*21
ジルドは扉を閉めた。ガチャ、と鍵がかかる音がする。
テレンツィオは、深刻な顔をして少しずつ間を詰めてくるジルドから逃れる方法を考えたが、結局のところジルドを殺して口を封じるしかないかという結論に達する。
今、自分でも驚くほど焦りがあった。この狭い部屋のせいだ。
自分が震えているとは認めたくなかった。
「君は――」
ジルドの台詞を書き消すようにして、テレンツィオは声を上げた。
「出てこい、フルーエティ!」
拒絶は許さない。
テレンツィオは初めてフルーエティを召喚したあの時よりも逼迫した心境で願った。
その気持ちが通じたのかはわからない。
それでも、テレンツィオとジルドの間に、漆黒の闇のようないで立ちをした美しい悪魔が立っていた。サラリ、と長い銀髪を揺らし、似つかわしくない狭い部屋で振り返る。
「何をやっているやらな」
呆れた声を浴びせられたが、テレンツィオはフルーエティの姿を見た途端に言いようがないほどの安堵を覚えていた。
この時、フルーエティの姿を見ていたのはテレンツィオだけではなかった。
「どこから現れた? 一体、何者だ?」
ジルドがフルーエティに気を取られているうちに、テレンツィオは服を着込んだ。そうしたら、少しだけ息がつけた。
「これは私の使い魔です」
使い魔という言い方が気に入らなかったらしく、フルーエティは顔をしかめていた。
「害はないと思っていいのか?」
うなずいてみせるが、それはテレンツィオにとって害がないだけで、ジルドにとっては違う。いつでもフルーエティはジルドを氷漬けにするだろう。――テレンツィオが望みさえすれば。
ジルドは安心したのか、自分のベッドに腰を下ろした。
「それで、君は誰だ? 少なくともテレンツィオは男だった。君がテレンツィオのはずはない」
咎めているのとは違う穏やかな声だった。しかし、油断はできない。
「過去に服を剥いで確かめたわけでもないでしょう?」
ボソッと言ったら、ジルドはかぶりを振った。
「小さい頃、湖で一緒に泳いだことがある。その後、湯殿にも入った」
顔を背けてチッと舌打ちした。
この時から、ジルドにはただでさえ効きづらい幻惑の術の効果がまったくなくなってしまったのだ。記憶の糸口を探り当て、手繰る。
「そうだ、テレンツィオは鳶色の癖毛だった。目の下にほくろがあって――やっぱり君とは似ても似つかない。どうして最初にそこに気づけなかったんだろう」
それはテレンツィオの術によるところなのだが、完全に終わってしまった。
段々頭が痛くなってきた。実績を積むどころか、早々に頓挫してしまう。
どうにかしてこの男の口を封じなければ。
「あなたは私が、女の身で魔術師団に入り込んでいると告発するのですか?」
まずそれを確かめよう。何か交換条件を持ちかけてくるとも考えられる。
ジルドは戸惑った様子だったが、やっと答えた。
「それをすると、君は罰せられる。陛下を謀った罪は重い。できることなら告発は避けたいが……」
「では言わなければいいでしょう?」
いくらテレンツィオが幻惑の術を使っても、ジルドのように世間に信用のある人物に大々的に公言されたのでは効き目が薄い。できることならば敵には回したくなかった。
「しかし……」
「陛下に秘密を持つのは苦しいですか? けれど、私は陛下を害しようとしているわけではありません。魔術を学び、それを役立てようというだけです」
「女の身ではそれが難しいから、テレンツィオに成りすましたのか?」
「ええ、まあそんなところです」
すると、ジルドは肩を落として嘆息した。
「このことは誰にも言わない。その代わり、条件がある」
――やはり、交換条件を出してきた。
ドクリ、と心臓が脈打つ。こうしてこれからずっと、この男に脅され続けるのだろうか。
すべてに恵まれた男が、テレンツィオに何を差し出せと言うのだろう。慰み者にされるのはまっぴらだが、この男なら女に不自由はしていないはずだ。
何を言い出すかと、テレンツィオは気を強く持った。返答次第ではフルーエティに氷漬けにさせよう。
けれど、ジルドの言葉はテレンツィオが予測したどんなものとも違った。
「明日、ガルダーラ教団の本部に単独で潜入するのをやめること。それが条件だ」
思わず、えっ、と声を漏らしてしまった。
それでも、ジルドは真剣な目をテレンツィオに向けていた。
「女性だと知ったからには、余計に危ないことはさせられない。絶対に駄目だ」
「そんな! それじゃあ、なんのためにここまで来たのかわからない!」
「他の方法で僕が探る」
「最悪だ」
吐き捨てたが、ジルドは動じなかった。
初の任務を成功させたいテレンツィオにとって、ジルドの申し出はひどいものである。こんなヤツは大嫌いだ。
それなのに、ジルドの目には労りがある。
「いくら魔術が使えて使い魔に護られていても、女性を矢面には立たせない」
「女扱いしてほしいなんて言ってない」
もう敬語も忘れた。腹が立ちすぎて無理だ。
「本当の名前はなんていうんだ?」
そんなことを訊ねてきた。
テレンツィオは頭からシーツを被って、視界からジルドを追い出した。
そうしたら、ジルドはフルーエティに声をかけた。
「君のご主人様を怒らせてしまったようだ」
「よく拗ねる。珍しいことではない」
――まったく庇ってくれなかった。
というより、普通にそこで会話が成立するのはおかしいだろう。
どうやらジルドは、フルーエティが魔界の大悪魔であると気づいていないらしい。
「そうか。では浴場に行ってくる。条件を呑むなら誰にも口外しないから安心してくれ」
と、ジルドが言い残して出ていった。
テレンツィオがおずおずとシーツの下から顔を覗かせると、フルーエティは腕を組みながらつぶやいた。
「なかなか面白い男だ。あの精神力ならばお前の術などかからんだろう」
多分、フルーエティでもジルドの心を読むことができなかったのだろう。
厄介な男だ。
「お前は誰の味方だ?」
こんなことを問うから、すぐ拗ねると言われるのだろうか。
フルーエティには鼻で笑われた。
「あの男の提案を呑むのはお前にとっても悪いことではない」
「……どうして?」
紫色の目を見上げると、その光が僅かに揺れた。
「気づいたのかと思えばそうでもなかったか」
そこで言葉を切り、フルーエティは言った。
「あのメダリオンの徽章は悪魔のもの。カルダーラ教団とやらには悪魔が絡んでいる」




