22.「女神降臨」
●【22.「女神降臨」】
竜巫女の館のある浮島にカイエたちがたどり着いた時、そこにはイーラが竜巫女の正装をして待っていた。
いつもはきちんと結ってある銀灰の髪を降ろし、純白のローブを纏い、頭には霞のような銀糸のヴェールを被っていた。
竜巫女の錫杖を持ち、背筋をぴんと伸ばして、凛と佇むその姿は年老いているにも関わらず、若さと美しさの絶頂にある乙女のようだった。
「女神デーデ……お待ち申し上げておりました」
イーラは優雅に会釈をする。
「世話をかけました……イーラ」
空色の翼をつけたミーサの姿をした女神が地面に降り立つと、翼は消え、カイエたちは人の姿に戻る。
カイエとエーレウスはそれぞれ背中に空色の片翼をつけた姿で女神の後ろに続く。
「館へどうぞ。すべての武具が目覚め、お待ちしております」
女神はうなづき、イーラの後に続いて館へと入る。
館の奥に続く長い廊下の入り口には桜翁が控えていた。
「女神デーデ。あなたの忠実なるしもべにして、草木の王たるこの桜翁が『沈黙の衣』を捧げます」
桜翁の手には淡い緑の衣が捧げ持たれていた。
女神は微笑み、桜翁に無言でうなづく。
桜翁は彼女の肩にそっと衣を着せ掛けた。
衣は軽く、羽のようで、彼女が動くたびに爽やかな若葉の香りがした。
しばらく進むと一人の壮年の男性が立っていた。
男は古代の彩岩楼皇国の衣装を纏い、闇のような黒髪と、穏やかな濃灰の瞳をしていた。気品のある仕草は、彼が身分の高い者であることを伺わせた。
「女神デーデに叡智の守りを」
男はその手に銀色に輝く兜を持っていた。
女神は少し屈んで、男の前に頭を向けると、男は彼女の頭にそっと兜を被せた。
兜は彼女の銀灰の髪によく似合っていた。
男はカイエとエーレウス、そして桜翁の後に従った。
さらに進むと今度は銀灰色の髪と瞳をした美しい少女が、大きな銀色の楯を持って待っていた。
その姿はイーラと同じ竜巫女の正装だった。
「女神デーデに慈愛の守りを」
少女は女神の前で跪き、両手に持った楯を捧げた。
女神は楯を受け取ると少女の頭を軽く撫でた。少女は驚いたように頬を染めてさっと後ろへ下がるとカイエたちの後ろに従った。
楯は女神の左手に握られ、僅かな光を受けても明るく輝いた。
廊下を抜け、中庭に出ると、まだ幼いソーナ族の少年と、少し年上らしいネッカラ族の少女がそれぞれ抜き身の剣と鞘を捧げもって待っていた。
「女神デーデに正しき力を」
少年の持つ鞘に、少女が剣を収め、二人は女神の前に跪き、剣を捧げた。
女神は剣を受け取ると、鞘を腰の飾り紐に挿し、鞘から剣を抜き、さっと一振りした。
剣が振りかざされるたび、無数の光の粉が舞い、その動きに沿って明るい軌跡を残す。
少年と少女もカイエたちの後に従った。
中庭の中央にはイーラが立っていた。
イーラは竜巫女の錫杖を空に向かってかかげ、叫んだ。
「竜王に仕えし全ての竜巫女よ!我が名はイーラ・トチ。アヴィエールの竜巫女にして女神のしもべである。我が声が届いたなら我が元へ急ぎ馳せ参じよ。裁きの時は来た。全ての武具は目覚め、拠りしろに女神は降臨した。記録者は来るべき時を待ち、時は満ちた……これは女神の意思である。これは女神の声である!」
程なく、南の方向から一羽の白鳩が舞い降りてきた。
白鳩は銀灰の髪と瞳の若い娘に姿を変えた。
ガイアルの竜巫女フェリス・トリステザだ。
続いて北の方向からやってきた白鳩は初老の女性の姿になった。
ユズリの竜巫女、ウネ・トッカリ。
西の方角からも白鳩が飛んできた。まだ七〜八歳ぐらいの幼女だった。
ヤパンの竜巫女、鄭 麗花だ。
東の方角から飛んできた白鳩は三十代ぐらいの女性の姿に変わった。
フォルカの竜巫女、イングリッド・シュルツ。
集まった竜巫女たちは揃って女神の前に進み出て、跪き、深く頭を垂れた。
「今より竜の裁きを行います。最後の裁きが行われてから長き時が経ちました……竜たちを土に返すか、いま一度領国を任せるか、わたくしは裁かなければなりません」
女神は静かにそう言った。
「ヤパンの竜巫女、麗花よ」
女神は麗花に声をかけた。
「はい。女神様」
「ヤパンは大人しくしていましたか?あの者は過去に一度、裁かれている。ヤパンの領国は今も穏やかですか?」
「女神様。私が知る限り、我が竜王ヤパンは平穏と静寂を愛しています。我が彩岩楼皇国は長きに渡り争いもなく穏やかです」
「そうですか。ヤパンはわたくしとの約束を守っているのですね……わかりました」
女神は次にイングリッドに声をかけた。
「フォルカは軽々しく天空の山の頂より抜け出してはいませんか?あの者は落ち着きがなく、人の体を借り、領民の中に紛れ込むことが過去に度々ありましたが」
イングリッドは女神に頭を下げたまま答えた。
「女神様。我が竜王フォルカは自由気ままにオルステインの空を駆けます。しかし、竜王はあれ以来一度も民の中には降臨しておりませぬ。そして、我がオルステインも安定しています」
「そうですか……ヘルガのことがよほど堪えたのですね……わかりました」
次に女神はウネに声をかけた。
「ユズリは領国を気にかけていますか?あの者はその鱗と同じく、心が凍りついています。ユズリの国の民は泣いていたりはしませんか?」
「恐れながら申し上げます、女神様……我が竜王ユズリは美しきものと正しき者を愛し、特に幼い子供たちを守護しています。ユズリの民は皆、笑顔で暮らしています」
「そうですか……そういえばユズリはあの子供達のために光を失ったのでしたね……ユズリの心もあの件以来、少しは温まったのでしょう……」
女神は薄く微笑むと、フェリスとイーラの方に向き直った。
「さて……アヴィエールとガイアルには言い訳もないでしょう?あろうことか領国を統べる王は二人とも死んでしまった。これは大罪です」
イーラとフェリスはただ、うなだれるだけだ。
「確かに、ミヅキとホムルの王はわが翼を内包する魂の持ち主でした。しかし、アヴィエールとガイアルが領国をしっかりと治めていれば、本来この時代での裁きはなかったはずでした。王は穏やかに一生を過ごし、翼も次の代の魂に受け継がれるはずだった……ところが、不測の事態が起きて、裁きの時は早まってしまった……」
女神はイーラに向かって言った。
「イーラ……わたくしはあなたに預言夢を見せて警告しました。この件に関してあなたはアヴィエールに問わなかったのですか?」
「恐れながら女神様……わたくしはあの夢は竜王が見せたものだと思っておりました。ですからわたくしは竜王に伺いをたてましたが、竜王は何もお答えになりませんでした」
「つまり、アヴィエールは黙って見過ごしたということですね?」
イーラは無言で俯いていた。
「フェリス。わが翼の一人であるカイエがガイアルの元に出向いたとき、ガイアルはカイエに直接干渉しましたね?どうして、カイエを試すような真似をしたのです?あなたはガイアルに何も問わなかったのですか?」
「女神様……どうして裁きの翼であるカイエ様に対し、竜王は試練を与えたのかわたくしも竜王に伺いをたてました。しかし、竜王はこの件について、わたくしに何もお話になりませんでした」
フェリスはひれ伏しながら言った。
「ガイアルの真意はガイアルでなければわからないということですね……わかりました。この件については、あの者たちの口から直接話を聞くとしましょう。イーラ、フェリス……竜たちに会ってみましょう。わたくしに続きなさい」
女神は振り返ると、カイエとエーレウスを呼んだ。
「我が翼たちよ……あなたたちはアヴィエールとガイアルの領国の正統な王でした。竜たちに会う前にあなたたちの話も聞きましょう」
カイエとエーレウスは女神の前で跪き、項垂れているだけだ。
「あなたたちが大きな罪を犯し、戦が始まったのはアヴィエールとガイアルが領国を省みなかったせいです。彼らはあまりに領民を省みなかった……違いますか?」
「違うと思います」
カイエは言った。
「今度のことは僕が原因です。僕の罪は僕の心の弱さ、思慮のなさが引き起こしたものです。竜王には関係がありません。そればかりか、竜王は僕に償いの機会を与えてくださった」
「いいえ」
女神は困ったように言った。
「それはあなた一人の罪ではないのです。カイエ」
「あなたたちは竜たちの鱗から生まれた竜の末裔。その奥底に流れるものは竜の意思……ホムルの民の荒々しさはガイアルの気性の激しさ。ミヅキの民の思慮の浅さはアヴィエールの気の弱さが元になっているのです。領民の罪は竜の罪です」
「恐れながら申し上げます。女神様……僕はそうは思いません。僕の罪はあくまでも僕自身のものです。裁かれるべきは僕であり、竜王ではありません。竜王は僕たち領民を愛してくれています。だから、僕に償いの機会をくれたのだと僕は信じています」
カイエはきっぱりとそう言った。
「カイエ……あなたは真実を知らないだけです。アヴィエールは償いの機会を与えたというわけではありません。アヴィエールとガイアルは領民である人間が野望を持って自分たちの意志に関係なく、勝手に領国を侵そうとしていることに気づくのが遅かったのです。彼らは翼として選ばれたあなたたちの気持ちを上手く利用して、この事態を修正をしようとしたに過ぎません。わたくしの翼は『罪を含んだ二人の少年』です。竜たちは悔い苦しむあなたの心を利用したのです」
「そんな……」
カイエは激しく首を横に振る。
「竜王がそんなことをするはずがない……僕の罪は予定されていたとでも言うのですか?女神様……たとえ女神様のお言葉といえど、僕は信じられません」
「あなたたち二人の魂がわたくしの翼となることはあなたたちが生を受ける前から既に決められていました。ただ、どの領国にどんな身分で生まれるかはわたくしにも竜たちにもわかりませんでした。それを決めるのはわたくしではありませんから……翼の条件である『重き罪を含んだ少年』が、あろうことか二人とも王太子として生まれたことは竜たちにとっては予想外だったのですから」
女神はカイエに諭すような口調でそう言った。
「では女神様、なぜ僕たち「裁きの翼」は罪を含んでいなければならないのですか?」
カイエは臆することなく彼女に問い掛ける。
「罪を知らぬものが罪を裁くことは出来ません。自らその苦しみと重みと悲しみ、そして後悔を知った者でなければ罪びとの気持ちはわからない。裁きの翼はただ、天空を駆けるのみのものに非ず。正しきことと罪なることを量る天秤でもあるのです。もし、あなたたちのどちらかが、罪を知らなければ、翼はまっすぐ飛ぶことができず、わたくしは天空から地上へ叩きつけられるでしょう。あなたたちの魂はそのために選ばれたもの。罪を知り、苦しむことと引き換えに、正しく裁く力を託されたのです」
カイエは新たに聞かされた真実に驚きを隠せなかった。
「では、すべては決められていたことなのですか?誰が決めたことなのですか?」
「それをあなたに答える義務はわたくしにはありません」
女神は冷たく言い放った。
呆然とするカイエを庇うようにエーレウスが前に出て、言った。
「女神様。今度の件に関し、俺たちは竜王の干渉など受けていません。伯父上……いや、俺たち竜王の領民が勝手に起こした災いです」
エーレウスの言葉に女神は首を横に振る。
「竜たちはあなたたち領民に昔から深く関わってきたはずです。竜王教はただの偶像を崇拝する宗教ではなかった。だから、これほどまでにあなたたちに深く関わっている……あなたたちの神たる竜たちが何も知らないとあなは思うのですか?」
不意に女神そう聞かれ、エーレウスは戸惑う。
「……それは……」
エーレウスは返す言葉がなかった。
確かにこの件に関わってから、エーレウスは不思議なことを沢山体験している。
人の力が及ばない、神なる意思が働いていることをエーレウスは否定できなかった。
「かつて、竜たちはその覇権を争い、この世界を壊しかけました。その罪により、竜たちは領国という名の牢獄に封じられたのです。彼らは定められた自分の領国からは決して出ることはできません。そこで、竜たちは自らの分身として自らの体の鱗を使ってあなたたち領民を作りました。鱗から作られたあなたたち領民は、領国の外へ自由に出ることができるのです。これがどういうことかわかりますか?」
女神の冷たい眼差しがエーレウスを刺し貫くように見る。
監視の女神は美しいが、その表情は冷徹であると何かの書物で読んだことをエーレウスは思い出す。
「……領国から出られなければ、領国を広げればいい……そういうことですか?」
「そのとおりです」
女神は静かにそう言った。
「野望を持ち、暴走する領民が、ガイアルの国の民から出たということは、それはガイアルに野心ありと判断するしかありません。たとえ、今回のことがガイアル自身が意図しなかったことであったとしても、ガイアルの心の奥底にはまだ、覇権を望む心があるのでしょう」
エーレウスはまだ納得がいかないようだった。
「しかし女神様……我がホムルは昔から領国を広げる戦いを繰り返してきました。もし、竜王ガイアルの野望によるものなら、もっと早く竜王は裁かれていたのではないのですか?」
「ええ……わたくしは竜たちによる小競り合いを認めてきました……はるか昔には、竜の意思を受けた領民たちにより、自らの領国を広げるための戦いが繰り返されました。荒ぶる竜たちを完全に静めることはできなかったからです。そこで、わたくしはひとつの掟を定めました。領国の首都、および聖地だけは決して侵してはならないと。そして、その約束はかつて一度だけ、わたくしが竜たちを裁いた時より守られつづけていました」
エーレウスは自分の伯父が引き起こしたことの重大さを改めて感じた。
「ガイアルは自分の密かな野心が暴走したことに気づかなかった。そして、アヴィエールはそれに対して消極的でした。アヴィエールは荒々しい竜たちの中では最も気がやさしく大人しい竜です。しかし、最初の野望の芽をアヴィエールが潰していれば、事態はここまで大きくはならなかった。アヴィエールは領民に任せすぎたのです。それが却って領民たちを傷つけることに気づかなかったのはアヴィエールの罪です」
カイエとエーレウスはすっかり黙り込んでしまった。
「わが翼たちよ……世界はもう竜たちだけのものではないのです。彼らの鱗から作られた領民たちは長き時の間に交わりあい、今では純粋な竜の末裔は殆ど残ってはいない。あなたたち領民はそろそろ竜たちの呪縛から解かれなければなりません……この世界はもともと竜たちのために用意された世界ではありません。竜たちは世界を守護するために作られたもの。この世界は竜たちのものではなくあなたたち領民のものなのですよ」
殆ど無表情に近かった女神が初めて微笑みを見せた。
それはカイエとエーレウスが好きなミーサの笑顔だった。
「女神様……竜王はどうなるのですか?」
カイエが女神におそるおそる訊ねた。
「わたくしはこの世界を本来の持ち主に返すために彼らを裁きます。土に還るか、領民に一切干渉をせずに沈黙するか、それは彼らが決めること。わたくしは自分に定められた仕事をするだけです。あなたたちはわたくしと共に見届けるのです。かつて竜たちに最も近い領民の王であったあなたたちにはその資格があります」
カイエとエーレウスは黙ってうなづいた。
そして、お互いの顔を見合わせ、また小さくうなづいた。
「女神様。俺たちはあなたの翼としてこの裁きを見届けます。この世界の行く末を見届けます」
エーレウスが力強く言った。
「女神様。願わくばどうか竜王にもお慈悲を。竜王は僕たち領民を愛しているのですから」
カイエが言った。
「わかっていますよ……カイエ……誰よりも領民を愛しているのは他ならぬ竜たちなのですから」
女神はそう言うとカイエとエーレウスに向かって両手を広げた。
「さあ、行きましょう。わが翼たちよ。竜たちの本意を知るために」
カイエとエーレウスは空色の鳥に姿を変え、女神の両肩に止まった。次の瞬間、女神の背には大きくて力強く、美しい空色の翼が現れた。
ゆっくりと大きく羽ばたき、女神の体は空に舞い上がる。
五羽の白鳩がそのあとに続く。
鏡湖の上空に高く舞い上がると、女神は剣を抜き、鏡湖の湖面を指して言った。
━━━━━━━ 我が召喚に速やかに応じよ。ミヅキの竜王、アヴィエール!




