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(旧)銃を手に  作者: 東雲飛鶴
五章 白猫
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【1・拒絶】やっぱりラスボスはパパ

五章 白猫


 【1・拒絶】



「選べ。大人しく麗を治療させるか、ここで俺に頭を射抜かれるか!」

 神崎は麗の父親の額に銃口を突きつけた。

 父親は半ば悲鳴のように、裏返った声で神崎に噛みついた。

「お、俺を、殺す気か」

「俺は本気だ。――あんたのよく知っている『コントラクター』、なのだからな」



     ☆ ☆ ☆



「ただいま、麗」


 神崎有人は、万感の思いで日本の地を踏みしめた。

 自衛隊機を振り切り、神崎の乗った機体は神奈川県南西部にある獅子之宮総合病院付属湯河原総合病院に到着した。


 彼は愛機を病院裏手のヘリポートに着陸させると、待ち構えていた病院スタッフたちと共に、麗のいる病棟に向かった。神崎はこの病院のヘリポートに直接乗り付けるために、わざわざ面倒なVTOL=垂直離着陸機を選んだ。


 東側に海岸を臨む高台に作られたこの病院は、周囲を森に囲まれ、広大な敷地を有していた。また温泉地に近いこともあり、リハビリや保養施設も兼ねた複合保健施設だ。

 神崎は、麗の今後の療養も考慮に入れ、設備は全く同じだが、都市部の本院よりも長期入院向きで風光明媚なこの病院に彼女を入れたのだ。


 神崎は半ばフラつきながら、白衣の職員達二名と共に病院の廊下を手術室に向かって歩いていた。この数日間の想像を絶する激務と、それに加えて長時間の長距離飛行の末だ。さすがの彼でも真っ直ぐ歩いているのが不思議なくらいだった。



「彼女の容態は」神崎が背の高い方の職員に尋ねた。

「オペ開始から約二時間経過したところです。万全の体制で臨んでいますが、現在予断を許さない状況です。ただ今本院からの応援もこちらに向かっています」

「応援……」

 三人は、赤いランプの点灯した手術室の前で立ち止まった。神崎は、手術中の文字を見つめ、「麗……済まない……」そう呟くと、拳を握りしめた。


 ふと、背後から誰かが恐る恐る声を掛けてきた。

「神崎君……なのか?」

「あ……はい……神崎です……」

 ふらりと振り返り、力なく答えた。神崎には、体力など少しも残っていなかった。気力だけで、麗を想う気持ちだけで、その場に立っていたのだ。

 問いかけてきたのは、麗の父親だった。そして、傍らには麗の母親も寄り添っていた。

 しかし神崎は酷い頭痛と目眩で、二人の様子から何かを読み取ることは出来なかった。

 足元がふらつくと、メガネの方の職員が神崎を支えた。しっかり、と声をかけている。

 神崎のコンディションは最悪だった。

 流れ弾に当たった傷も痛かった。自分で足に刺したナイフの傷も痛かった。接続端子をブチこんだ首筋の神経もズキズキと痛かった。

 ……でも、麗が死んでしまうことと比べたら、そんなことはどうでもよかった。


「済まない……大丈夫だ……」

 麗の父親が、廊下の窓の外を指さした。

「もしかして、君はあれに乗って来たのか?」


 彼の示す先には、病院のヘリポートがあった。そして、神崎の乗ってきた機体もそのままだった。どこからどう見てもそれは、金持ちの私物ではなく軍用機にしか見えない。

 麗の父は、侮蔑の混ざった冷ややかな眼差しを、無遠慮に目の前の男に投げた。

 神崎は、唇を噛んで俯くことしか出来なかった。


「中東にいたと言ってたが……、君は、GBI社の人間ではない」

「!」神崎は、はっと顔を上げた。背筋を戦慄が走った。

「やはりそうなんだな。この間君の迎えのヘリが来た後、気になって色々と調べさせてもらったよ」


 そう言う父親の目は、目の前の疲れ果てた戦神を侮蔑しきっていた。

(……これは、ああいう時の目だ。そう、バケモノを見る目だ)

 神崎は反射的に、大量の悲しみと苦しさがフラッシュバックし、息が苦しくなった。


「何を……ですか」

「民間軍事会社、GSS社についてだ。その過程で、私はおかしなものを見つけた」

「おかしな、とは」

「戦場ジャーナリストのインタビュー記事に写った、あるコントラクターの写真だ。そう、中東のあるテロ活動の頻発した場所で、今みたいに武装していた――君の写真を」

「っ………………」


 現在の彼は、ほぼ丸腰とはいえ昨日の敵本拠地潜入の際に着ていた、紺の特殊部隊用装備を身に纏ったままだった。所々汚れたり、血糊や硝煙の匂いが付いている。

 どうがんばっても言い逃れが出来なかった。


「何なの? その民間なんとかって」麗の母親が自分の夫に尋ねた。

「金で戦争を請け負う企業さ。こいつはコントラクター、所謂いわゆる傭兵――血で汚れた人殺しなんだ」麗の父は、神崎に死刑宣告をするかのように、そう吐き捨てた。

「失礼ですが、有人様は――」見かねた背の高い職員が、口を挟んできた。

 神崎はそれを手で制し、

「やめろ。何を言ったって、言い訳にしかならん」と、苦々しく言った。

「ですが……」何かを言いたそうにしながら職員は引き下がった。

「転院の件は感謝している。しかし麗には、これ以上ここで治療を受けさせるわけにはいかない。手術が終わったら、元の病院に連れて帰る」

「ちょっとまて、麗を殺す気か! ふざけるな!」

 神崎が激高した。瞳が紅く染まる。

「何人もの人間を手にかけてきた君に、言われる筋合いはない」

「塩野義さん、考え直してください。それではお嬢さんが亡くなってしまう」

 メガネの職員も父親の説得に回った。誰がどう考えても、正気の沙汰ではなかった。

「俺は、人間風情に何と言われてもいい。しかし、麗を殺そうというのなら話は別だ」

 神崎はそう言って、血の色に光る双眸で麗の父を睨め付け、さらに言葉を続けた。

「どんな金でも金は金だ。貴様は自分の下らない見栄や世間体や主義主張のために、娘を見殺しにするというのか? それこそ貴様のエゴだ!」そう叫んで、父親を指さした。

「うるさい! 麗は俺の娘だ! どうしようと俺の勝手だ!」と、半狂乱で叫ぶ父親。

「あなたやめて。落ち着いて、ね?」見かねた麗の母親が制止しようとするが、父親にはね飛ばされ、背の高い職員に抱きとめられた。

「麗は俺のものだ! 貴様なんかに殺されてたまるか! 本気で連れて帰る気なら、今ここで殺してやる!」

 神崎は腰のベレッタPx4を抜き、父親に真っ直ぐ銃口を向けた。

 ひっ、と小さく悲鳴を上げ、父親は一歩後ずさった。

「有人様、落ち着いてください! どうか銃を収めてください」メガネが制止する。

「ど、どうせ威嚇だろう? ここは日本だからな」そう言う父親の足は震えている。

 次の瞬間すぐ後の壁に一撃、弾丸が打ち込まれた。無機質な病院の廊下に銃声が響く。

「選べ。大人しく麗を治療させるか、ここで俺に頭を射抜かれるか!」

 神崎は父親の額に銃口を突きつけた。

「お、俺を、殺す気か」半ば悲鳴のように、裏返った声で神崎に噛みついた。

「俺は本気だ。――あんたのよく知っている『コントラクター』、なのだからな」

「麗を……人殺しなんかに……渡してたまるか」震える声で抵抗の意を告げる父親。

 哀しみと絶望で、猛っていた神崎の心が黒く沈んでいく。


 ――なんで、こんなことになったんだ。俺はただ、麗を救いたいだけなのに――

 ――人間なんか、クソッタレだ――


(麗は、貴様のモノじゃない。俺のモノなのに……)

 神崎の表情は、悔しさと悲しさでひどくゆがんでいた。

(お前が不甲斐ないから、麗がこんなに苦しんできたというのに……)


 殺意の失せた神崎が、父親の額から銃を下ろそうとした、その時――

『バシュッッ!』

 廊下の向こうで何かが破裂したような、大きな音が響いた。



     ☆ ☆ ☆



「うがぁぁぁっっ!」

 神崎は絶叫し、床に倒れ、痙攣……そして、動かなくなった。


 ツカツカと靴音を響かせながら誰かが廊下の向こうから近づいてきたが、逆光でシルエットしか見えない。手には小さな保冷ケースと、もう片方の手にはテーザー銃――射出型スタンガン――を持っていた。その先から放たれたワイヤーが、神崎の体に打ち込まれている。テーザー銃から強い電流を流し込まれた神崎は、痙攣を起こして倒れてしまった。


 神崎を撃った男は、長身痩躯を白衣に包み、細いメタルフレームの眼鏡をかけていた。レンズの奥にある細い切れ長の目には、くらく鋭い光が宿り、腰まである長い髪は首の後で束ねられ、動く度に左右にゆらゆらと揺れていた。


 倒れて動かなくなった神崎を一瞥すると、

「フン、この程度で動けなくなるとは嘆かわしい――」と吐き捨て、気絶して床に転がっている神崎を軽く蹴転がして仰向けにした。「この『愚弟』めが」

「理事長! お待ちしておりました」

 メガネの職員が駆け寄って保冷ケースを受け取り、手術室に入っていった。


 つい、と指で眼鏡を上げ「この私が、手ずから作った『生体パーツ』だからな。間違いなどあり得ない」と言ってフン、と鼻を鳴らした。「にしても……」

 床で寝ている神崎の頭を、つま先で軽く小突き、大きくため息をついた。

(全く、到着早々この面倒事の山は何だ。私が始末をつけねばならんのか……)

「この……能なし役立たずの愚弟め。あの国での不手際はこの際不問に付してやるが……。――おい、ストレッチャーを持ってこい。このバカを片付けろ」

 理事長と呼ばれた男の命で、背の高い職員が廊下の奥に駆けていった。


 手術室の前には、麗の両親とこの長髪の男、そして床の上の神崎が残された。

「愚弟……と言われましたが、貴方は?」

 目の前でいっぺんに色んな事が発生して、麗の父親は事態に理解がついていかず、すっかりおとなしくなっていた。


「これはご挨拶が遅れました」男は、麗の両親にうやうやしく礼をした。

「私は、この病院の理事長と、GBI社代表取締役社長兼、最高経営責任者《CEO》を勤めております、神崎怜央(れお)と申します。――そこに無様に転がっている、神崎有人の兄です」

 麗の両親は目を丸くして、とんでもないビッグネームの登場に固まっていた。

「あ……こ、この度は、む、娘がお世話になり、ありがとうございます」


 父親はガチガチになってすっかり萎縮している。怜央は伊達眼鏡の向こうから静かに観察していた。

(この男は肩書きで圧倒される一般的な市民のようだな。さっきまで怒りに我を忘れていたのに、もうおとなしくなっているとは……)

 有人はストレッチャーに乗せられ、ガラガラと処置室に連れて行かれた。


「少々、愚弟の件で誤解があるようなのですが、私からご説明をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 怜央はそう言うと、懐からスマホを取り出した。ついつい、と白い指先で操作をして、画面を麗の両親に向ける。

「どうぞ、こちらをご覧下さい」


 両親が言われるまま画面を覗き込むと、そこにはつい昨日まで有人がいた小国のニュースが流れていた。独立したばかりのこの国を、反政府勢力のテロが襲い多数の死傷者が出たが、国防軍によって鎮圧された、という内容だった。


「弟は、この国を護っていたのです。私のめいでね」

 怜央は、麗の両親を相手に、プレゼンを開始した。弟を売り込むためのプレゼンを。

「じゃあ、この間急いで帰ったのは……この、テロリストの襲撃?」

 父親が訊いた。

「お察しの通りです。この国への国際支援を水面下で行っている日本政府の意向で、我がグループでは復興再建と、周辺の武装勢力から国民を守るための治安維持業務を一手に請け負っておりました」怜央は、極めて淡々と語り始めた。

「護る……ため」麗の母親がぽつりと言った。

「PMC、正確には現在PMSCsと呼ばれていますが、単純に戦争を請け負う会社、というわけではありません。あくまでも各国政府からの要請によって、正規軍だけではまかないきれない警備や補給など、軍の後衛部分をバックアップするのが、我々の業務です。

 本来であれば自衛隊を派遣するべき所なのですが、国内世論や外交上の問題などもあって、思うように動けない。そこで我々、民間会社を利用することになったのです」

 当たり障りなく、かつ、一般人に飲み込み易いよう、やれ警備だ、政府だ、支援だの要請だのと、あたかも戦争屋ではないのだと、怜央は易しくいい聞かせた。論理的思考の出来る人間なら、これで納得出来るはずだ。

「そうなんですか……政府の仕事、ですか」

 麗の父は視線を足元に落とした。自分の誤解で、娘の恋人を追い詰めてしまった罪悪感にかられていた。

 怜央は眼鏡の細いフレームを指でつい、と上げて話を続けた。

「あくまでも、私達は日本政府の代行者であり、決して積極的に戦争をしに行ったわけではないのです。無論、武装勢力は綺麗事で済む相手ではありませんので、必然的に荒事も発生してしまいます。弟は長年、私の代わりにこの荒事に携わってきました」


 怜央は、父親の手を取り、悲しげな目をしながら目の前の夫婦に対して切々と訴えた。「弟を泣く泣く戦場に送る兄」の心情を込めて。

 だが、有人が戦場に行くのは、あくまでも当人側の事情であって、わざわざ「行ってこい」と言った覚えは欠片もなかった。むしろ、自分の仕事の手伝いを嫌って、早々に子会社に出て行ってしまったくらいなのだから。それ故、有人には『GBI社副社長』と、『GSS社平社員』という二つの肩書きが存在しているのだ。


「私とて実の弟に汚れ仕事を押しつけることを、快く思っているわけではありません。しかし、大きな組織を動かしていく以上、どうしても信用の出来る人物にしか頼めないこともあるのです。弟は不平一つ言わず、私のために身を粉にして働いてくれています。

 だから、せめて兄として、私は、弟が命よりも大切にしている女性を救ってやりたい。たった一人の家族である、弟の幸せを、私は護ってやりたい。塩野義さん、どうか、娘さんの治療を我々が継続することを、許して頂きたいのです」


 弟に容赦なくスタンガンを撃つ冷血漢が、打って変わって、身内のために涙を流している。明らかに泣き落としだった。

 日頃、商売や交渉において『神技』を用いる怜央の演技は、まさに迫真だ。役者になったとしても、きっと名優として歴史に名を残すだろう。


「わかりました……こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします」

 麗の父親は、怜央の熱演に感動し、治療続行を快諾した。


 あとはバカな弟のしでかしたポカを回収する仕事が残っている。

 いくら父親が治療を快諾しても、大バカ弟に向かって「貴様のようなクズの嫁にはやらん」などと言われては、またクソバカ弟が暴れて、何をするかわかったものではない。全くもって、手間ばかりかけさせる奴だ。だが、そんなお前もまた、愛おしい。怜央はそう思っていた。


「塩野義さんに愚弟が銃を向けてしまったことは、本来許されざる行為です。しかし、娘さんの身を案じてのこと故、どうか許してやって頂けないでしょうか……」

「私こそ、何を血迷ったのか、あんなことを神崎君に言ってしまって、申し訳ないことをした……こちらこそ、どうか許して欲しい」そう言って怜央に深々と頭を下げた。

「ところで、私の本業は、会社経営などではなく、我が社の基幹産業であるバイオテクノロジーの研究なのです。今日は、お嬢さんのために、私の造った移植用生体組織を持参しました。これで必ず良くなります。どうか安心して下さい」


 怜央の本来の『神技』は、実は商売や交渉ではなく、生物を『創造』することだった。

 創造神たる彼が、臓器の「生体パーツ」を造ることなど朝飯前だったのだ。



 ひとしきり両親の説得に成功した怜央は、疲れた様子で処置室にやってきた。

 十畳ほどの室内は殺風景で、採血や点滴用具、エコーなど最低限の機材が置いてある。寝台の上の有人の他に現在は誰もいない。


 こうして、自分の弟の寝顔をまじまじと見るのは、いったいどの位ぶりだろうか。最早共に暮らすこともなくなって、長い時間が経っている。仕事で有人をこき使うのも、塩野義に言ったとおり、他に信用出来る者がいないからだ。


 人間なんて、すぐに死んでしまう。だからこそ、目先の恐怖や欲望に踊らされ、とても簡単に裏切る。

 これ以上、戦場で身を磨り減らして欲しくない。だから営業の真似事をさせたのに。

 誰も信じられないんだ。だから、お前に帰って来て欲しい。

 俺だって、ホントは淋しいんだ……。怜央は切実に、そう思った。


「おい、愚弟。起きてるか」怜央は有人の頬を指でつついた。しかし返事はなかった。

(いつまでたっても子供みたいな顔してやがって……)

「一度しか言わないから良く聞け」弟の頭上からいつもの口調で語り出した。「壁に穴を開けるな。病院にVTOLなんかで乗り付けるな。関係各方面への連絡が面倒極まりない。父親は懐柔済みだ。説得が面倒だからこれ以上喧嘩を売るな。それから……」

 怜央は有人の頭を数度撫でて、耳元で優しく囁いた。

「……良かったな、やっと『白猫』が見つかって」

 そう言うと、怜央は白衣を翻して、静かに処置室を出て行った。


 兄の靴音が遠ざかった後、有人は狭い寝台の上で体を震わせ、ずっと啜り泣いていた。

 そして、泣き疲れて、いつのまにか、また眠っていた。猫のように体を丸めたまま。



     ☆ ☆ ☆



 麗が気づくと、見知らぬ病室の中にいた。


 腕には点滴といろんなコードが取り付けられ、顔には呼吸器の透明なマスクがあった。僅かに頭を左右に動かして周囲を見ると、小さなモニターが幾つもあり、麗の現在のバイタルサインが表示されていた。

 事前の知識から、ここが集中治療室であることが、おぼろげに理解出来た。


(そういえば……)

 数日前、急に苦しくなって倒れたことを思い出した。この湯河原にある獅子之宮総合病院に転院してすぐのことだった。

「お母さん……どこかな……」

 とにかく、状況が分からなかった。今、自分がどうなって、両親はどこで、そして……有人はどこなのか。

 麗は、呼吸器のマスクを外し、誰かを呼ぶことにした。

(ナースコールは……えっと……)

 頭上を手探りして、コールスイッチを探していたが、なかなか見つからない。


 ふと、ドアを開けて誰かが入って来た。白衣を着ている男性。見たことはないが、おそらくこの病院の先生なのだろう。それは、長髪を束ねて腰まで垂らし、痩身長躯で切れ長の目も涼やかな知性溢れる男性だった。暖かみのある有人とは真逆のクールな印象もあったが、メタルフレームの眼鏡の奥には、どこかで見たような色を感じた。


「失礼するよ」落ち着いた声で、その医師は優しく語りかけてきた。「具合はどう?」

 そう言うと、ベッドの傍らにある端末を操作し、何かを確認し始めた。

「悪くない、です。多分。あの、手術したんですか?」

「したよ。もう大丈夫だから」と、話しながら、男の視線は端末の画面を見つめている。

 麗は胸をまさぐりはじめた。手術をしたと聞いて、麗はある違和感に気が付いたのだ。


 ――本来存在するはずの違和感が、存在しない違和感を。


「もう、痛くないでしょう?」と言って医師はくすりと笑った。

「はあ……」

「傷ならないよ。僕が全て綺麗に消したから」小首を傾げながら、左手で右の肘を抱え、右の人差し指で尖った顎を支えた。

「あ、あの……」

 今自分の置かれた状況についてよくわからなかったが、自分に施された治療が、今まで自分が受けてきた治療とは、何かが根本的に違う、ということだけは理解出来た。

「もしかして、有人さんのお兄さん……?」最初に見たときから、誰かに似ていると思っていた。空気が、目の奥の光が、似ている。確かに。

「ご明察。僕は兄の怜央だ。愚弟は今、処置室で疲れて寝ているよ。君のために、寝ずに急いで飛んで帰ってきたからね」

 そう言って彼は、目の色を一瞬澱ませ、眉根を寄せた。だが麗には気づかれることはなかった。


 ――ああ、あのひとにやっと会える。片時も離れたくない。もう。


「そうですか……。起きたら呼んでもらえますか? あと私の親も……」

「その前に、君に言っておきたいことがある」

 怜央の口調が、急に厳しくなった。

「君はもう、死なない。――向こうしばらく、はね」

 彼の言葉には、逃れ得ないような強制力がこもっていた。それは、先送りされた「死刑宣告」のようなものだった。この男こそ、本当の死神だったのかもしれない、と思った。

「いつ……死ぬんですか?」

「長くて二十年。残念だが、そこまでしか、このパーツは保たないのだよ」と、顎に当てていた指で麗の胸をつついた。「愚弟やご両親には、まだ言っていないがね」

「あの、そのパーツ、とかいうのは、また取り替えられないんですか?」

「残念ながら、生体パーツはまた作れるが、それ以外の部分がもう保たないんだ」

 お手上げのポーズを取っておどける、怜央の顔は笑っていなかった。

「でも、……あと二十年は、有人さんと一緒にいられるんですよね」麗はふっと笑った。

「長いと思うかい?」彼は長い髪をもてあそび、冷たく蔑んだ目で麗を見下ろした。

「はい。とても」


 麗は、だんだんこの男のことが「こわい」と思い始めていた。

 彼の自分を見る目が、触れれば切れそうな程冷たくなっていくのが分かる。


「だが、あいつにとってはとても短い、一瞬にも等しい時間だ」

 怜央は、ゆっくりと、でも何故か、少し苦しそうに言った。

「かわいそう……です、よね……やっぱり……」


 先のない自分には、彼を幸せにすることは出来ない――。彼に甘えて、彼を縛ってはいけないのかもしれない。でも……。


「今君は、弟を『かわいそう』と言ったね。――何故?」

 怜央の、髪をもてあそぶ手が微かに震えていた。僅かに肩が上下し、何かを押さえつけているのが伺えた。

「あまり一緒にいられないのに……付き合わせたら、かわいそうかな、って……」

(わがまま……だよね……)


『ドンッ!』


 鈍く大きな音が頭上に響いた。何かが強く壁にぶつかった音だ。

 怜央が思いっきり壁を殴ったのだ。

 強く打ち付けられた白い拳から血が滲んで、壁に赤い痕を残していた。彼の理知的な顔は、今や憎悪に満ちた形相に塗り替えられ、細い切れ長の目は、麗の顔を射貫くほど睨み付けていた。


 怜央の態度の急変と、自分に全力で向けられる憎悪に麗が震えていると、怜央は麗の枕元にドン、と乱暴に手を着き、麗の顔に鼻先が触れるほど顔を近づけた。

「本気で……そう思うのか?」と、低く呻く彼の声は、怒りで震えていた。


 何故自分は、この男の逆鱗に触れてしまったのだろうか?

 恐怖で凍り付いた思考では、なに一つ明確な答えを出すことは出来そうにない。

 でも、何故……?


「どうなんだ」怜央は低く、囁くように訊ねた。

「は……はい。……でも、一緒にいたい……です。すこしでも……いいから」

 麗の瞳からは、恐怖で涙がこぼれ落ちそうだった。

「たすけて……有人さん……」


 だが、救いを求める声は、小さく掠れて、届きはしなかった。

 怜央は急に体を起こし、腕組みをして大きくため息をついた。麗を見下ろす目は、ただの冷たい視線に戻っていた。まるで虫けらでも見るような、感情の籠もらない目だった。


「――それが、君の業なのだよ。麗君」


 …………業?

 自分を押さえつけていた、怜央の憎悪から一気に解放され、涙がぼろぼろと落ちた。


「……え? あの、よくわかりません……けど……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 布団にしがみつき、目の前の死神に、麗は何度も何度も謝った。

 怜央は、ベッドの傍らの椅子に座ると大仰に足を組んで、眼鏡を外して折り畳み、胸ポケットに差し込んだ。そして、


「もうこれ以上、僕の愛する弟を、苦しめないで欲しいのだよ」と、冷たい笑みを作りながら麗の耳元で囁いた。

 裸眼の彼は、おぞましいほど妖艶な色を纏っていた。……悪魔のように。

「わ、別れてほしい、ということ、ですか……」

 怖くて、飲み込まれそうで、麗は布団の中に目だけ出してもぐりこんだ。

「いや、逆だ」

 怜央は目を細め、口の端を片方吊り上げて言った。


「もう二度と、別れないで欲しいのだ、業深き白猫よ……」

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