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恋文  作者: キヨモ
13/17

12. 動揺

 どれくらいの間、ベッドの上でまるくなっていただろうか。先程まで向かいのマンションより低い位置にあった月が、気づけば建物の上で冴え冴えとした光を放っている。わたしは動く気にならず、ただぼんやりと、暗闇に浮かぶ白い月を見つめていた。

 不意に、空気が低く振動する。再び、携帯電話が青く光っている。光が点滅するのを見つめながら息をひとつ吐くと、わたしはゆっくりと手を伸ばした。


『もしもし、サク!?』

 電話の向こうから聞こえてきたのは、緊迫した亜矢の声だった。

「亜矢?」

『サク? サクだよね?』

 良かったと呟く亜矢の声は微かに震えていて、一体何が彼女をこんなにも動揺させているのかとわたしは困惑した。

「どうしたの? 何かあったの?」

『サクは今、家にいるの?』

 わたしが訝しげにそうだと答えると、すぐにテレビをつけるようにと指示された。言われるがまま、とりあえずリモコンの電源ボタンを押す。暗がりに慣れた目にテレビの明るさが眩しくて、思わず目を細めた。そしてゆっくりと開いたわたしの目に飛び込んできたのは、信じられないニュースだった。


「何、これ……?」

 少し掠れた声で、わたしは呟く。沈痛な表情で原稿を読むキャスターの胸元には、太字のテロップで“特急やまかぜ脱線”とあった。それは紛れもなく、今わたしが住むこの街とわたしが生まれた町とを結ぶ列車であり、わたしが帰省先から戻る為に今日利用した列車の名前であった。

『テレビを見ていたら速報が流れてね。メールで今日帰るとあったから、心臓止まるかと思った』

「この特急は昼前と夕方の一日二本運行していて、わたしは午前の電車で帰って来たの」

 呆然としながら、わたしはそう答えた。テレビではニュースキャスターが、同じ情報を何度も繰り返している。テレビカメラはまだ現場に到着していないようで、列車事故が起こったという漠然とした事実だけが伝えられているが、画面から伝わる緊迫感が只事ではないということを示していた。


『とりあえず安心した。じゃあ、切るね』

 わたしは上の空で心配してくれた亜矢にありがとうと呟くが、意識はどこかふわふわとして現実感がない。

 すると突然、テレビの画面が切り変わった。どうやらカメラクルーが現場に到着したらしい。暗くてわかりづらいが、横転してひしゃげてしまった青色の車体が画面いっぱいに映し出されていた。

 ぞくりと、悪寒が背筋を這い上がる。一本遅らせていたらと想像し、ふるふると頭を振った。その瞬間、手の中で携帯電話が震え、わたしは思わず悲鳴を上げる。息を抑えながら画面を見ると、実家からだった。


『もしもし、お母さんだけど。良かった、ちゃんとお昼の電車に乗っていたのね』

 電話の向こうから、安堵の溜息が聞こえた。

「ちゃんと乗ったのねって、お母さんが駅まで送ってくれたじゃない」

 母の声を聞いたら泣きそうになって、けれど心配をかけるからわざと明るい声を出した。

『あんたはたまにぼんやりしているから、乗り遅れていたらどうしようかと心配しちゃったわ』

 今朝、駅まで車で送ってくれたのは母だ。姉の入院先の面会時間は午後からなので、病院に行く前にわたしを送ってくれたのだ。

「乗り遅れるって、改札までくぐってそんなことするわけないじゃないの」

『そうだけど、あんたならやりかねないかなと不安になっちゃった』

「もう、お母さんわたしのこと馬鹿にしすぎ」

 互いに明るい調子で言ってはみたものの、ふたりの声が強張っているのは隠しようがなかった。

 もしも寝坊していたら。もしも駅までの道が渋滞していたら。もしもわたしの気が変わっていたら……。ほんの些細なことで、わたしの運命が変わっていたかも知れないのだ。

『今日は疲れたでしょう。温かくして、早く寝なさい』

 労わるようにそう言うと、母は静かに電話を切った。


 そのあとも、わたしはテレビを凝視し続けた。あれから二件、帰省することを伝えていた大学とバイト先の友人から安否確認のメールがあった。心配してくれた人たちの優しさに感謝しながら、手早く返信する。

 そこでふと、わたしは楓のことを思い出した。彼は本当に、あんな何でもない用件でわたしに電話をかけてきたのだろうか?

 わたしたちは会えば親しく話をするけれど、敢えて連絡をとったことはない。偶然会わなければ何日も言葉を交わすことのない、そんな関係だ。それなのに突然、楓が電話をかけてきた。そう言えば、わたしの声を聞いて大きく息を吐いていたような気がするが、今思えばそれは亜矢や母が吐いたものと同じ安堵の溜息のようだった。

 一度考えてしまうと、そうだとしか思えなくなってくる。楓が電話をかけてきた本当の理由は、わたしの安否を心配してくれたからなのだと。


 けれど、それは決してありえない。そう結論づけられればすべて辻褄が合うのに、物理的にそれは絶対にありえないのだ。

 事故現場を映していたテレビの画面が、スタジオの映像へと切り替わる。どうやらもう一度、事故の概要を説明するようだ。

『今日午後六時過ぎ、大谷峡付近で特急やまかぜが脱線しました。今のところ死者九名、怪我人は三十六名。現在も必死の救助作業が続けられています。繰り返します――』



 わたしは手元の携帯電話のボタンを押し、着信履歴を開く。楓の名前の横には、17:37と記されていた。

 不意にわたしは、秋の終わりに図書館の裏の桜の木の下で楓と会ったことを思い出した。脳裏に浮かんだのは、彼の私物の文庫本の最後のページだった。楓が持っていた、野辺留一の本の奥付部分……。

 そこまで考えると、わたしはふるふると頭を振った。脱線事故を知った時とはまた別の種類の悪寒が背筋を這い上がり、掌はじっとりと汗ばんでいた。

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