第四話 初めての友達
朝日が昇ると、近所の鶏がけたたましく鳴き始めた。劈ような鶏の鳴き声に、夢美はゆっくりと目を開ける。すぐさま肌に馴染みのない布団の感覚に、自分は帰郷していることを思い出した。布団を捲まくり、夢美は眠い目を擦った。窓からは夜明けの涼しい風が吹き込んでいる。夢美は起き上がり、窓から外を覗く。広大な畑が広がり、緑色の絨毯を作っている。乾いたあぜ道の上を、老人と犬が歩いていた。夢美は布団を畳む。ふと、僅かに開いた扉の隙間から、香ばしい栗の匂いが運ばれて来た。鼻の中で渦巻く栗の匂いに、思わず夢美の腹がくぅと鳴る。ほくほくとした栗の匂いに導かれ、夢美は下の階へと降りていく。
居間では、既に食事の準備がされていた。夢美が降りてくる姿を見るなり、千代はにっこり笑う。既に野良仕事帰りなのか、頭には日よけのタオルを巻いていた。千代は麦茶をテーブルの上にあるコップに注いでいるところだ。
「あら、おはよう夢美ちゃん。早起きだんべねぇ」
「お、おはよう。おばあちゃん」
親しげに話す千代に慣れておらず、夢美は戸惑い混じりに答える。千代は自分の分の麦茶を注ぎ、一気に飲み干す。
「朝ごはんできてるから、夢美ちゃん食えな」
夢美は座布団の上で足を崩す。目の前には栗ご飯と、豚の角煮、キャベツの味噌汁が置かれている。夢美は慎重に息を吹きかけながら、栗ご飯を口にした。ご飯を食べる様子に、千代は満足そうに笑う。甘塩っぱい栗の風味が、夢美の口の中で広がった。時間をかけつつ、夢美は少しずつ朝ごはんに手をつけていく。昨夜もらったばかりの、キャベツのシャキシャキとした食感。長時間煮込まれ、ほろほろと崩れる角煮。東京では食べていなかった新しい味が、夢美を優しく迎え入れた。朝ごはんを食べていると、夢美も悪い気がしない。食材の味が、自分を村に歓迎しているように思えたのだ。
食事が終わると、夢美は部屋で寝転がっていた。日の光が窓から差し込み、夢美は眩しそうに瞬きする。身体が弱い夢美は、無闇に歩くことすら許されない。外に出れば心臓が暴れ出し、夢美の命を蝕むのだ。夢美は天井の壁を見つめる。花の模様が入った白い天井。結局はここも、病院と変わらない。温室の中の植物のように、夢美は囲われ続けるのだ。夢美は胸が締め付けられる。完全に外界から隔絶させるように、夢美は窓のカーテンを閉めようとした。
「あ、こんにちはー!」
窓から姿を見せる夢美を、誰かが引き止める。思わず夢美が網戸を引くと、家の前に一人の少女がいた。デニムのジャケットを羽織り、黒のジョッパーズパンツを履いている。セミロングの茶色い髪は、毛先が僅かにカールしていた。田舎にしては派手な見た目だが、年齢は夢美とさほど変わらないようだ。少女は卵のように丸い目を輝かせ、夢美を見ている。
「もしかして、倉賀野のばーちゃんのお孫さんだべか?」
「は……はい」
カーテンを閉めようとする夢美を、少女は興味津々に引き止める。溌剌とした口調には、わずかな訛りが混じっていた。
「やっぱり! アタシ近所に住んでるの!」
二階からでもはっきりと聞こえる声で、少女は夢美に呼びかける。甲高い声に、夢美は肩をびくつかせた。恥ずかしがり、夢美は目元から上だけを出す。
「ねえ! 一緒に遊ぼうよ! アタシ、都会のお話なっから聞きたいの!」
窓から姿を消そうとする夢美に、少女は何度も呼びかける。初めて自分に好意的に接する少女に、夢美は一抹の興味がないわけでもない。遊んでみたい。だけど、身体の弱い自分が外で遊んだら、おばあちゃんはどう思うだろうか? きっと心配するに違いない。夢美はそのまま布団に包まろうとした。だが、外への魅力は夢美の胸を強く打ち付ける。彼女と一緒に、自分の知らない故郷を見てみたい。夢美はキャリーバッグから制服を取り出し、パジャマを脱ぎ捨てて着替えた。はやる気持ちのあまり、制服のシャツのボタンを掛け違える。あの子が離れていかないうちに会いたい。パジャマを畳むのも忘れ、夢美はボタンを掛け直しながら階段を駆け降りた。
夢美が玄関の引き戸をあけると、眩い日の光が待っていた。久しぶりに肌で感じる夏の暑さに、夢美は日陰を求めようとする。昨夜は薄暗く朧げだった、家の庭が広がっていた。千代が長年集めたと思しき植木鉢が、石垣の前に並んでいる。早朝に水が与えられたばかりなのか、植木鉢の底から僅かに水が漏れ出ていた。庭の門の先に、先程の少女が仕切りに手を振っているのが見える。
「あっ! 来てくれたんだべか!」
夢美が門を開けると、少女は嬉しげに夢美に近づく。少女は格好こそ、デニムにジョッパーズパンツと東京でもよく見る恰好であったが、近くで見ると履き潰した運動靴に、頰に点々と付くそばかすなど、村娘らしい容貌もある。少女は都会から来た子供である夢美を、しげしげと眺めていた。
「アタシは広沢 八重子。この辺に住んでるんだ。あなたは?」
少女に促され、夢美は息が引っ込みそうになる。八重子と名乗った少女は、期待に胸を膨らませて夢美の返答を待っていた。
「私……夢美。宇津保……夢美……」
長い沈黙の果てに、夢美は口を開く。八重子は名前を聞くなり、嬉しさのあまり夢美の手を握った。いきなり温かい手に握られ、夢美はビクッと肩を震わせる。夢美の白く細い指が、八重子の日に焼けた指に隠れていく。
「よろしく! 夢美ちゃん! よかったらこの村案内するけど、どうかな?」
まくし立てるような口調の八重子。サンダルを履いた足は、はやる気持ちに駆られて砂利を削っていた。八重子の提案に、夢美はしばらく狼狽える。夢美は今まで、同年代の子供に話しかけられた事はなかった。東京の夢美の話相手といえば、毎日問診に来る先生だけだ。だが同時に、外の世界を見たいという好奇心が、夢美の胸の奥から込み上げていた。ここで何も言わなかったら、私はずっと蚊帳の中で過ごす事になるのかもしれない。夢美の冷たい手に熱が宿り始めた。
「は……はい、お願い……します」
「そんな敬語なんか使わなくてもいいべ。アタシ達同級生なんだからさ」
歯に衣着せぬ八重子の口調に、夢美は僅かに肩を震わせた。強い口調だが、八重子の顔は晴れやかだ。八重子は両手で夢美の手を引く。
「でも、決まりだね! じゃあ早速この辺を回ろっか!」
目を輝かせて、八重子は夢美の手を握ったまま歩き出した。夢美も導かれるままに、慣れない足取りで付いて行く。まだ涼しさの残る朝。二人は畑に挟まれた田舎道を歩いて行く。初めて側にいてくれる同級生に、夢美の胸も少し温かくなってきた。




