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ヘラルディック・コア 〜The Crownless Herald〜  作者: Studio Yodaca


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ウィンドステップ

 朝5時の駐屯地中央広場は、まだ夜の延長の中にあった。

 兵舎の扉を出る時、雪を踏む靴底の音が、自分の耳に乾いて届く。空はまだ青の手前で黒く、地平の方角だけが、ほんの僅かに薄い橙を含みはじめていた。訓練場の号令は、この時間にはまだ立ち上がらない。代わりに、格納庫の方角から、機装(きそう)の駆動音の準備音が低く床に伝わってくる。

 俺は装着スーツの肩を、首の側で一度引き直した。神経接続コネクターの後頭部の端子が、襟の内側で位置を保っている。装着訓練の2日で、肩の側がスーツの重さを覚えはじめていた。

 格納庫の白い魔素(まそ)灯が、扉の隙間から雪の上に細く漏れている。

 扉を引き開けた。

 4機の機装(きそう)が、整備区画の床に並んで立っている。アキラの汎用機とベルクの大盾装備の重装機。マランの後衛機。それから俺のヘラルド。ヘラルドの脚部の前で、ジンが工具を握っていた。

 ジンが俺の方を見ずに、片手だけで合図を返す。

氷見(ひみ)

「はい」

 ジンは脚部の駆動関節を覗き込んだまま、声を続けた。

「ウィンドステップは、1回で済ませろ。2回踏むと、装甲の継ぎ目が外れる」

「了解しました」

「3回踏んだら、俺には直せない」

「はい」

 ジンが工具を一度置く。脚部の冷えた金属に手のひらを当て、装甲の温度を確かめる動きだ。

氷見(ひみ)、覚えとけ」

「はい」

「いつかは死ぬ。だが、今日じゃない」

 俺は答えに頷きを返さなかった。声で短く返す。

「了解しました」

 格納庫の入口の方角から、アキラの声が広間に響く。

氷見(ひみ)、行くぞ」

 俺はジンの背中越しに頭を一度下げ、ヘラルドの昇降梯子の前へ歩く。


  * * *


 昇降梯子を上り、コクピットに身体を収める。シートが沈み、神経接続コネクターの4点が端子に嵌まる音が、肌の下を1本の線で繋ぐ。装甲内側の神紋(しんもん)が、薄い青で並んでいた。

 レバーを右に倒す。コアが低く唸る。駆動関節の青光が、足元から肩の高さまで一段強くなった。装甲が俺の身体の延長になる感触は、まだ完全には来ない。

 ヘラルドが格納庫の床を歩き出す。装甲の重さが氷の床を踏む音は、整備庫で聞いた音より重い。実戦装備の重さだ。

 4機の機装(きそう)が格納庫を出る。

 夜明けの薄い橙が、雪原の地平の縁を撫でていた。空はまだ青の手前で、機装(きそう)の影は地面に長く伸びる。風はあるが、装甲の継ぎ目で薄く遮られている。コクピットの内側まで届く冷気は、頬の高さで一段薄くなる程度だった。

 アキラの通信が、コクピットの内壁の薄い金属を震わせる。

氷見(ひみ)、お前は中央。何かあったら後ろに下がれ。前は俺、右の盾はベルク、後ろの観測はマランだ」

「了解です」

「無理して前に出るな。お前、機装(きそう)の2日目だ」

「アキラさん、その立場の俺が無理して前に出るパターン、何回くらい経験してます?」

「初日で前に出るのが2回、2日目で前に出るのが3回。だから無理するな」

「データ、ありがとうございます」

 通信に短いノイズが入った。マランの声が、ノイズの後ろから一段低く乗ってくる。

「北西、距離800、反応複数」

 ベルクの完結文が、間を置かずに重なる。

「数は」

「5。獣形(じゅうけい)級。フリスト系の波長」

 アキラの通信が、最後に重なった。

「フロスト・ハウンドだ。固まれ」


  * * *


 雪原の先に浅い谷があり、その向こうの白い霧の中から、5体のフロスト・ハウンドが姿を現した。氷の毛皮が朝日を薄く反射する。前列に2体、中列にも2体。後列の一体だけが、首の輪郭に色の濃い氷の鬣を持っていた。指揮個体だ。

 ベルクの大盾装備が、俺の右斜め前で停止する。マランの後衛機が、左後方で観測機の照準を上げた。アキラの汎用機が前へ1歩出る。

「マラン、後列の指揮、3秒くれ。ベルク、前列を盾でいなせ。氷見(ひみ)、中列の2体目の左側面につけ」

「3秒。観測完了」

 マランの狙撃ジャベリンが、白い霧の中で短く光った。

 後列の指揮個体の頭部を、ジャベリンが貫く。氷の鬣が砕け、指揮を失った中列の群れが一拍だけ怯む。前列の2体は、ベルクの大盾の表面に冷気の吐息を吹きかけはじめた。盾の表面に薄い氷の膜が広がる。

 俺は機装(きそう)の右腕で魔素(まそ)剣を構えた。神経接続コネクター越しに、腕の意志が剣の角度に乗る。中列の2体目の左側面までの距離は、機装(きそう)の徒歩で5歩。怯みの一拍が消える前に届かない。

 ウィンドステップ。

 俺は脚の魔素(まそ)回路に意志を送った。

 脚に風圧が立ち上がる。装甲の重さが一瞬抜ける。ひと呼吸分の瞬間加速で、距離5歩が距離1歩に縮まった。

 魔素(まそ)剣を中列の2体目の装甲継ぎ目に入れる。

 氷の毛皮の下に、氷の鎧が1層。さらにその下に、獣形(じゅうけい)の柔らかい層。

 剣が抜ける手応えが、神経接続コネクターを通して腕に返ってきた。

 中列の2体目が雪の上に崩れる。

 俺は剣を引き戻して構え直した。

 前列の1体が、ベルクの大盾の側面から反転する。距離20。俺の方角を向いた。

氷見(ひみ)、後ろ!」

 アキラの通信が、コクピットの内壁を強く震わせる。

「分かってます!」

 俺は答えた。ウィンドステップをもう一度踏めば、前列の一体の左側面に回り込める。だが脚の魔素(まそ)回路は、一度目の風圧の熱がまだ抜けていない。装甲の継ぎ目の薄い金属が、コクピットの内側で軋みかける。

 ジンの声が頭の中で立ち上がる。

 2回踏むと、装甲の継ぎ目が外れる。

 俺は脚を止めた。

 機装(きそう)の重さで1歩後退する。魔素(まそ)弾を1発、前列の反転個体に撃ち込んだ。

 弾が氷の毛皮の表面で逸れる。

 ベルクの大盾が、俺と反転個体の間に滑り込んだ。盾の表面で反転個体の突進が止まる。アキラの汎用機が側面から処理に入った。


  * * *


 残るは2体。前列の反転個体はベルクとアキラが処理中で、もう一体は谷の端の方角へ逃れている。逃げ足は速い。

氷見(ひみ)、谷の端の一体、追えるか」

 アキラの通信が短く届く。

「追います」

 俺は機装(きそう)を雪原の方角へ向けた。距離は機装(きそう)の徒歩で5秒。だが4体目は逃走中で、徒歩では追いつかない。

 ウィンドステップ。

 俺は脚に意志を送る。脚の魔素(まそ)回路はまだ熱を含んでいる。だが、踏まなければ届かない。

 脚に風圧が立ち上がった。距離30が距離15に縮まる。

 4体目が雪を蹴って反転する。氷の鼻先がこちらを向いた。冷気の吐息の射程は10。あと一拍で吐息の中に入る。

 俺は脚を止めない。

 ジンの警告が頭の中で鳴る。3回踏んだら、俺には直せない。

 だが、踏まなければ吐息を浴びる。装甲の継ぎ目が外れる前に、俺の頭が凍る。

 俺はウィンドステップを、もう一度踏んだ。

 脚の魔素(まそ)回路が、一度目の熱を含んだまま風圧を返す。コクピットの内壁で、装甲継ぎ目の薄い金属が軋む音が立ち上がった。距離が一気に縮む。距離5。吐息の射程の手前で、4体目の左側面に回り込む。

 魔素(まそ)剣を装甲継ぎ目に入れた。

 剣の先が止まる感触が、神経接続コネクター越しに一拍だけ来た。抜けた。

 4体目が雪の上に崩れる。

 俺は剣を引き戻して、コクピットの内壁の軋み音を耳の奥で聞いた。継ぎ目はまだ外れていない。だが、外れる手前まで来ている。

 通信にアキラの声が乗ってきた。

氷見(ひみ)、生きてるか」

「生きてます」

 マランの数値断定が、通信の次に重なる。

「観測終了。残存敵性なし」

 ベルクの完結文が、最後に乗った。

氷見(ひみ)、装甲の継ぎ目から音がする。確認しろ」

 俺はコクピット内でヘラルドの左右の脚部の状態を確認する。継ぎ目の魔素(まそ)圧が、一段下がっていた。剥がれかけ。

「継ぎ目の魔素(まそ)圧、低下してます」

「ウィンドステップ、何回踏んだ」

 ベルクの問いは、合理判断の声だった。

「2回です」

「ジンに殺されるな、お前」

「殺される手前で済ませます」

「殺される手前って、お前、それジンの前で言うなよ」

 ベルクの声に、アキラの軽い笑いが薄く重なった。

氷見(ひみ)、戦闘自体は悪くない。中列の処理は教科書通りだ。問題は最後だけだ」

 アキラの通信は、戦闘終了後の温度に戻っている。

「了解です。教科書、明日読み直します」

機装(きそう)の2日目に教科書通りに動けるやつ、初日に教科書置いてきた俺が言うのもなんだが、悪くない」

「アキラさんが初日に教科書を置いてきた話、後で詳しく聞かせてください」

氷見(ひみ)、お前、戦闘終わってからの軽口、ちゃんと回るな」


  * * *


 帰還した整備庫は、午前の天窓の光が高く落ちていた。

 俺は装着スーツの背面を開け、神経接続コネクターを4点とも外す。スーツを壁のフックに掛けた。ヘラルドの脚部の継ぎ目に、薄い青光が残っている。魔素(まそ)圧低下のサインだった。

 ジンは脚部の前で工具を握ったまま、こちらを見ない。背を向けて装甲の継ぎ目を覗き込んでいる。

氷見(ひみ)

「はい」

「2回踏んだな」

「はい」

 ジンが工具で継ぎ目の縁を一度なぞる。剥がれの幅を確かめる動きだった。

「なんで踏んだ」

「1回じゃ届かなかったんで」

「届かなかったら、退がれ。退がるって選択肢を、最初に切り捨てるな」

「ベルクさんが盾でいてくれるなら退がります。でも、ベルクさんの盾が後ろにない場面は、退がる先が無いんで」

 ジンが工具を一度置いた。装甲の脚部に手のひらを当てたまま、しばらく動かない。だが、それ以上は何も言わなかった。

「装甲の継ぎ目、剥がれかけだ。今日中に補強する。明日は休め」

「分かりました」

「補強っていうのは、どこまでやるんですか」

「継ぎ目に魔素(まそ)粉を充填して、上から薄い装甲を1枚重ねる。手前の継ぎ目だけだ。お前の機装(きそう)の継ぎ目を全部やるには、もう1回工房を借りる必要がある」

魔素(まそ)粉、足りるんですか」

「足りる。今回は手前だけだ。次に2回踏んだら、足りなくなる」

「次は踏まないように判断します」

「考えるだけじゃ駄目だ。退がる選択肢を、最初に勘定に入れろ」

「了解しました」

 ジンが工具をまた握る。装甲の脚部の温度を、手のひらで確かめている動きだった。

氷見(ひみ)

「はい」

「今日のところは、それで十分だ」

「了解しました」

氷見(ひみ)、最後にもう1つ」

「はい」

「お前、機装(きそう)の2日目で4体落とした。教科書には載ってない動きだ。今日のところは、それで足りる」

「ありがとうございます」

 ジンが工具をまた握る。背中越しの会話は、ここまでだった。

 俺は整備庫の扉に手をかけた。

 扉の外へ出ると、駐屯地の午前の光が、装着スーツを脱いだ肩に薄く当たる。脚の魔素(まそ)回路に残った熱は、まだ抜けていない。2回踏んだ感触は、装甲の継ぎ目の軋み音と一緒に、明日まで消えない。3回踏んだら俺には直せない、というジンの声も、明日まで消えない。

 今日はまだ、死んでいない。

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