19.「犠牲」
●【19.「犠牲」】
控え室のカイエは穏やかだった。
粗末な作りの机と椅子が一脚づつあるだけで、他には何もない石造りのその部屋にカイエは一人でいた。
カイエはこの部屋に誰も入れなかった。
椅子に深く腰掛け、目を閉じて腕を組んでいた。
カイエの目の前の机には彼の愛用の剣が置かれていた。
くすんだ色をした鋼の剣は、古いがよく手入れされていた。
この剣は、カイエが十四歳の時にエフィから贈られたものだ。
十四の年に、初めて練習試合でエフィを負かした記念に贈られたものだった。
無駄な装飾がなく、持ち手は握りやすく、振り回しても疲れない適度な重みがあるその剣は、カイエの為に選ばれた品物。
戦うために作られた、実用的なその剣をカイエはとても気に入っていた。
カイエはこの剣で人を傷つけたことはない。
しかし今日、この剣は親友の体を傷つけるのだ。
カイエは鎧も兜も着けなかった。
臣下たちはカイエに身を守る防具をつけて欲しいと懇願したが、カイエは頑としてそれを受け入れようとはしなかったのだ。
ミヅキの伝統的な衣装であるローブナと呼ばれる長衣と、淡い茶色のマントを纏っていただけだった。
外のざわめきはこの部屋には届かなかった。
まるで世界が静止したかのように静かな空間の中で、カイエはただ、じっとその時を待ちつづけていたのだ。
少し離れた部屋の控え室で、エーレウスもカイエと同じく一人で過ごしていた。
彼は剣を鞘から抜き、鈍く輝くその刀身に映る自分の顔を見つめていた。
彼も防具を着けていなかった。
ホムルの衣装であるスクートを着け、緋色のマントを羽織っただけの格好だった。
異国の地で国の命運をかけ、親友と戦う。
剣の切っ先より鋭い、彼の視線は刀身の中の己に向かい自問自答をしているかのようだった。
親友の命をこの手で絶つことができるか?
躊躇はしないか?手を抜かないか?
エーレウスは何度も心の中で自分に問い掛ける。
そして、何かを決意したようにうなづくと、彼は剣を鞘に収め、椅子に座って目を閉じた。
エフィは嫌な胸騒ぎを感じていた。
侵入者はまだ見つからなかった。
宝物殿をはじめとする、国の宝がある場所が荒らされた形跡もなく、またそこに誰かが侵入した形跡もなかった。
魔道士団の探査術士が総力をあげて探していたが、手がかりがなければ何を探すかも見当がつかず、彼らの能力は役に立っていなかった。
勝負の時間は刻一刻と近づいていた。
「……いったい誰が、何の目的で……」
腕組みをして、そう呟いた瞬間、エフィははっとした。
目的は宝物なんかじゃないかもしれない。
国王の勝負を妨害するための侵入者だとしたら……?
エフィがその考えに至ったその時、突然背後で人の叫び声がし、続いて爆音がした。
「どうした!何があった?」
エフィは異変があった場所に駆けつける。
黒煙があがり、火が激しく燃えていた。
血まみれの近衛が数人と、巻き込まれたらしい女官が何人か倒れていた。
「か……閣下」
「どうしたんだ!」
「急にその部屋から誰か飛び出してきて、そのあと爆発が……」
傷ついた近衛の一人が激しく黒煙と火の粉を噴き出す部屋を指差した。
人通りの多い廊下に面する部屋が突然爆発したのだ。
エフィは煙をマントで払い、燃え盛る部屋の様子を見た。
真っ赤な炎と黒い煙が部屋の中に充満していた。
幸いここは空き部屋だったため、人はいなかった。
「この匂いは……」
エフィは激しい黒煙にむせつつも、その中に混ざる独特の匂いに気づいていた。
「グリシア……誰がこんなものを」
グリシア。別名を爆弾草と呼ばれる毒草だ。
ホムルの聖地、オレロドイン火山でしか採れない貴重なものだ。
赤い実をつけるが、その熟した実を乾燥させ、刺激を与えると爆発して発火するので、主に鉱山での爆破採掘作業に使われるものだ。
危険物に指定されており、滅多に手に入らない。
この実が爆発したときには独特の匂いがあるのですぐにわかる。
「きゃぁーーーーっ!」
別の場所で女官の悲鳴が聞こえた。
「こんどは何だ!」
エフィが悲鳴のほうに駆けつけると、更に新たな爆音がして、何人かの近衛や女官、それに侍従たちが倒れていた。
「黒髪の……ホムル人の男が……あっちに……」
倒れていた女官の一人が弱々しい手つきである方向を指差した。
「……控え室?……まさか!」
女官の指差した方向はカイエのいる控え室だった。
「陛下!」
エフィは全速力で走り始めた。
カイエのいる控え室の周りは厳重な警備をしていた。
しかし、カイエ本人が精神を集中したいので部屋の周りに誰も近づけないでくれと言った為、控え室の近くには誰も配置していなかった。
もちろん、その周辺は堅牢に守ってあったが、そこを狙うようにグリシアの実が投げ込まれ、多くの負傷者が出た。
別の場所でも爆音がした。
侵入者はあちらこちらにグリシアを投げ込んでいるのだ。
あたりは混乱し、おそらくカイエの控え室の周りの警備が手薄になっているはずだった。
「……しまった……侵入者の狙いは陛下本人だったのか」
エフィは舌打ちした。
長い廊下を、焦りに追われながらエフィは走った。
廊下の突き当たりの曲がり角を曲がればカイエの控え室はすぐだった。
「陛下!」
曲がり角を曲がった瞬間、エフィは驚きの光景を目の当たりにした。
ホムル人の男が二人、剣を交えていた。
一人はホムル人らしき褐色の肌の男だったが、フードを深くかぶっているため顔がよく見えなかった。
そして、もう一人はクラウ……そう、オリベイル・カランだった。
「エフィ!国王を守れ!」
オリベイルは襲い掛かってくる男の剣をかわしながら叫んだ。
「そうはいくか!」
男は手にしたグリシアをオリベイルに投げつけた。
爆音が起こり、オリベイルの体が吹き飛ばされる。
「オリベイル!」
倒れたオリベイルにエフィが駆け寄った。
「私はいい……行け……お前の主を守れ……」
「なぜ……なぜあなたがここに?」
「いいから早く!時間がない!」
なぜここにオリベイルがいるのか、そしてもう一人の男はいったい誰なのか?
突然のことに戸惑うエフィを振り切り、オリベイルは男の前に立ちはだかった。
「この戦いだけはお前には邪魔させない!」
「黙れ!」
男の剣がオリベイルの腹に深くつき刺さった。
「……ぐ……」
オリベイルは口から血を吐き出す。
しかし、彼は倒れることなく、男の脚にしがみついた。
「邪魔だ!どけ」
「どかない」
オリベイルは男にますますしがみつく。そして、唖然としているエフィに向かって叫んだ。
「ここはいいから早く!」
「オリベイル!」
エフィはオリベイルを助けようと剣を抜いた。
「行けと言っているのがわからないか!」
オリベイルは凄まじい形相でエフィに向かって剣の先を向けた。
「お前はお前の役目……を……」
「ええい!離れろ!」
オリベイルの口から鮮血が溢れ出る。
男がオリベイルの背中を刺したのだ。
「いいから行け!」
絶叫に近いオリベイルの声に弾かれたように、エフィは走り始めた。
エフィを憎んでいたはずのオリベイルがなぜ、このような行動をとったのか、エフィにはわからなかった。しかし、今はオリベイルのその気持ちを無駄にしてはいけないと思った。
エフィは振り返らなかった。
必ず戻る……それまで……。
エフィは全速力で控え室に向かった。
エフィが控え室に着いたとき、丁度カイエが控え室から出てきた。
「陛下」
「騒がしいな……何かあったのか?」
「いえ、何もありません。陛下」
「そろそろ時間だな」
「はい。こちらへ」
エフィはカイエを大庭園へ導いた。
「こちらは遠回りではないのか?」
わざわざ遠回りの道を選んだエフィにカイエは不思議そうに訊ねる。
「はい。あちらは今、観客の多さに警備の方が混乱しておりまして……安全のために陛下には遠回りをしていただきます」
「そうか」
カイエはそう言っただけだった。
「陛下!閣下」
一人の近衛が駆けつけてきた。
「陛下も閣下もご無事……」
そこまで言いかけた近衛にエフィは目配せした。
エフィの意図を察した近衛は、はっと口をつぐんだ。
「何だ?」
「いえ、何でもありません」
大庭園の歓声がひときわ大きくなってきた。
カイエは大きく深呼吸をした。
「……なぜ、突然裏切った……クラウ……」
血まみれのオリベイルをなんとか振り切ろうともがきながら男は言った。
「……私はもうクラウではありませんのでね……」
男は苦々しい表情をする。
「協力すると見せかけ、王宮の歩哨を殺し、グリシアを私にもたせたのはお前だ……ここまでしておいて最後の最後で噛み付くとはな……さすがに私の誤算だった」
「器じゃない者が国の支配者になるのが気に入らなかっただけですよ……イサノ閣下。自分の身の丈は知っておいたほうがいい」
「ご大層なことだな、クラウ。お前のような穢れきったクズがどの口でそれを言う」
「……では、そのクズにすら裏切られたあなたは何なんです?」
イサノの表情が歪む。
そのとき、大庭園の方から大歓声が沸き起こった。
「勝負の刻限だ……畜生……」
イサノが悔しそうに言った。
「仕方ない……もし、カイエめが勝ったなら、最後に私がこの手で始末すればいいことよ……だが……」
イサノは渾身の力を振り絞り、オリベイルの背中に再度剣を突き立てた。
「その前に、お前を葬らねばな……」
鮮血が噴き出し、あたりに血だまりができる。
しかし、オリベイルは最後までイサノの足を離そうとしなかった。
━━━━━━━ 彼の意識が途切れた瞬間まで。
「陛下。ご武運を」
「必ず戻る」
近衛の一人に付き添われ、カイエの背中が見えなくなるまでエフィはその場に佇んでいた。
これでいい。
これで、自分の役目は果たした。
あとは運を天に任せるだけだ。
オリベイルを救いにいかなければ。
ほっと一息ついて、力を抜いたその瞬間、エフィは背中に灼熱感を感じた。
「……ぐっ……」
振り返ると血まみれのイサノがエフィの背中をふかぶかと刺し貫いていた。
「……お……お前は……」
エフィはその場に膝をつく。
「オリベイルは……どうした?」
「愚かな男よ。今ごろは冷たくなっているだろうよ。私に従っていれば、新たな国で要職のひとつにもつけてやったものを。所詮馬鹿は馬鹿ということだ」
「……貴様……」
エフィは掠れた声しかでなかった。
ふいを突かれた背中の傷は想像以上に深かったのだ。
「邪魔な近衛師団長……エフィ・タチバナ……お前も親友とやらの後を追うがいい」
イサノは剣を振り上げる。
この体制では避けるのは不可能だった。
(やられる!)
だが次の瞬間、イサノは崩れおちるようにその場に倒れた。
「……な……なぜだ……」
イサノは口から大量の血を吐いた。
エフィは残る力を振り絞ってイサノの側に近づく。
苦しみもがくイサノの膝の裏に小さな赤い針が刺さっていた。
それを見たエフィはオリベイルがイサノに何をしたのか理解した。
「……トゲタマラ針……」
猛毒のトゲタマラ草の毒を塗った赤い針。
トゲタマラ針は暗殺者の間でよく使われる道具だ。
そしてこのトゲタマラ草の毒はかつてカイエの父を暗殺した猛毒。
「…………クラウめ…………やりやがったな…………私の……新しい私の国…………ここまでか……」
最後に口からどす黒い血を吐いて、イサノは絶命した。
エフィの全身から力が抜ける。
「……オリベイル……なぜ……なぜ……?」
「彼は彼の役目を果たしたんじゃ」
いつのまにか小柄な老人がエフィの側に立っていた。
「…………あなたは……?」
はじめてみる老人だった。
しかし、エフィはこの老人にどこかで逢ったような気がしていた。
「オリベイル・カランは間も無く死ぬ。だが、彼は新たな命を生きる。罪びととして、これから長き時間を生きる……女神に隠されたベルガーの末裔の一人、『記録者』として、長き時間を過ごすのだ……」
「……記録者?」
老人は静かに言った。
「そう。神話の時代、禁断の命を宿したコンラートとセラスの遠い子供たち……ベルガーの一族はその存在を隠され、決してひとところに留まることなく世界中を彷徨いながらその罪を受け継いできた。古の女神との約束を果たすためだけに……オリベイルもまた、その血を受け継ぐ運命の子の一人だった……全ては『あの方』が仕組んだこと……我々はそれに従って生きているだけじゃ……」
「なにもかも、しくまれたことだというのですか?」
老人は頷いた。
「では……陛下は……」
「運命は、もう変えられぬ。お前は見届けなければならない……親友と最後の別れをしたければ今ならかろうじてまだ間に合うだろう……だが、いずれにせよお前には何も変えられぬ」
一陣の風が吹いて老人の姿は消え、桜の花弁がひとひら散り落ちてきた。
「……陛下……オリベイル……」
エフィは、その場に力なく崩れ落ちた。




