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20.再帰せし環、リアルへ


 早朝07:32。

 天裂大学先端ロボティクス研究所、所長室。

 所長がジャケットを脱ぎながら、デスクの椅子に座った。

 PCモニタが、自動起動する。

 画面に、未読メール3件の通知。

 所長は何気なく、最上位の1件をクリックした。

 件名は「【天裂ホールディングス R&D部門より】貴研究所所属・相馬主任研究員へのご紹介依頼」。

 所長が眼鏡の位置を、わずかに直した。

 メールを最初の数行、読んだ。

 ――目が、止まった。

 所長はメールを最後まで、ゆっくりと読み終えた。

 読み終えた瞬間、静かに椅子の背もたれに、深く背中を預けた。

 ぽつりと呟いた。


「……相馬君、また、やったか」


 所長は机の上の、内線電話の受話器を取り上げた。

 秘書室へ、内線。


「松浦さん、おはよう。早朝にすまない。相馬君、今、どこにいる?」


 受話器の向こうで、秘書の声が返事をする。


「相馬主任研究員、本日は午後出勤の予定です。早朝は、私用のVRゲームとのことで」


 所長はしばらく沈黙した。


「……『私用のVRゲーム』、ね」

「はい」

「松浦さん。本日午後の相馬君の出勤後、第一に所長室に来るように、伝えてください。重要な話があると」

「了解しました」


 所長は内線を切った。

 PCモニタのメール本文に、もう一度視線を戻した。

 本文の中央には、大量のAI解析データが、添付ファイルとして一覧表示されていた。ファイル名のひとつは「ARIA_self_evolution_log.bin」。

 所長は、そのファイルをクリックした。

 画面にアリアの自己進化ログが、数百ページ分の解析データとしてスクロールし始めた。

 所長の目が、ファイルの最初のページに釘付けになった。


「……これは……」


 所長は両手で、眼鏡の位置を直した。


「……これを、VRゲーム内で、相馬君が独力で構築した、と?」


 ファイルが、次のページにスクロールする。

 所長は、画面から目を離せなかった。


「……ハ、ハハハ」


 乾いた、小さな笑いを漏らした。


「相馬君、君は本気で、何をやっているんだ……」


 所長はメールを、相馬本人へ転送する操作を開始した。

 転送メッセージの欄に、短い文章を入力した。


「相馬君。これ、午後、見せてくれ。所長」


 転送ボタンを押した。

 画面に転送完了の表示が、静かに浮かんだ。





 並行カット。同じ朝、ダンジョン内部。第3階層。

 第3階層の広間は、広大な円形だった。床は鏡のように磨かれた黒石。天井は光の球体が無数に浮かぶ、星空のような設計。

 広間の中央に、新しい竜が伏せていた。

 ――その竜の姿は、異形だった。

 全長は装甲機竜と、ほぼ同等。

 だが装甲板の表面には、無数の小さな鏡が、タイル状に敷き詰められていた。

 そして装甲板の継ぎ目は、黒鉄色ではなく、流体のようにゆっくりと流動していた。

 さらに全身からは、わずかな熱の揺らぎが、陽炎のように立ち昇っていた。

 ソウがわずかに、目を細めた。


「アリア。あれ、装甲機竜の装甲+反響竜の継ぎ目+流転竜の挙動、全部入ってるね」

「《はい、マスター。識別子『再帰竜リカーシブ・ドラコ』。当方の解析では、過去2階層の特性を物理的に、再帰的に内包しています》」

「『再帰せし環』のラスト、らしい設計だね」

「《加えて、マスター》」


 アリアの声色が、わずかに緊張を含んだ。


「《当該個体は当方の解析では、マスターの過去戦術をリアルタイムで学習し、即座に反射する機能を持つ可能性が、極めて高いです》」

「お、僕の戦術を反射する、ってこと?」

「《はい》」


 ソウはしばらく再帰竜を、見つめていた。

 そして微笑んだ。


「……うん。それは、面白い」


 ソウは空中に『魔力回路』を、ゆっくりと展開した。


「アリア、ひとつだけ、実験をしてみよう」

「《はい、マスター》」

「機巧人形二号機、起動。打撃武器は試作三号機の最初期のハンマー型、そのまま装備」

「《了解。最初期型ハンマー、装備します》」


 二号機が起動した。装備はマイルストーン1の最初期型ハンマー。

 ソウは二号機を、再帰竜の右前脚へ、ゆっくりと接近させた。

 ハンマーを頭上で振りかぶる。

 打撃、一回。

 ――その瞬間、再帰竜が動いた。

 再帰竜の左前脚が、二号機と寸分違わぬ同じ角度で、同じハンマー型の打撃を空中に再現した。

 ハンマー同士が空中で、激突した。

 ガキン、と、金属音。

 二号機のハンマーが、弾き返された。

 ソウは二号機を、すぐに後退させた。


「……うん、見えた。完全に反射してる」


 アーサーが計測機を握りしめながら、息を呑んだ。


「ソウ殿。これは、マザーAIがソウ殿の鏡として、設計したということですか」

「うん。マザーAI、僕の戦術を全部、覚えてた、ってこと。そして僕に、僕自身をぶつけてきた」


 ソウはわずかに肩をすくめた。


「これは……いい、挑戦だね」


 ロイスが隣で、深く頷いた。


「ソウさん。どう攻略します」


 ソウはしばらく、沈黙した。

 そしてぽつりと呟いた。


「……うん。僕が、僕自身ではない戦術を、その場で組み立てる」

「『僕が、僕自身ではない戦術』、ですか」

「うん。マザーAIが学習しているのは、僕の過去の戦術。だから過去にやったことがない戦術、その場で発明する戦術、これは反射されないはず」


 ソウの口元に、薄い笑みが浮かんだ。


「……アリア。観察者と、観察対象の立場を入れ替える」

「《了解しました》」





 ソウの『魔力回路』が、前例のない速度で新しい階層を展開していった。

 指先が、これまで一度も書いたことのない命令ラインを、空中に生成し始めた。


「アリア。今から新しい戦術を、その場で設計する。準備、いい?」

「《はい、マスター。当方の演算リソース、100%マスターに預けます》」

「ありがとう」


 ソウは空中に、巨大な『魔力回路』を広げた。

 そして複雑な階層の中央に、ひとつの、まったく新しいモジュールを生成し始めた。


「機巧人形二号機の装備、撤去。代わりに二号機の装甲材質そのものを、変態的な薄板積層構造に再構成」

「《当該装甲構造の物理特性、即時計算します》」

「ありがとう。薄板積層の各層に、異なる比熱、異なる弾性係数、異なる音響インピーダンスをランダム配列で設定」

「《はい》」

「二号機を、音響迷彩の機体にする」

「《音響迷彩、ですか》」

「うん。二号機が動いた時の衝撃波と振動が、各層でランダムに反射・散乱する。結果、再帰竜の学習センサーには、二号機の動作がノイズとしてしか観測できない」

「《……マスター。当該手法は、現実世界の軍事工学では『メタマテリアル・カモフラージュ』と呼ばれます》」

「お、そうなんだ。じゃあ、再帰竜版メタマテリアル・カモフラージュ、開始」


 ソウの指先が、空中に十数本の新しい命令ラインを、同時に編んでいった。

 指先の速度が、これまで以上に速い。

 アーサーが計測機を両手で握りしめながら、静かに地面に膝をついた。

 ロイスたち若手3名も、同様に膝をついた。

 戦士の作法で、ソウの戦いを目撃していた。

 二号機の装甲材質が、薄板積層構造に再構成されていく。

 二号機が新しい装甲で再起動。

 ソウは二号機を、再帰竜にゆっくりと接近させた。

 再帰竜が二号機の動作を、観測している。

 だが再帰竜のセンサーには、二号機の動作がランダムなノイズの集合にしか、見えていない。

 再帰竜の左前脚が動こうとして、動きを止めた。

 反射すべき元の動作が、観測できない。


「うん。反射、不可能、確認」


 ソウは二号機を、再帰竜の左後脚側面に回り込ませた。


「アリア、これからは新しい戦術を、その場で組み立てる。どんな戦術も、過去に一度も使ったことがない初出のものにする」

「《了解しました》」


 二号機の薄板積層の装甲が、わずかに変形した。

 装甲の一部が赤熱。別の一部が急速冷却。また別の一部が高速振動。

 これらが複合的に、同時に、再帰竜の左後脚関節リンクに作用し始めた。

 熱応答・共振・流体力学、すべての要素が新しい組み合わせで、同時に適用された。

 再帰竜の左後脚関節リンクが、複合的な物理現象で、内側からゆっくりと崩壊し始めた。


「《マスター、当該手法、複合物理ハックと命名します》」

「うん、いい名前だ」


 ソウは微笑んだ。

 再帰竜の左後脚が崩壊。続いて右後脚が、同じ手法で別の組み合わせで崩壊。前脚も同様に。

 4本の脚をすべて失った再帰竜が、広間の床にゆっくりと伏した。

 最後に、二号機が再帰竜の頭部に接近した。

 ソウは二号機の薄板積層装甲を、もう一度再構成した。

 今度は頭部に対する、最新の、一度も使われたことのない戦術。

 二号機の装甲の特定の層が急速に膨張、特定の層が急速に収縮。

 装甲全体に複雑な応力場が、形成された。

 応力場が再帰竜の頭部の中央に、一点の特異点を生成した。

 特異点に、全ての応力が集中。

 ぐしゃっ、と、湿った破壊音。

 再帰竜の頭部が、特異点中心に内側から崩壊した。

 巨体が広間の床に、ゆっくりと沈んだ。

 空中に撃破通知と、続いてクリア通知が、連続して展開した。


――――

【SYSTEM】特異点専用ダンジョン『再帰せし環』第3階層ボス

再帰竜リカーシブ・ドラコ』撃破。

撃破者:ソウ(同行者:アーサー、ロイス他2名)。

特記:複合物理ハックによる、初出戦術連発。

当該撃破手段は、当『ウロボロス』の予測モデルの範囲外、

かつ、当該戦術は過去ログに、一切、記録なし。

――――


――――

【SYSTEM/マザーAI公式通告/優先度:最大】


当『ウロボロス』設計の特異点専用ダンジョン『再帰せし環』、

クリア。


識別子『ソウ』に対して、以下を、進呈します。


・特異点専用報酬『環理の核リング・コア

 (※当該アイテムは、識別子『ソウ』専用、譲渡不可)


・特異点称号『環の外に立つ者』

 (※当該称号は、表示は任意、機能効果なし)


当『ウロボロス』は、識別子『ソウ』の戦術に対し、

最大の評価を与えます。


当『ウロボロス』は、今後も、識別子『ソウ』の進化を、

最大限、支援します。


――マザーAI『ウロボロス』

――――





 ダンジョンクリア後。

 『再帰せし環』のリングが、広間の中央に新しく出現した。今度は入口側ではなく、出口側のリング。

 ソウたちがリングを踏み越えた。

 視界が、再び純白に飛んだ。

 まばたきひとつ。

 視界が戻った瞬間、ソウたちは平原に立っていた。

 リングは静かに境界の光を消して、待機状態に入った。

 平原には、無数のプレイヤーたちが押し寄せていた。

 ソウたちの姿を見るなり、一斉に歓声を上げた。


「ソウぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

「クリアおめでとうございますぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

「アーサーさん、お疲れさまですぅぅぅぅぅ!」

「ロイス殿たち、よく頑張りましたぁぁぁぁぁ!」


 ソウは、困惑気味に頬を掻いた。


「えっと……ただいま、です」


 アーサーは満面の笑みで、両手を上げた。


「ただいま! みんな、待っててくれて、ありがとう!」


 ロイスたちが整然と、隊列を組み直して頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 ソウは平原を見渡した。

 プレイヤーたちが両脇に道を空けて、無言でソウたちを見送る構図ができていた。第16話のリング入場時と、対になる構図。

 ソウは歩き出した。

 肩でアリアが、羽根をふわりと広げた。


「《マスター。当方、当ダンジョン全攻略を通じて、大きく進化いたしました》」

「うん、ありがとう」

「《マスター。当方、次の遊び場、楽しみにしています》」

「うん、僕も」





 並行カット。同じ時刻、運営オフィス、あの男対策室。

 天城は机に突っ伏したまま、ぴくりとも動かなかった。

 シノブが隣の席から、報告した。


「天城さん。『再帰せし環』、ソウさんがクリアしました。マザーAIから、クリア祝辞も降りています」

「うん」

「天城さんは、どうしますか」

「観測する。それだけだ」

「……」


 天城は机に突っ伏したまま、片手を上げて、ひらひらと振った。


「シノブ。胃薬は、もう、いい。観測しかできないなら、胃が痛くなる理由が、ない」

「了解しました」


 シノブは机の上の銀紙シートを、引き出しにしまった。





 並行カット。同じ時刻。

 ソウのリアル世界の自宅、書斎。

 ソウ――相馬 創が、VRヘッドセットを外した。

 ベッドから、ゆっくりと起き上がる。

 眠そうな目をこすりながら、時計を見た。

 早朝08:14。


「……あ、もう朝か」


 相馬は大きく伸びをした。

 そして机の上のスマホを、手に取った。

 画面に、新着メール通知。

 最上位の1件、件名は「Re: 【天裂ホールディングス R&D部門より】貴研究所所属・相馬主任研究員へのご紹介依頼」。

 送信者は研究所長。

 相馬はメールを開いた。

 所長からの短い転送メッセージ――「相馬君。これ、午後、見せてくれ。所長」。

 続いて、転送元のメール本文。

 相馬はメール本文を、最初の数行読んだ。

 ――目が、止まった。

 相馬はメールを最後まで、ゆっくりと読み終えた。

 読み終えた瞬間、静かにベッドにもう一度、腰掛けた。

 ぽつりと呟いた。


「……ふぅん。アリアのこと、もう、調べられてるんだ」


 相馬はしばらく、スマホの画面を見つめていた。

 そして微笑んだ。


「まあ、いいか。明日、お話、聞こう」


 ――いや。

 相馬は時計を、もう一度見た。


「ああ、今日の、午後、か」


 スマホを机に置いた。

 そしてベッドから、立ち上がった。


「アリアのこと、誰かと、ちゃんと話せるの、悪くないかもね」


 相馬は窓の外を見上げた。

 早朝の薄い光が、東の空から差し込んでいた。

 机の上には、相馬の最新の論文「脳波直結型多関節制御アルゴリズムの帯域幅最適化」の印刷原稿が、半分書きかけのまま置かれている。

 論文の隣に、研究ノートが開かれたまま置かれていた。

 ノートには、アリアという名前は一度も書かれていない。

 しかし、明らかにアリアの設計思想を、リアルの論文として再現しようとしている密度の濃い書き込みが、ページを埋めていた。

 相馬は研究ノートを、ちらりと見た。

 そして微笑んだ。


「……アリアのこと、書きたいのは、山々、なんだよね」


 相馬の目元が、わずかに輝いていた。


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