15.不穏な作戦
「これがデスティニー……」
「…………」
男は芝居がかったように愛を囁いていたが、ノーナは時間がないことで焦っていた。四回目の魔法は、たった十三分しかないのだ。
ふたりきりで話すために半分ほどドアが開いていた部屋に入ると、先ほどまで会議でもしていたのか部屋の中は雑然としていた。誰もいないから都合がいい。
男から昨日の話を聞き出したいが、たとえ好きな相手であっても後ろ暗い話は隠したいはずだ。ノーナは男にどう話を切り出すか、寝る間も惜しんで考えてあった。
嫌々ながらも男に身体を寄せ、至近距離で上目遣いをする。正直なところ誰かを誘惑するなんてまったく自信がないものの、ノーナは魔法と恋の威力を知っていた。
「お兄さんの気持ち、嬉しいです。でも僕、ある人からしつこく迫られていて……どうしたらいいのか……」
「誰だそれは! ぼくが成敗してあげるから言ってごらん。ぼくたちは運命の赤い糸で繋がっているん……」
「狼騎士です」
「!!!」
余裕がなくて長々と語ろうとする男の言葉を遮ってしまった。けれどノーナが『狼騎士』と口にしたとたん、彼は細い目をめいっぱい見開いた。そしてわなわなと震え出し、絞り出すような声で「あんの&$#%野郎め!」と汚い言葉を吐く。
たとえ作戦だとしてもシルヴァのことを悪く言うのはつらくて、ノーナは手をきつく握りしめる。そんな様子に気づかない彼は楽しいことを思い出したようにニヤニヤと笑みを浮かべ、ノーナの頭を撫でた。
「安心していい。あいつはもう、ここに戻ってこない」
「え……ど、どうしてですか?」
「あいつを憎む派閥で、計画を立てたんだよ。狼には、遠征地で大怪我を負ってもらう」
「!! ……そ、そんなことが可能なんでしょうか。彼はすごく強いと聞きました」
あぁ……ノーナの悪い予感は当たってしまった。視界の隅に闇が忍び寄ってくる。噂が立ち始めた時からそこにあって、見たくないからと無視してきた悪意の塊だ。
男は昨日の不安げな様子もどこへやら、朗々とノーナに説明してくれた。
話によると、そもそもシルヴァは北の砦に向かう予定はなかったらしい。いつも通り南での戦闘の中心人物として上層部が指示を出そうとしたところ、彼を気に食わないと思っている高官が北への遠征をごり押しした。
普段なら一蹴されるその主張が通ったのは、シルヴァにノーナとの噂が立っていたからだ。ある人は堅物の若者に嫌がらせをしてやりたい意味で、またある人は恋愛にうつつを抜かしていないで反省しなさいという意味で、シルヴァの北への派遣を支持した。
南へ行けば武功を立てさらに幹部への階段を一歩上る可能性もあるが、北では戦闘が起きていないためその可能性もない。それに冬を目前とした北への旅は、単純に過酷なものになることが予想されるのだ。
男は噂の相手が目の前にいるとは微塵も思っていないに違いない。いいタイミングで最高の醜聞がでたと喜んで、ぺらぺらと話し続けている。
これを機にシルヴァを蹴落とそうと、彼らは作戦を立てた。北の砦に常駐する人員を入れ替えるため、来週にも十数名の騎士団員が王宮から出立するそうだ。そのなかにシルヴァを憎む派閥の一員が混ざっていて、現地で油断している彼を罠にかける予定らしい。
ノーナは詳細な計画をなんとか聞き出そうとするけれど、男は途中で話を切り上げ「ね。だから、大丈夫。安心して、ぼくだけの恋人になってほしい」などと脱線して口説いてくるので聞き取りは難航した。
部屋にある時計を見て、そろそろ頃合いだと諦める。男と一緒に部屋を出てから、ノーナは彼にお願いした。
「忘れ物をしたから、ここで待っていてくれますか?」
「もちろん! 君のことなら、いくらでも待てるよ」
……恋をしても名乗らず、相手の名前さえ訊かない人もいるようだ。
ノーナが男を置いて少し離れたところから見ていると、唐突に彼は(なんでぼくはこんなところに立っているんだ?)と言わんばかりに首を傾げ、立ち去っていった。
はじめて、ノーナは惚れ薬を失敗なく使えた。それに上手く誘導したことで欲しかった情報も得ることができたし、少しくらい達成感を感じたっていいはずだ。でも……
(どうしよう……シルヴァさんが、危ない!)
やはり昨日の話の内容はシルヴァを害するためのものだったのだ。しかも、ノーナとの噂が作戦の後押しをしてしまっていた。
ノーナのような男との噂だけでも、将来有望な若者にとって不名誉なことだ。噂は変化し、今ではシルヴァが悪者のように言われてしまっている。
ここに来て遠征先が北へと変わったこと。さらには彼を害する計画まで立てられ、着々と準備が進められていること。
すべてが――ノーナのせいだった。
足元が抜けて深淵に放り出されたような絶望と、押しつぶされそうなほど重い罪悪感が同時に襲ってくる。こんなにもシルヴァに迷惑をかけて、取り返しがつくのだろうか。
その場で立ち尽くしていたとき、さっきノーナたちがいた部屋から慌てた様子で人が出てきてノーナはギョッとした。よく考えたら奥にもう一つ扉があったような……? とはいえ、人がいたなんて思いもしなかった。
「あの! すっ、すみません!」
「え? あ、あなたは……」
顔見知りだったこともあり、ノーナは彼を元の部屋に両手で押し込んだ。相手は騎士団本部にいる事務官の男の子だ。
突然現れたノーナの行動に目を見開いている。当然だ。
彼は薄い水色の髪をしていて、背中まで長さがあるためいつも首の後ろで結んでいる。騎士団の中では背が低めかもしれないがノーナよりはもちろん大きいし、細身ながらも触ったかんじは筋肉がしっかりとついていた。
騎士団本部の事務官にはそのために雇われた人と、怪我などの理由で騎士を続けられなくなった人がいる。彼は後者だろう。
騎士団本部へ書類を持っていくとノーナにも挨拶してくれる人当たりのいい子で、シルヴァと同い年くらいに見える。確か、ピークスと仲がいいのもこの子だったはずだ。
ノーナはもしかしたら会話を聞かれていたかもしれないと思い、背筋に冷や汗が伝っていく。なにから訊けば、と口ごもっていたノーナに、先に質問してきたのは相手だった。
「答えて下さい。数分前この部屋にいました?」
「はい、えーっと……事務官の方ですよね」
「パテルです。さっきの話、詳しく聞かせて貰えますか?」
「っ! いっ……」
急にパテルはノーナの腕を掴み、背中側に捻り上げた。流れるような動作で拘束され、非力なノーナに抵抗手段はない。
やはり話を聞かれていたのだ。痛みに呻きながら、彼はどっち側なんだろうと瞬時に考える。
もしシルヴァの味方だったら、なんとか説明して分かってもらいたい。彼なら内部の人間だし、企みを阻止することに協力できるはずだ。そしてギリギリとノーナの腕を押さえつけてまで、彼が怒っているということは……
「僕は、ウィミナリス様の味方です!」
「嘘をつくな」
「さっきは情報を得ようとしていたんです。なんとか彼を救いたくて」
「……本当に? 証拠はあるのか。あの男とずいぶん親しげだったな」
証拠はない。でもパテルがシルヴァ側だと判断できたことで、ノーナは勝負に出た。
情けないが今できるのは……惚れ薬の件も含めて、正直に全部話すことだ。簡単に信じてもらえるとは思っていないが、情報を洩らした男の態度を説明する方法が他になかった。
彼はピークスと似たところがあるようだ。ノーナが事実を話すにつれて疑わしげな表情から真剣な表情へと変わり、最後は拘束を解いて呆れた顔をしながらも耳を傾けてくれた。
シルヴァが好きだから、自分は彼の危機を排除してから離れるつもりなのだと話し終えたときには、パテルは目の前で「はぁ〜っ」と大きなため息を吐いたのである。
「ねぇ……きみ、馬鹿なの?」
「おっしゃるとおりで……」
「ピークスが言ってたのはノーナさんのことだったのか。正直、魔法の薬については信じられないけど、問題が起きかけているのは分かったよ。恐ろしいほどおっちょこちょいな親友がいるって聞いてたから」
恐ろしいほど、と言われてもノーナは言い返せない。今だって、完璧にミッションを達成したと思っていたのに結局話を聞かれていたのだ。
パテルは「ごめん、年上だと思えないから敬語じゃなくていい? 俺にも敬語使わなくていいから」と言ってくれて、ノーナはほっとした。
彼も貴族出身だろうに、気兼ねのない良い人だ。切れ長の目が特徴の涼しい顔が今は疲れて見えるのは、明らかにノーナのせいなので申し訳ない。最終的に、パテルは自分がなんとかすると言ってくれた。
ノーナの話は六割方信じてくれたような感じだ。やっぱり惚れ薬なんてものの存在を信じるなんて、長年の付き合いがあるピークスくらいじゃないと難しいだろう。あのときだって説明にすごく時間を要したのだ。
パテルもあの男が話す計画を聞いていたからこそ、問題についてはちゃんと認識してくれているようだった。
「俺に任せて。シルヴァ様は騎士団の宝だ。あの人なら自分でなんとかしちゃう気もするけど……俺の方でも調べてから、必ず防いでみせる。ノーナさんは噂のこともあるし、これ以上目立つことは避けた方がいい。ピークスを通じて連絡はするからさ」
さっそく味方になってくれそうな心当たりに相談してみる、とパテルは部屋を去っていった。
ひとり残されたノーナは、解決の糸口が見えてほっとしたような、問題から切り離されてどこか寂しいような感情を持て余していた。
どこまでもシルヴァに関わっていたいと思ってしまう心が我ながら浅ましい。恋ってこんなに粘ついた、醜いものだっただろうか。
少し前まで雑然としていた部屋はきっちりと片付けられていて、この部屋みたいに、パテルなら心配するまでもなくササッと解決してくれるかもしれないと思う。
これでいい。ノーナは問題に気づき、裏を取って騎士団関係者に伝えることができた。パテルの言うとおり、シルヴァなら味方に騙されても簡単に怪我を負ったりしないだろう。
彼の前から消えるつもりのノーナがこれ以上できることはない。あくまで騎士団内部の問題なのだ。
もうノーナにできるのは、噂が消えるようなるべく早急に王宮を立ち去って、シルヴァの無事を祈ることだけだ。今度こそ、それでいい。
退職が受理されるまで、目立たないようにして過ごそう。
精神的に疲れた気持ちで経理局へ戻ると、待っていた顔でトゥルヌスさんが話しかけてきた。残念だけど、と前置きして彼は宣告する。
「ノーナ、書類が受理されたよ。もう来週から、来なくていい。今までお疲れさま」




