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恋文  作者: キヨモ
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13. 不確かな存在

 学生課を出ると、わたしは大きく息を吐いた。

 ここ数日は一月とは思えないほど暖かく、春の花が咲き出してしまうのではないかと思えるくらいだった。けれども今日は一気に本来の真冬の気温へと逆戻りし、頬に触れる冷気が刺すように痛い。

 わたしはマフラーを口元にしっかりと巻きつけると、空を見上げた。晴れ渡ってはいるものの太陽の光は弱々しく、まるで薄氷のような空の青さは見るからに寒々しい。もう一度深く溜息をつくと、凍えた空気が白く染まった。

 途方に暮れながらわたしは、ただ呆然と冬の空を眺めていた。



「サク?」

 前方から歩いて来た人物に名前を呼ばれ、ふと我に返る。声の主は、同じゼミの奥村くんだった。

「やっぱりサクだ。こんなところで、何ぼんやりと突っ立っているんだ?」

「別にぼんやりなんかしてないもん。ただ、寒いなあと思っていただけ」

「確かに寒いな。昨日までが暖かすぎたから、余計に辛いわ」

 大きな体を大袈裟に縮める奥村くんに、わたしはくすりと笑いを漏らした。立ち話は辛いので、行き先不明のままとりあえずふたり歩き出す。

「そう言えば、就職先決まったんだってな。おめでとう」

「ありがとう」

「これで村上ゼミのメンバーは全員、進路決定だな」

「大変お待たせいたしました」

 そう言いながらわたしが深々と頭を下げると、奥村くんが声をあげて笑った。

「けど、粘った甲斐があったじゃん。大学なら安定してるだろうし、かなり倍率高かったって聞いてるぞ」

「今年の運、全部使い果たした気がする」

 大学から待ちに待った内定通知が届いたのは、昨日のことだ。春からは、職員としてこの大学に通うことになる。


「卒論も終わったことだし、近いうちにゼミの飲み会やろうぜ」

「いいね、やろうやろう!」

 奥村くんの提案に、わたしは手を叩いて同意した。つい先日忘年会をしたばかりだけど、そんなことは気にしない。全員が集まれるのは、きっと今だけだ。

「じゃあ俺、待ち合わせしてるから。またメールする」

「待ち合わせって、彼女? 相変わらずラブラブだねえ」

 からかい混じりにそう言うと、あっさりと肯定された。高校時代から付き合っているという彼女とは羨ましいくらいに仲が良く、たまにからかうとノロケという返り討ちにあうので最近ではからかう人もいない。

「サクは内定ゲットに今年の運を全部使ったらしいから、当分彼氏は無理かな」

「うっわ、何それ。ちょっと自分が幸せだからって」

「幸せ者でごめんなー」

 むかつくと言いながら奥村くんの腕にゆるいパンチを入れた瞬間、わたしはふとあることを思い出した。

「ねえ。奥村くんの彼女って、確か国文科だったよね?」

「そうだけど、それがどうかしたか?」

「ひとつ、お願いがあるんだけど……」





 学食へ向かう奥村くんと別れたわたしは、図書館の裏のベンチに腰かけていた。

「そうですか。お忙しいところ、突然変なことをお伺いしてすみませんでした」

 最後まで訝しげな声色だった相手に詫びると、わたしはそっと電話を切った。

 これまで喉の奥に小骨が刺さったような違和感に、わたしはずっと気づかないふりをしてきた。馬鹿げているとかありえないとかいう言葉で、すべて片づけてしまおうとしていた。けれども不安で。朝靄が景色を覆うようにわたしの心はずっとどこかすっきりしなくて、ついに事実を知る覚悟を決めた。

 そしてわたしが抱いていた漠とした違和感が気のせいなんかではなく、もはやありえないという言葉では片づけれらない現実なのだということを痛感したのだった。


 小さく白い吐息を漏らし、わたしは桜の木を見上げた。キャンパスの賑わいから離れたこの場所に佇む桜の木は、葉も花もつけず、まるで凍えているようにも見える。

 わたしは手の中の携帯電話を鞄の内ポケットへ戻そうとしたが、やはり思い直し、送信履歴にずらりとならんだその名前を選択して通話ボタンを押す。けれども聞こえてくるのはコール音ではなく、現在使われておりませんという女性のアナウンスだった。

 年明けにおきた列車事故は、最終的に百名以上の死傷者を出す大惨事となった。連日ニュースでは事故原因が取りざたされ、鉄道会社の責任が追及されている。最悪の事故として確実に歴史に残るであろうあの日以来、わたしは毎日、同じ携番号に電話をかけ続けた。何を話して良いかわからないままに、ただもう一度声が聞きたくて、繋がらないことを知りながら通話ボタンを押したのだ。

 けれども電話の向こうから聞こえるのはいつも無機質なアナウンスで、わたしはひとり途方に暮れる。出会ってから半年以上も経つ彼のことを何ひとつ知らないという事実を、わたしは泣きたいくらいに痛感するのだった。


 不意に手の中で、携帯電話が短く震える。それは先程別れたばかりの奥村くんからのメールだった。慌ててメールボックスを開き、簡潔な一文に目を走らせる。予想通りとは言え、わたしはその内容に落胆した。


 ――そんな名前の人物は在籍してないってさ。


 じわりと、心の奥底から仄暗い疑念が湧き起こる。そもそも彼は、本当に存在していたのだろうか?

 その時ふと、人の気配を感じた。何気なく顔を上げると、今まさにわたしが存在を疑った人物が、ゆっくりとこちらに向かって歩いていた。

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