【4・二つ名はイージス】全ては帰国のため
麗の病状は予断を許さない状況で、神崎は一刻も早く彼女の元に戻りたかった。
しかし、今この国は、低俗なお家騒動に見せかけて、その実は、地下資源目当ての大国の支援を受けた武装勢力により、再び戦乱に巻き込まれようとしていた。
『諸君。総司令の神崎だ。皆聞いて欲しい。……とても、プライベートなことだ』
神崎は、静かにマイクに向かって語りかけた。
この国にいる全GSS社々員に向けて、神崎は急ごしらえのオペレーションルームより一斉にメッセージを発信していた。過去、彼がこのような放送を行ったことはなく、極めて異例な事態だった。
短期決戦を決意した彼は、本来人種も国籍もバラバラな全軍の士気を上げるべく、演説が得意な兄に倣って、彼等の情にアピールすることにした。
いかにもお涙頂戴で、神崎本人は心苦しかったが、有能なレイコの勧めもあって実行することにしたのだ。
『婚約者が、今、死の淵にいる。俺はすぐにでも日本に帰りたい』
『だが、諸君を見捨てることは出来ない。だから、』
『今日一日だけでいい。俺に力を貸してくれ』
『その代わり、俺は全力で諸君を勝利に導く』
『頼む。皆の力で、俺を彼女の元に帰してやって欲しい』
切々と、目薬の涙まで流して語った神崎は、大きく息を吸い込み最後の仕上げをした。
――彼は、マイクに向かって叫んだ。
『諸君の命、ギャラ三倍で貸してくれ! 以上だ!』
オペレーションルーム内には拍手が起こり、基地中から歓声が沸き起こった。出動済みのあちこちの車両からも、無線で奇声が上がっていた。
(みんなお金が大好きさ。素直でよろしい!)
「よし、つかみはOKだな」演説を終え、満足げな顔の神崎が言った。
「みんな、ギャラ三倍のとこだけ過剰反応してない?」
レイコが微妙な顔をしている。
「いいじゃぁねえか。大義名分ってのはな、あった方が盛り上がるんだよ!」
グレッグは机の上に腰掛け、小さな星条旗と日の丸を両手で振ってはしゃいでいる。
「みんな俺のポケットマネーだけどね。あ、支払いはこれで決済よろしく」
神崎青年は、内ポケットから、チタン製のカードを取り出し、レイコの机の上にパチリと置いた。これが、震災以来二度目の大きな買い物になる。
「そうそう、レイコさん、帰りの足の手配、出来てる?」
「既に発送済みですよ、神崎司令」レイコは涼しげな笑顔で答えた。
☆ ☆ ☆
――前日。
神崎は、アジャッル元副司令に、大統領の甥の背後に何があるのかを探らせていた。
演説の前に元副司令から報告を受けていたのだ。
やはりというべきか、この男はとてつもなく底の浅い人物だったようだ。
反政府勢力の力と叔父の不在を利用して、国内が不安定なうちに権力を奪い取ろうとしていた。
しかし、利用していたのは反政府勢力の方で、この男は自分が周りを利用していたつもりが、実際は踊らされていたに過ぎない、ただの担がれた神輿だったのだ。
そして彼等は、甥を上手く操って神崎達の行動を制限し、その隙に乗じて攻撃を仕掛けてきていたのだ。
アジャッルの話と照らし合わせると、先日神崎が基地司令室で見た猫背の男が、甥を操っている組織の関係者だろう、と推察出来た。
だが、神崎達が顧客を無視して独自に動き出したとなれば、ヘタをすると、彼等にとって甥に利用価値はないと判断され、最悪殺される可能性がある。
その前に反逆者として生かして捕え、請求書も添付して帰国した大統領に突き出さなければならない。
この反逆者逮捕の手柄をアジャッル元副司令のものにすれば、きっと彼の復権も容易なはずだ。元司令は、残念ながら既に敵に投降している。にわか仕立ての国防大臣も使い物にならない。
このような非常事態にも拘わらず、なぜ叔父である大統領一行が帰国出来ないのか。それは恐らく、敵の後についている大国の差し金であることは容易に想像がつく。だが、一企業である神崎たちが、そこまで手を回すことなど出来はしない。せいぜい、護衛役の社員で大統領の命を守るのが関の山であろう。
本来は国を立て直す手伝いでやってきたはずなのに、今まで自分の売ってきた武器の多くは、現在テロリストの手に落ちている。
己の手で敵を肥えさせ、数多くの味方を死に至らしめてきたのだと思うと、神崎はひどく憂鬱な気分になった。
アジャッルの報告の後、神崎はひとり思索に耽っていた。
……兄貴は最初から、面倒事になるのが分かっていたのだろうか?
なぜ、情報収集を大統領府に任せたのだろうか?
それとも、知らされてなかったのは我々だけなのだろうか?
――大統領を外に出すため? 何故? 膿みを出し尽くすためか?
考えれば考えるほど、胸糞の悪い想像ばかりが浮かんでくる。かつての創造神もいまでは人間に愛想を振りまき、金の亡者に成り下がっている。兄のそんな姿が彼にはたまらなく嫌で、どうして豹変してしまったのか、理解出来ずにいた。
いずれにしても、弟の自分さえいればどうにかなる、兄はそう考えているのだろう。と、いつもと全く同じ結論に至り、余計に胸糞が悪くなる。
とにかく、一刻も早く日本に帰らなければならない。そのためには――――
――クズ野郎、落とし前をつけてもらうぞ――
☆ ☆ ☆
神崎の演説中、オペレーションルームでは既に作戦の準備が進められていた。
この作戦は全力を挙げて反政府ゲリラを排除し、首謀者を確保するのが目的だ。
攻め込まれる度に対処療法的に応戦していては、いずれ消耗しきってしまう。元から絶たなければならないのだ。
現在実権を握っている大統領の甥は、確保に失敗している。どこに敵のスパイが入り込んでいるか分からない状況だ、感づかれても仕方がない。
オペレーションルームでは、イケメンゲルマン集団の丁稚ーズも、オペレーターとして席についている。本来の彼等の仕事はこのような通信管制や情報のモニタリングなのだ。決して伝票整理や神崎のお守りなどではない。
演説の終わった神崎は、オペレーションルームの片隅に置かれていた大きな金属ケースをずるずると引き摺って、机の上に載せた。
ケースには、『電子戦用超高速並列分散型衛星制御卓』と書かれている。彼はケースのロックをバチンバチン、と外し、何かの操作パネルのようなものと、コードの繋がったVRゴーグルと操作用グローブを取り出した。
「何だこれ?」グレッグがのぞきに来た。
神崎は陰鬱そうな顔で、「バケモノが使う悪魔の道具だよ」と吐き捨てた。
「んじゃ俺等じゃねえのか?」
「いや、もっと禍々しい奴らさ……」
そう言いながら、パネルを組み立てて、あちこちにケーブルを接続させ、グローブを嵌めて、ゴーグルを頭に乗せた。
「神崎司令、配置完了しました」オペレーターの一人がイスをクルリと回して報告した。
「了解っ、と。じゃ始めますか」すう、と息を吸い込む神崎。そして高らかに宣言した。
「現時点より、オペレーション・チャリオットを開始する!」
一斉に、了解の声がオペレーションルームに響く。
神崎は、自らが悪魔の道具と呼んだ大きな操作パネルを前に、どっかと椅子に座った。
指と首をコキコキと鳴らし、丸めたハンカチを咥えると、右手でケーブルに繋がった太く長い金属製の針を首の後に突き立て、ズブズブと差し込み始めた。
彼が先日、旅客機の中で使ったものよりもさらに太く、らせん状に溝が切られている。
「ぐうううううううぅっっおおおおおおおおおおうううううううう――――ッ」
彼はくぐもった悲鳴を上げ、軍事サイボーグ用接続端子を延髄にねじ込んでいった。
オペレーションルームの中にいた全員が、そのおぞましい光景に凍り付いている。中には嘔吐するものまでいた。
針を差し込み終えると、神崎はしばらく苦しそうに肩で息をし、ゴーグルを下げた。
「だ、大丈夫か」グレッグが不安そうに声をかける。「一体何なんだこれは……」
「兄貴が飼ってる薄気味悪い軍事サイボーグの使う道具、ウチの衛星とリンクして、同時に百の小隊を指揮出来るオペレーションマシンだよ」
「……狂ってやがる……」
グレッグは吐き捨てるように言うと、神崎の襟元に零れた血を拭ってやった。
神崎は、接続端子との有機接続を確認すると、激しいバーチャル酔いに耐えながら、本社サーバーや軍事衛星への接続シークエンスを開始した。
ゴーグル内の視界には、専用サーバーへのログイン画面が表示されていた。
彼は仮想空間のキーボードを叩き、IDを入力した。市販ノートPCではなく、本物の軍事用制御卓では、物理キーボードを使用する必要はないのだ。
【AEGIS】
それは神崎の二つ名、ゼウスが娘アテナに授けたと言われる、最強の盾のことだ。
サーバーへのログインが完了し、GSS社の所有する数十基の軍事衛星とのリンクが開始された。
視界には次々と衛星と本社サーバーから送られてくる膨大な情報が展開していった。車両を始め、小隊の一人一人が装備するGPS、リアルタイムの地形・気象情報、敵部隊の配置等々、一人の人間が扱う量を遙かに凌駕した情報が、無遠慮に流れてくる。
(よし……状況はわかった。たのむぞ、AIのみんな)
神崎は並列処理用のAIを起動させ、次々と方面ごとにひもつけをしていく。AIたちは、いわば神崎のクローン、手足となって働く部下たちだ。「超高速並列分散型」と名にあるのは、このAIたちがあってこそだった。
「レイコさん、カウントダウン開始!」
「了解」
彼の使う、この制御卓の使用限界は三十分だ。
神崎は、国内に展開した百近くに及ぶGSS社の全小隊とリンクし、索敵データを送りながらリアルタイムで指揮を開始した。
眼前の暗がりに浮かぶ地図上に、敵部隊と自軍の位置が光点で表示されている。
元々散発的な攻撃ばかり繰り返していたテロリスト共に、統制の取れた行動は望むべくもない。不意打ちや騙し討ちで、自分たちや国軍を翻弄してきただけだ。
一方、最新鋭の武器を携え、兵士一人一人に至るまで全ての部隊が有機的に結合し、的確に行動している、ハイテク部隊のGSS社武装警備員たちとでは、格が違いすぎる。
数さえまとまれば、敵を国外に追い返すことも不可能ではない。神崎は、その『数』が揃うのを、ずっと待っていたのだ。日々、不利な状況に翻弄されながら。
――――今度は、彼のターンなのだ。
空を叩き、払って、爪弾いていく。これほどの数の小隊を一人で制御する様は、まさにオーケストラを前にした指揮者だった。
高速処理された情報をリアルタイムで共有するGSS社の部隊は、衛星軌道上からのバックアップを受けながら相互に補完しつつ確実に敵を殲滅していった。有機的に絡み合って動いていく彼等に死角はなく、何倍ものポテンシャルを発揮し敵を蹴散らしている。
「あと……十五分……」神崎の顔に汗が浮かび、鼻血が流れ始めた。
唇を噛みしめながら、残された時間を数百倍にも駆使して情報を送り続けている。体への負荷が益々大きくなり、呼吸が浅くなっていった。
「ごふっ……ぐうっ」
ふいに、操作パネルの上に、大量の血を吐き出した。神崎はグラブの甲で口元を拭い、また吐きを繰り返しながら、ひたすら操作を続けた。
(やはりバケモノには敵わない……どうしたら平気でいられるんだ? サイボーグ共は)
PCに接続して使用する簡易型と比べ、本物の制御卓は更に数倍の負荷がかかる。彼にとって非常に危険なシステムだった。時間を越えて使えば、待っているのは精神崩壊だ。
「あ……あと、十分…………」
敵の拠点を数カ所壊滅させ、国境線から大きく後退させた。
手の空いた部隊を敵の多い地域へ、次から次へと投入していく。そして、安全が確保された所から、各方面へ補給物資の輸送も開始した。
複数の衛星とリンクした、神崎の操る軍の圧倒的火力と寸分違わぬ正確な攻撃に、敵は瞬く間になし崩しになっていった。
見た目だけなら、細かいグラフィックのストラテジーゲームだ。しかし、そこで動いているコマは、本物の人間、車両、部隊だ。光点が消えれば、命が消えたのと同じ。仮想空間にありながら、全てはリアルなのだ。
こんなリアリティのない戦争などに、何の意味があるのか。造り物の兵士があらゆるものを破壊する世界。それこそ、全てが茶番になってしまうじゃないか。
だから神崎は、兄の進める軍事サイボーグのプロジェクトが不愉快でたまらないのだ。
(くそ……目が……霞んできやがった…………)
遠のきそうな意識を戻すため、彼は腰のナイフを抜き、太股に突き立てた。
「ぐああぁっ、……くくく、くく……」
猛烈なスピードで、残り時間を示すカウンターが回る。神崎は自分の精神と引き替えに、更に部隊への指示スピードを加速させていく。
【全小隊に通達:衛星による支援は残り五分で終了する。その後は各自の能力に委ねる】
「あ! 見つけたぞ……あのクソ野郎め!」
彼は、最後の最後に敵本拠地を見つけ出した。周辺の詳細情報を取得、逃走中の大統領の甥を発見、拘束のための部隊を差し向けようとしたが、手空きの部隊は一つもなかったところで、タイムアップとなった。
「クソッタレェェッ!」
神崎は叫び、制御卓を叩いた。
制御卓の天板に零れた鮮血が、両の拳で弾かれて周囲に飛び散った。神崎のシャツも赤い飛沫を浴び、ゴーグルや頬には血で描いた筋が幾重も流れていた。
神崎は、血飛沫を撒き散らしながら、一斉に衛星リンクをシャットダウンし、ログアウトを開始した。
全てが終わり、数分ほど放心状態になっていた神崎が、我にかえりゴーグルを外すと、目の前と足元が血の海となっていた。未だ精神へのダメージが回復していないせいか、意識が混濁している。
(ひどいなあ……どうしよう、これ……怒られちまうだろうなあ)
自分の衣服も、あちこち毒々しい飛沫模様が描かれ、操作パネルも真っ赤に染まり所々血糊が乾き始めていた。自分の吐瀉物と分かっているが、あんまりなビジュアルだ。
一応機械だし、スキマから血が入って壊れたりしないだろうか、と少々不安になった。
彼はグラブを外し、目を閉じて大きく息を吸い込んだ。そして意を決して首の後の端子をひと思いに引き抜くと、鋭く尖った端子を投げ捨てた。
べったりと赤黒い液体を纏った端子は、高い金属音を響かせながらコンクリートの床に落ち、端子に繋がっている血糊だらけのケーブルが、手負いのヘビが這い回ったような跡を床の上に幾重も描いていた。
彼は首を引きちぎられるような痛みに、短く悲鳴をあげた。針に纏わり付いた己の神経を引きちぎったのだから、ただ抜くより何倍もの激痛が走る。
痛みは激しいが、おかげで混濁していた意識が少しハッキリしてきた。
すでに痛みすら感じていなかった、太股に突き立てられたままのナイフも引き抜かれ、甲高い金属音をたてて床にうち捨てられた。
「うう……ぐッ」
意識がはっきりしてきたためか、痛みが強くなってきた。恐らく、鈍化していた感覚が戻ってきたのだろう。
「大丈夫か?」グレッグが心配そうに声をかけた。
「ああ、生きてる……まだ作戦中だ。そっちを心配しててくれ、グレッグ」
「わ、分かった」と言ってグレッグはオペレーター席へと去っていった。
椅子の上で神崎がぐったりしていると、レイコが黙って首筋と太股の処置を始めた。
「すまん、レイコさん。急いでるんだ……適当でいいよ」
「そうですか……」
レイコに簡単な処置を受けた後、神崎はおぼつかない足取りで部屋を出ていった。
「すまん……後片付け、よろしくな……」
廊下の壁に手を突きながら、神崎は足をひきずってロッカールームに向かっていた。ほとんどの社員は出払っており途中誰ともすれ違うことはなく、手負いの姿を見られることもなかった。宿営地がカラになってしまう程、本当にギリギリの状態で戦っていたのだ。
ロッカールームに入ると、神崎は血に汚れた服を脱ぎ捨てて紺色の戦闘服に着替え、夜間作戦用の装備を身につけ始めた。
タクティカルベストには、マガジンを詰められるだけ詰め、弾薬やプラスチック爆薬、手榴弾などをバッグに押し込み、ヘルメットに暗視ゴーグルも取り付けた。
「これも……持ってくか」
そう呟くと、自分のロッカーから一本の合金製軍用サーベルを取り出した。黒い鞘が日本刀を思わせる。「最後に頼りになるのは、刃物だからな……」
ストラップをたすき掛けにしてサーベルを背負っていると、背後から男の声がした。
「一人でどこ遊びに行くんだ? ボーイ。パパも連れていってくれよ」
そこにはちらりと犬歯を覗かせたグレッグと、狙撃銃を担いだマイケルが立っていた。
(そういえば、マイケルの班は、負傷者を回収して戻って来ていたはずだったな)
「ヒマそうだな。人狼のダンナとジャーキーガイ。一緒に狩りに来るかい?」
神崎はやせがまんをして、二人に笑ってみせた。
「で、どこ遊びに行くんですか? マスター・ニンジャ」マイケルは愛用の狙撃銃で自分の肩をトントン叩きながら、嬉しそうに訊いた。
「本丸だ。夜陰に紛れて、首級を取りにいくのさ。ニンジャはそういうもんだろ」、と神崎は自分の首を刎ねるマネをしてみせた。
「どこにいるか分かったのか?」
ニヤニヤしながらグレッグが言った。瞳が薄暗いロッカールームの中で、妖しく光る。
「ああ。場所はついさっきわかったんだ。奴ら移動してたんだよ、今まで……」
神崎はこみ上げる胃液を押し戻すように、口を押さえて背中を丸めた。
「トレーラーとかか?」
夜間戦で圧倒的な強さを誇るこの人狼の男は、装備を着けながら言った。夜目の効く彼なら、暗視ゴーグルなどという無粋なものは必要としない。
「近くで手の空いてる部隊が全くないんだ。今から手空きの誰かを回しても、遠くて間に合わない。だから俺が直行するんだ。一人で乗り込んで平気な奴は俺くらいだからな」
未だ気分の優れない神崎は、苦虫を噛み潰したような顔で言った。出血が酷かったためか、顔面は蒼白だ。
「なるほど。じゃあ、僕もマスター・ニンジャにお供しましょう。報酬は、ジャーキーでいいですよね?」
マイケルは、まるでパブにでも付いて行くような口ぶりで言った。
「好きにしろ。戻ったら、十箱でも二十箱でもくれてやるよ」神崎はニヤリと笑った。
☆ ☆ ☆
グレッグとマイケルの二人を加えた計三名の強襲部隊は、敵指揮車のある国境線付近までヘリで飛んだ。そして敵前線基地の裏山に降下し、そこから徒歩で接近を開始した頃には、太陽は稜線の向こうに沈み、夜の帳が降りていた。
「マイクは、照明及びその他の障害を排除。グレッグは、速やかに敵電源施設を破壊。俺は真っ直ぐ指揮車両に向かう。電源が落ちれば奴らの行動は大幅に阻害出来る」
「おうよ!」
「了解です! 陽動は任せて下さい」
薄闇の中を進み、三人が前線基地に接近すると、田舎の武装勢力には不釣り合いな新鋭車両や武器が周囲に並んでいた。神崎の売った真新しい兵器もあれば、違うメーカーの製品もあった。見る者が見れば、何処の国の製品かはすぐに分かる。
さきほど神崎たちに急襲されたせいで、彼等は待避先となったこの場所で宿営準備の真っ最中だった。ほとんどの部隊は制圧済みだが、本隊にまだこれだけの武器があることは十分に脅威である、と神崎たちは感じた。
にわか仕込みの作戦では彼等を完全に叩くには程遠く、現実にはこれが限界だった。それでも一切の国軍の支援もなしに、自分たちは十分に健闘したと神崎は思っていた。
「奴らには過ぎたオモチャだな……」グレッグが双眼鏡で内部の様子を覗き込んでいる。明らかに本来関係のない白人も相当混じっており某大国のテコ入れの様子がうかがえた。
「ですねぇ」と言うと、マイケルは照明器具の場所を銃のスコープで確認し始めた。「手短な所からバンバン落としていきますから、派手にやっちゃってくださいよ」
神崎とグレッグの二人は不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「じゃ、二人とも頼んだぞ。とにかく時間が惜しい」神崎はそう言いながら、サブマシンガンを抱えて一人指揮車両のある方向に向かって走っていった。
(もう少しだ……。待ってろよ、麗。すぐ帰るよ……)
神崎が走り出すと同時に、マイケルが手当たり次第に照明を狙撃し始めた。灯りを失ったテロリスト達は、大騒ぎをしながら右往左往している。
あまりにも早く傭兵に見つかってしまった、その事が彼等に大きな恐怖を与えたのだ。
マイケルは微妙に移動しながら、次々と照明器具や車両を破壊していった。その最中、神崎は夜陰に紛れてひたすら奥へと進んでいく。
別の場所から煙が上がっているのは、グレッグが暴れているせいだろう。発電施設や大型車両からも火の手が出ている。
少人数での襲撃は、敵から発見されにくく破壊工作を行いやすい。逆に襲われる側にとっては、これほど面倒な相手もいない。一騎当千の彼等であれば、尚のことだ。ちらと後を振り返り、神崎は仲間たちのバックアップに心強さを覚えた。
(二人とも、ハデにやってくれてるな。頼むぞ……)
神崎は混乱に乗じ単身敵の指揮車に接近していった。そこに甥御も黒幕もいるはずだ。
「あれか……」
積み上げられた木箱の陰から神崎が覗き込むと、暗視ゴーグル越しのその先には、トレーラー型の指揮車があった。
屋根には大型の衛星アンテナを備え、胴体に繋がれた幾本かの太い電源供給用ケーブルが、近くの電源車までの間を大蛇のようにのたくりながら繋いでいる。
周囲には頭に布を巻き付けた数名の兵士が、不安そうな顔でうろうろしていた。周囲の騒動に少なからず動揺している。神崎はナイフを抜くと、彼等の背後から忍び寄った。
口を押さえて素早く物陰に引き摺り込み、喉を掻き切って静かに始末していく。
一人、また一人、と周囲にいた兵士を全て排除すると、神崎は音もなく指揮車に近づいた。
隠密行動は得意とする所、マイケルの言う「マスター・ニンジャ」も伊達ではない。
指揮車の後部ハッチは半ば開かれ、内部から灯りが漏れている。人の声はしないが、何故か動物の鳴き声のような音が聞こえる。野生動物でも入り込んだのだろうか。
――騒動の首謀者を生け捕りにして白州に引き出さねば。
と、思いつつ神崎は、暗視ゴーグルを額に押し上げ、裸眼で車内を覗き込んだ。
中では甥御が焼き豚のようにロープでぐるぐる巻きにされて、床に横たわり眠っていた。ガムテープで口を塞がれたまま、ムニャムニャ寝言を言っている。全く呑気なものだ。
「なんだよ、こいつの寝言かよ。ったくもう」思わず呟いた。「さてと……間に合ったのはいいが、他の連中はどこだ?」
背後から気配がして神崎は振り返った。
その瞬間、周囲に叩きつけるように銃弾の雨が降った。地面は抉られ、トレーラーのドアに幾つかの穴が穿たれた。銃声に気付いた焼き豚男が芋虫のように床をのたうち回り、ふがふがと、くぐもった悲鳴を上げた。
銃声と共に神崎は横に飛び退いたが、避けきれず流れ弾が足をえぐる。横目に見れば、銃弾は一丁のサブマシンガンからバラ撒かれていた。――敵は一人だ。
神崎は暗い地面を転がり、小走りに移動しながらマズルフラッシュの瞬く方へと撃ち返す。周囲ではグレッグの手によって火災が発生し、散発的に爆発音や銃声が響いていた。
(グレッグやマイケルは大丈夫そうだ。まだこっちの方に増援がやって来る気配はない)
一層大きくなった火災の明かりで、敵の正体が分かった。――腰巾着の猫背男だ!
「やっぱお前か猫背野郎! バカと一緒に焼き豚にしてやる!」
「ひっ、何で貴様が!」
神崎が銃口を向けると、猫背男はそばに止まっていたトラックの荷台の陰から銃弾を撒き散らし始めた。が、すぐに弾が切れ、男は舌打ちして銃ごと投げ捨てた。
神崎は猫背男に向かって発砲したが、男は体を翻してトラックの運転席側へと走っていった。
「どこへいく!」
神崎は車体ごと撃ち抜かんと、サブマシンガンで横薙ぎに撃った。運転席の窓ガラスが粉々に砕け散る。
と同時に、男は車の陰から転がり出て二丁拳銃で乱射しはじめた。
「あの男は渡さんぞ! 傭兵め!」男が叫んだ。
甥御には、まだ使い道があるのかと一瞬、疑問が神崎の脳裏を過ぎった。
そのスキをつき、男は奇声を上げながら必死の形相で神崎に突進してきた。
一発の銃弾がタクティカルスーツの隙間から神崎の肩に入り込む。
だが、神崎は倒れなかった。
「くたばるか! そんなもんでぇぇ!」血煙を上げ、神崎は叫ぶ。
苦悶の表情を浮かべながら、神崎は反射的に背中からサーベルを鞘走らせた。
火災の光を受け、赤く輝く刀身は禍々しさを帯び、神崎の怒りを代弁していた。
彼は身を低くしながら駿足で駆け寄り、距離を詰め、サーベルを上へと振り上げた。
一斬目――
二丁の銃身が中程から断ち切られた。
ギラリと刀身が燃えさかる炎を反射させると、振り上げた刀身が男へと真っ直ぐ振り下ろされた。ぐきゃり、と鈍い音がする。
「うぎゃああああああああああああああああ――ッ」
猫背の男は肩口を押さえ、悲鳴を上げながら地面を転がり回っていた。
「峰打ちだ、安心しろ。まだ貴様を殺しはしない」
神崎のサーベルが、猫背男の鎖骨を打ち砕いたのだ。そして、もう一撃。今度は男の足を砕いた。
「後で治療してもらえ」
と吐き捨てると、神崎はのたうち回る猫背男を拘束した。
指揮車の中を覗くと、焼き豚男以外は誰もいなかった。恐らく本来の首謀者は既に逃走したのかもしれない。
猫背男に聞き出す前に、神崎は無線で二人に連絡をした。
「こちら神崎、どうやら逃げられたようだ。一段落ついたらこっち来てくれ」
はあ、とため息をつき、「一杯食わされたかもしれん」と言うと、
『そうでもないぞ』グレッグの低い声がイアホンから聞こえてきた。
「どういう意味だ?」
『そのうち分かるさ』
交信を終了したあと、神崎は腑に落ちないまま彼等を待つことにした。
「さすがに、そろそろ誰か来るんじゃないのかなあ……」
傷の手当てをしつつ待っているが、一向に現れる気配がない。
この騒ぎが始まってから小一時間が経っている。いいかげん指示を仰ぎにやって来てもいい頃なのに、と神崎は思ってると、馬の蹄の音が近づいて来る。素早く身を隠すと、指揮車の前に十数人の馬に乗った民兵がやってきた。
(ん? あれは……)
神崎が顔ぶれを見ると、いくつか見覚えのある男がいた。
「どうしたんですか、皆さん」
神崎はぽかんとした顔で、彼等の前に姿を現した。
「遅くなって済まない。皆、拘束されていたのだ」
そう答えた馬上の一人は、アジャッル元副司令だった。
その他にも、大統領府のパーティで見かけた長老や部族の世話役の男達がいた。今回の政変を成功させるために、影響力のある古参の軍人や、地域の長老を押さえ込んでいたのだろう。
連れの若者たちが、トレーラーの中にいる大統領の甥を引き摺り出し、地面に転がった猫背男と一緒に拘束していた。
アジャッルが馬から降り、神崎のそばでひざまづいた。
「カンザキ君、今回は本当に申し訳ないことをした。我々が不甲斐ないばかりに、諸君らの多くを死に至らしめてしまった。心からお詫びをする」
「……ありがとうございます。どうか立って下さい、副司令」
「我々自身の不始末を全て君達に押しつけては、何のために独立したのか分からなくなってしまう。だから、ここからは我々も微力ながら戦わせて頂く。逃走中の首謀者達は、諸君からの連絡を受け、我々がさきほど取り押さえたところだ。どうか、安心してくれ」
「良かった……。これで俺も肩の荷が下ります……」
神崎は緊張が解け、大きく息を吐いた。それと同時に、猫背男に撃たれた傷がズキズキと痛み出した。
長老の一人が馬を降り、神崎に手綱を差し出した。
「お身内が大変だと伺っております、アーシェク、いや神崎殿。私の馬をお使い下され」
「お心遣い、感謝します!」
神崎は手綱を取り、炎を受けて黄金に輝く白馬に跨がった。
☆ ☆ ☆
副司令たちの計らいで空港に戻った神崎は、急ぎ帰国の途に就いた。
ありったけの武装を脱ぎ捨て、硝煙臭いボロボロの戦闘服のまま彼は、帰りの足の用意された滑走路へと向かった。
そこには、神崎専用機――ステルス戦闘機――がその翼を広げて主を待ち構えていた。
巨大な照明が周囲から空港一帯を浮かび上がらせている。滑走路には点々と光のラインが引かれ、その先に続く日本への航路を思わせる。神崎の心は沸き立った。
「途中で放り出してしまって済まない」
レイコから、僅かな私物の入ったサムソナイトのアルミのスーツケースを受け取った。中には愛用のノートPCやパスポートなどの貴重品と共に、あの絵本が入っていた。
(またこれで、俺は体一つになったわけか――)
「後のことはどうか我々に任せて、早く彼女のところに帰ってあげてください!」
「ありがとう、レイコ。ギャラは返上する」
彼はステップを昇り、戦闘機に乗り込んだ。
彼の搭乗した機体は、GBI社製の完全垂直離着陸を可能にした第六世代型戦闘機を、神崎専用にカスタマイズした特別機である。
電装系がオリジナルから軍事用サイボーグ用のそれに大幅に変更され、自立思考型支援AIが、端末に直結出来ない神崎にに替わって多くの作業を行っている。
この戦闘機は、多目標への同時攻撃や、衛星リンクを駆使した複数の無人機の制御などを可能としていたが、最早人間同士の戦争という規範から、大きく逸脱した存在でもあった。
主に忌み嫌われるこの機体も、今回ばかりは頼りになる相棒として、彼の力になるはずだ。
神崎は、自社衛星からダウンロードした最新の軍事施設の位置や、給油のタイミングなどの細かな情報を、慎重にナビゲーションシステムに逐一入力していく。
ただでさえ操縦が微妙に面倒なステルス機を駆って日本まで最短コースを通る以上、危険な地域や施設をギリギリで避ける曲芸飛行を続けなければならない。しかも途中一切の支援は受けられない、文字通り孤立無援の一人旅だった。
しかし、全ては麗のため。この一世紀半をムダにしないため。
ジェットエンジンが始動し、臨界に向けて唸り声を上げ始めた。接続されていたケーブルは全て外され、滑走はクリアになっている。
神崎は深呼吸を一つすると、操縦桿をゆっくりと倒した。
動き出した機体は機首を空の道へと向け、遙か日本を臨んでいた。
……待っていろ、今すぐ帰る。
「神崎有人、出る!」
アフターバーナーの光が渇いた滑走路を駆け抜け、急角度で天に昇っていった。
☆ ☆ ☆
一路日本までは、約八時間の長旅だ。燃料タンクを満タンにしていても、途中四度の給油が必要になる。神崎青年の駆る機体は、日出づる国に向かってひたすら飛んでいく。
最後の給油を終え、いよいよ日本の領海に入ったところで異変が起こった。
(どういうことだ? 手配が間に合っていない? 最悪堕とされることはあるまいが)
事前に本社から防衛庁への連絡を依頼していたはずが、スクランブル発進してきた空自の戦闘機に囲まれてしまった。
先ほどから識別信号も出しているし、所属や帰国の用向きなども説明しているのだが、出て行け、もしくはすぐ着陸しろだとか、話が全くの平行線を辿っている。
「さっきから何度も言ってるが、俺はGSS社所属の神崎有人だ。会社から防空司令部に連絡が行っているはずだ。確認してくれ!」
『そのような連絡はない。速やかに指示に従え。さもなければ、撃墜する』
(――撃墜?)
「どういうことだ。自衛隊は威嚇しかしないんじゃなかったのか?」
『つい最近法改正されたのだ。悪く思うなよ、未確認機』
そう言い終わらぬうちに、コクピットのディスプレイに警報が表示され、神崎の機体は自衛隊機にロックオンされた。
「ちょっと待ってくれ! 俺は死にそうな恋人に会いにいくだけなんだ。害意はこれっぽっちもない。頼む、黙って通してくれ!」
――来る!
殺気を感じた彼は、チャフをまき散らしつつ機体を翻し、雲の中にダイブした。
(奴ら、本気かよ!)
追っ手を撹乱しながら、彼は会社の回線に向かって必死に呼びかけた。
「おい、どうなってんだ! 本社聞こえるか! ナシついてんじゃないのかよ! このままじゃ俺撃墜されちゃうよ、なんとかしろ!」
『既に連絡してあるが、途中で指示が引っかかっているらしい。もう暫く善処してくれ』
「善処ってオイ、限度あるっての」
そうこうしているうちに神崎の機体は雲海を抜け、本州上空に差し掛かった。再び自衛隊機から複数の追尾ミサイルが神崎の機体目がけて放たれた。
(な、ここで撃つかよ! このクソッタレ共め!)
再びチャフを撒き散らしミサイルを躱す。自衛隊機を叩き落とす方が何倍も楽だ。
「バカヤロウ下を見ろ! 国民を殺す気か! 貴様らは、どこに向けて撃ってるんだ? 俺がここで墜ちたら街は大惨事だ!」
『うッ……』自衛隊機に狼狽える空気が漂った。
「黙って通してくれ! ……さもないと、俺はお前等全員、撃ち落とさねばならない」
張り詰めた空気の中、聞き覚えのある声が無線から聞こえた。
『こちら、横田防空司令部、幕僚の八巻だ。君は本当に神崎有人さんなのか?』
「久しぶりだな八巻さん。あれから禁酒は続いているか?」
『本物のようだな。先ほどGSS本社より連絡があった。こちらの不手際で通達が遅くなり、大変申し訳ない。機体の認識番号も確認した。そのまま神奈川方面に進入されたい』
「了解。恩に着る、今度メシでも奢るよ」
『光栄だ、神崎教官』
神崎を取り囲んでいた自衛隊機は、機体を翻して所属する基地へと帰っていった。
「待ってろよ……麗。もう目の前だ」
☆ ☆ ☆
東京、横田基地内の航空自衛隊防空司令部では、異様な空気が流れていた。
「誰が撃墜命令なんか出したんだ? 危うく僚機が蜂の巣にされるところだったぞ!」
濃紺の制服の胸に、何段もの略章を付けた初老の男が吠えた。
「相手はたった一機じゃないですか」隣にいる若い制服組の男が疑問を呈した。
「バカを言うな。誰が乗っていると思ってるんだ」
「え?」
「彼が本気なら、もうとっくに全員撃墜されて都心に侵入している……」
「はぁ……」
「我々のせいで、万一彼が身内の死に目に会えなかったら、ここにいる人間は皆殺しにされても文句は言えないぞ!」
司令室内が『皆殺し』の単語にどよめいた。
「どういうこと……なんですか?」
「彼とGSS社を本気で敵に回したら、日本など一瞬で灰燼と化すだろう」
顔を見合わせる自衛官たち。
「ところで、さっき彼の事を教官、って言ってましたね?」
「ああ、かつて彼は戦略インストラクターとして、自衛隊で教鞭を執ったことがある。私もその時学んだ一人だ。神崎教官は、世界各国の軍隊で佐官相手に指導しているのだ」
「一体……何者なんですか、この男は」
「私がこの世で一番敵に回したくない男だよ」
☆ ☆ ☆
――「猫」は、白猫とずっと一緒に生きていたかった。けれど、口にはしなかった。
――それは僕も同じだ。それが『いけないこと』だと思っていたから。
『でも、また白猫は、どこかへ行ってしまうのか?』
そんな自分は、百万回求める猫、
永久の時間を、足掻き続ける野良猫。




