表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

59/105

第59話 霧の国、笑う人形

 ――水の国ルナリスを出て、数日。


 海風が消えた。


 代わりに、肌にまとわりつく湿り気が増える。


 空が低い。

 雲じゃない。霧だ。


 白い膜が、世界の輪郭をぼかしている。



「……ねえ」


 ミナが、袖を握った。


「この霧……いや」


 水の時とは違う怯え方だった。


 冷たいものに触れた時みたいに、声が小さい。



 道標が見えない。


 なのに、不思議と迷わない。


 霧の向こうから、同じ鈴の音が聞こえるからだ。


 ちりん。

 ちりん。


 子どもの笑い声も混じっている。


 ふわり、と。



「……歓迎、か」


 レインは息を吐いた。


 この手の「穏やかさ」は、危ない。


 ルナリスで学んだ。

 美しさは、首輪にもなる。



 霧を抜けると、門が現れた。


 石の城壁。

 尖塔。

 そのすべてが白く霞み、夢の中みたいに遠い。


 門には文字。


 霧の王国ヴェイル



 そして――


 門の前に、人形が立っていた。


 等身大。

 木でできた子どもの姿。

 関節の軋む音が、霧の中でよく響く。


 口元が、笑っている。

 目が、笑っていない。



 人形は頭を下げ、澄んだ声で言った。


「ようこそ、ヴェイルへ」


「旅人さま。どうか――穏やかに」



 ミナが、ぞくりと肩を震わせた。


「……人形が……しゃべってる……」


「魔術具だろ」


 レインはそう言いながら、目を細めた。


 “しゃべる”こと自体は珍しくない。


 だが――


 声が、あまりに整いすぎている。


 感情の揺れがない。

 息遣いもない。


 まるで、台本を読んでいる。



 人形の背後から、人が出てきた。


 霧色の外套。

 柔らかい笑顔。


 老若男女、みんな同じような笑顔だ。


 そして――


 みんな同じ言い回しで、同じように頭を下げた。


「ようこそ、ヴェイルへ」

「どうか――穏やかに」



 レインの背中が、少しだけ冷える。


(同じ言葉。

 同じ抑揚。

 同じ間。)


 人が揃えているんじゃない。


 揃えさせられている。



 ふと、ミナが小さく呟いた。


「……みんな、笑ってるのに……」


「……目が、助けてって言ってる」


 レインは頷かない。


 否定もしない。


 ただ、霧の奥を見た。



 その時。


 草むらに落ちていた小さな水晶が、淡く光った。


 配信記録カメラ。


 国境を越えるたびに、回線は切り替わる。


 ――ここは、新しい国。


 つまり。


 視聴者は、また一人から。



 レインは水晶を拾い上げ、魔力を少し流す。


 ぴっ、と小さな音。


 画面が点いた。



 配信画面の端に、新しい数字が灯る。



視聴者:1

【え?霧すご】



 すぐに、もう一つ。



視聴者:2

【初見です!ここどこ?】



 さらに。



視聴者:3

【音ヤバい、鈴鳴ってる】



 レインは、口元だけで笑った。


「……回線、立ったか」


 ミナが不思議そうに見上げる。


「……また、見られてるの?」


「ああ。ここからは、この国の視聴者だ」



 門の前の人形が、再び動いた。


 首が、ゆっくり傾く。


「旅人さま。記録は必要ですか?」


 レインの眉が、わずかに動く。


「……何の話だ」


「あなたの旅の“事実”を、王国は守ります」


「だから、安心してください」



 言葉は優しい。


 だが、意味が刺さる。


 “事実を守る”。


 言い換えれば――


 事実を、管理する。



 周囲の住民が、にこやかに頷いた。


 同じ角度で。

 同じ速さで。


 まるで、糸で操られているみたいに。



視聴者:5

【住民のノリが同じで草】

【なんか怖いんだが】



 霧の中、子どもが走っていく。


 笑い声。


 その子は、転びそうになっても笑っている。


 痛くないわけじゃないはずなのに。


 悲しくないわけじゃないはずなのに。


 笑っている。


 笑うしかないように。



 ミナが、レインの背に隠れる。


「……ここ……いや……」


「分かった」


 レインは短く答える。


 そして、ゆっくりと霧の国へ足を踏み入れた。



 門を越えた瞬間。


 街の空気が、ぴたりと揃った。


 鐘が鳴ったわけじゃない。

 合図もない。


 なのに――


 通りの人々が一斉に、同じ方向を向いた。



 霧の奥。


 石造りの高い建物。


 そこに掲げられた紋章が、ぼんやり見える。


 羽根ペンと、鎖。


 ――記録の紋。



 レインは、確信する。


(情報だ)


(この国は、“記録”で縛ってる)



視聴者:8

【平和そうなのに圧ある】

【笑顔が怖い国初めて見た】



 人形が、最後にもう一度頭を下げた。


「どうか、穏やかに」


 同じ言葉。


 同じ笑顔。


 同じ声。



 レインは、霧の向こうに目を細めた。


「……殴れない敵、更新だな」


 ミナが小さく言う。


「……ねえ、レイン」


「なに」


「……忘れたら……どうなるの?」



 その問いに、答える前に。


 通りの端で、誰かが小声で叫んだ。


「その話は、するな」


 言った本人が、はっとして口を塞ぐ。


 周囲の住民が、笑顔のまま距離を取る。


 笑っているのに、逃げている。



 霧が濃くなる。


 鈴の音が近づく。


 ちりん。

 ちりん。


 そして――


 道の真ん中に、また一体。


 笑う人形が、立っていた。



 その口が、ゆっくり開く。


「旅人さま」


「“忘れてはいけないこと”は、ありません」



 ミナの指が、ぎゅっと震えた。


 レインは、息を吐く。



「……あるさ」


 小さく。


 だが、確かに。



「だから俺は――ここに来た」



視聴者:12

【今の台詞かっけぇ】

【霧の国、絶対ヤバい】

【続き見たい】



 霧の王国ヴェイル。


 穏やかに笑う国。


 ――その笑顔の奥に、何が隠されているのか。



(第59話・完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ