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恋文  作者: キヨモ
11/17

10. 白から覗く深緋

「あら、出かけるの?」

 コートを羽織って一階に下りると、朝食の準備をしていた母が台所から声をかけてきた。

「うん、ちょっと八幡さんに行って来る」

「元旦にみんなで初詣に行ったじゃない?」

 わたしが行き先を告げると、不思議そうに母が問いかけてきた。

「今日帰るから、ちょっと挨拶にね」

「お願い事が足りなかったの? 内定貰えますようにと、彼氏できますようにと、しっかりお願いして来なさい」

 からかうように笑う母をうるさいと一喝すると、わたしはブーツに足を突っ込み外へ出た。


 年内最後の授業を終えた翌日は、ゼミの忘年会だった。それからバイトの合間に大掃除を済ませ、年賀状を投函したのち、わたしは三十日に実家へ帰って来ていた。

 ざりざりとした雪と氷が混ざった道を、注意深く踏みしめながら歩く。降り積もった雪は、道路の両脇に寄せられている。わたしは交差点を右に折れて参道に入ると、そのまま八幡神社の境内へと続く階段を上って行った。

 このあたりの土地の守り神として古くから祀られている八幡神社は、町を見下ろす小高い丘の上にある。毎年元旦に一家揃ってお参りするのが我が家のならわしで、今年も家族全員で訪れていた。その時は屋台も出て賑わっていたのだが、三箇日もとうに過ぎた今日は、ひっそりと静まり返っている。わたしは手水舎の冷たい水で清めると、本殿へと向かった。


 元旦にお参りした時に、もちろん内定が貰えますようにとお願いした。けれども切羽詰まっているので、悔しいけれど母の言うように再度お願いしておく。

 あの日、昭雄に教えられたとおり就職課へ行くと、本当に職員の募集が貼り出されていた。顔馴染みの人に尋ねると職員のひとりが妊娠した為に退職することとなり、もともと人手不足だったので完全に回らなくなってしまったそうだ。まだ内定を貰っていない学生も多く、できればその中から採用したいという大学側の意向で、公には求人を出さずにまずは学内で募るらしい。もちろんわたしは、一も二もなく応募した。あの桜の木の傍でずっと働けるなんて、最高の条件だ。

 SPIと面接が年明けに行われるということで、わたしはお賽銭を投げ込むと深々と八幡様に頭を垂れた。


 気合を入れてお願いをしたのち、わたしは本殿をあとにした。おみくじは元旦に大吉をひいたので、社務所の前は素通りする。そうしてわたしは境内の一番奥へと向かい、一本の木を見上げた。

 太い注連縄が巻かれたご神木の杉の木の奥に、その木はひっそりと立っている。枝に積もった雪の隙間から覗く深緋色の葉を見つめながら、わたしは数日前のことを思い出していた。





 ゼミの忘年会があった日も、わたしは大学に来ていた。

 その日は図書館の年内最後の開館日で、実家に帰る電車内で読む本を借りることが目的だ。まだ大掃除を終えていなかったので本を借りればすぐに帰るつもりだったけれど、四年間で物が増えてしまった狭い部屋を掃除する気がなかなか起こらず、気づけば窓から桜の木をのぞめる特等席で本を読んでいた。ふと隣の席に誰かが座った気配を感じ、何気なく顔を上げる。

「久しぶり」

 そこにはいつものように穏やかに笑う、楓の姿があった。

「楓も来ていたんだ」

 同じように笑みを返したわたしの耳の奥に、前日の昭雄の言葉が不意に蘇った。


 ――サクも変わったな。あの彼氏のおかげだろ?


 そんなんじゃないと心の中でもう一度否定しながら、わたしは軽く頭を振った。

「どうしたの?」

「ううん、何でもない」

 不思議そうに見つめる楓から目を逸らし、笑って誤魔化す。火照ってくる頬に右手で触れると、ひとりでどぎまぎしている自分がひどく滑稽に思えた。

「冬休みだし、もう来ないと思ってた。今日も卒論?」

 わたしの珍妙な様子に気づいているのか気づかないふりをしてくれているのか、いつもと変わらない様子で楓が尋ねてきた。

「ううん、ただの現実逃避」

 読みかけの小説をぱたんと閉じると、わたしは小さく答えた。

「現実逃避?」

「卒論も大掃除も年賀状も、やらなきゃいけないことはあるんだけどやる気が起きなくて、本の世界に逃避していたの」

 わたしがそう白状すると、不思議そうな表情をしていた楓が思い切り吹き出した。

「じゃあ、桜子さんは僕の仲間だ」

「仲間?」

「うん。僕もこの場所の居心地が良くて、やらなきゃいけないことを後回しにして逃げて来てるから」

「楓も?」

 自分の話をする楓が珍しくて、わたしは思わず聞き返した。


「桜子さんは、冬休みはずっと現実逃避?」

 けれども、楓はそれ以上自分のことを話すわけでもなく、悪戯っぽい表情でわたしに尋ねてきた。

「ううん、お正月は実家へ逃げる。いや、でも実家は逃避先ではないかなあ」

 わたしもふざけてそう答えると、楓が何故かと尋ねてきた。

「だって実家に帰ったら、彼氏はいないのとか就職はまだ決まらないのとか、根掘り葉掘り聞かれるに決まってるもん。むしろ現実を突きつけられる場所であって、とてもじゃないけど逃避先とは言えないよ」

「なるほどね」

 わたしがそう答えると、楓は笑いながら、それでもひどく納得したように頷いた。

「桜子さんの実家は、ここから遠いの?」

「一日に二本だけ出ている特急やまかぜで二時間半。山の中の、田舎だよ」

「へえ、自然がいっぱいなんだろうなあ」

 少し羨ましそうに、楓が言う。そこでふと、わたしは思い出した。


「あのね、家の近所の神社の境内にね、立派な楓の木があるんだ」

「楓の木?」

「そう。昔からあるけど不思議な木でね。葉っぱが赤く染まってもなかなか散らなくて、雪が降ってもまだ枝に残っていたりするの」

「雪が降っても?」

 わたしがそう言うと、楓は興味をひかれたように問い返した。

「ご神木の大杉のすぐ傍に立ってるからそのせいだとか、楓の木自体が神様の力を宿してるんじゃないかとか、昔から色々言い伝えはあるけど」

 そこで一旦言葉を切って、わたしは言った。

「わたしはそこの楓の木が、大好きなんだ」


「へえ、不思議な木だね」

 そう言うと、楓は窓の外を見やった。大きなガラス窓の向こうに立つ桜の木は、すっかりその葉を落としている。

「夏の青々とした葉も綺麗なんだけど、赤く染まった色の方がわたしは好きかな。雪が降ると白と赤の対比が本当に綺麗で、思わず見とれてしまうくらい」

「僕も見てみたいな」

 楓の言葉に、わたしは反射的に言葉を発していた。

「良かったら、写真撮って来るよ。でもって、メールで送る」

 そう言ってちらりと楓を窺うと、彼はじゃあお願いと微笑んだ。


「ところで、桜子さんはいつ帰省するの?」

 わたしが密かに浮かれた気分に浸っていると、楓が更に質問を重ねてきた。

「三十日に帰るつもり」

「冬休みはずっと向こうにいるの?」

「ううん、四日には戻って来る。卒論も仕上げなきゃいけないし、八日に就職試験があるからその準備もしなきゃだしね」

 わたしがそう説明すると、相変わらず大変だねと気遣わしげに楓が言った。そして腕時計にちらりと目をやると、ゆっくりと立ち上がる。

「ごめん、そろそろ行くよ。写真、楽しみにしてる」

「うん。良いお年を」

「良いお年を」

 そう言って手を振ると、本棚の向こうに消えていく楓をわたしはずっと見つめていた。心の中に小さく渦巻く不安を無視し、先程からずっと頬が火照っているのにも気づかないふりをしながら。

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