第三十八話
「‥‥‥」
何と言うべきか。
ソフィアが出ていった扉を見つめながら、ミルシィはため息をついた。
「‥‥‥うーむ、バールディですか。タイムr───いえ、何というか、あまりにも」
「完璧すぎるか?」
こくりと頷く。同感だとアイーシャも薄く笑った。
「とはいえやることは変わらん。依頼人の気持ちさえ変わらなければ、だが?」
そう言い、ついとマサシに視線を送る。
さしもの彼もこの状況を手放しに喜べないのだろう。返答はなく、俯いたままじっとしていた。
「潜り込むうえでの別の理由付けも出来た。更に言えばご丁寧に手段までくれてもらったわけだ」
3日後、バールディでは展魁会が開かれる。
それを告げたのはソフィアであった。
と言っても情報の元手は依頼人であるウェーツベンだろうが。
展魁会とは端的に言ってしまえば雇われている、男娼、娼婦を披露する会のことである。
披露の仕方は店によって異なり、バールディでは舞踏会のようなものが行われるらしい。
では何故そのようなことが行われるのか。
帝王曰く、美しさもまた武器であり、強さを表す指標となる。
事実、美しさのみで帝国の公務官にまで成り上がった者もおり、この国では美しいというだけで一定以上の権力を持つと言っても過言ではなかった。
「娼婦と言うと聞こえは悪いかもしれんが、この国に至っては例外だ。
下級、中級となるとそこらの国と大差はないだろう。だが高級娼婦となれば話は別で、破格の待遇が約束されているらしい」
展魁会とは要するに、各々の娼館がどれだけ美人を揃えているかを披露する場面というわけである。男女問わず多くの美人を揃えているという証明は娼館にとって大きな事であり、格が高いと自負している娼館であれば欠かせない行事となっていた。
「相手はこの国の裕福層や公務官に限らず、他国の貴族も来る。基本はお忍び。潜入する機会としてはもってこいなわけだな」
「更に言えば人の目も多くなるわけで、向こうとしても下手に動くわけにはいかない、ということですね」
1つ良いだろうか、といってマサシが口を開く。
「その娼館を赫狼が運営してんだろ?帝国は何もしないのか?」
赫狼が巨大な犯罪組織であることはこの世界の住民にとっては最早周知である。にも関わらず帝国が放置しているのは何故か。
「無論、帝国にも利があるからだな」
答えはいたって単純だった。
アベスタは肩を竦めて続ける。
「どんな背景があれ、有能であれば使うというのがこの国の王の言なのだろう?見たところ別段問題なく営業していたし、何もしていないのに手を出すわけにもいかないわけだ」
納得したようなそうでないような。微妙な感情を押し込み、マサシは頷く。
さて、と切り替えるようにアイーシャが口を開いた。
「方針は立った。
展魁会に乗じて乗り込んで、ティナを回収。ついでに天使の涙を盗む」
あ、ついでなんですね、とミルシィは小さく溢した。
「ってことは中で2手に別れるわけか?」
「それは天使の涙の保管場所にもよるが‥‥‥」
アベスタの方を見ると、彼女はどこか自慢げに顎をクイと上げた。
「場所の予想はつく。大方奴等の親玉がいる部屋だろう」
「何故そうだと?」
「警備の厳重さ。そして他に場所がない、というのも理由だな」
とはいえ、と彼女は続ける。
「確証は欲しいだろう。1日だけ貰うぞ」
それで構わない、とアイーシャは頷く。
「あとは人員ですか‥‥‥」
まぁ仕方ないですね、とミルシィは肩を竦めつつ首を横に振りながら立ち上がり、
「ここは私が一肌───「いや」」
ピシリ、とミルシィが中途半端な姿勢で固まる。
彼女の言葉を遮ったアイーシャは、しかし特に彼女へ気にかけるようなそぶりを見せることはなく、まっすぐに視線を向け、
「グレイ」
「‥‥‥」
名を呼ばれたグレイは僅かに肩を揺らし、視線をアイーシャに向ける。
「行くのは俺とお前だ」
返答はない。任せたいという言葉もない。
しかし、それで話は終わりだというかのように視線を切る。グレイもまた、特に言葉を発することなく目を閉じた。
良いんですか?という視線を送るミルシィだったが、2人にしか分からぬこともあるのだろう。僅かな悔しさを感じるも、彼女もまた口を挟むことはなかった。
「2人だけで良いのか?」
場に流れた微妙な空気を払拭するかのように、どこかとぼけたマサシの言葉が響く。
ある意味この能天気さは有難いですね~、とミルシィが思っていることなど露ほども考えていないであろう彼はそのまま続けた。
「赫狼ってのは馬鹿でかい組織なんだろ?だったら何かあったときのために、少しでも戦力はあった方が良いんじゃないか?」
「そうだな」
その疑問は自然だろう。だが、と彼女は続けた。
「そもそもの本題が忍び込んで盗み出すことだ。大人数で押しかけても警戒されるだけで、人数は最小に絞るしかない」
というか、そもそもだと彼女はため息を吐いた。
「他の奴がついてきたところで何の役にも立たん」
戦力外通告を受けたマサシは喉を詰まらせる。
彼は痛いほど分かっていた。赫狼の強さ、そして自分の弱さを。
だが、だからこそ、
「‥‥‥赫狼は強い。半端な戦力だと全滅する可能性も───」
「その点も含めてだ。
全滅したとしてもこちらの被害は2人で済む。それに、そもそも別段分の悪い賭けじゃない」
瞬間、アイーシャは視線を軽く動かしたが、誰も気づくことはなく、否、当人すらも気付くことはなかった。
なーに、と彼女はマサシの肩を軽く叩いた。
「やるからにはやり遂げるさ。だからまぁ、心配するなとは言わんが任せとけ」
それよりも、と彼女は続けた。
「問題はその後だ。救って、それからどうする?」
「───ッ!それは‥‥‥」
「気が早い、とは思うだろうが連れてきてからじゃ遅い。
折角の時間だ。これからの身の振り方を考えるんだな」
さらわれて諦めるような連中ではない。それこそ死力を尽くして取り返しにくるかもしれない。
そうなれば今度こそ‥‥‥そこまで想像したマサシは小さく震える。
「‥‥‥分かった。分かったよ」
腹を括ったのか。今までになかった力強さを感じさせる瞳を向け、彼は頷いた。
「お前たちが帰ってくるまで決める。‥‥‥必ずだ」
「それでいい」
答えに満足したアイーシャはよし、と膝を叩いた。
「決行は3日後。それまで各員よく休んでおけ。
特にグレイ」
ピッと指を向ける。僅かに顔をしかめるも、グレイは大人しく頷いた。
「分かっているなら良い。無様な姿は見せるなよ。
って、あぁそうだ」
言い忘れていた、とアイーシャが続ける。
「服、買い忘れるなよ」
「‥‥‥マジか」
◇◆◇
「おっ」
当日。集合場所として指定していた場所に赴けば、そこには着飾った男が立っていた。
とても礼服など似合いそうにない風貌であったが、黒の礼服を彼は意外にも着こなしており、普段の粗暴さはどこに行ったのか、そこにいたのは1人の紳士だった。
「似合っているじゃねーか」
「‥‥‥お前もな」
らしくない誉め言葉が返ってくる。僅かに目を見開くもすぐに表情を戻し、アイーシャはそうだろう?と服の端を持ち上げる。
「レードュラの文化で『ドレス』って言うんだとか。ミルシィの奴が張り切ってな」
「あぁ‥‥‥」
想像がつくとグレイは息を吐いた。
しかし、と改めてアイーシャに目を向ける。
ドレスと呼ばれたその服は赤を基調とし、足首の上あたりまで広がる裾には長い切れ込みが入っているものであった。鮮やかな紅の色をした髪とは対照的な暗い赤であったが、その組み合わせがどこか彼女を蠱惑的なものに仕立て上げていた。
なるほど、確かに似合っており、貴族が居る場でも問題なく溶け込めるだろう。
だが、
「目立たないか?」
全体が赤々とし、どうしたって目を引く。これではとても盗みに入れなさそうだが。
困惑の目を向けるグレイに対し、大丈夫だと彼女は笑った。
「むしろ目立った方が良い。っと、歩きながらになるが、まずはこれからの流れについて話しておくか。
といってもやることは多くない。まずは───」
──────────
全てを聞き終えたグレイは成程、と小さく頷く。
「かなり無茶苦茶だが‥‥‥お前ならば問題ないんだろうな。
いや、お前だからこそというべきか。
しかし、そうなると懸念点はやはり相手の規模か」
「アベスタの調べだとそう人数は多くないみたいだが、質が分からん。
幹部連中がいれば厄介になるだろうな」
赫狼には頭目を含めた5人の幹部がおり、非常に高い戦闘力を有していることで知られている。
「『頭』『腕』『牙』『爪』『脚』だったかな?こう並べてみるとやっぱり足りないよなぁ」
「まぁ、そうだな」
何かしらの理由はあるのだろうが。特に興味のなかったグレイは気の抜けた返事を返す。
アイーシャもまた大して気にしていないのだろう。そうだ、と話を切り替える。
「ある程度の言葉遣いは習ったか?」
「ほんの少しだがな」
「上出来だ。話しかけられたりとかされなければ問題ないが、用心しておくに越したことはないからな」
じゃあ行くか。
短くそう言ったアイーシャの後をグレイがついていく。進むことしばらく。先ほどとは違う煌びやかな街並みを通り過ぎ、一軒の建物の前で止まる。
灯りをともすタルクで照らされた薄い紅色の看板にはバールディの文字。2人は顔を見合わせ小さく頷くと、恐れることなく建物の入り口へと向かう。
「失礼」
中に入るその直前。隣から声がかけられるとともに制止の手が差し出される。
「何だ?」
「簡単な身体検査を行っております。係の者を呼び付けますので少々お待ちを」
「脱ぐのか?」
「いえ。あくまでも簡単なもので、服の上からの確認のみとしております」
そうか、と軽く頷く。しばらく待ち、係の者なのだろう女性が軽く身体に触れ、
「問題ありません。それと、お嬢様。中ではこちらを」
そう言って手渡された仮面(目元のみを隠すもの)を、訝しむことなく顔につける。
これで仮面をつけるのは2度目かと内心ぼやいた。
グレイの方も特に問題はなく、2人はそのまま中へ通される。灯りをともすタルクがふんだんに使われたその広間は、暗闇に包まれている外とは対照的に眩しいほどに輝いており、それなりの数の人があちらこちらで談笑を交わしていた。
(仮面をつけていないのがこの店の人間か)
ほとんどがかめんをつけている者とそうでない者で会話を交わしている。女性の客人も珍しくなく、これならば上手く紛れそうだと内心ほくそ笑む。
とはいえ紛れるためにはある程度の会話が必要。相手は誰にしようかと吟味している時だった。
「はじめまして、美しいお嬢様。ようこそバールディへ」
声の方を向く。褐色の肌をした男が、口元に小さな笑みを浮かべてこちらへ近づいてくる。丁度良い、と彼女も笑みを返した。
「どうしてはじめましてだと?」
そう問いかけると、彼はくつくつと笑い、
「髪ですね。そこまで美しい紅の髪を、私は見たことがありません。
それほど鮮烈な色は染めるだけでは出せません」
「なるほど」
そう言って彼女はサラリと髪を撫でる。艶やかな色を放つその髪は、彼女の手櫛に全く逆らうことなく流れていった。
「では改めて、はじめまして」
「えぇ、はじめまして紅の君よ。私のことはどうぞオルコールと」
どこか楽しそうにそう言った彼は頭頂部にある耳を軽く動かす。
「カナットゥヤの方ですか」
アイーシャがそう言うと、オルコールは思わずといった風に目を丸くする。
失礼と言って表情を元に戻し、しかし嬉しさは隠しきれないようでやや興奮気味に彼女に語りかけた。
「えぇ、えぇ。カナットゥヤのナルガという種族です。
まさか人族の方からそちらの名前で呼ばれるとは」
カナットゥヤとはすなわち人族の言葉で獣族のことを指すものである。ほとんどの人がこちらを使っており、獣族が自らの名を言うときにしか使われていないものであった。
「ご職g───いえ、大変失礼いたしました。あまりの嬉しさでつい」
この場において相手方の詮索はご法度である。それを分かっているため、アイーシャもまた笑みを返すだけに留めた。
「よろしければ少しお話いたしませんか。無論、無用な詮索はいたしませんので」
そちらの男性の方も、とグレイの方へ手を向ける。断る理由がないと判断したアイーシャはその提案に乗ることにした。
「喜んで。それと、その男は私の護衛兼従者ですので、特にお気になさらず」
「護衛‥‥‥成程」
その体格を見て納得したのだろうオルコールは小さく頷き、軽く辺りを見渡すと、
「あちらの席が空いておりますね」
そう言って先導するように、彼女の前を歩く。
道すがら、広間に置かれてある大きな机からいくつかの菓子物を取っていき、席に着いた2人はゆるやかに談笑を始めたのであった。
◇◆◇
思いのほか話が弾み、気付けば1ハンバが経とうとしていた時だった。
不意にアイーシャの身体が揺らぎ、咄嗟にオルコールが彼女を支える。
「っと!大丈夫ですか!?」
頭を揺らすことなく、そっと椅子の背もたれに寄りかからせる。
申し訳ありません、と僅かに上気した顔でアイーシャは微笑んだ。
「少しお酒を飲みすぎたのかもしれません」
見ると額にはうっすらと汗がにじんでおり、呼吸もしづらそうだった。しまった、とオルコールは内心で反省した。
「大変申し訳ありません。お話がとても楽しく、注意を怠っていたようです」
そう言って深々と頭を下げるオルコールに対し、とんでもないとアイーシャは口を開いた。
「こちらこそ!とても楽しいお話が出来て光栄です」
「そう言っていただければ‥‥‥すぐに人をお呼びいたします。少々お待ちを」
そう言って立ち上がろうとしたオルコールを、アイーシャはいえ、と言って呼び留める。
「それには及びません。グレイ───私の従者を使いますので。少し身体を休めるような場所だけ教えて頂ければ」
「しかし‥‥‥」
口に出しかけた否定の言葉を呑み込む。
あまり気を遣いすぎるのも良いことではないだろう。またこの状況は完全にこちらの失態が招いたものである。煙たがられてもしようがない。そう判断したオルコールは深々と頭を下げ、
「あちらに通路があり、奥にいくつかの部屋がございます。鍵は入口に立っている者から受け取ってください。オルコールから、と伝えれば大丈夫です」
「ありがとうございます。オルコール様も、あまりお気になさらず」
「お気遣い、感謝いたします」
グレイの手を借り、示された通路へと向かう。わずかにふらついているその足取りを見てオルコールは何と声をかけるか迷い、しかし結局何も言うことは出来ず、奥の通路へと消えていくのを見届けるだけであった。
──────────
渡された鍵番号の部屋へ向かう2人。
既にアイーシャはグレイから離れ、しっかりとした足取りで進んでいた。
恐ろしいな、とグレイは内心で呟く。
(あれはどう見ても酔っぱらった奴の顔だった)
酒の強さはマーシェで確認済みである。あの程度の量では酔わないことを知っていてもなお騙されるほど、彼女の演技は徹底されていた。
(一体どんなことしてれば、あそこまでの技術を───)
「───オイ」
思考を巡らしていたグレイだったが不意に呼びかけられ、我に返る。
ハッとして視線を下に向けると、三白眼を向けジトリとこちらを睨むアイーシャの姿があった。
「何ボーっとしてやがる。こっからが本番だぞ」
「‥‥‥すまない」
どす、と思いのほか思い拳が腹に突き刺さる。
僅かに息を詰まらせたグレイは、面目ないと軽く頭を掻いた。
「まぁいい。
じゃあこっからは別行動だが‥‥‥アベスタ」
呼びかけと共に影が立ち上がる。それは一瞬アイーシャの形をしており、緩やかに形を変えていった。
「うむ、うむ。出番か」
「あぁ。そいつの案内を頼む。目的はティナの奪還だ。戦闘は極力避けろ」
「了解した」
随分と無茶な指示にも関わらず、何てことの無いようにアベスタは頷いて見せる。
アイーシャもまた、その言葉を疑うことはなく頷き返した。
「‥‥‥グレイ」
もう言うことはない、と振り返ったアイーシャがその姿勢のまま固まる。
そして小さく、
「頼んだぞ」
「───ッ!?」
グレイの目が大きく開かれる。
彼は息を深く吸い込み、短く、
「あぁ」




