第403話 二日/夕方/叛逆の向こう側に、血の色の影を見る
トモエによる説明が説明になっていない。
「ん、わっちはまず『出戻り』をしたのでありんすが、見ての通りこちらでのわっちはおのこでありんした。そしてわっちの手元には、共に死ぬる際にマスターよりお預かりしたお帽子が。それでわっちは思ったのでありんす。『あれ、わっちってば、実はマスターだったのでは?』。気がつけば、わっちはマスターになってありんした」
「『気がついたらなってました』は説明とは言わないんだよッ!」
要するに思い込みだけでヤジロになり切ってただけじゃねぇか!
それでミフユすらも騙しきるとか、どんだけ根深い自己暗示だ。怖いなー!
だけど多分、それが真実で、それ以上の事実は何も出てこないんだろうなー。
そんな予感が、いや、確信が俺の中には湧いてるワケで……。
「フ、さすがはマイガール。説明責任に対する見事な叛逆だぜ」
「あぁ、マスター……」
皆の眼前に展開される、十代女子にポッと頬を染める長身の男とかいう構図。
スゲェな~、叛逆が趣味だからって、これはなかなか倒錯的な光景だぜ。
「とりあえず角を隠せよ」
俺が非常に常識的なアドバイスを送る。
するとトモエはこっちにニッコリと微笑みかけて、かぶりを振ってくる。
「ん、この角は人でいう冠でありんすえ。それをなくせとは、アキラ様は野暮なお人でありんすねぇ。わっちこう見えて『皇竜』の一角たる『灼皇竜』でござりんすえ」
「残念ながら今のおまえはただの日本人男性なんだよ!」
「ほぉ~ら、またそうやって野暮をおっせえす」
言って、トモエが笑ってパンと両手を打ち鳴らす。
するとその身に煙が弾け、トモエの胸に、今までなかった膨らみが生じる。
「ぬぉッ」
さすがに俺はびっくりするが、胸だけではなかった。
トモエは、少し背が低くなっていた。さらに体の線に今までにない丸みが――、
「……って、女になったァ!?」
「ん、フフ~、皆々様、驚かれたでありんすえ? わっちは竜の中の竜たる『皇竜』でありんす。男女の区別はわっちにはあまり意味がありんせん」
ああ、そうか。そうだったな。そりゃあそうだ。
ドラゴンは生物だが、その最上位種たる『皇竜』は半神半獣とも呼ばれている。
常にどの時代も一種一個体しか存在しない、オンリーワンの種族だ。
だから、番の概念も『皇竜』には適用されず、肉体的な性別を持たない。
精々、精神面が男性的か女性的かという違いがあるだけだ。
トモエが『火竜の女王』と呼ばれたのは、女性的なメンタルを持っていたから。
ヤジロと夫婦になったのも、それが主な要因だったんだろうなぁ。
だけど、まさか『出戻り』してまでそれが反映されるとは思わんかった。
俺だけじゃなく、他の皆もお口あんぐりだわ。一人を除いて。
「ク、クックック! 性別自在とは、人という生命に対する素晴らしい叛逆だぜ、マイワイフ! このトップオブアウトローの俺をして、感嘆せしめるとはな!」
「ああ、マスターに褒められちゃったでありんすえぇ~!」
肩を揺らして小さく笑うヤジロに、長身のトモエが頬に手を当て恥じらっている。
外見だけはどっちも可愛いとか美人とかで済むんだが、中身がなぁ……。
「――うむ。まぁ、よし!」
俺は腕を組んで絶対的な思考停止を選択する。
ヤジロとトモエの一件については、これにて決着! 平和! 落着! やったね!
「そんじゃお袋、お互いの情報交換と行こうぜ~」
「アンタも大概強引だねぇ……」
何故か感心されてしまったが、ヤジロについては事実、これで決着だ。
ヤジロは『出戻り』したし、無事トモエとも再会できた。めでたしめでたし、だ。
だが、他の話はまだ何も決着していない。
俺が小夜子の標的にされた件と、お袋とシンラが外に出ていた件。
すでに色々と見えていることはあるが、まだ見えていないことだって多数ある。
「すり合わせと行こうぜ、お袋。全部まとめてやり返しすぎるためによ」
「そうだねぇ。そうさせてもらおうかねぇ」
近くに見える本家屋敷を遠巻きに眺めて、お袋は俺にうなずいた。
それじゃあ、クライマックス前の準備と行きましょうかね。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――1月2日、午後5時。
すっかり日も暮れて、本家屋敷も暗さに沈んだ頃の話である。
まずい。まずい。まずい。
小夜子に憑かせていた『朱流狩衣』が戻ってきてしまった。
だが、金鐘崎アキラは健在だ。傷一つ見受けられない。
先にアキラの魂を刈り、次に美沙子を――、という『彼女』の計画は破綻した。
やはり小夜子では無理があったか。
いや、シュルカリギヌの奇襲のタイミングは完璧だった。
アキラがあの男共を駆逐している隙を見事に突いたはずだった。
それは『彼女』も十分に承知している。
ただ、アキラが『彼女』の想定をはるかに上回っただけだ。
まさか異能態を使われるだなんて、思っていなかった。
あの男が、そこまでの『怒り』を小夜子に見せるなんて、どうして予想できる。
アキラから見れば、小夜子も美智子もただのザコでしかないはずだ。
激しく歯噛みする『彼女』の誤算は二つ。
一つは、小夜子の愚かしさ。
あの女は『彼女』が思っていたよりも遥かに愚劣で、低能な女だった。
自分はあの女にアキラをさらうように助言した。
しかし、カリンとジンギまで連れ立って、わざわざアキラの怒りを買うとは。
それさえなければ、シュルカリギヌはアキラの魂を奪えていたはずだった。
アキラの魂が奪えていたなら、あとはどうとでもなったはずだ。
シュルカリギヌを殴れるタマキという女は、アキラよりずっとやりやすい相手だ。
それが、観察を続けた『彼女』の結論だった。
あの女は搦め手に強くない。自分にとっては非常に有利な相手だという認識。
アキラとタマキ。
シュルカリギヌを直接殴れる二人を始末できれば自分の勝利は確定した。
そのはずだったのに、どうしてこうなってしまったのか。
「あ、見っけたぁ~!」
廊下を歩いてるところに出くわしたのは、那岐和十萌。
そういえばこの女は、兄に連れ出された美沙子とシンラを追いかけたのだったか。
「ね、ね、何かね、美沙子さんが呼んでましたよ~。話があるんですって~!」
相変わらず物言いがなっていない女だが――、美沙子が、話?
「旦那様の寝てる部屋ですって。んじゃ、伝えましたんで~!」
言うだけ言って、十萌はさっさと歩き去ってしまった。
風のような小娘の登場と去り際に『彼女』は何も言えずに終わってしまう。
……だが、これは好機かもしれない。
今の『彼女』にとってはまさに千載一遇。この機を逃す手はない。
そうだ、自分こそが『君』に『怨』を返すのだ。
金鐘崎アキラ、金鐘崎美沙子――、そして『君』よ。我が『君』、シンラよ。
この胸に絶えず滾り続ける『怨念』を、必ずや返してくれよう。報いてくれよう。
必ずや――、必ずや……!
そう念じる『彼女』の手には、金属符が握られていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
午後6時を回った頃、美喜子がようやくふすまを開けて部屋に顔を出した。
広い畳敷きの部屋で、真ん中に敷かれた布団に欣司が寝かされている。
その布団の前にすでに全員が揃い、座布団の上に座っている。
美沙子、小夜子、美智子、崟吾、アキラとタマキ、シンラ、カリン、ジンギ。
それに加えて、十萌と茅野の二人も。
配置としては欣司を真ん中に置き、その両側に向かい合うような形だ。
欣司の右側には崟吾、美沙子、美智子、小夜子、アキラ、カリン、ジンギ。
逆に、左側にはタマキ、シンラ、十萌、茅野。という並び。
「あらあら、皆さんお揃いで。遅くなってごめんなさいね」
「いいんですよ、お母さん。お座りになってください」
「わかったわ」
美沙子に促され、美喜子が空いている座布団に腰を下ろそうとする。
座布団は、茅野が先んじて人数分を用意して、敷いておいたものだった。
美喜子が座ったのは、その茅野の隣だ。
「すいませんねぇ、奥様。こんな端っこで……」
「別に構いませんよ、茅野さん。遅くなったのは私ですから。……あ」
座布団に座ろうとした美喜子が、軽くバランスを崩した。
しかし、茅野が手を伸ばして彼女の腕を掴み、美喜子は何とかことなきを得る。
「大丈夫ですか、奥様。気をつけてくださいね」
「踏ん張りがききませんでしたよ、年をとるのは嫌ですねぇ」
茅野に苦笑を返し、美喜子もそこに座る。
これで、この場に本家屋敷にいる人間全員が揃ったことになる。
欣司の前には、美喜子以外の金鐘崎家の面々が座している。
だが崟吾は瞳の焦点が定まっておらず、美智子と小夜子は俯いて沈黙を貫く。
一方で、アキラ、カリン、ジンギの三人は落ち着いた様子で座っていた。
ただ一人、美沙子だけがやけに神妙な顔つきで向かい側の五人を凝視している。
「一体、どういったお話なんですか、美沙子さん?」
「それなんですけどね――」
美喜子に問われ、美沙子は言いかけると同時、いきなり双眼鏡を取り出した。
「…………?」
「美沙子お嬢さん、それは何です?」
急に双眼鏡を覗き始めた美沙子に、美喜子は首をかしげ茅野は疑問を口にする。
だが、美沙子はそれには応じることなく、双眼鏡を目から外した。
彼女の表情は、随分と険しいものに変わっていた。
そしてどこからか取り出した金属の板を床に貼りつけて、彼女は冷たく告げる。
「これでもう、逃げ場はないよ。金鐘崎美喜子」
「……何です?」
美喜子は、それが自分に向けられた言葉とは思えなかったようだ。
だが、彼女の前で美沙子は立ち上がると、いきなりその手に拳銃が出現する。
「え……」
「シラを切っても無駄さ。もう全部、タネは割れてんだよ」
「な、何を言ってるの、美沙子さん……!」
声を乱して問い返そうとする美喜子。
しかし、それに対する返答は言葉ではなく、銃声だった。
弾丸は美喜子のすぐ脇の畳に穴を穿った。
それを見て、美喜子の隣に座る茅野が、顔を青くしてガタガタと震える。
「ひ、ぁ、ぁ……」
そのまま、茅野がその場に倒れ込んでしまった。恐怖から気を失ったようだ。
美喜子もまた、顔を青ざめさせながら、美沙子を見返す。
「美沙子、さん……?」
「おや、大した精神力だね。これだけ脅されても顔色を悪くする程度かい?」
「な、何を言っているの? 私はあなたの母親なのよ、それなのに、どうして!?」
美喜子が座布団から腰を浮かし、美沙子から離れようとする。
だが、シンラとタマキが囲うようにして彼女の逃げ道を阻んでしまう。
「御覚悟なされませ。美沙子さんの言う通り、もう、全ての企みは暴かれたのです」
シンラが、美沙子にも増して顔に険しさを浮かべて、それを言って聞かせる。
「何ですか、一体、何のお話なのですか!?」
逃げ場を失った美喜子が、シンラの方を向いて派手に取り乱す。
そして皆の意識が彼女に注がれたと思われたそのとき、美喜子の身から赤い影が、
「――余は、お前に言っているのだ。マレーネ!」
シンラがその名を叫んだ瞬間、美沙子が銃口を構える先を移す。
美喜子ではなく――、その隣で気絶している茅野へと。
「さぁ、改めての種明かしと行こうじゃないかい!」
彼女は激しく声を叩きつけ、茅野に向かって発砲する。
だが彼女に突き刺さるはずの弾丸は、目に見えない壁に弾かれ、火花を散らした。
彼女の身を護るそれは、様々な危険から持ち主を守護する古代遺物。
かつて『Em』という組織で広く使われていたものであった。
「やっぱりなァ!」
次いで動いたのは、アキラ。
茅野に向かって飛びかかったその手には、漆黒の剣鉈が握られている。
「防護用の古代遺物なんぞ、こいつの一撃でブチ壊してやるよ!」
少年が怒鳴ると、美喜子の体から飛び出した赤い影の異面体が茅野に重なった。
そして、気絶してた彼女は腕の力だけで宙に跳び上がり、その場から逃れる。
「な、な……?」
震える美喜子が、目を覚ました茅野と美沙子を交互に見ている。
だが、そこにカリンが『睡魔』の魔法を発動。小夜子達諸共、美喜子を眠らせる。
そして対峙する美沙子と茅野。
茅野の名は、茅野希美。そして異世界での名は、マレーネ。
「お久しぶりですね、我が『君』、シンラ陛下」
「やはりおまえか、マレーネ。我が皇后、マレーネ・ヴィルシャよ」
苦々しさに満ちた顔で、シンラがその名を呼ぶ。
マレーネと呼ばれた茅野は、まるで表情が一変していた。
美沙子の母親代わりだった優しい茅野が、今は氷のまなざしを持った鬼の形相に。
それは、二十年以上も接し続けてきた美沙子も知らない、初めて見る顔だった。
「しかし、何故、私だと? 細心の注意は払っていたはずなのですが」
「それについては、我が弟の手柄というほかない」
「弟……?」
シンラが見た先にいたのは、那岐和十萌だった。
しかし、彼女はカウボーイハットをかぶり、何故かビシっとポーズをとっている。
それだけで、マレーネは理解したようにうなずいた。
「そう、那岐和さん。あなた、竜騎士団の団長だったの」
「そういうことさ、エンプレス・マレーネ。全ては、俺の叛逆が導いた結果さ」
異世界における帝国の初代皇后、マレーネ・ヴィルシャ。
彼女は、全ての容疑が美喜子に向くように動いていた。
小夜子に対してだって、わざわざ自分の上に美喜子の幻影をかぶせて会話をした。
闇の中で話したのは、少しでも小夜子に違和感を与えないための苦肉の策だ。
自分から動くことはない美喜子でも『出戻り』すれば性格が変わる。
そういう推論に至るように仕向けていたのだ。
「事実、余も父上も、一度はその結論に至りかけた。だが――」
「だが、その結論に叛逆だ!」
十萌が――、いや、ヤジロが高らかに謳う。
出た結論を真に受けず、もう一歩踏み込んでみよう。彼女はシンラにそう促した。
そして空中ブレストにてヤジロが披露したのが『さらなる黒幕説』だった。
「美喜子殿が『出戻り』ではないと仮定した場合、美喜子殿を動かしたさらなる黒幕がいる可能性が浮上する。それは誰か。……茅野希美。おまえしかいなかったのだ」
シンラが語る。
だがそれは、単純な消去法による推論で、根拠としては非常に弱い。
が、そこにさらにもう一つ、無視できかねる要素が加わる。
「マレーネよ、余は、おまえのこちらでの名前を、ヤジロから聞いたときに初めて知った。茅野希美という名だ。『出戻り』の法則は、おまえも知っていよう」
「こちらとあちらは名前が同じになるか、限りなく似通る。という点ですね」
「希美という名を聞いた瞬間、余の脳裏に浮かんだのは、おまえの顔であったよ」
それを語るシンラは、苦しげであった。
代わって、アキラが説明を引き継ぐ。
「それでも俺はまだ、美喜子の方が黒幕なんじゃないかって可能性は捨てきれずにいたけどな。でもよ、そこで思い出したんだ。昨日の年始の挨拶のときだ」
「年始の挨拶……?」
「そうさ。美喜子は『異階』の外にいたが、あんたは中にいて、しかも気絶していた。そしてさっきも、俺達が美喜子を追い込んだとき、あんたは気絶してた」
「…………」
探るような目をする彼に、マレーネは無言を返す。
だがそれは事実上、アキラの抱く疑念を肯定するものでもあった。
「やっぱり、あの赤い影の異面体は『手動』なんだな。『仮の本体』から外に出て動くとき、あんた自身が意識を乗り移らせる必要があるワケだ。だから、あんたは赤い影の異面体が現れるときには、気絶していたんだな」
そう、それこそがマレーネの異面体『朱流狩衣』の致命的な欠点。
強力な能力を持つがゆえの、どうしようもない限界であった。
そしてアキラはそれに気づいて、マレーネの策に乗ったフリをして確かめた。
シュルカリギヌが出現しそうな場面とタイミングで、茅野が気絶するかどうかを。
結果は、現状の通りである。
「そこまで見破られていましたか……」
マレーネの顔に、意味の知れない笑みが浮かぶ。
金鐘崎本家の人間は全て眠りに陥り、マレーネはアキラ達に囲まれている。
完全に『詰み』とも言えるこの状況で、シンラは彼女に問いただす。
「マレーネ、何故だ。何故、余ではなく父上と美沙子さんを狙った」
「…………」
「答えろ、マレーネ!」
厳しく質そうとするシンラに、マレーネは瞳孔の開き切った瞳を向ける。
「それはあなたが一番よく御存じなのではありませんか、陛下」
「何……?」
「金鐘崎美沙子がいたから、あなたは《《あの子》》をお見捨てになられた。金鐘崎アキラがいたから、《《あの子》》は万人の記憶から消え去った。……そうでしょう、陛下?」
顔から表情は消えて、けれど、瞳に嵐のような憎悪をうねらせて、彼女は言う。
その言葉に、シンラも、美沙子も、アキラも、揃って目を見開いた。
「マレーネ、まさかおまえは、覚えているのか……!?」
「ええ、覚えていますとも。我が子のことを、テンラのことをッ!」
殺意に塗り固められた笑みをその顔に張りつけて、マレーネが両腕を開いた。
「私は、母親なのですから!」
その足元に、赤い風が渦を巻き始めた。




