死線の大障壁と、ゲートの胎動
ドワーフ・マウンテンの麓でドワーフの戦士たちと「兄弟盃」を交わし、柳瀬組は新たな、そしておそらく最後の戦場となる「大障壁」へと向けて出発した。
ゼニスに残してきたロレンゾやザギには、俺たちの留守中のシマの管理と、神嶺組本隊の動向を探るよう厳命してある。奴らも、今や柳瀬組の看板を背負う以上、半端な仕事はできねえはずだ。
大障壁への道は、これまでのどの旅よりも過酷だった。
天を貫くような雪山を越え、灼熱の太陽が照りつける砂漠を横断し、そして、常に紫電が走り、魔物が跋扈する「呪われた森」を抜けなければならなかった。
ゴードンとバルガン率いるドワーフ斥候隊が、何度も命がけで道を切り開き、ベイルとドワーフの鍛冶師たちは、その場その場の環境に合わせて、耐寒具や砂漠用のソリ、魔除けの装飾品といった即席の装備を作り続けた。ミリアは、その聖なる力で仲間たちの傷を癒し、時には精霊の力を借りて、荒れ狂う自然の猛威を鎮めてくれた。
俺は、そんな仲間たちを率い、ヤクザの親分として、どんな困難な状況でも決して弱音を吐かず、先頭に立って道を切り開いた。オフクロの形見のお守りが、何度も俺たちの命を救ってくれたのは言うまでもねえ。
だが、俺たちを苦しめたのは、厳しい自然だけじゃなかった。
大障壁に近づくにつれて、「黄昏の蛇」による妨害が、露骨な形で俺たちを襲い始めたのだ。
夜営地を襲う、姿なき魔獣の群れ。仲間たちの心を蝕む、甘美な幻術。そして、俺の夢の中にまで現れて囁きかける、あの蛇の紋章を持つ、クリムゾン・リーパーの女リーダーの亡霊。
奴らは、物理的な攻撃だけでなく、精神的な揺さぶりをかけてきやがった。
「虎之介さん、気をつけてください! 彼らは、人の心の弱さにつけ込むのが得意です! 怒り、悲しみ、後悔……そういった負の感情を増幅させ、破滅へと導くのです!」
ミリアは、俺が悪夢にうなされるたびに、その小さな手で俺の手を握り、必死に祈りを捧げてくれた。彼女の純粋な祈りが、俺を正気に繋ぎ止めてくれたと言っても過言じゃねえ。
「黄昏の蛇……奴らの目的は、一体何なんだ? ただ世界を混乱させたいだけなのか?」
俺の疑問に、ミリアは古い伝承を紐解きながら答えてくれた。
「彼らは……この世界の理そのものを、自分たちの都合の良いように書き換えようとしているのかもしれません。古の邪神を復活させ、世界を原初の混沌へと還す……そんな恐ろしい記述も、いくつか見つかりました」
世界の理を書き換える。途方もねえ話だが、奴らの禍々しい気配と、氷川の狂気を考えると、ありえねえ話じゃねえかもしれねえ。
旅の途中、ゴードンが捕らえた神嶺組の密偵から、氷川の動向も少しずつ明らかになってきた。
奴は、俺たちが大障壁に近づいていることに気づき、焦りを募らせているらしい。そして、「ゲート」を通じて、元の世界から何かとんでもねえ「ブツ」を運び込もうとしている、と。それが、奴の最後の切り札になるのかもしれねえ。
そして、数ヶ月にも及ぶ過酷な旅の末、俺たちはついに、その威容を目の当たりにした。
大障壁。
その名の通り、天を衝くような黒々とした巨大な山脈が、どこまでも続いていた。山肌は険しく、常に紫色の魔力の嵐が吹き荒れ、近づくもの全てを拒絶するかのような、圧倒的な威圧感を放っている。
その山脈のどこかに、神嶺組の「ゲート」がある。そして、氷川が待ち構えている。
「……ここが、俺たちの最後の戦場か」
俺は、ゴクリと唾を飲んだ。
ゼニスの港や、ドワーフ・マウンテンとは、規模も、そして漂う空気の重さも、まるで違う。
ここには、生半可な覚悟で踏み込めるような甘さは、微塵も感じられなかった。
ミリアが、杖をかざして周囲の気配を探る。
「……感じます。この山脈の中心から、とてつもなく強大で、そして歪んだ魔力が……。あれが、『ゲート』の気配です。そして……その周りを、無数の邪悪な気配が取り巻いています。神嶺組の連中と、『黄昏の蛇』の術者たち……それに、何か……何か、もっと得体の知れないものの気配も……」
ミリアの顔が、恐怖に引きつっている。
案内役のドワーフたちも、この大障壁の異様な雰囲気に、言葉を失っていた。
「……こんな場所は、我々ドワーフの伝承にも記されておらぬ……。まさしく、世界の果てじゃ……」
バルガンが、呻くように言った。
だが、俺たちに、もう引き返すという選択肢はねえ。
ここまで来たんだ。氷川の首を獲り、この異世界でのケジメをつけるまでは、絶対に終わらせるわけにはいかねえ。
「野郎ども、準備はいいな」
俺は、共に死線を潜り抜けてきた仲間たちの顔を見回した。
ゴードン、ミリア、ベイル、そしてバルガン率いるドワーフの戦士たち。
その目には、恐怖もあった。だが、それ以上に、俺への信頼と、最後の戦いに挑む覚悟が宿っていた。
「この先に何が待ち構えていようと、俺たち柳瀬組のやることは一つだ。邪魔する奴は、ブッ飛ばす。そして、俺たちのシマを荒らした落とし前を、きっちりつけさせてやる。それだけだ」
俺は、漆黒の戦斧を肩に担ぎ、大障壁の麓へと続く、唯一の道を見据えた。
そこには、神嶺組と「黄昏の蛇」が築き上げた、最後の要塞が、まるで地獄の入り口のように、大きく口を開けて俺たちを待ち構えているはずだ。
「行くぞ! 俺たちの最後の殴り込みだ!」
俺の号令と共に、柳瀬組とドワーフ連合軍は、決戦の地へと、その第一歩を踏み出した。
この世界の運命を賭けた、俺の人生最大の博打が、今まさに始まろうとしていた。




