深夜の倉庫と、龍脈の楔
マルコを落とした翌日の深夜。
ゼニスの港は、潮の香りと、魚の腹わたみてえな生臭い匂いに満ちていた。空には、マルコから聞いた合言葉の通り、星一つねえ。まるで、俺たちの潜入のために用意されたみてえな夜だ。
「旦那、あれが第7倉庫でさぁ。噂に違わず、デカい……」
物陰から様子を窺うゴードンの声が、緊張でわずかに上擦っている。
俺たちの目の前には、他の倉庫とは比較にならねえほど巨大で、頑丈そうな石造りの倉庫が、巨大な獣のように鎮座していた。入り口の両脇には、松明の明かりに照らされた「鬼瓦」の姿が二人。奴らの纏う黒い着物は、この闇の中でも異様な存在感を放っている。
「マルコの情報通りなら、あと十分ほどで警備が交代する。その隙を狙うぞ」
俺たちは息を殺し、その時を待った。
やがて、倉庫の奥から新たな「鬼瓦」が二人現れ、入り口の二人と短い言葉を交わして交代した。マルコが言っていた通り、交代の直後は、気の緩みからか、警戒がわずかに甘くなる。
「行くぞ」
俺とゴードンは、猫のように音を殺して、倉庫の入り口へと近づいた。
「――誰だ!」
俺たちが物陰から出た瞬間、見張りの一人が鋭く声を上げた。さすがに、神嶺組の息がかかった連中だ。完全に気を抜いているわけじゃねえ。
俺は慌てず、堂々と前に進み出た。
「マルコ主任の使いだ。急ぎ、中に入れるようにとのお達しだ」
「マルコ主任? こんな夜更けに……合言葉は?」
見張りは、疑わしげに俺たちを見ながら、腰の刀に手をかけた。
俺は、ミリアから言われたことを思い出しながら、ゆっくりと、そしてはっきりと口にした。
「『星無き夜、龍は眠り、楔は目覚める』」
ただの言葉のはずなのに、俺がそう口にした瞬間、周囲の空気がビリッと震えたような気がした。見張りの連中も、一瞬だけ、その目に畏怖のような色を浮かべた。
ミリアの言う通り、これはただの合言葉じゃねえ。この言葉自体に、何らかの力が宿っている。
「……よし、通れ。ただし、主任に言伝を頼む。あまり、我々を便利屋のように使うな、と」
見張りは、不満そうな顔をしながらも、道をあけた。
どうやら、マルコの奴、俺たち以外にも、この合言葉を使って色々と無理を通しているらしい。そのおかげで、俺たちが怪しまれずに済んだのは皮肉なもんだ。
俺とゴードンは、重い鉄の扉の先へと足を踏み入れた。
倉庫の中は、ひんやりとした空気に満ち、俺たちが持ち込んだランプの明かりだけが頼りだった。
中はだだっ広く、天井も高い。所狭しと、巨大な木箱がいくつも積み上げられている。そのどれもが、頑丈な鉄の帯で固く封をされていた。
「旦那、こりゃあ……一体、何が入ってやがるんで……?」
「さあな。だが、俺たちの探してるブツは、この奥のはずだ」
マルコの情報によれば、最も重要な荷物は、倉庫の一番奥、地下へと続く階段の先にあるという。
俺たちは、木箱の迷路を抜け、鉄格子のはまった、いかにも物々しい扉の前にたどり着いた。
鍵はかかっていなかった。合言葉を知る者なら、自由に入れるということか。
地下へと続く階段を下りていくと、そこには広大な空間が広がっていた。
そして、その中央に鎮座する「それ」を目の当たりにして、俺は思わず息を呑んだ。
「……なんだ、ありゃあ……」
それは、黒曜石を削り出したかのような、巨大な「杭」だった。
全長は10メートル以上あろうか。表面には、ミリアが言っていた古文書の紋様みてえなものが無数に刻まれており、それ自体が、脈動するかのように、禍々しい紫色の光を明滅させている。
そして、その杭の周りには、廃坑で見た魔物の死骸や、大量の魔晶石が無造作に転がっていた。それらの生命力や魔力が、まるで供物のように、この巨大な杭へと吸い上げられているのが、素人の俺にも分かった。
「……『龍脈の楔』。間違いねえ、ミリアが言っていたやつだ」
神嶺組は、この巨大な楔をゼニスの龍脈の中心に打ち込むことで、この土地の力を根こそぎ奪い取ろうとしているんだ。
「旦那! こっちに何かありやすぜ!」
ゴードンが、部屋の隅にあった作業台のようなものの上を指差した。
そこには、数枚の羊皮紙が広げられていた。ゼニスの詳細な地下地図と、楔を打ち込むポイント、そして、それを実行するための計画書だ。
俺はその計画書を手に取り、目を見開いた。
そこには、橘馬頭の名と共に、もう一人、俺が決して忘れることのできねえ名前が署名されていたのだ。
『神嶺組 若頭補佐 氷川』
氷川……。
俺を裏切り、敵対組織に情報を流し、俺に銃弾を浴びせた張本人。
俺が神嶺組で最も信頼し、そして、最も残酷な形で裏切られた男。
あいつも、この異世界に来てやがったのか!
「……氷川……!」
俺の口から、憎悪に満ちた声が漏れる。
この計画は、橘だけでなく、氷川も一枚噛んでいる。いや、むしろ、俺を知る氷川が、この異世界での計画を主導しているのかもしれねえ。
俺が怒りに震えていると、不意に、倉庫の上階からけたたましい警報の鐘の音が鳴り響いた。
「何だ!?」
「侵入者だ! 地下の連中か!?」
「鬼瓦」の連中の怒声が聞こえてくる。
マルコが、俺たちを売ったのか? いや、あの小心者がそんな度胸があるとは思えねえ。
だとすれば、これは罠か!
あるいは、俺たちの他にも、この倉庫に用がある奴がいるのか?
「旦那、マズいですぜ! 完全に包囲されやす!」
ゴードンの言う通り、階段を駆け上がっていく足音が、複数、こちらに近づいてくる。
「……ちっ! 面白くなってきたじゃねえか!」
俺は計画書を懐にねじ込むと、ベイルに作らせた鉈を握りしめた。
「ゴードン! 暴れるぞ! ここから殺してでも脱出する!」
「へい!」
神嶺組の計画の核心と、俺自身の因縁の相手。
その両方を、この場所で見つけちまった。
こうなったら、退くわけにはいかねえ。
このゼニスの地下で、俺と神嶺組との、最初の本格的な戦争の火蓋が、今まさに切られようとしていた。




