1 砂漠の境界線
ルーブランド難民のトレン、難民受入国サンブルグ国籍のリオ、そして占領国モトラ国籍のエルウイ。
それぞれの国籍が違い以前は敵対していた三人の兵士、彼らにチームワークは存在しなかった。
金だけのつながりの彼らは任務を達成できるのか?
ガチリと重々しい金具の弾ける音がケースの中に響いた。
「ねえ、念のためさあ、中身確認していい?」
密閉された暗闇の内に滑り込んできたのは、若い女テロリストの声だ。
ぎらぎらとした太陽が照りつける、人気のない国境の崖地帯。遮蔽物のない砂漠の谷底で、その言葉に商人が鼻を鳴らす。
「かまわんよ」
直後、ケースの蓋が左右に跳ね上がった。
強烈な昼の陽光が差し込み、三人の影が箱の中身を覗き込むようにして現れる。真ん中で蓋を支えている女テロリストと、その左右を固める二人の男たち。
彼らはケースの底に鎮座する『それ』を目にした瞬間、一様に息を呑み、声を揃えた。
「おお……」
『それ』は革張りのくちばしが、まるで大きなカラスの頭部のように三羽、暗がりに横たわっている。
「金だ、確認しな」
テロリストの男の一人が、ずっしりと重い革袋を商人に手渡した。
受け取った商人は紐を解き、中身の硬貨の輝きを確かめると、その唇を歪めてニヤリと笑う。
その法をあざ笑う密売の全容を、頭上の崖の上から見下ろしている二つの影があった。国境警備隊としてこの荒涼とした地をパトロールしていたトレンとリオは、たまたまこの違法取引の現場を目撃したのだ。
「いつの時代もどこの場所でも、国境ってのはよぉー。不法入国やら密輸やら、犯罪だらけだ」
ルーブランド難民のトレンは、無意識に左の二の腕をすくめた。
そこには、矢をも容易く弾き返す頑強な鋼の肩当が鈍い銀光を放っている。しかし、その肩当の先にあるはずの左腕は、三年前の悲劇によって肘の少し上からばっさりと切り落とし、今はただ短い袖が風に揺れているだけだった。
照りつける太陽の下、トレンは鋭い眼光で眼下の取引現場の様子をうかがい、冷静に戦力を弾き出す。
「……敵の数が多いな」
彼らの装備は、一般の兵士と変わらないありふれた国境警備隊のものだ。
隣でどさりと胡坐をかき、驚くほど自然な動作でボウガンを構えたサンブルグ国籍の男――リオが構えるのも、支給品のボウガンだった。弓が存在せず、内部の人工筋肉によって矢を撃ち出すその兵器は、成人男性なら片手でも持てる重量でありながら、有効射程距離は三百メートルに及ぶ。
リオは黒いサングラスの奥の瞳で、スコープもついていない剥き出しの銃身越しに、ニヤニヤとした不敵な笑みを浮かべたまま標的の動きを見定めた。砂漠の強烈な照り返しを遮るレンズの向こうで、その野生の視線はすでに敵を捉えている。
「大丈夫だ。俺がついている」
自信たっぷりに言い放つ小太りのスナイパー。
トレンが前線で派手に目立って敵の注意をすべて引きつけ、その背後からリオがサングラス越しに冷酷に必殺の矢を撃ち込む。それが金だけで繋がった二人の、最も確実な戦闘スタイルだった。
「リオ、援護を頼む」
トレンは低く言い残すと、激しい砂塵と直射日光から頭部を保護する防砂フードをバサリと深く被った。
彼は迷うことなく、崖の下の悪党どもめがけて真っ逆さまに飛び降りるのだった。
ドォン! と、凄まじい砂煙を上げてトレンが崖下に降り立った。
膝を深く曲げて着地の衝撃を逃がし、ゆっくりと顔を上げる。
不意を突かれた密売現場の空気が、一瞬で凍りついた。
「おいおい……空から人が降ってきたぞ」
テロリストの男が、呆然と目を見張りながら呟く。
「あの服……国境警備隊じゃない?」
佇む女テロリストが、トレンの制服をじっと凝視した。
その顔立ちには、ぱっちりと大きな瞳が印象的に配置されている。
しかし、その大きな目は熱を帯びることもなく、冷ややかなジト目となってトレンを無感情に見下ろしていた。
ただの構成員とは思えない、底知れない強者の雰囲気をまとっている。
「チッ、見張りは何をやっていたんだ!」
もう一人の男が、頭上の崖を振り返りながら忌々しげに吐き捨てる。
三人の視線、そして商人の冷たい目が一斉にトレンへと集まった。
その圧倒的なアウェイの渦中で、トレンは腰に忍ばせた愛用武器の柄に右手をかける。
ズシリ、と右腕に凶悪な重量感が伝わった。
昼の強烈な光を浴びて、近接戦闘専門の重厚なモーニングスターがその全貌を現す。
無骨な柄の先端に鎮座する、太いトゲの生えた鋼鉄の塊。
唯一の右腕でその柄を力強く握り締め、トレンはふんぞり返って不敵に吠えた。
「国境警備隊だ。てめえら、おとなしく捕まりやがれ!」
だが、違法の武器を扱う商人は怯える素振りすら見せなかった。
トレンの剥き出しの右腕と、失われた左腕を眺め、鼻で笑う。
「ふん、バカめ。そんな棒切れ一本で、俺たちに勝つ気か?」
商人の合図とともに、周りのテロリストたちが各々、支給品と同型のボウガンを一斉に構えた。
内部の人工筋肉が張力を蓄積して、無数の銃口がトレンを包囲する。
さっきまでケースの中に収められていた、カラスの頭部のような不気味な密輸品に手を伸ばすまでもない、と言わんとばかりの余裕だった。
しかし、トレンの表情に焦りはない。
彼はさらに声を張り上げた。
「ケッ、すでにお前らは、俺の味方に包囲されているんだよ!」
―その言葉を崖の上で聞いたリオは、持っていたボウガンの銃身を、危うく地面に落としそうになった。
「……あのバカ、何言ってんだ」
リオはサングラスの奥の目を思い切り細め、心底あきれ果てていた。
スナイパーの存在を自分から敵にバラす奴がどこにいる。
しかも、トレンの立ち位置は最悪だった。
リオの射線上に、トレンの体が思い切り被っているのだ。
これでは撃てない。おまけに、ここで引き金を引けば、リオ自身の潜伏場所も一発で敵に割れてしまう。
まったく無駄玉を撃つわけにはいかないのだ。
(まさか、なんの策もなく真っ直ぐ崖から飛び降りるなんてな……。とりあえず、今は撃てるチャンスじゃない)
リオはボウガンから完全に手を離した。胸ポケットからタバコを一本引き抜き、ライターで火をつける。タバコの煙を気だるげに吐き出しながら、崖下の「見物」を決め込むことにした。
一方、崖下。
トレンは、一向に響かない風切り音に冷や汗を流していた。
「……あれ? 援護が来ねえ!」
トレンの目は泳ぎ、ハッタリのメッキがベリベリと剥がれていく。
それを見逃すほど、目の前の悪党どもは甘くなかった。
商人が勝ち誇ったように唇を歪める。
「ククク……味方に見捨てられたのかね。面白い、なぶり殺しにしてくれるわ」
「覚悟しろよ」
テロリストの男が、ボウガンの引き金に指をかける。
「ふふ、やっちゃっていいのね♡」
腰の刀に手をかけた女テロリストが、妖艶な、しかし冷徹なジト目のまま、楽しげな笑みを浮かべた。彼女から放たれる剣気の鋭さに、トレンの背筋が冷たくなる。
包囲が急速に狭まる。ボウガンの硬い銃身が、トレンの視界を埋め尽くした。
トレンはモーニングスターをだらりと下げ、引きつった笑みを浮かべる。
「ま、待て! 話し合お――」
「うるせえ!」
商人の怒号を合図に、無慈悲な暴行が始まった。
バキ! ドカ! ベキッ!
「うげぇ!」
「ぐがっ!」
ボウガンの重い銃床で殴られ、腹に硬いブーツの蹴りを叩き込まれる。砂埃の中に転がされ、なす術もなく踏みつけられるトレン。短気なプライドも、ひねくれた理屈も、数の暴力の前には消し飛んだ。
地面に這いつくばり、砂まみれになったトレンは、意識が遠のく中で最後の力を振り絞った。肺にあるすべての空気を吐き出すように、頭上の崖へ向かって絶叫する。
「リオォォーーーーッッ!」
その悲痛な叫び声が、乾燥した谷底に虚しく響き渡るのだった。




