第410話 三日/午前/不器用すぎる彼のこれから
長い時間をかけて築き上げたもの、積み上げたものを、たった二日で壊された。
今後、三日星における金鐘崎本家の求心力は間違いなく衰えるだろう。
理由は様々だ。
例えば、美沙子とアキラを帰してしまったこと。
この三日星において、絶対とも呼ぶべき欣司の意向が覆された。
しかも、年始の挨拶で大々的に公表した美沙子と八雲の再婚もご破算になった。
この再婚を契機にして、金鐘崎本家は那岐和家との繋がりを深めるはずだった。
つまりは美沙子の再婚は家同士の政略結婚の色合いを帯びていたワケだ。
が、再婚話がなくなったことで、那岐和家との距離も遠ざかることとなる。
すると、すでに動き出していた三日星への様々な援助の話も当然、立ち消える。
今回の再婚話は、欣司から王原を介して那岐和家に申し込んだもの。
それが、金鐘崎家の都合でなくなったとのだから、申し開きのしようもない。
那岐和六郎には欣司が直接頭を下げねばならないだろう。
那岐和十萌の件も含めて。
まぁ、六郎は十萌をあまり可愛がっていないようだった。
が、十萌がいなくなったことを口実に、どんな無茶振りをされるか……。
それに加えて、この二日間で小夜子と茅野の二人が本家からいなくなった。
二人は、どう探しても見つからないところに連れていかれたようだ。
茅野に身よりはなく、小夜子については弟も捜索を諦めている。
ゆえに後腐れはないのだが、人が消えた事実は噂となって三日星を巡るだろう。
特に、茅野希美は外に知り合いも多かった。
果たして、暇を出したというだけでその噂はどの程度抑えられるか。
往々にして、噂はやがて憶測を呼び、憶測は邪推へと移りゆく。
そうなったら事実はもう関係ない。
独り歩きし始めた噂を抹殺する手段は、この世界には存在しない。
「……チッ」
美沙子達が立ち去った広間で、欣司は舌を打つ。
全く、頭が痛い。
本家のこれからを思えば、今宵は寝れるかどうかもわからない。
金鐘崎欣司は、自分が古い人間であることを知っている。
彼が生まれたのは、まだまだ父が家長であるという風潮が根強い時代だった。
男に求められるのは強さと堅さと真面目さで、軽い男はひどく下に見られていた。
欣司は、最も多感な時期に価値観を植え付けられた。
彼は元から真面目な性格で、周りの教育と期待に答え続け強くて堅い男となった。
だがその対価として、彼は器用さや柔軟性を失ってしまった。
結果、できあがったのは『三日星のお殿様』。
寡黙で自分本位で、他人の意見をほとんど聞かない、言葉少なな石頭の頑固者。
――おまえら、子育てに失敗したんだよ。
孫のアキラに突きつけられた言葉。
正直、心臓を抉り抜かれた思いがした。
自分が根本的に父親に向いていない人間であることを、欣司は理解している。
だが、金鐘崎本家の当主として、自分は血を次代に継がねばならない。
だから、適齢期を迎えた頃に美喜子を嫁に迎えた。
美喜子を選んだのは、恋慕でもなければ愛情でもなく、純然たる打算だった。
周りにいる女性の中で、最も『家を任せられそうな女』が彼女だった。
子供ができる前から、欣司は自分が父親に向かない性格である自覚があった。
だから自分は『家族を食わせていくこと』に専念することにした。
家は美喜子に任せて、自分は食い扶持を稼ぐ。
そういう役割分担で行こうと、欣司はかねてより考えていた。
無論、そんなもの逃げでしかない。
崟吾が生まれ、美沙子が生まれ、美智子が生まれた。
欣司は三人の子供を愛してはいたが、子育ては美喜子と茅野に任せっきりだった。
子供に対してどう接すればいいのかわからない。
というのが、彼が仕事に専念して、子供を遠ざけ続けた理由だった。
良い暮らしをさせてやればいい。素晴らしい環境を与えてやればいい。
それで自分は、子供と接さずとも父としての責務を果たしている。それでいい。
美智子も、家のことは特に何も言ってこない。
子供達も学校でのことで自分に何かを訴えたりしてこない。
全てが順調に回っている。
上手くいっている。問題はない。問題はないはずだ。
そうやって、欣司はずっと仕事人間のフリをして自分の家庭から逃げ続けた。
いや、アキラから指摘を受けるまでは、逃げている自覚すらなかった。
金だけ出すのが役割なら父親は欣司でなくてもいい。
子供を甘えさせなかった分際で、ずっと子供に甘え続けてきただけ。
伝わらない愛情に意味はない。意義もない。価値もない。
アキラが吐いた言葉の全てが欣司の心をいちいち叩きのめした。
だが、彼が最もダメージを食った言葉は、自分の娘である美沙子の一言。
『愛されてる実感をくれない親のもとじゃ、やっぱり子供ってのは歪むんです』
当の娘本人に、その言葉を言わせてしまった。
それこそまさに、欣司と美喜子が子育てに失敗した、何よりの証だった。
相手はどことも知らぬ世界で生きた記憶を持った、美沙子とは少し違う存在。
だが欣司には、どうしても彼女が美沙子本人にしか思えなかった。
だからこそ、しみじみとした物言いで告げられたその言葉が、深く突き刺さった。
ああ、伝わっていなかった。
自分の中の愛情は、子供達に何も伝わっていなかった。
伝える努力をしていないのだから、それは当然の話。
それでも欣司はショックを受けるしかなかった。
彼には彼なりの、不器用ながらも子供を育て上げてたという矜持があったからだ。
だがそれを、当の娘本人に否定された。
しかも、欣司自身も納得せざるを得ない言い方をされて……。
救いがたいのは、それでもきっと自分は変われないことだ。
幼い頃に構築され、今まで持ち続けている古い価値観を、自分は捨てられない。
金鐘崎欣司は、娘に否定され、孫に説教され、家族をブチ壊されても変われない。
彼はそれだけ強く、堅く、生真面目で、そして不器用すぎる愚か者だから。
アキラが言っていた。
愛していると伝えることは難しくはないだろう。と。
いいや、難しい。ひどく難しい。
自分のような人間に、それは果てしない難行なのだ。
度し難いと自分でも思う。
だが、変われない。
好意を告げるほんの一言が、どうしても口から出てくれない。
本家の権威が失墜しようとも、自分はこのまま『三日星のお殿様』のままなのだ。
それが事実上、裸の王様と何も変わらないのだとしても――、
ボーン、ボーンと、時計が鳴る。
気がつけば、時刻は正午を回っていた。もう昼だ。
いつもならば、ここで美喜子に『メシだ』と指示して、昼食の準備を始めさせる。
変われない欣司は、変われないまま美喜子に向かって口を開こうとする。
「お昼にしましょうか」
だが、彼が言うより先に美喜子が動いた。
彼女が見せたその動きに、欣司はアキラと美沙子にも見せなかった驚きを見せる。
欣司が知る限り、初めてだった。
妻が、彼の指示に先んじて自分から動こうとするなんて。
「美喜子、おめぇ……」
結婚して四十余年、初めて起きた出来事に、欣司は半ば呆然となって妻を見る。
すると、美喜子は少しだけ含みを持たせた笑いを浮かべ、
「こういうのはね、女の方が得意なんですよ」
彼女は立ち上がって、ずっと無反応を貫いている崟吾と美智子を見る。
「二人とも、手伝ってくれるかしら?」
「ああ、お袋」
「わかったわ、お母さん」
二人の受け答えは、それだけを見ればごく普通のもの。
だがやはり、欣司にはわかる。
そこに二人はいない。表情も反応も、全てニセモノにすぎない。
自分と美喜子の子供である崟吾と美智子は、もうここにはいないのだ。
間違った育ち方をしたあの二人は、人として間違ったがゆえに、仕返しをされた。
「私達次第だって、アキラちゃんは言ってたわね」
だが、美喜子に言われて、欣司はハッとする。
「今さらなのはわかってるけど、私は、今からでも頑張ってみようと思っています」
「美喜子……」
妻は、二人の子供を育て直すと欣司に宣言した。
それにロクに言葉を返せないでいる彼に、美喜子は笑ったまま、こう続ける。
「あなたは、あなたのお好きなようになさってください」
それは、優しい拒絶の言葉。
突き放すようであり、同時に、夫のことを理解し尽くした妻の言葉でもある。
欣司が変われないことを、美喜子はわかってくれている。
その上で自由にすればいいと、彼女は言う。
「行きましょうか、二人とも」
「ああ」
「おなかすいたわね」
美喜子が、崟吾と美智子を伴って大広間を出ていこうとする。
「……オイ」
だが、離れゆくその背中に、欣司が一声かけた。
美喜子が歩くのを止めて、軽く夫の方へと振り返る。
「どうかなさいましたか?」
妻に問いを返されて、欣司は彼女をチラリと流し見て、かすかに唇を開く。
それから続く、十秒近い無音の時間。
欣司の唇はかすかに震えるばかりでその奥から声は出ず、だが――、
「…………。…………すまん」
やっと言えたのは、その三文字。
いつもなら『何でもねぇよ』と返すところを必死に堪え、彼はそれを口に出した。
何ともつたない物言いで。何とも硬く強張った声で。
だが、それは確かに紡がれた。
金鐘崎欣司からの、結婚後初めてとなる、妻への感謝の言葉だった。
「…………」
美喜子が、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
「何でェ、何か文句あんのかよ?」
欣司は顔を赤くして、幾度も舌を打ちながら、美喜子の方から目を逸らす。
「フフフフ、文句なんてありませんよ」
美喜子は何も追求はしてこなかったが、答えるその声は明らかに弾んでいた。
「これから一緒に頑張りましょうね、欣司さん」
「うるせぇ、さっさとメシの準備してきやがれよ、おめぇは!」
「別に、手伝ってくれてもいいんですよ? どうですか、一緒に?」
「うるせぇって言ってんだろ!」
「はいはい。ああ、怖い怖い」
耐えかねた欣司が声を荒げると、美喜子は崟吾と美智子を連れて広間を出ていく。
だが、最後に美喜子は、未だ欣司が気づいていない事実を明かしていく。
「それと、美沙子さんですけど――」
「あ? あいつがどうかしたのかよ。もう関係ねぇだろうが」
「来ないとは言ってましたけど、来るなとは言ってませんでしたよね」
「……あン?」
すぐには理解できずに聞き返す欣司だが、美喜子はそれ以上は言わなかった。
そうして、彼女と二人の子供は広間を去って、その場には欣司だけが残る。
「来るなとは言わなかった、だとォ……?」
だったら何だというのか。
あそこまで自分を完全に否定するような娘に、これから先、会う機会など――、
「…………」
ジワリと胸ににじんでくるのは、己のふがいなさ。
父としても、夫としても。あまりにも足りないものが多すぎた。言葉も、行動も。
愛しているのなら愛していると伝えればいい。
たったそれだけのことなのに、行なうのは何と難しいことか。
今の自分は、妻に一言『ありがとう』と言うことさえできなかった。
いや、それ以前の自分は、そんな言葉を彼女に贈ってやろうとも思えなかった。
「……クソ」
金鐘崎欣司が積み上げ、積み重ねてきたものは、アキラと美沙子に粉砕された。
それで今の彼に残されたものは、反省と呼ぶには大きすぎる、塊のような後悔で。
さっきまでの、変われないと諦めていた自分自身に、無性に腹が立ってくる。
言えたではないか。
それが『ありがとう』でなくても、言葉は口に出せたではないか。
だから、次はちゃんと美喜子に言おう。伝えよう。
自分の口からはっきりと『ありがとう』と。
それが今の自分が次に踏むべき一歩だ。
そしていつかは、ちゃんと言えるようになりたい。妻と子に『愛している』と。
「やってやろうじゃねぇかよォ、美沙子よォ」
まずは、家族と共に食卓を囲むところからだ。
金鐘崎欣司、生まれて六十余年目のちょっとした決意であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
やぁ~~~~っと帰れるわ~~~~!
「ととさま、もそっとそっち寄ってくれん? 狭いんじゃけど?」
「タマキが場所取りすぎなんだよ! 俺も狭いんだって~!」
「そんなことね~し~!」
と、いうワケでシンラの車の中でござい。
運転席にシンラ、助手席にお袋、後部座席に俺とタマキとカリンとジンギ。
ダルマと招き猫はここにはいない。つか、車に乗れねぇって。
ヤジロ達は、一度那岐和の家に向かうと言っていた。まぁ、そうなるだろうな。
那岐和さんチ、絶対ロクなことにならないと思うけど、それは管轄外。知らんわ。
それよりも、今の俺には最優先すべき問題があった。
「ミフユに会いたいんじゃァ~~~~!」
「…………父親。母親成分欠乏?」
「欠乏欠乏、マジ欠乏。思いっきりハグして撫でて可愛がりたい」
ジンギにきかれ、俺はブンブンと首を縦に振る。ヘドバンよ、ヘドバン。
「ととさまがここまでストレートに言うとは、相当よのう……」
「だ~って、昨日からミフユにRAIN送ってもちっとも既読つかねーんだモン!」
「ととさまがSNS依存症になりかけておるんじゃけど?」
「父上。僭越ながら、それはあまりよい傾向とは言い難く……」
運転してるシンラが、ミラー越しに俺を見てくる。その視線が実にウザってぇ!
「うるせぇなぁ、シンラ! おまえはいいよなぁ、この三が日、ず~っとお袋と一緒でよ~! 俺とタマキを見てみろよ! カミさんと彼氏に会えず可哀相だろうが!」
「え、オレ別に~」
「何ィ! タマキ、おまえ……!?」
ケントに会えなくて寂しさで心が死んでるとばかり思ってたのに!
「だってオレ、今もケンきゅんとRAINで話してるも~ん!」
言って、タマキは自慢げに自分のスマホの会話履歴を俺に見せびらかしてくる。
「こ、この裏切り者ォ~~~~!?」
「ととさま、さすがにそれは言いがかりじゃと思うよ、ワシ」
「…………父親、ダサ」
カリンとジンギが揃ってこっちに白いまなざしを送ってくる。うるせぇ~~!
「俺はとにかくミフユに会いた――、おや?」
ふと見ると、スマホに新着メッセージ。
「おお、これは……!?」
見ると、やはりミフユからのメッセージだった。
我が願い、天に通じたり。俺はスマホの画面を目に近づけて、中身を見る。
「ぶ」
「どうしたんだい、アキラ。急に静かになったかと思えば、変な声出して」
声を漏らしてしまった俺に、助手席のお袋がいち早く反応を示す。
「ミフユからメッセージが来たんだけどさ……」
「よかったじゃないかい、それで?」
「佐村家の年始の集まりで、大変なことがあったらしいよ」
「何があったってんだい?」
お袋に問われ、俺は自分でも信じがたいそれを、メッセージを見つつ答える。
「リリス義母さん、プロポーズされた、って……」
「え」
「「「えええええええええええええええええええええええええええ!?」」」
シンラの車の中に、驚きの悲鳴がこだました。




