【永遠・Eternity】おかえり俺の白猫
――いつのまに眠ってしまったのだろうか。
時計を見ると、あれから丸一日は経っていたようだが。ここは……、恐らくクソ兄貴にテーザー銃で撃たれた後で運ばれた、院内の処置室だろう。
消毒薬の匂いが漂っている。カーテンの向こうで物音がするが……。
彼女は、麗はどこだ?
「あの……ちょっといいですか?」
神崎有人は、処置室の中にいた看護師に、カーテン越しに声をかけた。
麗の居場所を聞くと、同じ階にある病室だという。
彼女の手術が成功したと聞いて安心した有人は、早速逢いに行こうと起き上がった。すると、あれほど気分が悪かったのに体調は万全に回復し、銃創や首筋や太股の刺し傷の痛みも全て消えている。
患部に手を当ててみると、全て包帯やガーゼが当てられていた。
「寝てる間、ご面倒をかけたみたいで……」
「よろしいのですよ有人様。お召し物は洗濯しておきました。ベッドの下にありますよ」
言われて覗き込んでみると、着ていた戦闘服がカゴの中に畳んで入っていた。装備品を外してしまえば、無地の戦闘服はただの作業着と変わりはしない。麗には作業服で通すしかないだろう。神崎は患者服を脱ぎ、紺の戦闘服に着替えた。
創業者一族ゆえか、病院の職員はみな自分のことを様付けで呼ぶ。それが何ともいえずこそばゆいというか恥ずかしいというか。
出来れば麗の前では、そんな風に呼ばれたくはない。だって、彼女にどんな顔をすればいいか分からないから。そう有人は思った。
看護師に水を一杯もらい気を落ち着けてから、有人は麗の元へ向かった。
部屋で、親と顔を合わせるのがひどく気まずい。
そりゃそうだろう。銃で脅しつけて娘をよこせと怒鳴ったのだから当然だ。
これまで色々ありすぎて、自分は頭がおかしくなっていたんだろう。あんな目に遭えば自分でなくともおかしくなってる。
だが、どうしようもなかったのだ。
そもそも自分以外に、あんな曲芸飛行のような真似が出来るんだろうか? 自負でもなんでもなく単純にそう思う。無論、出来ない方がいいに決まっている。出来るから兄に余計な仕事を押しつけられるのだ。
もしかしたら、親会社のラボで瓶詰めになっている、軍事用サイボーグなんて悪趣味な奴らなら、余裕で出来るのかもしれない。まさしく、あいつらの方こそ、自分よりずっとバケモノだろうが。――クソッタレ。
うんざりするような思考が、ぐるぐると有人の頭を走り回る。まるで運動会だ。
廊下で職員たちに会う度に、うやうやしく頭を下げられて居心地の悪い思いをしながら、有人は麗のいる病室の前までやってきた。
微妙に緊張しながら、ドアをノックする。初めて麗を見舞った時を思い出すが、今回はあんな嬉し恥ずかしなドキドキではない。
恋人の両親に結婚の許しを乞うよりも、さらに状況が悪い、マイナス発進である。出来るだけ事は荒立てたくはない。だが……
様々な不安を抱えながら、有人はドアを少しだけ開け、中を覗き込んだ。
ところが室内には、麗以外誰もいなかった。
(なんだ、パパ上とママ上はお留守じゃないか~)
思いっきり拍子抜けした彼は、さらに頭をつっこんで中を覗ってみた。
(あ、麗……よかった。元気そうで……)
彼女の姿を病室に認めた有人は、嬉しさで涙ぐんだ。
ベッドの上の麗は、機械から伸びた何本ものコードで繋がれ、点滴も受けていたが、手術をしたばかりにも関わらず、起床してベッドの上で体を起こしていた。
「なにしてるの……そんなとこで」
麗が声をかけてきた。怒っているように聞こえる。
有人は観念して、ドアを全開にした。
「や、やあ……」間抜けな声で挨拶をして、軽く手を挙げる。
「あの……入っても、いいかな」
「……いいよ」
そう言うと、一瞬有人の方を向いて、麗は小さく頷いた。
顔色は良さそうだが、浮かない表情をして、正面の壁を見ている。
――やはり、ずっと連絡もせずに放っていたことを怒っているのだろうか。
大事な時期に彼女を放置して、病状を悪化させたのは自分だ。酷く恨んでいるに違いない。もしかしたら、絶縁されるかもしれない。
…………そんなことになったら、立ち直れる自信がかけらもない。
そうだ。自分は両親のことばかり心配して、彼女を怒らせていたことをすっかり忘れていたのだ。なんて大馬鹿野郎なのだろう。有人はうんざりした。
「あの…………た、ただいま」
病室のドアを後ろ手に閉めると、少しだけベッドに近寄った。
「そこ、すわったら」
麗は、冷めた視線をベッドの傍らにあるパイプ椅子にちらと投げた。
「う、うん……」
有人は言われるままベッド脇の椅子に腰掛けた。ぎしり、とパイプが軋む。
彼女の顔をまともに見られず、視線を泳がせると、ベッドサイドワゴンの上に見慣れた麗のノートPCを見つけた。
側にはゲームのコントローラーと彼女の携帯が置いてあり、メールだけでもまともに返事をしてやれれば、と悔やまれた。
「遅くなって、ごめん……」と言って、有人は麗の手を取った。
だが彼女の手は力なく肩からぶら下がったまま、彼の手を握り返しはしなかった。
いたたまれなくて、椅子の向きを変えた。彼女の足元の方に、角度を少し。
彼女は、ずっと視線を自分の正面の壁に向けていた。
(拒絶されている……)
彼も彼女を見られずに、二人でしばらく同じ方を見ていた。真っ白な壁を。
――許しては、くれない、か。
――自分を見捨てた男だから、か。
「あの、俺、」先にしびれを切らしたのは有人だった。十分ほどして、口を開いた。
麗は、有人の言葉を遮った。
「貴方と連絡が取れなくなって、……ずっと泣いてたんだよ」
麗のか細い声が、彼の胸を切り裂く。
「ごめん」――としか言えなかった。
「貴方との糸が切れてしまいそうで、……心細くて死にそうだった」
悲壮な声音に、彼を責める色が加わった。
「ごめん。……ほんとに……ごめん」
有人は、親に怒られた子供のように、顔をゆがめて俯いた。
もう、自分たちは終わりなのか。ダメなのか。彼は恐くてたまらなくなった。
「死にそうだったんだから」麗の声はさらに強さを増した。
「ごめん……怒ってる……よね」有人の声は逆に弱々しくなっていった。
「怒ってるっ」さらに強く。
「…………だよね」さらに弱く。
「すっごく、怒ってる!」麗は腕組みをして、真っ直ぐ前を見ている。
「……そう、だよね」もっと弱く、麗の罵声にかき消されそうな声で言った。
彼は、こわごわと彼女の顔を横目で見た。――ものすごく怒っているように見える。
「ごめん。ごめんよ……俺もう、ホントにもう、絶対どこにも行かないから、君と一生一緒にいるから、だから、だから――」言葉の終いは、嗚咽と混ざって分からなくなった。
「だから、このことはもうおしまいっ!」麗が高らかに宣言した。
――え?
「ゆ、許してくれるの?」
べそをかいた顔をぬぐいもせず、しょぼくれた顔で麗を見た。
「いいよ、もう。許してあげる」
有人は、返事の代わりに麗を抱き締めた。麗は彼の胸に顔を押しつけられ、腕の中でくふっと息を吐いた。そして、彼の腰に手を回して、ぎゅっと抱いた。
戦闘服の厚い生地越しに、麗の暖かい吐息が有人の胸いっぱいに広がる。その甘い香りに、彼は酔った。
「だって、有人さんのおかげで助かった人が、いっぱいいるんだもの」
「え…………」背筋が凍り付いた。
――正体がバレたのか? 何故?
有人は腕の中から彼女を解放し、どうして知っているのか訊ねてみた。
「お兄さんがニュース見せてくれたの。有人さんが命がけでこの国を護ったんだよって」
「どういうこと? ニュース?」
聞けば、自分らの大立ち回りが、国軍と反政府勢力との戦闘という形で報道されていたらしい。怜央はこのニュースを巧みに利用して、麗や彼女の両親を上手く丸め込んでくれだのだろう。いや、もしかしたらこの報道自体、奴の自作自演かもしれないが……。
有人は、腹黒い兄の計らいに、素直に感謝することは出来なかった。
「色々大変なお仕事だから商社マンってことにしてたんだよ、ってお兄さんが言ってた」
「そっか……。心配かけてごめん」有人は麗の頭を撫でた。
兄貴のおかげで、愚行も全てお咎めなし、ということになっているようだ。一体、どうやってあの状況をひっくり返したのだろうか? まさにマジックである。
まぁ、考えるだけムダだろうが。自分にはそういう才能がないのはよく分かっている。
……と、兄の事となると、有人がとかく卑屈になるのも致し方ない。
「さっき、ずっと一緒にいるって言ったよね、有人さん」
「ああ。ずっと一緒にいるよ」
「で、私ね、そのうち死んじゃうの。またすぐにお別れなんだって」
麗はまるで人ごとのように、淡々と言った。青山のカフェで己の死期について語ったときと同じ口ぶりだ。
「お兄さんが、寿命までは生きられないって言ってた」
「え? ……だって手術したじゃないか……なんで? どうして!」
うろたえ震える有人とは対照的に、麗は淡々と語った。
「お兄さんは、わたしに残った時間を教えてくれた。わたしは、それをとても長い時間だと思った。でもお兄さんは、『あいつにとっては、とても短い、一瞬にも等しい時間だ』って言ってた……」
有人は息を飲んだ。彼女は、どこまで知っているのか――
「わたしはまた、貴方を苦しめる、悪い子だって……」麗は悲しそうにぽつりと言った。
「また? また、って……え? まさか……」
麗は掛け布団をめくって、ベッドの上にぺたりと座り込んだ。そして、点滴チューブの繋がったままの手で、有人の手を取り胸に抱いた。患者服を一枚纏っただけの彼女の体温が、心臓の鼓動が、じわりと彼の手に伝わる。
「あと二十年なの。それでも……一緒にいたい?」
小鳥のように首を傾げ、麗は言った。
彼は、もう片方の手を添えて、麗の手を握った。
「ねえ、またって? またって何だ? ちゃんと答えてくれ。もしかして、君は――」
「二十年しか一緒にいられないけど、そしたら、またずっと待つの?」
――麗が自分の目を真っ直ぐに見つめている。分かってるんだね、何もかも――
「……ああ。君が冥府に行ったら、いつもどおり、待ってる」
麗の表情が曇った。自分に待たれるのがイヤなのだろうか? 有人は不思議だった。
自分は、あくまでも彼女との約束を果たしているだけなのに、と。
「待つのってすごく寂しくて、悲しいよね? イヤだよね? ね?」
「……慣れた」有人は口を尖らせて、バツが悪そうに答えた。
「ウソ! 慣れてたら、ネトゲなんかやってない!」
「うっ……。それは…………えっと……………………すいません」
図星だった。麗と自分は、あの世界で共に長時間過ごした仲だ。気を紛らわせるために仮想空間に入り浸っていたことくらい、彼女には、まるっとお見通しなのである。
「どうして自分のことしか考えられないの?」
「え?……どういう、意味なんだ」なぜ自分が怒られているのか、皆目見当がつかない。
「どうして貴方が苦しんでいるのを見て、傷つく人がいることに気が付かないの?」
「……いるわけないだろ、そんなの」
「いるよ! ……わたし、お兄さんに聞くまで知らなかった。ほんの一瞬のために、大事な人を何百年も苦しませ続けてたなんて……。そんな残酷なこと、私、耐えられない!」
(え、えええええええ――――っ? 何で急にそんなこと言い出すんだ?)
「でも俺……約束したから……待ってるって。急にそんなこと言われても……」
うろたえる有人の胸ぐらを、麗が掴んだ。
「有人さん!」
「ひゃ、ひゃい!」麗に気圧されて、縮みあがる有人。
「じゃあ、どうして今まで私に『同じ時を生きてくれ』って言えなかったの?」
「……それは――――」
有人は大きなため息をついた。
「そんな業の深いこと言えるわけないだろ? 俺のために『転化』してくれなんて……」
少なくとも己の正義において、自分のわがままで『人間』に神族への『転化』を求めるということは、許されないと思っていた。それ故、今のいままで苦悩していたのだ。
「業とか倫理なんかどうでもいい! 有人は、ホントはどうしたいの?」
「ぐ……」
「どうしたいの! ちゃんと言って!」
『俺は、白猫と、いつまでも一緒にいていいのか?
あの「猫」でさえ、白猫に、ずっと一緒にいたいって言えなかったのに――』
「お……俺は…………、君と……麗とずっと一緒に……いたい! 一緒にいて欲しい!」
「よ――し! 有人さんのお願い、きいたよ!」
麗は、ベッド脇のワゴンの引き出しをガラッと開けると、中から一本のアンプルを取り出し、封を威勢良くパキッと折った。
そして、細いアンプル用のストローを差し込んだ。
「え? なに? お願いってナニ? いきなりそんなの出してどうしたの? ねえ、麗」
「もう有人さんを悲しませないからね!」
そう言って、麗はアンプルの中の液体を、
『じゅるるるるるるる――――――っ』
と、一気に飲んだ。
「…………はい?」
(飲むと悲しくならないドリンク? なら俺が飲むんじゃ? 意味がわからない……)
「くーーっ! んまい! なにコレ! もう一本!」
「……なにソレ?」
「あーおいしかった!」
麗は、空のアンプルをぷらぷらと振りながら、ドアの方に向かって言った。そして、満面の笑みでダブルピース。
「ん?????」
有人はイヤな予感がした。ぐるっと振り向くと、ドアの隙間から兄の怜央が覗き込んでいる。ぐっと親指を立てて、麗にサインを送っていた。
「お、おま! 兄貴! テメエ麗に何を飲ませたんだ! 言ってみろ!」有人は、椅子をひっくり返しつつ勢いよく立ち上がると、戸口でニヤニヤしている兄の前に駆け寄った。
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……」不気味に笑う怜央。
すんでの所でドアをピシャッと閉めると、怜央は全速力で廊下を駆けて逃げていった。
「ったくもう……あんのクソ兄貴め……」
有人は頭をぽりぽりと掻きながら、床に転がした椅子を直して座った。また、ぎしりと軋む。よく見ると、椅子はかなり錆びていた。
「二人で何企んでたんだよ。それ、中身なに」
不機嫌そうに言う有人。
「たしか……ネクタルとか言ってたっけ、お兄さん」
(あ……ああ、ああああああああああああああああ、あの野郎!)
ネクタルとは神の飲み物である。
人がそれを口にすれば、神族へと転化してしまうのだ。
「ハメやがったな! あのド腐れインテリメガネめが! うーちゃん、すぐゲーしなさい! のんじゃだめ! それ吐いて! すぐ吐いて! 神サマになっちゃうからダメ!」
有人が麗をつかまえてネクタルを吐かせようとすると、麗はすかさず布団にもぐりこみ、ぐるぐると体を巻き込んだ。
「ヤダーヤダヤダヤダヤダ! もう決めちゃったんだから! あはははっ、これで神サマになって、有人さんと一生一緒にいてやるんだから――っ、あははははははっ」
おでんの具のように布団から足だけはみ出させ、足先をパタパタする麗。
「こら、出てきなさい! ああもう! 二人して俺をハメて! クソッタレめ!」
「いいじゃん、結果オーライだよ!」
「なにがだよっ」
「お兄さんも私も有人さんの泣き顔なんか見たくないんだから! この愛され小僧め!」
「そうだぞ。もう兄に心配かけさせんじゃないぞ、有人」
ガラっとドアを開けて怜央が首だけ突っ込んで言った。
「何でまた来るんだよ! ふざけんなよ兄貴! 心配されてるなんて聞いてないぞ!」
「貴様が気付かなかっただけだ、バカ者め。今度はもう手放すんじゃないぞ」と言うと、再び怜央はピシャっとドアを閉めて走り去っていった。
「クソ兄貴め……」
ぶすっとしたまま兄を見送ると、背後から麗が首に抱きついてきた。
「わたし、思い出せるかな……」
「何を?」
「いままでの、わたしたちのこと」
「どうかな。……そんなの、どうでもいいじゃないか。これからずっと一緒なんだから」
有人は、麗を背中から一旦剥がすと、正面から彼女を抱きすくめた。
「うん……そっだよね」
「ああ。そうだよ。俺はもう、あの渡し守に遭うことはないんだ」
「渡し守?」
「あとでゆっくり話してやるよ。時間はいくらでもあるんだから……」
☆ ☆ ☆
『――俺は白猫を二度と手放さない』
自分は、白猫のために生きる猫、
永久の時間を亘る、名も無き猫。
そして白猫は、猫が寂しがらないように、共に生きることを選んだ。
(了)




