12 エメラルドグリーンの空
エメラルドグリーンの空に、穏やかな白い雲がゆっくりと流れていく。
眩しいほどの美しい日差しが降り注ぐ午後の光の中に、その異様な空間は、堅牢な城壁に囲まれて存在していた。
城壁の根元には、ここが砂漠の只中であることを忘れさせるような瑞々しい木々が群生し、張り巡らされた運河からは豊富な水が音を立てて流れている。
その中央に広がるのは、まるで巨大な飛行船の港湾を思わせる広大な空間。
そしてその中心には、すでに完全なる姿へと建造が終わった、巨大な船のような「それ」が圧倒的な威容を誇って鎮座していた。
建造物の内部は、セミの羽の模様を模した有機的な意匠のフレームに、全面ガラス張りのファサードがはめ込まれた、目が眩むような吹き抜けの巨大空間となっていた。
造船所のカンチレバークレーンから突き出たジブのような無機質な構造物が、空間を横切るように不気味に横へと伸びている。
中央に敷かれた鮮烈な赤絨毯の通路。
その両脇には、片側に五つずつ、計十基もの『人脳器』が、まるで生贄の祭壇のように設置されていた。
その傍らには、結晶体が鈍く光る『石の脳』が収められた円筒形のケースが差し込まれている。
それぞれから伸びるディヴァイン・フィラメント(神の繊維)で織り込まれた神経ケーブルは、まるで巨大な脊髄のように太く束ねられ、複雑怪奇な回線となって人脳器や石の脳と巨大生体兵器の巨体に絡み接続されていた。
その巨大な建造物の先端。
白地に金色の縁取りが利いた高貴な礼服をまとった金髪の美しい少年――皇子は、どこか憂いを帯びた表情で、透明なファサードに映るエメラルドグリーンの空を見つめていた。
「忌々しい空の色だ」
少年が低く、しかし凛とした声で呟くと、背後から一人の従者が静かに歩み寄った。
「皇子」
呼びかけられた皇子は、空から従者へと、その鮮烈なブルーの瞳を移した。
「ここの空は、緑色の濁りが一段と強いな」
「はい。ここは外の世界に近い故、瘴気が空を厚く覆っているのです」
ここデンサ要塞は、人間が立ち入ることを許されない『神の背』に最も近い場所だった。
この厳峻な山脈を越えれば、その先にはかつて人類の希望であった、広大で豊かな大地が広がるはずなのだ。
「その影響で水資源は奪われ、人類は枯れゆく土地に追いやられた」
皇子は自らに言い聞かせるように、静かに、だが熱を孕んだ声で語る。
「私が、かつての青い空を取り戻す」
それは、皇子が己の魂に刻んだ絶対の誓いだった。
だが、それは同時に、数え切れないほどの無辜の屍を積み上げ、血の海を渡らねば決して辿り着けない茨の道でもある。
神の秩序に逆らい、国を滅ぼし、幼い子供の脳すら兵器に変える己の凄惨な罪。
それを正当化するためには、この大義名分を、呪詛のように自分へ投げかけ続けなければならなかった。
揺るぎない覚悟と狂気を象徴するように、彼の真っ直ぐな瞳は、かつて失われた美しい空の色――スカイブルーに輝いている。
しかし、従者がここに赴いたのは、皇子の感傷に付き合うためではない。
主の横顔からその事実を敏感に読み取った皇子は、ふっと表情を切り替えた。
「ところで、用件は何だ?」
「バジル大佐が、謁見を請うております」
従者の報告を聞き、皇子の眉が僅かに動く。
エルウイの暗殺を命じていたはずだ。
その作戦の成否、そして経過がどうなったのか、皇子としても無視できない案件だった。
「わかった。通せ」
その頃、重厚な扉の入り口では、バジルが皇子からの謁見許可が下りるのを静かに待っていた。
さすがの彼も、今回のエルウイ暗殺失敗、そして人脳器(少女)の喪失という出来れば黙っておきたい最悪の報告をしなければならないとあって、その食えない顔にいつもの余裕はない。
ギィ、と扉が開き、バジルは気まずさを圧し殺しながら一歩を踏み出した。
不気味な十基の人脳器が並ぶ、赤いカーペットの通路。
その遥か先、冷徹な美しさを湛えて待つ若き主に向かって、バジルはゆっくりと歩みを進めるのであった。
赤絨毯が敷かれた通路の両脇には、一〇基もの人脳器が不気味に並び、微かな駆動音を立てている。
赤絨毯が終わりを告げるその先。
ファサードから差し込む強烈な日差しが、若き支配者の背後で輝きを増し、まるで神々しい後光のように彼を包み込んでいた。
白地に金のフチが施された礼服、眩い金髪の三つ編み。そして、すべてを見透かすような冷徹なブルーの瞳を持つ皇子の両脇には、人工筋肉のボウガンを携えた二人の付き人が、微動だにせず控えている。
カーペットを歩き切ると中央に皇子と両脇に従者が立っていた。通路の先端はファサードから差し込む日差しで後光のように明るくなっている。バジルは一礼する。
皇子が口を開く。
「バジル大佐。久しぶりだな」
「皇子。元気なお姿を拝見できて大変うれしく思います」
バジルはあえていつも通りの、慇懃無礼とも取れる定型的な挨拶を返した。
だが、皇子はそんな形式的なやりとりなど、初めからどうでもよかった。すぐに本題へと踏み込んでくる。
「エルウイに人脳器を開けられ、森林の子は奪われたそうだな」
――チッ、耳の早いことだ。
バジルの頬を、一条の冷や汗が伝う。片方の眉がピクリと不自然に跳ね上がった。エルウイが人脳器の中身を暴き、少女の生体を連れ去った事実。モトラ兵としての失態であり、可能であれば都合よく報告を濁したかった案件だったが、すでに筒抜けだった。
バジルは小さく息を吐き、素直に肯定するしかなかった。
「ご存じでしたか」
激昂されるか、あるいはその場で処分をされるか。バジルは内心で最悪のシミュレーションを巡らせたが、皇子の反応は意外なものだった。
彼は怒るどころか、まるで怯える子供を安心させるかのような、穏やかな声音で語りかけてきた。
「私も人脳器で暗殺できると思ったが、我々はエルウイの力を甘く見ていた」
皇子は爽やかにニコッとして腰に手を当てながら、この異形なる戦艦の心臓部で、自信に満ちた心に響く声で告げた。
「次に必要な時は私の新しい力・・・メテオプラントを授けよう」
この艦橋の足元に据えられた、上下逆さの二連装砲塔。地上の術者が座標を指定すれば、上空から絶対的な破壊の主砲が撃ち込まれる。
――神の秩序に抗うための「禁忌の魔法」が、今、バジルに委ねられようとしていた。
従者はあわてて、皇子を制止する。
「皇子、いくら皇子といえどもエルウイに直接手を出したら死罪ですよ!」
エルウイは、あらゆる者から狙われているが、正当防衛として、その場で処刑する権限を持っている。皇子も例外ではない。
メテオプラントの広大な艦橋に、張り詰めた緊張感が走る。
「人類」の秩序そのものであるエルウイの権能は絶対であり、それは最高権力者たる皇族であっても縛る鉄の掟。
せっかくの威厳に満ちた宣言を遮られた皇子は、かっこつけたかったのにーと不満な顔で、手ではらうポースをとる。
「わかっている。だからこそ法が届かぬ・・・ここに私は来た。」
自信ありげにニコリとする皇子の瞳は青く輝き、その髪は陽の光で金色に輝くのであった。
微かな雑音すら存在しない、水を打ったように静まり返った艦橋。
ファサードから差し込む陽光の中で、皇子の不敵な笑みだけが、神の秩序に公然と反逆を翻すように眩しく、そして美しく燃えていた。




