんじゃないか……?)
もう二度と、男の身体には戻れない。
男としての騎士のキャリアも、男として姫と結婚する未来も永久に潰えた。だが今、自分は誰よりも姫の近くにいて、姫を笑顔にできている。
「ええ……もちろんですわ、エレノア様。ずっと、ずっとお側におりますとも」
淑女の笑みを貼り付けながら、クララ(クラリス)は心の中で深く、深ーく溜息をついた。
夕暮れの図書室に、女の子同士の楽しげな笑い声がいつまでも響き渡っていた。
こうして、元青年クラウスは、「生涯最高の女友達」としての新しい人生の幕を開けた。
完




