第59話 霧の国、笑う人形
――水の国ルナリスを出て、数日。
海風が消えた。
代わりに、肌にまとわりつく湿り気が増える。
空が低い。
雲じゃない。霧だ。
白い膜が、世界の輪郭をぼかしている。
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「……ねえ」
ミナが、袖を握った。
「この霧……いや」
水の時とは違う怯え方だった。
冷たいものに触れた時みたいに、声が小さい。
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道標が見えない。
なのに、不思議と迷わない。
霧の向こうから、同じ鈴の音が聞こえるからだ。
ちりん。
ちりん。
子どもの笑い声も混じっている。
ふわり、と。
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「……歓迎、か」
レインは息を吐いた。
この手の「穏やかさ」は、危ない。
ルナリスで学んだ。
美しさは、首輪にもなる。
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霧を抜けると、門が現れた。
石の城壁。
尖塔。
そのすべてが白く霞み、夢の中みたいに遠い。
門には文字。
霧の王国ヴェイル
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そして――
門の前に、人形が立っていた。
等身大。
木でできた子どもの姿。
関節の軋む音が、霧の中でよく響く。
口元が、笑っている。
目が、笑っていない。
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人形は頭を下げ、澄んだ声で言った。
「ようこそ、ヴェイルへ」
「旅人さま。どうか――穏やかに」
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ミナが、ぞくりと肩を震わせた。
「……人形が……しゃべってる……」
「魔術具だろ」
レインはそう言いながら、目を細めた。
“しゃべる”こと自体は珍しくない。
だが――
声が、あまりに整いすぎている。
感情の揺れがない。
息遣いもない。
まるで、台本を読んでいる。
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人形の背後から、人が出てきた。
霧色の外套。
柔らかい笑顔。
老若男女、みんな同じような笑顔だ。
そして――
みんな同じ言い回しで、同じように頭を下げた。
「ようこそ、ヴェイルへ」
「どうか――穏やかに」
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レインの背中が、少しだけ冷える。
(同じ言葉。
同じ抑揚。
同じ間。)
人が揃えているんじゃない。
揃えさせられている。
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ふと、ミナが小さく呟いた。
「……みんな、笑ってるのに……」
「……目が、助けてって言ってる」
レインは頷かない。
否定もしない。
ただ、霧の奥を見た。
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その時。
草むらに落ちていた小さな水晶が、淡く光った。
配信記録カメラ。
国境を越えるたびに、回線は切り替わる。
――ここは、新しい国。
つまり。
視聴者は、また一人から。
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レインは水晶を拾い上げ、魔力を少し流す。
ぴっ、と小さな音。
画面が点いた。
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配信画面の端に、新しい数字が灯る。
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視聴者:1
【え?霧すご】
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すぐに、もう一つ。
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視聴者:2
【初見です!ここどこ?】
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さらに。
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視聴者:3
【音ヤバい、鈴鳴ってる】
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レインは、口元だけで笑った。
「……回線、立ったか」
ミナが不思議そうに見上げる。
「……また、見られてるの?」
「ああ。ここからは、この国の視聴者だ」
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門の前の人形が、再び動いた。
首が、ゆっくり傾く。
「旅人さま。記録は必要ですか?」
レインの眉が、わずかに動く。
「……何の話だ」
「あなたの旅の“事実”を、王国は守ります」
「だから、安心してください」
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言葉は優しい。
だが、意味が刺さる。
“事実を守る”。
言い換えれば――
事実を、管理する。
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周囲の住民が、にこやかに頷いた。
同じ角度で。
同じ速さで。
まるで、糸で操られているみたいに。
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視聴者:5
【住民のノリが同じで草】
【なんか怖いんだが】
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霧の中、子どもが走っていく。
笑い声。
その子は、転びそうになっても笑っている。
痛くないわけじゃないはずなのに。
悲しくないわけじゃないはずなのに。
笑っている。
笑うしかないように。
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ミナが、レインの背に隠れる。
「……ここ……いや……」
「分かった」
レインは短く答える。
そして、ゆっくりと霧の国へ足を踏み入れた。
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門を越えた瞬間。
街の空気が、ぴたりと揃った。
鐘が鳴ったわけじゃない。
合図もない。
なのに――
通りの人々が一斉に、同じ方向を向いた。
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霧の奥。
石造りの高い建物。
そこに掲げられた紋章が、ぼんやり見える。
羽根ペンと、鎖。
――記録の紋。
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レインは、確信する。
(情報だ)
(この国は、“記録”で縛ってる)
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視聴者:8
【平和そうなのに圧ある】
【笑顔が怖い国初めて見た】
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人形が、最後にもう一度頭を下げた。
「どうか、穏やかに」
同じ言葉。
同じ笑顔。
同じ声。
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レインは、霧の向こうに目を細めた。
「……殴れない敵、更新だな」
ミナが小さく言う。
「……ねえ、レイン」
「なに」
「……忘れたら……どうなるの?」
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その問いに、答える前に。
通りの端で、誰かが小声で叫んだ。
「その話は、するな」
言った本人が、はっとして口を塞ぐ。
周囲の住民が、笑顔のまま距離を取る。
笑っているのに、逃げている。
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霧が濃くなる。
鈴の音が近づく。
ちりん。
ちりん。
そして――
道の真ん中に、また一体。
笑う人形が、立っていた。
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その口が、ゆっくり開く。
「旅人さま」
「“忘れてはいけないこと”は、ありません」
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ミナの指が、ぎゅっと震えた。
レインは、息を吐く。
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「……あるさ」
小さく。
だが、確かに。
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「だから俺は――ここに来た」
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視聴者:12
【今の台詞かっけぇ】
【霧の国、絶対ヤバい】
【続き見たい】
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霧の王国ヴェイル。
穏やかに笑う国。
――その笑顔の奥に、何が隠されているのか。
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(第59話・完)




