*22
ジルドが戻った時、テレンツィオは眠ったふりをしていた。
本当は、とても眠れたものではない。
ジルドには秘密を知られ、教団への潜入を止められた。それに対して腸が煮えくり返っていたはずなのだが、フルーエティのあのひと言で冷水を浴びせられたほどに落ち着いた。
教団のことをどれだけ問い返しても、フルーエティは答えてくれなかった。今日はもう寝ろと言って消えた。
そういう中途半端なことをされて眠れると思うな。気になって仕方がない。
「ティオ、もう眠ったのか?」
考え事をしているところを急に呼ばれたから、テレンツィオはビクリと反応してしまった。しかし、それでも寝たふりをやめない。
他にどう呼んでいいものかわからないらしく、これからもティオと呼びかけるつもりらしい。
ジルドが座った重みに、向こう側のベッドがギシ、と軋んだ音がした。
「同じ部屋にいても何もしないから、心配しなくていい」
当たり前だ、と飛び起きて叫びたくなったが、堪えた。
痩せたテレンツィオに食指が動かないとしても結構だ。――いや、イゾラのような幼女を好む男もいた。当たり前ではないのか。
フルーエティは人間ではないから、素肌を見られてもなんとも思わなかったが、生きた人間の視線は嫌だ。
このままずっとシーツを被っていたいと思った。
眠れないと思いながら、多分寝ていた。
朝になって重たい頭を持ち上げると、丁度ジルドがテレンツィオに背を向けて着替えているところだった。
ジルドが腕を動かすと、肩甲骨の辺りの筋肉の塊が瘤のように盛り上がる。
背中には傷らしい傷もない。背を傷つけられるのは臆病の印だが、ジルドにはそんなものはないらしい。
テレンツィオが少しくらい体を鍛えたところであんなふうにはならない。分厚い鎧を着込んだような筋肉はつかないのだ。
背中に視線が刺さったのか、ジルドが振り返った。
「ああ、おはよう、ティオ」
眠ったら、昨日のことを忘れたのではないかと思うくらいさりげない笑顔だった。
あれは夢の中の出来事だったと思い込んでほしい。そう願ったけれど、ジルドは着替えを済ませると戸口に立ってから言った。
「外に出ているから、着替えを済ませて食堂においで」
「…………お気遣い、痛み入ります」
舌打ちした。
昨日、あの後、フルーエティにジルドの始末を頼んでみた。学院の教員たちの時のように消してくれと。
そうしたら、あろうことかフルーエティは断った。
「あれはお前に危害を加えない。よって、消す必要はない」
そんなことを言った。
「私の秘密を知ったんだから、消される理由としては十分だ。なあ、お前の主である私が命じているんだ。従え」
意見されたいわけではない。願いを聞き入れてくれさえすればそれでいいのに。
フルーエティはどうしてもうなずかない。
「やめておけ。本当はお前もわかっているはずだ」
「……何を?」
「善良な人間の返り血は、降りかかれば酸のように己を焦がす」
それは、罪悪感というものがあればこそだ。そんなものはとうに捨てた。
「私は――っ」
「今日はもう寝ろ」
子供に言って聞かせるように、フルーエティはささやいて消えた。
教団のことも詳しく教えてくれない上に、命令にも逆らう。本当に扱いづらい、癪に障る悪魔だ。
着替えて部屋から出ると、廊下でノーゼに会った。せっかく二手に分かれたのだから、あまりここで話し込んでいるのはよくない。
テレンツィオはそう思ったのだが、ノーゼの方がすれ違いざまに言った。
「何か手掛かりはつかめたか?」
「……ええ、まあ、多少は」
教団には悪魔が関わっている。しかし、その情報源を明かせないので詳しくは言えない。
その曖昧な返答をノーゼは嘲笑った。
「そうか。僕の方が一歩前に踏み込んでいるみたいだな」
知らないけれど、何かつかんだのだろうか。ノーゼも無能ではないはずだが。
仄めかしたいけれど、まだ詳しいことは言えないらしい。ノーゼはニヤニヤと笑っていた。
「きっと、お前がヴィヴァリーニ様の足を引っ張っているんだろう」
「…………」
足を引っ張っているのはどちらだ。
潜入するところまで漕ぎ着けたのに、それを邪魔しているのはジルドの方だ。
「組み合わせがよくなかったということに関しては認めますよ」
怒りを呑み込んで答えると、ノーゼはフン、とつぶやいて歩いていった。背中を蹴飛ばしたい。
朝食にゆで卵を食べ、パンを少し齧った。
女だと知ったせいか、ジルドはもっと食べろとは言わなくなった。ただ、腹が立つほどじっとこっちを見ている。
「……私がゆで卵で喉を詰めたらあなたのせいですね」
言ってやったら、ジルドは驚いた様子でフォークを動かし始めた。
「え? あ、すまない」
無意識かわざとか、どちらだろう。仕返しにテレンツィオも食事を取るジルドをじっと見てやった。
しかし、育ちがいいだけあって綺麗な所作で食べている。テレンツィオのもの言いたげな目にも緊張しないようだ。
それにしても、綺麗な金髪だ。テレンツィオの灰褐色の髪とはまるで違う。こんな色の髪なら、誰からもドブネズミなんて呼ばれないのだろうなとぼんやり思った。
ふと顔を上げたジルドと目が合う。ジルドは自然に笑った。
――女であればすべてにその笑顔が通用すると思うな、とテレンツィオは内心で毒づいた。