第51話 水底の記憶
――水の国、ルナリス。
市場を出たあとも、街は美しかった。
白い橋。
蒼い屋根。
水面に揺れる陽光。
なのに。
レインの胸の奥だけが、ずっと冷えていた。
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ミナは黙って歩いていた。
さっきまで袖を掴んでいた指が、少し離れている。
代わりに――
視線が、水路を避ける。
見ないように。
触れないように。
まるで、そこに「何か」がいるみたいに。
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橋のたもとで、ミナの足が止まった。
向こう側は、広い水路。
船がすれ違い、荷が運ばれていく。
平和そのもの。
だが――
ミナの肩が、小さく震えた。
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「……ごめん」
絞り出す声。
「……渡れない……」
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レインは立ち止まり、ミナの横にしゃがむ。
目線を合わせた。
「大丈夫だ」
短い言葉。
だが、今のレインはそれ以上を言わない。
急かせば、壊れると分かっていた。
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視聴者:36
【ミナちゃん固まった】
【水こわいのガチっぽい】
【笑えないやつだ…】
⸻
ミナは唇を噛んだ。
「……私」
言いかけて、止まる。
喉の奥で、何かが引っかかる。
過去が、浮かぶのが怖い。
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レインは、黙ったまま待った。
待つことだけは、できた。
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やがてミナが、ぽつりと漏らす。
「……ここ、昔……住んでた」
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レインの目が、わずかに細まる。
「ルナリスの……?」
ミナは小さくうなずいた。
「うん……」
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視線が、水面に触れない位置へ落ちる。
それでも、言葉は出てくる。
出てしまう。
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「うちは……水運の家じゃない」
「ただの……小さい店」
「パンとか……野菜とか……売ってた」
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ミナの声は、どこか遠い。
今の話なのに、昔の絵を見ているみたいだった。
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「でも……ある日」
「……父が、言った」
『もう、買えない』
『ギルドが“止めた”』
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レインは、息を吸った。
店主の言葉と、同じ。
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ミナは続ける。
「最初は……我慢できた」
「少しずつ……食べる量を減らして」
「笑って……大丈夫って言って」
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その「笑って」が、苦しい。
子どもが覚えている笑いは、だいたい最後だ。
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「でも……一週間」
「パンが……なくなって」
「薬も……なくなって」
「水だけ……いっぱいあった」
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水だけは、ある。
美しい街だから。
水が、命だと言う国だから。
なのに――
「……水だけ」
ミナの声が、震える。
「水だけが……増える」
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レインの目が、静かに冷える。
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「母が……言った」
『水を見ないで』
『水の音を聞かないで』
『……見られるから』
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視聴者:51
【え、見られる…?】
【水だけ増えるって何…】
【鳥肌立った】
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ミナは小さく首を振る。
「意味、分からなかった」
「でも……夜」
「……水が、動いた」
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水面じゃない。
底。
底のほうが、ゆっくりと波打った。
普通なら、見えないはずの奥で。
――内側から。
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「母が……私を抱いて」
「戸を……閉めて」
「息を……止めろって」
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ミナの指が、ぎゅっと握りしめられる。
「……外で」
「人の声が……消えた」
「叫びでもない」
「倒れる音でもない」
ただ――
「……消えるみたいに」
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レインの拳が、わずかに締まる。
殴るためじゃない。
怒りを、外へ漏らさないため。
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「……次の日」
ミナは言った。
「家の隣が……空っぽになってた」
「昨日まで……いたのに」
「家具も……皿も……全部」
「最初から……なかったみたいに」
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視聴者:73
【これホラーじゃない】
【怖すぎる】
【常識の域こえてる】
⸻
ミナは唇を噛んだ。
「父が……ギルドに行った」
「お願いって……言いに行った」
「私は……橋の下で待ってた」
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レインは、黙って聞く。
急いで助けに行っても、過去は戻らない。
今、必要なのは――
最後まで言える場所。
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「父は……戻ってこなかった」
「母は……探した」
「でも……探すと」
「……止められる」
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ミナは、目を閉じる。
「だから……母は」
「私を……逃がした」
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小さな声が、かすれる。
「……逃げるとき」
「橋の上で……母が言った」
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『水を見たらだめ』
『水は、ね』
『優しいふりをする』
『でも――』
『逆らったら、沈める』
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ミナは、息を吸って――
「そのあと……母の声が……消えた」
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沈黙。
水の街の音が、遠ざかる。
鐘も、笑い声も、波の音も。
全部が薄くなる。
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視聴者:96
【きつい…】
【ミナちゃん…】
【これで水が怖いの納得】
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レインは、立ち上がらない。
ミナの前に、ただいる。
逃げない。
怒鳴らない。
慰めすぎない。
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しばらくして、レインが言った。
「……ミナ」
「お前の家族は――」
言いかけて止める。
安い言葉で、軽くできない。
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代わりに、息を吐いた。
「……俺が、ここで止める」
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ミナの目が、揺れる。
「……止められるの……?」
疑いじゃない。
願いだ。
信じたいのに、信じるのが怖い声。
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レインはうなずかない。
断言もしない。
ただ、静かに言う。
「壊させない」
「……誰も」
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その言葉が、ミナの胸に落ちる。
小さな震えが、少しだけ収まった。
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そのとき。
橋の向こうで、また鐘が鳴った。
街の人々が――
同じ方向を向く。
一瞬。
揃って。
当然のように。
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ミナの顔が青ざめる。
「……また……」
「……合図……」
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レインは、視線だけで追う。
みんなが向いた方角。
水路の先。
大きな水門の向こう。
――都市の中心。
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(物流を握るだけじゃない)
(街の“視線”まで揃える)
(……水が、見てる)
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視聴者:112
【全員同じ方向こわ】
【これマジで洗脳?】
【ギルドの上いるだろ】
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レインは、ミナの手を取った。
さっきより、少しだけ強く。
「今日はもう、宿へ戻る」
ミナが小さくうなずく。
目の端に、涙が残っている。
でも――
歩ける。
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去り際。
レインは、水面を見た。
光が揺れて、綺麗だ。
綺麗すぎる。
その美しさが、逆に気持ち悪い。
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そして――
水面に、ごく小さく波紋が広がった。
風じゃない。
船でもない。
――内側からの揺れ。
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レインは、確信する。
ここには、いる。
見えない支配の「核」が。
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レインは小さく息を吐いた。
「……すぐ殴れない敵、か」
もう一度。
今度は、笑わないで言った。
「……面倒だな」
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視聴者:129
【この“面倒”は最強フラグ】
【静かにキレてるの一番怖い】
【次回、何が起きる】
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ミナは、レインの袖を掴む。
今度は――
怯えだけじゃない。
「離れたくない」指だった。
⸻
水の国ルナリス。
美しい街。
逆らえない街。
⸻
その水底で――
誰にも見えない目が、開いている。
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(第51話・完)
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