文学は言葉を楽しみ、物語は世界を体験させる
ここからは私自身の物語についての考え方を話していきたいと思います。
まずは物語と文学は根本的に違うというお話です。
文学はいかに言葉を飾り、難しく、考えさせられるのかが勝負です。
言葉そのものを楽しむもの。
比喩の豊かさや語彙の多さ、そういったものを楽しむそれが文学です。
それに対して物語は、
いかに読者にわかりやすく、スムーズに自分のいる世界、現実とは違う別の世界を体験してもらうのか。
文学における難しすぎる言葉や飾った言葉は物語に入っていく中でむしろ邪魔なものです。
辞書を引いたり、意味を考えたり。
その瞬間に読者は物語の中ではなく現実に戻ってきてしまう。
物語という魔法が解けてしまうのです。
たまにある作者のドヤ顔が見えるような物語。難しい言葉やよく分からない比喩を使うようなもの。
あれは論外です。
例えば
クライマックスでキャラクターが命を懸けて泣き叫んでいる絶好のシーンがあるとします。
そんな中突然『韜晦』や『寂寥』なんてルビ付きの難しい言葉が出てきたらどうでしょう?
読者は『えっ、どういう意味?』と思考を止めた瞬間に、キャラクターの流した血も涙もすべて忘れてしまいます。
それこそが没入感という魔法が解け、ただの文字列に戻る瞬間です。
物語は自身の語彙力を自慢するところではありません。
読者を今と違う世界に連れて行く。
それが物語です。
はっきり言いましょう。
作者という存在は物語において邪魔でしかありませんし、読者はあなたの語彙力や素晴らしさには一切興味ありません。
そういう方はどうぞ、文学の道へお進みください。
読者が求めているのはあなたではなく、その世界にいるキャラクターがどう考え、どう動くのか。
そこに多くの言葉や難しい言葉はいりませんよね?
難しい熟語やペダンチックな表現を使って世界観を「凄そうに」見せかけるのは、実は辞書を引けば誰にでもできます。
しかし、小学生でも知っているような簡単な言葉の組み合わせだけで、読者の心臓を鷲掴みにする。
見たこともない世界へ完全に連れ去ることこそが「本物の物語の力(=魔法)」なのです。
シンプルな言葉だけを使い、物語に集中させる。
語彙を知らべる時間、意味を理解してもらう時間を全て物語を読む時間に当てさせる。
つまるところ没入感をどこまで高められるのか。
世界観や設定をいくら練り込もうがそれだけで読んでくれるほど甘くないのです。
あなたの頭の中にあるどれほど重厚で素晴らしい設定も、作者の自己満足というノイズが混ざった瞬間にすべて読まれなくなります。
読者を信じて作者は裏方に徹し、キャラクターの感情と行動だけを最前線に立たせてください。
その没入感さえ作れれば、読者はあなたの練り込んだ設定の奥の奥まで、自ら喜んで溺れに来てくれます。
設定を読ませるためにもこの没入感は切っても切り離せないものだと覚えて帰ってください。




