11 プロローグ
頭上に広がる群青の海は消え失せ、天は神の緑に染まりぬ。
主は巨樹の葉を茂らせて光を遮り、人の歩みを老廃物と見做される。
砂漠に遺された民は、ただ翠玉の深淵を仰ぎ、裁きを待つのみ。
――カレン教聖典より抜粋
激闘の爪痕が深く刻まれたデンサ要塞。
地上から見上げるその先には、先ほどの戦いで人脳器によって無惨に破壊されたテラスが、今にも崩れ落ちそうな姿を晒していた。
そこはつい先刻、狙撃手リオが容赦ない瓦礫の下敷きになった場所でもある。
散らばる瓦礫の合間に、二人の男女が静かに佇んでいた。
その周囲を、赤い形状の刃を斜めに立てて警戒する三匹の赤刃兵が厳重に警護している。
男の名はバジル。
モトラ兵の藍色の正規兵制服をスマートに着こなし、長身の体を少し怠そうに揺らしている。
きっちりと撫で付けられたオールバックの髪型に、何を考えているのか読めない、いかにも「食えない顔」をした男だ。
その傍らに控えるのは、彼の副官であり秘書でもある女性、カリーナ。
同じく藍色の制服を身に纏い、頭には鮮やかな赤いベレー帽をかぶっている。
ショートカットの髪から覗く大きな瞳は、どこか冷徹な光を宿していた。
その背には、彼女の愛銃である、人工筋肉が組み込まれた精緻な狙撃用ボウガンが背負われている。
「すごい破壊力だ」
バジルは、見上げるほどに破壊されたテラスを見つめ、感心したように素直な声を漏らした。
人脳器という生体兵器がもたらした圧倒的な暴力の痕跡を、まるで芸術品でも見るかのように称賛している。
カリーナはそんな上官を他所に、表通りの方へと数歩歩き、不意に振り返った。
その特徴的な大きな瞳が、まっすぐにバジルへと向けられる。
「そろそろ行きましょうか。あちらです」
彼女が視線で示したのは、廃墟と化した破壊されたカフェの入り口だった。
太い鉄骨が、まるで飴細工のように無残にねじ曲がっている。
その薄暗い奥底から、焦茶緑色のハッチを大きく開けた人脳器の巨体が、不気味に浮かび上がっていた。
入り口の周りには、現場を厳重に警備する兵士たちや、ハッチの内部に見入るようにして調査を進める技術兵、さらに忙しなく報告を交わす指揮官たちの姿で溢れかえっている。
バジルは、軍靴の音を響かせながら堂々とその中心へと歩を進めた。
「ご苦労さん」
すれ違いざま、バジルが軽い調子で声をかけると、周囲の兵士たちは一斉に鋭い敬礼を送り、モーゼの十戒のように左右へと通路を開けた。
兵士たちの真ん中を悠然と通り抜け、バジルは人脳器のハッチの縁に手をかけ、ぐっと身を乗り出した。
ハッチの内部には、黄緑色の脳みそのような異形の臓器が蠢いたまま残されていたが、その中央はぽっかりと不自然に凹んでおり、緑色の粘液が濁った水たまりのように静かに溜まっている。
「中身は連れていかれたか」
バジルはその光景を見つめながら、相変わらず本心の見えない食えない顔で、わざとらしくため息をついた。
「あーあ、派手に倒してしまったよ。人脳器でも殺れないって……」
淡々と、どこか他人事のように喋り続けるバジルを、カリーナは一歩引いた位置から冷ややかな横目で睨み据えていた。
彼女が気にしているのは、人脳器の中身よりも、刻一刻と迫る時間のことだった。
「バジル大佐。午後から皇子の謁見がありましたね。そろそろ戻られた方がよろしいのでは」
バジルは人脳器から視線を外し、ゆっくりとカリーナの方へ振り返った。
その歪んだ唇に、ニヤリとした薄笑いを浮かべる。
「エルウイ、とんでもない化け物だ」
最強の騎士の実力をそう称賛したあと、バジルは親しげに声を潜めた。
「カリーナちゃん。代理で行ってきてくれ」
そう言い切るよりも早く、カリーナは途中で言葉を被せるようにして、露骨に不満な表情を浮かべた。
「嫌です!」
ぴしゃりと断言され、バジルは一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くした。
だが、すぐにいつものニヤニヤとした表情に戻り、肩をすくめる。
「返事するの早いよ」
砂漠の世界には珍しい、穏やかな日差しが降り注ぐ昼下がり。
バジルは気を取り直したように歩き出し、この絶対的な秩序の黒幕である皇子が待つ、デンサ要塞の中心部へと向かって歩みを進めるのであった。




