第1話 仲間4人が死ぬ未来を変えるため、俺は最低な男を演じて勇者パーティーを追放された。大好きなみんなと離れるのは辛いけど、これでよかったんだ。
「お前は今日限りで勇者パーティーから追放だ!」
勇者ガルディナが、俺に剣を向けて怒鳴った。長い金髪を高い位置で結んだ、青い目の美少女だ。白銀の鎧に赤いマントをつけている。いつもは堂々としている彼女だが、今は剣を持つ手が震えていた。
「私たちは何度もお前を許した! 何度裏切られても、いつか元に戻ってくれると信じていた! だというのに、お前は……!」
ガルディナの目から涙がこぼれた。
「もう限界だ……。私は、お前を追放する……!」
ついに、この日が来てしまった。
俺は勇者パーティーを追放される。大好きな仲間たちと、もう一緒に冒険できない。朝起きて、5人で食事をとることもない。みんなと笑いながら、くだらない話をすることもない。ガルディナに剣の稽古をつけてもらうことも、ピッカとお菓子を取り合うことも、エメシアさんにケガを心配されることも、ヌルーをおんぶしてあげることも、もうできない。
本当は嫌だ。追放なんてされたくない。できることなら、ずっとみんなと一緒にいたい。
でも、それ以上に嫌なことがある。それは、大切な仲間たちが死んでしまうことだ。俺は4人の命を救うために、最低な男になった。
今日、とうとう追放されることになった。
俺はガルディナを見つめた。
「分かった。今まで世話になったな」
できるだけ冷たい声で答える。
泣くなよ、俺。ここまで来たんだ。最後まで、最低な男を演じきらないと。
俺の名前はトルセク。
18歳の鑑定士だ。勇者パーティーに所属していて、仲間は俺を含めて5人いる。
リーダーは19歳の女勇者、ガルディナ。
剣の腕は王国でも最高クラスだ。ちょっと偉そうだけど、本当は仲間思いの優しい女の子である。
弓使いのピッカは17歳。
オレンジ色の短い髪に、緑色の大きな目。背が低く、笑うと八重歯が見える。生意気でいたずら好きだけど、実はとても寂しがり屋だ。
回復術師のエメシアさんは21歳。
淡い桃色の長い髪と、紫色の優しい目をした美人のお姉さんだ。俺たちの健康をいつも気にしていて、少しケガをしただけでも飛んできてくれる。
最後は16歳の魔法使い、ヌルー。
腰まで伸びた黒い髪に、眠そうな金色の目をしている。小柄で無口。魔法の腕は天才的だけど、何をするにも面倒くさがる女の子だ。
俺はそんな4人のことが大好きだった。みんなと出会ってから、毎日が楽しかった。朝は5人で食事をして、昼は一緒に冒険して、夜は宿屋で騒ぐ。これからも、そんな生活が続くと思っていた。
ところが、ある日の夜。
俺は固有スキル【運命鑑定】で、とんでもない未来を見てしまった。
【ガルディナ】
【1年後、トルセクをかばい死亡する】
「……え?」
最初は何かの間違いだと思った。
ガルディナが死ぬ? しかも俺をかばって?
そんな未来、認められるわけがない。俺は慌てて、ほかの仲間たちも鑑定した。
【ピッカ】
【1年後、トルセクを失った悲しみに耐えられず、自ら命を絶つ】
【エメシア】
【1年後、トルセクを救うために禁じられた回復術を使用し、死亡する】
【ヌルー】
【1年後、トルセクを失ったことで魔法を暴走させ、死亡する】
「嘘だろ……」
4人とも死んでしまう。しかも、俺が原因で。信じたくなかった。でも、【運命鑑定】はこれまで1度も間違った未来を見せたことがない。このまま何もしなければ、4人は死ぬ。絶対に避けなければならない未来だった。
俺は何度も考えた。魔王討伐をやめてもらうか?
いや、勇者のガルディナが使命を捨てるとは思えない。そもそも、魔王を倒さなければ大勢の人が死ぬ。
4人に事情を説明して、一緒に対策を考えるか?
それも考えた。でも、ガルディナは俺を守るために死ぬ未来だった。俺が危険だと知れば、彼女はますます俺を守ろうとするだろう。
ピッカもエメシアさんもヌルーも同じだ。俺が死ぬと分かれば、4人とも自分の命をかけて助けようとするに決まっている。
だったら、俺が勇者パーティーを抜ければいい。
4人のそばに俺がいなければ、俺をかばって死ぬこともなくなる。それに、俺がいなくなれば、彼女たちも俺のことを忘れるかもしれない。
そう考えた俺は、【運命鑑定】でもう1つの未来を調べた。
【勇者パーティーから円満に脱退できるか】
【ガルディナは脱退を認めず、トルセクを引き止める】
【ピッカは泣きながら脱退に反対する】
【エメシアは休養を勧め、脱退の撤回を求める】
【ヌルーはトルセクと一緒に脱退すると宣言する】
【結果:脱退失敗。4人の死亡する未来は変わらない】
「……そうか」
普通に辞めようとしても、みんなが引き止めてくれるのか。
嬉しかった。俺は鑑定士で、戦闘ではあまり役に立てない。それなのに、4人は俺を必要としてくれている。できれば、その気持ちに応えたい。俺だって、みんなと離れたくない。ずっと一緒にいたい。
でも、そんなことをしたら4人が死んでしまう。それだけは絶対に嫌だった。そこで俺は、ある方法を思いついた。普通に辞められないなら、追放してもらえばいい。4人に嫌われて、もう二度と会いたくないと思われるような男になればいいんだ。
そうすれば、俺がいなくなっても誰も悲しまない。新しい仲間を迎えて、楽しく冒険を続けてくれるはずだ。
……本当は、そんなことしたくない。
ガルディナに怒られるのも、ピッカに嫌われるのも、エメシアさんを悲しませるのも、ヌルーに泣かれるのも嫌だ。みんなの笑顔が大好きだから。だけど、死んでしまったら、もう笑顔を見ることさえできなくなる。
俺は覚悟を決めた。
今日から最低な男になろう。大好きな仲間たちを救うために。
翌朝。
「トル! おっはよー!」
食堂に入ると、ピッカが飛びついてきた。
「ねえねえ、今日はあたいの隣で食べてよ! 席、取っといたからさ!」
ピッカは俺の腕を引っ張ってくる。いつもなら、そのまま一緒に食べるところだ。でも、今日からは違う。
「うるさいな。朝から騒ぐなよ」
「……へ?」
「お前と一緒に食べたくないんだよ」
ピッカが目を丸くした。
「な、何言ってんの? 朝から冗談きついじゃん!」
「冗談じゃない。お前、いつも俺にくっついてくるだろ。正直、迷惑なんだよ」
「……え?」
ピッカの笑顔が消えた。俺はそのまま、彼女が取ってくれた席を通り過ぎた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
ピッカが追いかけてくる。
「あたい、何かした? 昨日のいたずら、まだ怒ってんの?」
「別に。前から邪魔だと思ってたんだ」
「……そっか」
ピッカはうつむいた。その手が俺の袖をつかむ。
「ごめんね。あたい、トルと一緒にいたくて……。でも、嫌だったなら、もうしないからさ」
その声が震えていた。俺はピッカの頭をなでたくなった。いつもなら、そうしていただろう。でも、今日はできない。
「分かったなら離してくれ」
俺は彼女の手を外した。
「あ……」
ピッカが小さな声を出す。振り返ると、彼女はその場に立ち尽くしていた。緑色の目が濡れている。ごめんな、ピッカ。本当は、お前と一緒に朝ご飯を食べたかった。
次に狙ったのは、エメシアさんだった。
「トルセク様、おはようございます」
彼女はいつものように優しく微笑んだ。
「今日もお元気そうで何よりですわ。お体を診せていただいてもよろしいですか?」
エメシアさんが俺の額に手を伸ばしてきた。俺はその手を払いのけた。
「触らないでくれ」
「……え?」
「毎日毎日、勝手に体を調べるなよ。迷惑なんだ」
エメシアさんの手が止まった。しばらく俺を見つめたあと、彼女は小さく頭を下げた。
「申し訳ございません。わたくし、少し心配しすぎていたのかもしれませんわね」
「少しじゃない。お前に世話をされるのは、もううんざりなんだよ」
「……そう、でしたの」
「そもそも、お前の回復魔法だって大したことないだろ。もっと優秀な回復術師がいたら、とっくにそいつに治療してもらってるよ」
エメシアさんの顔から笑顔が消えた。俺は自分の言葉に吐き気がした。何を言っているんだ、俺は。エメシアさんの回復魔法に何度も助けられてきたくせに。彼女がいなければ、俺はとっくに死んでいたかもしれない。本当なら、何度お礼を言っても足りない。
「……わたくしの治療では、ご満足いただけませんでしたのね」
エメシアさんは両手を胸の前で握りしめた。
「申し訳ございません。もっと勉強いたしますわ。もっと優秀な回復術師になりますから……」
その目から涙がこぼれた。
「ですから、もう少しだけ……、あなたのお世話をさせていただけませんか?」
俺は彼女から目をそらした。
「もういいよ。お前には期待してないから」
エメシアさんは何も言わなくなった。俺はその場を離れた。背後から、すすり泣く声が聞こえた。振り返りたかった。謝って、いつもありがとうと伝えたかった。でも、そんなことをしたら意味がない。
俺は拳を握り、食堂を出た。
その日の昼。
「トル、おんぶ」
廊下を歩いていると、ヌルーが両手を伸ばしてきた。眠そうな金色の目で俺を見上げている。
「ボク、疲れた。部屋まで運んでよ」
いつものヌルーだ。仕方ないなあと笑って、おんぶしてあげたくなる。でも、俺は首を振った。
「嫌だ」
「……ん?」
「自分で歩けよ。もうお前の面倒を見るのは嫌なんだ」
ヌルーが首をかしげる。
「なんで?」
「お前、何でも俺に頼りすぎなんだよ。飯も着替えも、俺がいないと何もできないだろ」
「……うん」
「正直、役立たずだと思ってる」
ヌルーの目が大きく開いた。俺はさらに続けた。
「魔法が使えるだけで、ほかは何もできない。お前の世話なんか、もうしたくないんだよ」
「……そっか」
ヌルーは自分の手を見つめた。
「ボク、役立たずなんだ」
「ああ」
「……分かった」
ヌルーは小さくうなずいた。
「ボク、ちゃんと歩く。ご飯も自分で食べる。着替えもするから」
彼女が俺の服をつかむ。
「だから……、嫌いにならないでよ」
俺は唇をかんだ。ヌルーが泣いている。いつも無表情で、何を考えているのか分からない彼女が、俺の前で泣いている。本当は、役立たずなんかじゃない。ヌルーの魔法はすごい。何度も俺たちを助けてくれた。それに、俺はヌルーの世話をするのが好きだった。
おんぶしてほしいと言われるたびに、頼りにされているのが嬉しかった。でも、それを伝えるわけにはいかない。
「俺に近づくな」
ヌルーの手を外した。
「……トル」
小さな声が聞こえる。
「お願い……。ボク、いい子にするから……」
俺は振り返らずに歩いた。胸が苦しかった。こんなこと、いつまで続ければいいんだろう。
その日の夜。
俺は4人に嫌われるため、さらにひどいことをした。まず、ピッカが大切にしていたお菓子を勝手に食べた。俺と一緒に食べようと思って、ピッカが楽しみに取っておいたものだ。
「ちょっとトル! それ、あたいのじゃん!」
「ああ。食べたよ」
「もう! 勝手に食べないでってば!」
「お前のお菓子なんか、どうでもいいだろ」
俺は残っていたお菓子を彼女に返した。
「いらない。まずかったし」
「……え?」
ピッカはお菓子を受け取ったまま固まった。
「それ……、トルが好きだって言ってたから、あたいが買ってきたんだよ?」
「だから?」
「……ううん。なんでもない」
ピッカは笑おうとした。でも、うまく笑えていなかった。
次に、エメシアさんが作ってくれた夕食を残した。
「トルセク様、お口に合いませんでしたか?」
「ああ。まずい」
「……申し訳ございません。お好みに合うよう、作り直しますわ」
「いらないよ。もうお前の料理は食べたくない」
エメシアさんは静かにうなずき、俺が残した料理を見つめていた。彼女が一生懸命作ってくれた料理だった。本当は、とてもおいしかった。全部食べたかった。でも、食べなかった。
ヌルーが俺の部屋に来たときも、冷たく追い返した。
「トル、一緒に寝よ」
「嫌だ」
「……なんで?」
「お前と一緒にいたくないから」
「……そっか」
ヌルーはしばらく扉の前に立っていた。
「ボク、床で寝るから。邪魔しないよ」
「そういう問題じゃないんだよ。もう来るな」
「……分かった」
小さな足音が遠ざかっていく。俺は扉に背中をつけて座り込んだ。ひどいことばかりしている。みんなに嫌われたいとは思っていた。でも、ここまで傷つけたいわけじゃなかった。
こんなの、もうやめたい。いつものように、みんなと笑って過ごしたい。だけど、俺が我慢すれば4人は生き残れる。
それから2週間ほど、俺は最低な男を演じ続けた。
ガルディナが剣の稽古に誘ってきても、断った。
「トルセク、久しぶりに私と稽古をしないか?」
「嫌だよ。お前に教わることなんかないし」
「……そうか。なら、今日は休むといい」
ピッカが新しい弓を見せに来ても、興味がないふりをした。
「ねえ、トル! これ見てよ! 新しい弓買ったんだ!」
「ふーん。どうでもいいよ」
「……そっか。ごめんね」
エメシアさんがケガの手当てをしようとしても、拒んだ。
「トルセク様、その傷を診せてくださいませ」
「お前に治療されるくらいなら、自分で治すよ」
「……申し訳ございません」
ヌルーが俺の隣に座ろうとしても、追い払った。
「トル、隣いい?」
「ほかに座れよ」
「……うん」
4人の笑顔が、少しずつ消えていった。俺に話しかける回数も減った。食事のときも、誰も楽しそうに笑わなくなった。それを見るたびに、俺は苦しくなった。
でも、これでいいんだ。みんなが俺を嫌いになれば、追放される。そうすれば、死ぬ未来を変えられる。あと少し。もう少しだけ我慢すればいい。
ところが、一か月ほどたっても、俺はまだ勇者パーティーにいた。
おかしい。これだけひどいことをしているのに、誰も追放しようと言わない。むしろ、4人は俺を心配していた。
「トルセク。最近のお前はおかしいぞ」
ガルディナが俺の部屋に来た。
「何か悩みがあるのなら、私に話せ。お前がこんな態度を取るには、何か理由があるのだろう?」
「別に何もないよ」
「嘘をつくな。私はお前を見てきたんだ。お前がこんな男ではないことくらい分かっている!」
ガルディナは俺の肩をつかんだ。
「頼む。私を信じてくれ。お前が困っているなら、私が助ける」
そんなことを言われたら、全部話してしまいそうになる。俺は本当のことを言いたかった。4人が死ぬ未来を見たこと。それが怖くて仕方がないこと。本当は嫌われたくないこと。ずっと一緒にいたいこと。
全部話して、ガルディナに助けてもらいたかった。でも、それはできない。俺が未来のことを話せば、ガルディナは俺を守ろうとする。そして、俺をかばって死んでしまうかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
「お前に助けられるようなことなんかないよ」
「トルセク……」
「そもそも、俺は前からお前のことが嫌いだったんだ」
ガルディナの手から力が抜けた。
「……何?」
「偉そうに命令ばかりするし、自分が1番強いと思ってるし。正直、一緒にいるのが嫌だったんだよ」
「……そう、だったのか」
ガルディナがうつむいた。
「私は……、お前に嫌われていたのか」
「ああ」
「……分かった」
彼女はゆっくりと手を離した。
「すまなかった。これからは、お前に無理な命令などしない」
そう言って、部屋を出ていった。俺はその背中を見送った。また傷つけてしまった。それなのに、ガルディナは俺を追放しなかった。
どうしてだろう。こんなにひどいことを言っているのに。
まだ俺を仲間だと思ってくれているのか。嬉しかった。でも、それじゃ駄目なんだ。このままでは4人が死んでしまう。俺はもっと嫌な男にならなければならない。
俺はとうとう、4人が一番大切にしているものを傷つけることにした。
まず、ガルディナの前で勇者の仕事を馬鹿にした。
「勇者なんて、国王の言いなりになってるだけだろ。偉そうにしてるけど、別に大したことないよな」
「……トルセク。それは本気で言っているのか?」
「ああ。お前が勇者だからって、俺が尊敬してると思ったら大間違いだよ」
ガルディナは黙った。俺が彼女を尊敬していることは、本当だった。誰よりも努力して、誰よりも先に敵へ立ち向かう。そんなガルディナを、俺は心から尊敬していた。でも、その気持ちを隠して、さらに続けた。
「どうせお前、自分が強いって自慢したいだけだろ?」
「……違う」
「昔も自分の強さを過信して、大切な人を死なせたんだってな。また同じことをするんじゃないか?」
ガルディナの顔が真っ青になった。
「……トルセク」
彼女の声が震えている。
「それだけは……、言わないでくれ」
ガルディナは、幼なじみを自分の失敗で死なせたことを、ずっと後悔している。その話を俺にしてくれたとき、彼女は泣いていた。俺を信頼してくれたから、話してくれたんだ。なのに俺は、その過去を使って彼女を傷つけている。
「図星だろ?」
「……っ!」
ガルディナの目から涙がこぼれた。彼女は何も言わず、その場を離れた。俺は追いかけなかった。追いかけたら、絶対に謝ってしまうから。
次はピッカだった。
「ねえ、トル。今日、あたいと一緒に買い物行かない?」
「嫌だ」
「……そっか。じゃあ、明日は?」
「だから嫌だって言ってるだろ。しつこいな」
ピッカはうつむいた。
「……ごめんね」
「お前さ、いつも人に迷惑かけてばかりだよな」
「……え?」
「昔からそうだったんだろ? 妹を森に置いていったときも、そうやってふざけてたんじゃないのか?」
ピッカの顔から血の気が引いた。
「……トル?」
彼女は震える声で俺の名前を呼んだ。
「なんで……、そんなこと言うの?」
俺は答えなかった。
「トル、知ってるじゃん……。あたいが、どれだけ後悔してるか……」
ピッカの目から涙がこぼれた。
「ごめんね……。あたい、もういたずらしないから……。ちゃんといい子になるから……」
彼女は俺の服をつかんだ。
「だから、そんなこと言わないでよぉ……」
俺はその手を外した。
「もういいよ。お前の相手をするのも疲れた」
ピッカはその場に座り込んだ。泣き声が聞こえる。俺は背中を向けたまま歩いた。胸が痛かった。妹を失ったピッカが、どれほど苦しんできたのか知っている。俺に話してくれたとき、彼女は何度も泣いていた。俺は、そんなピッカを二度と泣かせたくないと思っていたのに。
今は自分の手で泣かせている。
ごめんな、ピッカ。どうか俺を嫌いになってくれ。
エメシアさんにも、ひどいことを言った。
「トルセク様。少しお疲れではありませんか?」
「別に」
「最近、あまりお食事を召し上がっていませんわ。お体が心配です」
「お前には関係ないだろ」
「……ですが」
「お前の回復魔法って、本当に役に立つのか?」
エメシアさんが固まった。
「……どういう意味でしょうか?」
「昔、師匠を治療しようとして失敗したんだろ? そんな奴に体を預けるのは怖いんだよ」
エメシアさんの顔から笑顔が消えた。
「……トルセク様」
彼女は小さな声で俺の名前を呼んだ。
「それは……、わたくしが1番後悔していることですわ」
「知ってるよ」
「……でしたら、どうして」
「事実だろ。お前のせいで師匠が死んだんだから」
エメシアさんは口元を押さえた。紫色の目から涙がこぼれる。
「……はい」
彼女はうつむいた。
「おっしゃるとおりですわ。わたくしのせいで、先生は……」
それ以上、言葉が続かなかった。俺は拳を握った。エメシアさんの手が震えている。俺は何度も、その手に救われてきた。傷を治してもらった。熱を出したときには、一晩中そばにいてくれた。俺が無理をすると、本気で怒ってくれた。その全部が嬉しかった。でも、そんな気持ちを伝えることはできない。
「もう俺に関わらないでくれ」
俺は背を向けた。
「……トルセク様」
エメシアさんの声が聞こえる。
「わたくし……、もっと勉強いたします。二度と失敗しないようにいたしますから……」
俺は振り返らなかった。
最後はヌルーだった。
「トル、見て」
ヌルーが魔法書を持って近づいてきた。
「新しい魔法、できたよ。トルを守る魔法」
彼女は少しだけ笑っていた。いつも無表情のヌルーが、嬉しそうにしている。きっと、一生懸命研究したんだろう。本当なら褒めてあげたかった。でも、俺は首を振った。
「そんな魔法、いらないよ」
「……なんで?」
「お前の魔法なんか信用できないから」
ヌルーの笑顔が消えた。
「……ボク、ちゃんと作ったよ」
「そうやって自信満々に魔法を使って、昔も失敗したんだろ?」
ヌルーの手が止まった。魔法書が床に落ちた。
「……トル?」
「また暴走させるんじゃないのか? 今度は俺まで死なせるつもりかよ」
ヌルーの目が大きく開いた。彼女は何も言わなかった。ただ、俺を見上げている。
「……ボク」
小さな声が聞こえた。
「ボク、もう失敗しないように……、いっぱい勉強したんだよ」
「だから何だよ」
「トルを守りたくて……。ボク、頑張ったんだよ……」
ヌルーの目から涙がこぼれた。彼女は自分の手を見つめた。
「……ボクの魔法、怖い?」
「ああ。怖いよ」
「……そっか」
ヌルーはうつむいた。
「じゃあ、もう使わない」
彼女は落ちた魔法書を拾わなかった。
「ボク、もう魔法使わないから……。トルのこと、傷つけないから……」
小さな手が俺の服をつかむ。
「だから、嫌いにならないでよ……」
俺はその手を外した。
「もう遅いよ」
ヌルーの手が力なく落ちた。彼女はその場に立ち尽くしたまま、声を出さずに泣いていた。俺は部屋へ戻った。扉を閉めると、その場に座り込んだ。
「……くそっ」
もう嫌だ。みんなを傷つけたくない。これ以上、ひどいことを言いたくない。俺は4人のことが大好きなんだ。ガルディナの強さも、ピッカの明るさも、エメシアさんの優しさも、ヌルーの甘えん坊なところも。
全部、大好きなんだよ。なのに、どうしてこんなことをしなければならないんだ。
俺は両手で顔を覆った。涙が出てきた。追放されたくない。みんなと離れたくない。でも、俺が残れば4人は死んでしまう。そんな未来は、絶対に嫌だ。
俺は涙を拭いた。
あと少しだ。ここまで嫌われたんだ。もう少しで、きっと追放してもらえる。
翌朝。
「トルセク。話がある」
ガルディナが俺を呼び出した。食堂には、ピッカとエメシアさんとヌルーもいた。4人とも、目が赤い。きっと昨日、泣いていたんだろう。
「お前は最近、私たちを傷つけることばかり言っている」
「ああ。それがどうした?」
「なぜだ? 何か理由があるのなら話してくれ。私たちは仲間だろう?」
ガルディナは真剣な顔で俺を見つめた。ピッカも、エメシアさんも、ヌルーも。みんな、俺の答えを待っている。
……今なら、まだ間に合うかもしれない。
本当のことを話して、謝れば、みんなは許してくれるだろうか。また一緒に冒険できるだろうか。そう考えた俺は、すぐに首を振った。駄目だ。そんなことをしたら、4人が死んでしまう。
俺は覚悟を決めた。
「理由なんかないよ。前からお前らのことが嫌いだったんだ」
「……」
「正直、もう顔も見たくない。勇者パーティーにいるのも、うんざりなんだよ」
ガルディナの顔が青ざめた。
「トルセク……、本気で言っているのか?」
「ああ。お前らなんか、どうでもいい」
「……っ!」
ガルディナが拳を握った。
「私たちは……、お前を信じていたんだぞ」
「勝手に信じてただけだろ」
俺は笑ってみせた。
「俺はお前らのことなんか、最初から仲間だと思ってなかったよ」
その言葉を聞いた4人が、動かなくなった。ピッカの目から涙がこぼれた。エメシアさんは口元を押さえている。ヌルーは俺を見つめたまま、何も言わない。ガルディナだけが、震える声で尋ねた。
「……私たちと過ごした日々も、全部嘘だったのか?」
「ああ。全部嘘だよ」
本当は、全部宝物だった。みんなと過ごした日々は、俺にとって何よりも大切な思い出だ。でも、そんなことは言えない。
「俺はお前らと一緒にいても、少しも楽しくなかった」
ガルディナの目から涙がこぼれた。
「……そうか」
彼女はゆっくりと剣を抜いた。俺に向けて構える。
「お前は今日限りで勇者パーティーから追放だ!」
ついに、この日が来てしまった。俺は勇者パーティーを追放される。大好きな仲間たちと、もう一緒に冒険できない。
嫌だ。本当は追放なんてされたくない。
でも、これで4人の命を救える。俺は笑顔を作った。
「分かった。今まで世話になったな」
「……待て」
ガルディナが俺を呼び止めた。
「本当に……、それでいいのか?」
「ああ」
「私たちは、お前とずっと一緒にいたかったんだぞ……?」
ガルディナの声が震えている。
「私は……、お前と一緒に魔王を倒して、そのあとも……」
彼女は言葉を詰まらせた。俺は続きを聞きたくなかった。聞いてしまったら、戻りたくなるから。
「もういいだろ。俺は出ていくよ」
「……っ!」
ガルディナが剣を下ろした。
「……出ていけ」
小さな声だった。
「二度と……、私たちの前に顔を見せるな……」
「ああ。分かった」
俺は荷物を持って、出口へ向かった。
「トル!」
ピッカが駆け寄ってきた。目も鼻も真っ赤になっている。
「あたい、もういたずらしないから! うるさくしないし、ちゃんと言うこと聞くからさ! だから、行かないでよぉ!」
ピッカが俺の腕をつかんだ。その後ろから、エメシアさんも近づいてくる。
「トルセク様……。わたくし、もっと優秀な回復術師になりますわ。もう二度と失敗いたしません。ですから、どうか……」
「トル……」
ヌルーが俺の服をつかんだ。
「ボク、ちゃんとするから。魔法も使わないから……。だから、置いていかないでよ……」
3人とも泣いている。ガルディナまで、涙を流しながら俺を見つめていた。俺は胸が苦しくなった。どうして、ここまで引き止めてくれるんだろう。俺はこんなにひどいことをしたのに。みんなを傷つけたのに。それでも、まだ仲間だと思ってくれているのか。
……ごめんな。
俺も、本当は離れたくないんだ。ずっと一緒にいたいんだよ。でも、みんなが死ぬのはもっと嫌なんだ。
「しつこいな。俺はもう、お前らと一緒にいたくないんだよ」
俺はピッカの手を外した。エメシアさんから目をそらした。ヌルーの小さな手も、そっと外した。
「じゃあな。もう二度と会うこともないだろ」
そう言って、食堂を出た。背後から泣き声が聞こえる。ピッカが俺の名前を叫んでいた。エメシアさんも、何度も謝っていた。ヌルーの泣き声まで聞こえる。ガルディナは何も言わなかった。
俺は振り返らずに歩いた。
もし振り返ったら、きっと戻ってしまう。みんなのところへ戻って、謝ってしまう。それじゃ駄目なんだ。
俺は宿屋を出た。
外はいい天気だった。いつもなら、こんな日はみんなで冒険に出かけている。ガルディナが先頭を歩いて、ピッカが俺の隣で騒いで、エメシアさんが体調を心配して、ヌルーが俺におんぶをせがむ。
そんな毎日が大好きだった。もう、戻れないんだな。
俺は目元を拭った。
「……よし」
これでいい。
4人が生きていてくれるなら、それでいいんだ。みんなには俺のことを忘れて、新しい仲間と幸せになってほしい。俺はもう、勇者パーティーの仲間じゃない。
ただの鑑定士に戻ったんだ。
そう自分に言い聞かせて、俺は街の出口へ向かって歩き始めた。
「……どうして?」
トルセクが去った食堂で、ガルディナは立ち尽くしていた。
彼女の手から剣が落ち、床に大きな音を立てた。
「私が……、何をしたというんだ……?」
ガルディナは両手で顔を覆った。自分が強ければ、誰も失わずに済むと思っていた。だから、誰よりも剣を振ってきた。
勇者になって、国を守って、仲間を守ってきた。なのに、1番大切な人を失ってしまった。
「私が悪かったのか……? 命令ばかりしていたから……? だから、あいつは私を嫌いになったのか……?」
ガルディナの膝が床についた。
「嫌だ……。私は、あいつと一緒にいたいんだ……」
その隣では、ピッカが声を上げて泣いていた。
「あたい、いい子にするって言ったじゃん! もういたずらしないって言ったのに! なんで置いていっちゃうのぉ……!」
エメシアはそんなピッカの背中をさすっていた。しかし、彼女自身も泣いている。
「わたくしのせいですわ……。きっと、お世話を焼きすぎたのですね……。トルセク様はずっと我慢していらしたのに、わたくしは何も気づかず……」
そのそばで、ヌルーが床に座り込んでいた。金色の目から涙が流れ続けている。
「……ボク、嫌われちゃった」
ヌルーは自分の手を見つめた。
「何もできないから……。トルに全部やってもらってたから……」
4人とも、トルセクが自分たちを救うために最低な男を演じていたことなど知らない。だから、彼が去った原因は自分にあると思っていた。




