序章
(注意)この巻は、学園ほのぼのドラマを逸脱し、狂気に満ちた内容となっています。主役級のキャラによる破壊行為、大量殺人シーンがあります。苦手な方はお読みになりませんよう、お願いいたします。
そこは何のへんてつもない空き地だった。
山道をかなり登った先に、突然開けるひと気のない場所。
今、そこが山火事でも起きるのではと思うほど、燃え上がっていた。
黒髪、黒い瞳の青年が怒りも露わに立っている。
彼が睨みすえているのは、一人の少女だった。
彼女は十代の未成年で、実に小汚い身なりをしている。
どこからどう見ても、その姿は街中をさまよう浮浪者のようだ。
しかしその目の輝きは誰が見ても異様なほど強い力を秘めており、目の前の青年でさえおいそれと近寄れるものではない。
彼女は身なりとは異なり、白い光に身を包んでいた。
口からは目の前の青年を罵倒する言葉がもれる。
「絶対にあんたなんかの言いなりにはならない。力だけじゃすべてが手に入らないってことを、今この場で教えてあげる」
少女はそう言うなり、手のひらに光を集めた。
それは最初白い光を放っていたが、集まる事で徐々に暗い闇色になる。
光が治まると、少女の手には書物があった。
青年の目が見開かれる。
それこそが彼がずっと求め続けていたものだ。
――聖魔の書。
彼の唇に笑みが浮かぶ。
「よこせ」
横柄に命じると、彼は手を伸ばして少女に掴みかかった。
書を奪うために。
でも彼女は次の瞬間、燃え盛る周囲の炎の中にその書物を投げ入れたのだ。
「なっ」
青年はあわてて書を取ろうとするが、自身が放った炎の熱さが直接手を焼き、躊躇する。
その間にメラメラと書は燃えて灰になった。
「き、貴様っ」
青年は目の前で燃え尽きる書を見て、憤怒の感情が噴出す。
その怒りを、自分の思い通りにならない少女に向けた。
「貴様っ、貴様っ、貴様」
青年は何度も叫びながら彼女に飛びかかり、容赦なく拳で殴り続ける。
まるでサンドバックのように何度も彼女を打ち据え、少女の顔面も体も抵抗なくずたずたになった。
息も絶え絶えの少女は、それでもしてやったりという笑みを見せる。
「なにも……かも、あんたのおもい……どおり、には……い、か、ない、ふふふ」
「貴様あっ、殺してやる」
「い、いよ。は、やく……やれば」
少女は目を閉じ、更に笑った。
「見たい、も、んは、見れた……あん、たの、そ、の、かお」
「くそおおーっ」
青年は思いっきり少女を地面に叩き付け、足で蹴り上げる。
もう力を失った彼女の体は、簡単に反対側の崖から転がり落ちた。
少女を蹴り落とした青年は欲しい物が二度と手に入らなくなったことを認識し、やり場のない怒りを周囲の木々にぶつけるしかなかった。
遠い遠い過去の記憶が、夢という形で呼び覚まされる。
深夜、家族が全員寝静まった静かなマンションの一室。
後野藤子は年老いた体をゆっくり動かし、寝台から台所へ移動した。
夢見が悪かったせいか、ひどく喉が渇いている。
心身ともに潤いを求めていた。
ガラスのコップを手に、水道の蛇口をひねって水を出す。
新鮮な水が喉を通って体を潤す感覚に、大分頭が冷めてきた。
(美味しいね)
安全に飲める水の美味しさ。
日本人なら誰でもそんなことは当たり前になっているのに、何故か藤子は水の美味さを感じていた。
(あの時は、水すら安全に飲めなかった)
どことも知れぬ町をさまよい、公園や公衆トイレの蛇口から飲む水は、今と違ってそこまで綺麗だったかはわからない。
時には水のみ場が見当たらず、泥水のようなゴミに溜まった雨水をなめたりもした。
家もなく、金もなく、助けてくれる人も呼べず。
暖かな屋根と壁のある所で眠ることも出来ず、公園のベンチや神社仏閣の軒下、果ては路地裏の人目につかない所で寝た。
拾った新聞紙とダンボールを布団代わりに、日本中をさまよい続けた過去。
(あの子には、こんな思いをして欲しくないよ)
魔族と関わると、絶対にそうなる。
自分だって最初は普通に学校へ行って、幸せな家族がいて、普通の女子高校生だった。
恋もして、バイトに勤しみ、平凡な日常の中、普通の幸せを手に入れるはずだったのに。
藤子はため息をつき、己の宿命を背負う重みを体中に感じながら、静かに台所の椅子に沈みこんだ。
逃げようとしても、抗おうとしても、逃れられないものなのか。
自分は必死に逃げたし、抗った。
そして魔族とは縁を切り、もう二度と係わり合いになるまいと思っていたのに。
(まさか孫の代で、また……)
運命とは、宿命とは、何をしても変えられないものなのか。
自分は逃げる道を選んだが、孫の茉理はどうするのだろう。
(老いた私には、もう何もしてあげられないけれど)
藤子は寂しそうに目元を潤ませた。
(せめて自分に後悔しない道を選んでおくれ、茉理)
静かに夜は更けていく。
もう少しで朝日が昇り、新しい一日が始まるだろう。
明るい顔で茉理は起きて、60年前の自分と同じようにクリスティ学園の制服に身を包み、自分がかつて通った学校に登校していく。
彼女の笑顔が宿命という重圧によって苦痛の表情に変わる日がどうか訪れないようにと、静かに響く掛け時計の針の音を聞きながら、藤子は願わずにはいられなかった。




