舞台俳優ブランドン/もっと光を/栄養満点スパイシースープ 6
※ごめんなさい、別作品のアニメ化&書籍作業や2巻の書籍化作業で
更新が滞っていました。
というわけでウィッチ・ハンド・クラフト2巻、本日10/25発売です。
どうぞよろしくお願いします。
※これから不定期に更新していきたいと思います。
※なお、書籍とウェブ版は割と展開変わってます。
「いったい何を言ってるんですかあなたは!」
ジルは、誘惑の森の屋敷に住むようになってから初めて怒鳴り声を上げた。
「あなたのような人を診るつもりは二度とありません! 二度と来ないでください! 舞台衣装の制作もお断りです!」
「お、おい、なんでそんなに怒ってるんだ?」
ブランドンは助けを求めるように薬師の顔を見る。
だが薬師は溜め息を漏らすだけだった。
気まずい沈黙の中、ジルの大声に気付いたのか他の人たちが入ってきた。
「いったいどうしたんだい? って、目を覚ましたんだね」
「ブランドン! 気付いたのか!?」
入ってきたのは、モーリンと劇団のマネージャー、クリスだ。
「……あ、ああ、すみません。呼びに行くのを忘れてました」
「それは良いんだけど……」
モーリンの言葉にジルは答えようとして、拳を固く握っている自分自身に気付いた。
ジルは、震えそうになる声を抑えるように深呼吸する。
「何でもありません。ブランドンさんの体は回復しました。少し体力は落ちてるでしょうけれど、馬車に乗せて家に帰る程度は問題ないと思います」
「そ、そりゃ助かる。これ以上迷惑かけてもまずい。一旦帰ろう」
「いやお礼もまだしてないし……治療代も」
「こっちで万事整えるからお前は家でゆっくりしてろ! 死ぬところだったんだぞ!」
クリスがブランドンにどやしつける。
数時間前に見たような口論にはならなかった。困惑したままのブランドンに身支度を整えさせ、クリスは「すぐ改めてお礼に伺う」と言い残して去っていった。
「ふう……」
どっと疲れが出たとジルは感じた。
ジルは重苦しい溜め息を付きながら椅子に腰掛ける。
自分に医者など無理だなとしみじみジルは思った。こんな日々を送っていたら心を病んでしまうと思い、誰になんと言われても「治癒できます」の看板を掲げるのはやめようと固く心に誓った。
「すみません、大声を出してしまって」
「いいえ。あれは声を上げて言うべき言葉でした。理解してくれるとよいのですが……」
薬師がジルを慰めるように言った。
ただ恐らく、あまり通じていないだろうという徒労感もあった。
こうしてその場は解散となった。
◆
次の日、ジルはいつものように「ウィッチ・ハンド・クラフト」支店のカウンターに立っていた。一日時間を置いて、流石のジルも怒りが収まり落ち着きを取り戻している。流石に病人を放り出すような真似をしたのは少々まずかったかなと、少々反省していた。
「昨日のこと、気にしてんのかい?」
「ええ、まあ。もう少し言い方があったかなって」
「いいんだよ。ああいう馬鹿は騎士団にもいたさ」
「い、いたんですか」
「流石に白粉を使うって意味じゃないよ。自分から進んで危ないことをしちまう馬鹿がいるって意味さ」
ジルの問いに、モーリンが肩をすくめながら答えた。
「そういう奴は、決して悪い奴じゃないからかえってタチが悪い。普段は気風が良くて優しい。男ってのはああいうやつを『なんて勇敢な奴だ』って尊敬しちまう……あの支配人みたいに後ろで支えている奴がいるってことを忘れてね」
「……どうして命を粗末にするのでしょうね」
「華々しく死ねば生きた証を残せると思ってるのさ」
「生きた証……」
「あたしの古巣は、なんだかんだ言って斬った張ったが仕事だったからね。死んで叙勲したやつもいるし、英雄みたいに扱われたやつがいる。でもそいつらが尊敬されるのは死んだからじゃない。精一杯生き抜いたからさ。そこを勘違いしちまうやつがいるんだよ」
モーリンは、皿を拭きながら何気なく語った。
しかし、その視線はどこか遠くを見ているようでもあった。
「……舞台俳優ともなると、いるんでしょうね。憧れの眩しい人が」
「だろうね。生き死にに関わらなくていいってのに、因果なもんだ」
「命賭けてる人、たくさんいるんでしょうね」
キャロルの声も、どこか沈んでいる。
憧れの俳優ブランドンの姿に、少々ショックを受けている様子だった。
「……あれ、じゃあ、もしかして」
ジルはそんな雑談をするうちに、ふと気付いた。
「ん? なんだい?」
「もしかして、鉛の白粉って、もしかして蔓延してるんですか?」
そのジルの言葉に、モーリンもキャロルも言葉に詰まった。多分、その通りだと頷きかけて、それがなにを意味しているのか理解したからだ。もしかしたら、何気なく鑑賞した演劇の舞台裏は、ひどいことになっているのではないか、と。
「すみません、ジル様はいらっしゃいますか?」
そんなとき、店の扉が開いた。
隙のない黒いシャツを着た、物腰の低い小柄な男性。
金糸雀座のマネージャー、クリスだった。
◆
テーブル椅子につくと、クリスはずっしりと重い布の袋をジルに差し出した。
「どうか、これをお納めください」
「これは……」
ジルの顔が驚きに包まれた。
中身はすべて金貨だ。
もしかしたら100万ディナに届くかも知れないほどの大金である。
「いえ、こんなに受け取れませんよ。私が出しゃばって治療したようなものですし……」
「そんなことはありません。どんな医者に診せたところで匙を投げられたことでしょう。むしろ少ないくらいです」
当然ジルは受け取ろうとしなかったが、クリスの方も頑固であった。
「では、受け取ってお返しします。お仕事のキャンセル料ということで」
「それは受け取れないと同じでありましょう。それに……」
クリスが妙に重々しい口調で話ながら、意味深に言葉を切った。
「それに?」
「ブランドンが助かったことは、劇場関係者や他の俳優にも恐らく見られています。口止めはしていますが、噂そのものは止められないかと……」
「うっ」
確かにあのとき、ジルは他人の目など気にしていなかった。
生死が掛かっている状況でそれを気にしている人間がいたら、叱りつけていたかもしれないとジルは思った。
「鉛中毒を治療しただけでもただ事ではないのです。その上無料で治療した……となってしまうと、恐らくは相当な厄介事を招きます。正直申しまして、そこに気付いていらっしゃるかの確認もしておきたかったのです」
「すみません、気付いてませんでした」
しゅんとジルは肩を落とす。
「い、いやいや! 怒りに来たわけではないのです! ただあくまでご注意をした方がよいかと思いまして」
「ご主人様はそうやって大したことをしても、大きさに気付かないところあるからね……その注意はよく聞いておいた方がいいよ」
モーリンが苦笑しながらジルに語りかけた。
「ここでいじめないでくださいよ。気をつけますから」
「箴言を言うのも家来の務めさ」
モーリンが横から茶化してくれたおかげで、クリスにも微笑みが浮かんだ。
そしてジルも冷静に状況を考えることができた。この金を受け取らないことは、確かにクリスの言う通りの問題を招くだろう。また、クリスがこうした懸念をする原因についても、ジルは話を聞かなければと思い始めた。
「わかりました。確かに治療費として頂戴します。それとこの件はできる限り……」
「ええ、もちろん口外しません」
「その上でクリスさん。もしかして、ブランドンさん以外にもいるのですか」
ジルが聞いているのはブランドンと同じ病気の人間、つまり有鉛の白粉を使う人間のことだった。
「残念ながら、います。残念ながら、鉛が入っている方が品質がよいのです」
クリスが、苦渋の顔で頷いた。
「白粉を使い続けて志半ばで引退する者もいます。そして二度と体の健康を取り戻すことはない。なんど悲惨さを訴えても演者や俳優には届かず……。ブランドンが回復したことは心から嬉しいのですが、この話が出回るのは正直申しまして、非常に困るのです。今よりもっと軽率に白粉を使う者も出かねません」
「それは……確かに……」
「追放したいのです。役者の命を削るものを」
その言葉に、ジルは胸を衝かれた。
ブランドンに舞台衣装を作らないかと言われたときは、ただ情熱が湧き上がった。だがこのクリスの言葉は、より過酷で悲しい決意がある。
「……なぜそんなに、がんばるんですか?」
ジルの質問に、クリスがきょとんとした顔をした。
「なぜ……って、不思議ですか? まかりなりにも、私は一座の長ですし」
「裏切られることもあるでしょうし、わかってもらえないこともあるでしょう?」
「ブランドンは馬鹿ですが、悪い男ではないんです。あいつにはあいつなりの、必死な理由があるので……。ただ、そういう身内びいきを抜きにして……好きなんですよ」
「好き……それは、演劇のことですか?」
「誰かが憧れる人物を表現する。心を痺れさせる脚本を描く。見る者を飲み込むような凄まじい演出をする。どれもこれも、心が躍ります。そのためならば面倒な者たちの尻拭いくらいなど、大したことはありません」
クリスの顔に浮かんだ疲労が、一瞬だけ消えた。
眩しい顔だ。
勇敢な男に、男は尊敬してしまうとモーリンが口にしていた。
だがジルは、尊敬すべき資質をクリスの笑みに見出した。
「はい! がんばりましょう!」
「え? ああ、はい。がんばります」
クリスは、ジルの言葉の意味がわからず曖昧に応じた。
なぜ「がんばってください」ではなく「がんばりましょう」なのか意図を掴みかねていた。
「それでちょっとお願いがあるのですが……追加でもうちょっとお金、頂けますか?」
その言葉に、クリスがあんぐりと口を開けて驚いた。
ジルの心に、火が灯っていた。





