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恋文  作者: キヨモ
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08. 最後のページ

 足元に散った赤や黄色の葉を踏みながら、今日もキャンパスを歩く。学園祭が終わり、推薦入試が行われ、すぐ傍まで冬が近づいて来ていた。

 自動販売機で温かいミルクティーを買うと、わたしは久しぶりに図書館の裏のベンチへと向かった。ここ数日は吐く息も白く染まり、図書館やコンピュータールームで過ごすことが多かったけれど、小春日和の今日はぽかぽかと暖かい。こんな日はあの桜の木の下でのんびり読書を楽しみたいと、読みかけの文庫本を携えてやって来たのだ。


 桜の木が見えてきたところで、わたしの足が止まった。そこには、日だまりの中でベンチに腰かけて本を読む、楓の姿があった。

 期待していなかったわけではない。けれども、あの秋の夜に電話でまたねと言いながらもう一ヶ月以上会っていなくて、何となくこのまま会わずに卒業するのかなという予感がしていたのだ。

 わたしがゆっくりと近づくと、ブーツが落ち葉を踏みしめるかさかさという音に、楓がゆるりと顔を上げた。


「久しぶりだね」

「うん、久しぶり。元気だった?」

「元気だよ。桜子さんは?」

「わたしも元気」

 互いに笑顔を交わすと、楓は傍らに置いてあった本の山をよけてくれた。わたしは彼が空けてくれた隣のスペースに、そっと腰かける。

「相変わらず、すごい量だね」

 積み上げられた本を見やりながら感嘆と呆れを滲ませた感想を漏らすと、楓は小さく笑った。

「良い天気だからね。ここで読書をしたら気持ち良いだろうなと思ったら、張り切って借り過ぎてしまった」

 楓の言葉に思わず吹き出してしまう。確かに太陽の光をたっぷりと享受できるこの場所は暖かく、思わず季節を錯覚してしまいそうなくらいに心地良い。

「小春日和だねえ」

 わたしはのんびりとした声を発し、だらしなく足を投げ出して大きく伸びをした。


「小春日和、か」

 噛みしめるように、楓が呟く。それはまるで、これが小春日和かと確認するかのようだった。

「小さな春だなんて、昔の人は上手い表現をするよね」

 わたしがそんな感想を漏らすと、楓はしみじみとした表情で大きく頷いた。

「空気も日差しも、確かに春みたいだね。冬を飛び越えて春が来たのかと、うっかり勘違いしてしまいそうだよ」

「でも、空は違うよね」

 そう呟くと、わたしは空を見上げた。

「空?」

 楓が訝しそうにわたしを見つめる。

「うん。春の空はどこか柔らかく霞んでいるけれど、今日の空は高く澄み渡っている。紛れもなく冬の空だよ」

 わたしの言葉に楓は空を見上げると、はじめて気づいたかのように、ああそうかと頷いた。

「単純に春夏秋冬じゃないんだね。季節は行ったり来たりしながら、少しずつ進んでるのか」

 面白いなあと、楓がひとりごちる。それを面白いと思う楓の方が面白いよと、隣でわたしは小さく笑った。不意に風が吹き、足元の落ち葉が乾いた音をたてた。

「日差しは暖かいけど、風はやっぱり少し冷たいね」

 わたしはまだ空けていなかったミルクティーの缶を両手に握り、温もりを求めた。

「うん。空だけじゃなく、やっぱり空気も少し違うな。僕も何か温かいものを買って来る」

 そう言うと、楓はおもむろに立ち上がった。


 ひとり残されたわたしは、同じく残された本たちに目をやった。相変わらず小難しそうなタイトルの本ばかりだ。しかもどうやら楓は雑食らしく、見たところジャンルは多岐にわたっているようだ。積み重ねられた上から順にタイトルを辿り、ふと脇に置かれた一冊の文庫本に目が留まった。先程まで楓が読んでいた本だ。

 それは野辺留一の最新作、つまりは夏の終わりに図書館で会った時に楓が持っていた本だった。そんなに嵌ったのかなと、その本をそっと手に取る。もしそうだとしたら、野辺作品のファンとしてすごく嬉しい。それとも、楓が敬愛するという作家さんが好きだから、何度も読み返しているのだろうか。それならば、ますますその作家が誰なのか気になるなとわたしは思った。


 わたしはこの作品を、発売当日に大学生協で買ってこの場所で一気に読んだ。文庫化まで到底待てなくて、ハードカバーを購入し、貪るように読破した二年前のあの日を懐かしむ。

 その文庫化は今年の春にされたばかりだというのに、楓のこの本のページは既に少し焼けて黄ばんでいた。何度、外で読んだのだろう。そう思うと少し可笑しくなって、思わずひとりで笑い声を漏らしてしまった。そうしてページを捲っていると、ふと名案が浮かんだ。自分で自分のアイデアを褒めてやりたくなりながら、わたしはごそごそと鞄の中を探り、内ポケットに入れてあった小さな包みを取り出す。そして一ヶ月以上の間、鞄の中でずっと眠っていたそれを目次のページにそっと挟んだ。

 そうすると早く楓の反応が見たくなって、待ち切れないわたしは図書館の建物の向こう側を見やった。けれども、自販機はすぐ先にあるのに、なかなか楓が帰って来る気配はない。何だか落ち着かなくて自分が持って来た本を読む気にもならず、わたしは再びぱらぱらと楓の文庫本のページを捲った。そして、ふと浮かんだ興味のままに最後のページを開く。

 その瞬間、かさかさと落ち葉を踏む足音が聞こえた。


 缶コーヒーを手にした楓の姿に、わたしはびくりと肩を揺らした。心臓が、どきどきと早鐘を打っている。

「どうしたの、桜子さん。何か悪戯してたの?」

 わたしが慌てて戻した本を見ながら、楓が楽しそうに笑った。

「はい、お土産」

 そう言いながら、楓がチョコレートの箱を差し出した。わたしは動揺を隠すように、ちらりと彼を見上げた。

「そこの自動販売機のコーヒーが売り切れでさ、購買まで行ったついで」

 わたしはありがとうと言って、差し出されたチョコを一粒つまんだ。

「あれ、何これ?」

「この前のお礼」

 コーヒーを飲みながら件の文庫本をぱらぱらと捲った楓は、すぐにわたしが仕込んだものに気づいたようだ。何気ない風を装い、少し掠れた声でわたしは答えた。

「お礼?」

「うん。前に亜矢が携帯借りたでしょ」

 不思議そうに目を瞬いていた楓だが、秋のはじめの騒動を思い出したのか、ああと納得したような声を漏らした。


「これは、しおり?」

「うん。なかなか会えなくてどうしようかと思ったけど、渡すことができて良かった」

「そんな気を使わなくてもいいのに」

「この前たまたま面接の帰りに見つけて、楓のことを思い出したの。わたしが勝手にあげたくなっただけだから、気にしないで」

 わたしは早口でそう答えた。見つけた瞬間、楓に使って欲しいと、そう思ったのだ。

「これ、楓の葉だよね?」

 深緋色の楓が小さく描かれたそれを、楓はそっと指でなぞった。

「うん」

 わたしが小さく頷くと、楓はありがとうと言った。

 その笑顔が見たかっただけなのに、わたしの心の中は、言葉にできない不安が小さく渦巻いていた。

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