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振り返ってそれとなくジルドを見遣ると、心配そうな顔をしていた。
任務が成功するかどうかが心配なのだろう。若くして実績を積み上げたジルドにとっては、ひとつの失敗も大きな疵と感じられるのかもしれない。
テレンツィオ自身もそうだ。無様な失敗の報告をするくらいなら、組織に戻りたいと思わない。人望も何もないテレンツィオには結果がすべてだ。
「明日、私をカルダーラ教団本部に連れていってくれるそうです。まあ、下手を打たないように気をつけますよ」
とりあえずの足がかりは作ったのだ。ジルドも満足するだろうと思ったのだが、ジルドは眉根を寄せて険しい顔をした。
「僕も一緒に行けそうか?」
「あなたは来ない方がいいでしょう。か細い少年には脅威を感じずとも、いかにも体を鍛えた男が一緒では警戒されます」
手柄を独り占めされるとでも思うのだろうか。ジルドはなかなか納得しなかった。
ここで立ち話をしていると目立つので、テレンツィオはジルドの服の袖をつかんで引いた。
「歩きながら話しましょう」
「……君だけが潜入するのは危険だ」
ジルドは小声でそう言った。
テレンツィオは笑い飛ばしたくなるのを堪えつつ、神妙な顔を保った。
「私はこう見えて、学院を首席で卒業しております。あなたが知るただの子供のままだとでもお思いですか?」
教員たちが寄ってたかって消したくなるほど妬ましい才能を持っている。
今のテレンツィオは大悪魔の主だ。それを知らないジルドはテレンツィオを見た目で判断しているに過ぎない。
「君が優秀なのは知っている。けれど、一人では何があるかわからない」
「それを言っていたのでは何もできません」
睨みつけるように強く見上げると、ジルドは戸惑っていた。若造にこんな失礼な態度を取られたことはないのだろう。騎士団は魔術師団以上に縦社会だから。
そうだとしても、テレンツィオは容赦なく言い放つ。
「あなたならばどうなのです? 自分にできることがあるのに、危険だと臆して逃げ帰るのですか?」
相手が誰でも、テレンツィオを子供だと見くびることは許さない。
しかし、ジルドは怒りを見せなかった。凪いだ海のような穏やかさで小さくため息をつく。
「ティオには無事でいてほしい。おばあ様のためにも。そう、昨日言っていたじゃないか」
忘れていたが、そういえばそんな話もしたかもしれない。
けれどそれは、本物のテレンツィオならばそう言うだろうという程度であって、本心ではない。
それなのに、ジルドは言う。
「ティオは危険に対して躊躇うことをしない。君は誰よりも勇敢だ。でも、だからこそ心配してしまう」
――心配。
テレンツィオはその言葉に一瞬呆けてしまった。
これまで、人から心配された覚えなどなかったから。
祖母がテレンツィオの心配をするのは、孫だと思うからであって、本当の自分を案じているのとは違う。
ジルドのこれはどう受け取ればいいのかがよくわからなかった。
ただ、勇敢だと言ってくれた言葉が嘘ではなければいいと思った。
「任務の成功をお約束しますよ」
ぶっきらぼうに答えた。すると、ジルドは足を止め、そんなテレンツィオに言った。
「任務よりも君の命の方が大切だ。危ないと思ったら逃げること。自分を最優先に護ること。この約束をしてくれ」
こいつの頭は大丈夫かと、テレンツィオは目を見張った。
自らの経歴を誇っていないのか。赤の他人がどうなろうと、そんなことは自分の実績に比べれば重要ではないはずだ。
「あなたは誰にでもこうなのですか?」
思わず訊いてしまった。けれど、ジルドには意味がわからないようだった。
「何かおかしなことを言ったか?」
「いえ……。なんでもありません」
ジルドは、息をするほど自然に人を気遣う。
相手が生意気な子供であったとしても。
しばらく町をうろついて、それから宿に戻った。ノーゼとデュリオはまだ戻ってきていないらしい。
テレンツィオは食事の後、こっそりと浴場へ行き、一番乗りで誰もいないのを確かめて大急ぎで髪と体を洗った。ここで入ったのは女湯である。男湯にジルドたちが来たら言い逃れできないからだ。
着ていた服を再び着込み、髪から水を滴らせて部屋に戻る。
そうしたら、部屋にいたジルドが驚いた様子だった。
「浴場に行っていたのか? それにしては早かったな」
「急いで入りましたから」
素っ気なく言って、髪を綿布で拭いてから魔術で乾かす。そんな様子をジルドは物珍しげに見ていた。
「便利だな」
「あなたは短髪だからすぐ乾くでしょう?」
「まあな。じゃあ、俺も浴場に行ってくる」
ジルドは体を伸ばしながら立ち上がった。
「ええ、ごゆっくりどうぞ」
一日中この男と一緒にいる。だから少しでも長く離れていたいと思った。
ゆっくり、のぼせるほどゆっくり入ってこい。
ジルドが部屋を出ていったので、テレンツィオは心底ほっとした。
解放感を味わいながら一度ベッドの上で横になり、このままだと寝てしまいそうなので、先に着替えることにした。眠たくなってきたので面倒だった。
ガーゼの寝間着をカバンから取り出し、着ているシャツの前を開いて脱いだ途端、ガチャリと扉が開いた。
あまりにも無防備に肌をさらしていたので、テレンツィオは一瞬、思考回路が凍りついてしまった。さっき出ていったばかりなのに、何故戻ってきたのかわからない。
「忘れ物を……して、しまって……」
言い訳のように零したジルドは、瞠目しながらも目を逸らさなかった。テレンツィオは脱ぎ捨てたシャツを手繰り寄せ、胸元に押しつけるが、顔を背けてもジルドの声は遮れなかった。
「君はテレンツィオじゃない。君は……誰だ?」




