第十四話 海獣亭
暗くなる前に、なんとか着くことが出来たな。
とても目立つ派手な看板に、書いてある文字を見る。
なになに……『ダニオの海獣亭』か。
三階建で、比較的状態の良い木製の建物だ。
店先に、馬や荷を引くロバを一時繋いでおく『馬止め』がある。
店の横には、馬小屋が隣接されているようだ。
建物の扉に近づく。
ドアは簡素な『ウェスタン扉』風になっており、外からもある程度店内の様子が伺えた。
入ろうとするが、入り口に書いてある注意書きが目につく。
手を水で洗い、靴の泥を落とすこと!
随分と綺麗好きの店主なのだろう。
注意書きに従い、さっさと泥を落とす。
少し押すだけで簡単に扉が開き、たやすく店内に吸い込まれる。
店内は、端に沿ってテーブルと椅子が二十席程の広さ。
カウンターがあり、店主らしき人物がその奥にいた。
「酒と飯は鐘が鳴ってからだ……それとも泊まりか?」
スキンヘッドで強面の顔の親父が俺に視線をやり、野太い声で対応してきた。
顔には、いくつもの刀傷がある。
かつては戦う仕事に携わっていたのだろう。
「あんた店主か? 飯も酒も貰いたいが、まずは部屋を借りたい」
店主が自分の足下から、羊皮紙を取り出し、カウンターに置き俺に見せる。
どうやら、部屋の種類と値段等が書いてあるようだ。
詳しく見ようとする俺に、店主が口でも説明してくれた。
「簡単な朝食付きで、個室は銅貨三十枚、二人部屋は他の客と相部屋になる。一人なら銅貨十五枚だ、それと……」
そこまで話して、男の言葉が止まる。
そして男の視線の先は、俺の肩に乗っている白い鷹の姿のイン子だ。
綺麗好きの店……俺はすぐに理解する。
宿泊部屋に動物の類は禁止なんだ! と、男が喚きはじめた。
やはりそうきたか。
「コイツは清潔だ、安心してくれ。それに――」
【――よい、妾は外で構わぬ】
【……いいのか?】
【外の方が空気がよいのでな】
【わかった。部屋のほうは妥協するが、俺に任せてくれ】
だが食事は別だ。イン子だけ外で食わすわけにはいかん。
「コイツは部屋には宿泊させないし、案内されたらすぐに外に出す。……それなら良いか?」
店主は渋々と頷いた後、どちらの部屋にするか聞いてきたので、先程イン子から貰った銀貨を、そっとカウンターの上に置く。
「二日間泊まりたい。相部屋で頼む」
本当は個室が良いが、それだと二日で、銅貨六十枚になる計算だ。
俺は銀貨の価値を、銅貨五十枚程と睨んでいる。
ま、足りなかったら勘違いで誤魔化せば良いだけ。
店主は銀貨をしまい、代わりに大きめの木箱を取り出す。
銅貨入れ専用と思われる木箱から、十枚を一組に積み上げた銅貨を七つ、俺の目の前のカウンターに並べた。
「釣りの銅貨七十枚だ」
それを受け取り、とりあえずズボンのポケットにしまう。
……銀貨一枚で、銅貨百枚の価値があるのか。
これなら個室にすれば良かったな。
うは……ポケットが銅貨でパンパンだ。
こりゃ、小銭入れか財布がないとキツイぞ。
路地裏で絡まれ、『ジャンプしろ!』と言われたら、確実にバレてしまう。
くだらないことを考えていると、店主が厨房の方に顔を入れて大声で話す。
「マリー! 客を案内するから、カウンターを頼むぜ」
店主は俺を手招きし、歩きながら話し始めた。
「部屋に案内する前に説明だ。相部屋は部屋の鍵がない。貴重品は自己管理してくれ。別料金で店の金庫で預かるぞ……朝食が食えるのは早朝の鐘と、仕事始めの鐘が鳴る間だけだから気をつけてくれ」
早朝の鐘、仕事始めの鐘。
気になるが、階段を登りながら二階に向かう店主に黙って付いて行く。
質問をしようと思ったが……まだ話は終わってなかったようだ。
「昼の鐘までで一泊計算だ。お客人は、二泊するわけだから問題ないな。外の馬小屋の横に、井戸水があるから好きに使ってくれ。お湯が欲しかったら桶に入れて出してやる。銅貨一枚貰うぜ」
「トイレも外だ。ウチは『衛生スライム』入りだぞ」
なにやら自慢げな表情だ。
「お客人、見たところ北の雇われ傭兵か何かだと思うが……それとも冒険者か?」
店主が振り返り、立ち止まって俺の顔と体を見つめている。
「……傭兵でも冒険者でもねぇよ。それどころか、仕事を探してるところさ」
衛生スライムってなんなんだ!
気になる……聞いて良いのか迷う。
それより、重要なキーワードがでましたぜ!
冒険者ですよ!
冒険者……たまらん響きだ。
これだけは、どうしても聞かねばならない!
「あんたが店主のダニオさんだろ? 一つ聞きたい事があるんだが」
「ダニオでいいぜ。……だが、お客人の発音は随分珍しいな……どこかで聞いたことがある気がするんだがな。出身はどこだい?」
俺が質問したいのに逆に質問されていた。
少し面倒くさいおっさんだ。
暫くは波風を立てたくない。
それに、悪気がある感じではないしな……俺が大人になればいい。
「ああ、俺の出身は北の……名前のない小さな村さ。とりあえず腕っ節には自信があるから、何かこの辺で向いている仕事があればと思ってな」
南の無人島から飛んできました!
と、言えるわけないので、適当に話を作っておく。
「明日は養殖場の泥さらいをやるつもりだ。少し金が欲しくてね。ま、いずれは、傭兵とか冒険者になるつもりさ」
ダニオは何度か頷きながら俺の顔を真剣な表情で見つめていたが、急にハッという表情になって目を見開いた。
「養殖場の仕事は人気でな。間違いなく取り合いになるから早めに行ったほうが良いぜ。……ふむ、早朝の鐘がなったらすぐ向かうべきだな。朝食は特別にサンドイッチにして紙袋に包んで置くから、持っていきな。スープの方は諦らめてくれ」
「あ、ああ……助かるよ」
「だから夕飯は別料金になるが、ブイヤベースを是非とも飲んで――」
まだまだダニオの話は続いている。
丁度飯の話題が出たな。
「なぁダニオ、酒と飯はこの後だろ?」
「仕事終わりの鐘がなってからな。別料金だが是非、ウチで食べてくれ」
「そうしたいが、そこで相談がある」
ダニオに顔を向けたまま、肩にいるイン子を指差す。
「コイツのことだ。部屋に泊まらせるのは諦めた。だが、飯と酒はこいつと気兼ねなく楽しみたい。……どういう意味だか、わかるか?」
ダニオは黙ったままだ。
「さっきお前さんは、コイツを動物って呼んだが、俺にとっては動物じゃないし、勿論ペットでもない。……なんだと思う? コイツは俺の『同志』で大事な『相棒』だ」
「――っ」
イン子の息を呑む音、声が少しもれた。
気がつけば、ダニオも黙ってイン子を見つめている。
今の俺の顔は、ダニオに負けず劣らず、少し怖い顔になっていると容易に想像できる……だが、そんなことはどうでもいい、これだけは説得せねばならない。
「因みにコイツは、俺達が何を言ってるかわかってるんだぜ? 人の言葉を理解している。言っても信じられないだろうがな……まぁそれはいい」
ダニオは俺を見つめたり、イン子に目をやったりしている。
「食事や酒は、コイツと店内で食べたい。他の客から苦情が出たら俺が処理する。処理って言っても面倒は起こさない、それは約束する。だから、店の中でこいつと酒を飲むのを認めてくれ」
ふぅーっとダニオが息をした後、目を瞑った後何度も頷いてから、イン子と俺に頭を下げた。
「もっと丁寧に断わらなかった俺の落ち度だ、本当にすまねぇ。宿泊を断る場合、時には喧嘩になる場合もあるんでね、ついあんな反応をしちまったんだ。……だが、一つ言わせて貰えば……お客人、あんた早とちりだよ」
ダニオはニヤリと笑う。
早とちり? どういうこった?
「断るのは宿泊部屋だけだ。ベッドを清潔に保つため必要なことでね。それに……特に相部屋だとトラブルの元だからな。一階の飯と酒のスペースはどんな客も大歓迎だ――いや、泥だらけの靴の野郎だけは駄目なんだ! 女房がうるさくてよぉ……そういうわけで是非食べていってくれ! お詫びといっちゃなんだが、エールを一杯サービスするぜ」
「……ダニオ、コッチも済まなかった。確かに早とちりだった」
ダニオに頭を下げようとするが、それをダニオは許さず、下げた俺の頭を手で制して戻させた。
「お互い様さ! まだ部屋の案内の途中だった、二階のこっちだ。……部屋は窓があってな。その『相棒』は窓の近くにいれば窓上に小さな屋根もあるし、そこなら雨の心配もないだろう」
部屋の前まで案内された後、ダニオと握手し自己紹介しておく。
「俺の名前はカジュウ……それでこいつは、鷹のイン子だ。それでな、イン子も酒を飲むんだ。だからサービスは二杯分頼むぜ?」
ダニオは一瞬、驚いた表情を見せた後に俺とガッチリ握手する。
「ああ、カジュウにインコ、歓迎するぜ」
イン子が、それに答えるかのように、短く鷹の鳴き声を出す。
ダニオはそれに少し驚いたような、感心したかのような表情をし、嬉しそうに何度か頷いだ。
【感謝しなくてはの】
最初にイン子の宿泊を拒否した時は、少し感じ悪いおっさんだと思ったが。
【そうだな、ダニオは意外と良い奴だったな】
【……いや、御主のことよ】
「………」
その言葉に、なにやら気恥ずかしさを感じ、何も言葉を返せなかった。
案内された部屋に入る。
ベッドが二つ離れておいてあり、家具は足元に荷物を入れるチェストが二個おいてあるだけの簡素な部屋だが……言うだけあって、とても清潔な部屋だ
イン子は早速、窓の外に出て、植木鉢置き場のような木の柵の中で居心地を確認している。
これなら、確かに雨にも濡れないだろう。
ダニオが一階に去った後、部屋で一息つくのだった。