20.「死闘」
●【20.「死闘」】
低く、地の底から響き渡るような太鼓の音。
その太鼓の音すら霞む歓声。
カイエのまわりを守る多くの兵士たちが作る一本の道は、カイエを最後の戦いの場へ導いていた。
目の前に広がる人の壁。
向かって右側にミヅキの民。
左側にはホムルの兵士たち。
正面にはソーナ族たち。
それぞれがカイエやエーレウスの名を呼び、叫びを上げていた。
カイエは胸を張り、しっかりした足取りでゆっくりと戦いの場の中央に進む。
エーレウスはもう戦いの場にいた。
カイエをじっと見つめている。
表情はなく、ただ、少し強めの風の中で佇んでいた。
カイエは進む。
親友との命をかけた真剣勝負のために。
大庭園の中央。
大歓声は割れんばかり。
耳の感覚がおかしくなりそうなほど。
特別に作られた戦いの場に、二人の若き王は立っていた。
エーレウスの前にカイエは進み、声をかけた。
「エーレウス……また、逢えた」
「ああ」
出合ったばかりの頃のような無愛想さでエーレウスは短く返事をした。
「こんな殺伐とした場所じゃないところで逢いたかったよ」
「俺もだ」
お互い、愛用の剣一本だけを帯びた姿。
お互いの命と、国の命運をかけた勝負という悲壮さは感じられず、むしろ、お互いの剣の技を試すための練習試合を始めるかのように見えた。
二人の前に一人の男が進み出た。
法王から勝負を見守る命を受けたエセル神官長だった。
「古よりの勝負の作法に従い、ミヅキ国王、カイエ・ルア・エフィニアス・ミヅキと、ホムル国王、エーレウス・フィリス・デラ・ホムルとの正式勝負を執り行う。なお、勝敗はどちらかの死亡をもって決着とし、敗者の領国は勝者の領国の一部となる。この勝負の結果についての異議はいかなる者であっても唱えることはできない」
エセル神官長は二人の前でそう宣言した。
「双方、異議はないか?」
二人は無言でうなづいた。
「竜王教総本山法王の名代として、竜王アヴィエールの神官長、エセル・エフィニアス・ミヅキが了承し、見届けるものとする。両者は太鼓の音を合図に勝負を開始せよ」
エセル神官長はそう言って、二人の側から離れると、二人から少し離れた場所に特設された椅子に座った。
「はじめ!」
エセル神官長がさっと手を上げると、太鼓が一度打ち鳴らされた。
「手は抜くなよ。カイエ」
「そっちこそ」
最初の火花が飛び散った。
エフィより伝授されたカイエの剣技は身軽さとスピードを生かしたもの。
エーレウスの打ち込みをかわし、隙をついて攻撃する。
対してエーレウスの剣技は独学。
カイエに比べると動きに少し無駄はあるが、力強く、破壊力があった。
まるで、打ち合いを楽しむかのように二人の表情は楽しげだった。
「命をかけてるんだぞ?にやにや笑うなよ。カイエ」
剣を打ち合わす瞬間に小声でエーレウスが囁く。
「エーレウスもやけに楽しそうじゃないか」
「まあな」
息が上がってきてはいたが、二人にはまだ余裕があった。
「本気じゃ、ないだろ?」
エーレウスはカイエの鼻先を剣で掠めつつ言った。
「まだ余裕がある。エーレウスもだろ?」
「ああ」
打っては離れ、離れてはまた打ち、決着はなかなかつかなかった。
「戦っているのにこんなに楽しいのははじめてなんだ」
エーレウスが言った。
「ああ。僕もだエーレウス。練習試合のときより、数倍楽しい……でも……」
カイエが真顔になった。
「これは命をかけた勝負でもある」
「……ぐっ……」
カイエの剣先がいきなりエーレウスの頬を掠めた。
エーレウスの頬にすっと、赤い線のような傷が刻まれる。
「そろそろ、本気で行くってことか……わかったよ。カイエ」
エーレウスの表情から穏やかさが消えた。
「今からは本気だ……簡単に死なないでくれよ?」
「そっちこそ」
勝負は数時間ものあいだ続いた。
太陽がそろそろ西に傾く時間になっても、二人はまだ打ち合いを止めなかった。
お互い、疲労は極限に達していた。
二人は体中にちいさな傷を負っていた。
致命傷になるような傷ではなかったが、それは確実に二人の体力を奪っていた。
「……もう、見ていられないわ……」
観客席のフェリシダドが目を覆った。
「……お母さん……」
ジョアンが心配そうな顔をする。
「お母さんが見られないなら僕が見るよ」
「ジョアン」
「だって、あんなに真剣に戦ってる……友達なのに……誰よりも傷つけたくない相手なのに」
ジョアンは傷だらけでふらふらの二人から目をそらさずに言った。
「だからこそ、僕は最後まで見るよ……」
「ジョアン……」
フェリシダドは息子の小さな手をぎゅっと握った。
握り返してきた手の力強さにフェリシダドは元気付けられる。
「……私も見るわ……エーレも、カイエも私の大切な子たちだもの……」
最初に、深い傷を負ったのはカイエだった。
疲労のために動きが鈍ったせいだろう。
足をなぎ払われ、カイエは地面に膝をついた。
悲痛な叫びが観客席からあがった。
「どうしたカイエ……これまでか?」
「まだだ……」
油断をしたエーレウスのわき腹をカイエの剣が掠める。
「うっ……」
鮮血が噴き出し、白いスクートの腹のあたりが赤い血で染まった。
「油断するからさ」
二人の動きが鈍くなるのに比例して、流血の量は増えてゆく。
カイエは目が霞み始めるのを自覚し、エーレウスは足がふらついて思うように動かないのを自覚した。
「もうやめてくれ!」
誰かが叫んだ。
「もういいじゃないか!やめさせてくれ!」
別の声がする。
「お願いだ!あの二人を止めてくれ」
居たたまれなくなった観客から懇願の声があがる。
「陛下!もうおやめください」
兵士たちや近衛たちがカイエ達に近づこうとした。
「黙れ!」
カイエが近衛たちを一喝した。
「これは国の命運をかけた真剣勝負!邪魔をするな」
「しかし……」
近衛たちは戸惑っている。
「決着をつけるまでは誰も近づくな。見たくなければ去れ!」
エーレウスも静かな声で言った。
「……陛下」
兵士たちや近衛たちは下がるしかなかった。
カイエとエーレウスの気迫が、それ以上彼らを近づけなかったのだ。
あたりは静まり返った。
歓声はぴたりと止み、誰一人として声をあげなかった。
恐ろしいほどの静けさの中、剣が打ち合う音だけがやけに大きく響く。
太陽が沈み、あたりが茜色の残照で真っ赤に染まる頃、二人は最期の時を迎えようとしていた。
カイエの剣はエーレウスの心臓を狙い、エーレウスの剣も、カイエの心臓を狙った状態で、ピタリと静止したのだ。
それは一瞬の出来事だった。
エーレウスの剣を交わそうとしたカイエは誤って地面に倒れ、その隙をついてエーレウスがカイエの上に飛び乗った。
心臓を狙い、まさに一突き……の瞬間、すでに体のしたからエーレウスの心臓はカイエの切っ先に狙われていた。
次の瞬間、どちらがより早く動いたかで全てが決まる。
「……この瞬間を待ってた。カイエ……」
「ああ。僕もだ……エーレウス」
「躊躇するなよ」
「……わかってる」
カイエはエーレウスの漆黒の瞳を見つめた。
そこには自分の姿が映っている。
自分の瞳にはおそらく、エーレウスの姿が映っているのだろう。
「本当にいいんだな?カイエ」
「それはこちらがききたいさ」
「……カイエはよく戦ったさ……ありがとう……」
「それは僕も同じだよ。エーレウス……ありがとう……そして、すまない」
剣を向け合ったまま、小さな声で囁きあう。
残照の暗い赤色がエーレウスとカイエを赤黒く染める。
お互いの表情は、もう殆ど見えなかった。
あの日、エーレウスがカイエに小声で囁いた言葉をカイエは改めて思い出す。
「決着なんてつけなくていい。最後は刺し違えればいい……二つの国の王がいなくなれば、どちらももう傷つかない」
どちらが勝っても遺恨を残すなら、いっそどちらも勝たなければいい。
エーレウスはそうすることを選んだ。
それは、どちらも死を選ぶこと。
共にあるためには、どちらが残ってもいけない。
女神の翼の片方が、欠けるわけにはいかないのだから。
しかし、カイエは悩んでいた。
エーレウスがなぜ死ななければいけないのか。
罪を受けるのは自分ひとりのはずなのに。
カイエはエーレウスに最後まで負い目を感じていた。
「エーレウス……もう一度聞く……本当にいいのか?」
「何言ってんだ、カイエ。友達が信じられないのか?」
カイエの心のひっかかりが最後の最後で溶けた。
そうだった。
ずっと、エーレウスを信じていた。エーレウスがずっと信じてくれていた。
カイエの心は満足だった。
もう、何も怖くなかった。
誰よりも大切な親友。
同じ翼の片方を持つ、永遠の理解者……。
共にある。
ずっと、共にある。
殆ど暗闇に紛れて見えないはずなのに、カイエはエーレウスの表情が、笑っているように見えた。
だから、カイエも笑って見せた。
見えているかどうか、もうわからなかったけれど。
最後にカイエは考えた。
本当に、これでいいのだろうか?
これで、ミヅキとホムルは救われるのだろうか?
大切な民は、これ以上傷つかないだろうか?
自分が正しいことをしたのかどうかカイエにはわからなかった。
最後まで、わからなかった。
でも、これしかもう、できることはなかった。
竜王……教えてください。
━━━━━━━ 僕らの選択は本当にこれで正しかったのですか?
カイエは最後の力を振り絞り、ためらうことなくエーレウスの心臓を貫いた。
そして、カイエ自身の心臓もその瞬間、エーレウスの剣で貫かれていた。




