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第20話 出陣。そして奮闘

 天正18年(1592年)3月 伊豆国 賀茂郡 下田城


「皆の者よく聞け! 西伊豆の波勝崎はがちざきやぐらより敵船発見の狼煙のろしが上がった!


 船数は多数。手柄は立て放題じゃ!


 待ちに待った機会ぞ! 上方のうらなりどもに、坂東武者の何たるかを、見せ付けてやろうではないか!!」



「「「応!」」」



「出陣じゃ!」



「「「応!」」」













 やはり本能寺の変は起こった。


 天正壬午の乱も、小牧長久手の戦いも、沼尻の合戦も同じように起こった。


 前世と違ったのは、同時期に起こった小牧長久手の戦いより、沼尻の合戦に里見家が注力したことだ。


 おかげで、前世以上に里見も北条も強大化できた。



 沼尻の合戦では、前世同様、北条の主力が頑張っている間に、里見・千葉の軍勢が鹿島郡・行方郡を攻める作戦だった。


 違うのは、前世は6~7千しか参戦させられなかったのに、今生は、2万近い兵を動かせたことだ。



 その結果、鹿島・行方どころか、常陸中部の茨城郡まで一気に蹂躙し、府中の大掾氏、水戸の江戸氏を滅ぼした。

 そして、その勢いのまま、那珂川を越えて北進したので、連合軍の中核・佐竹家が動揺。連合軍は瓦解した。


 氏直殿の本隊は、そのまま宇都宮氏を追って下野を制圧。


 佐竹は真壁まかべまで後退したところで、里見の軍勢が、本城の太田城を囲んでいる話が伝わったらしい。


 追撃していた氏邦殿に、あっけなく降伏した。



 和睦の条件は、久慈川を境とするもので、佐竹の勢力は、一気に縮小した。

 これで北関東には、連合軍の核を務められる大名家がいなくなり、北関東から南奥羽にかけての諸将の北条への臣従が加速する要因となった。





 ただし、こちらに注力をしたおかげで、小牧の方では、前世のような快勝とはいかなかった。


 羽柴方の中入りの軍を破り、池田恒興・森長可を討ち取ったのは一緒だが、余勢を駆って美濃まで攻め取った前世とは違い、膠着状態を作り出すだけで終わってしまった。



 局地戦では勝っていても、全体を見渡せば、伊勢を攻め取られ、支配地が減っていく状況に、あえなく和睦となってしまった。


 その後は、紀伊、越中、四国と、味方だった諸国をどんどんと切り崩され、先年、とうとう徳川殿も臣従なされてしまった。


 前世では、羽柴にそこまでの勢いがなかったから、完全に油断していた。



 それに、丁度この時期、上方かみがた方面を担当していた義父の義頼が病にかかり、天正13年(1585年)この世を去ったのが痛かった。


 私が北条と関係を深め、義頼が織田や羽柴・豊臣と関係を深め、どちらの世になっても確実にお家を保つという戦略だったので、上方の勢力との対応を義頼に任せていたのが、完全に裏目に出た形だ。


 義頼の息子・義康(千寿丸)を元服させ、刑部大輔家(義頼のあと)を継がせてはみたが、義康は、まだ13歳。義頼と同じことができるはずもない。


 おかげで対応が完全に後手に回ってしまった。




 今思えば、北関東の木っ端大名など、適当にあしらっておいて、こちらにこそ注力すべきだったのだ。



 ま、後悔しても役には立たぬ。


 当家は、常陸でも香取海以西、那珂川以南の広大な領地を得た。そして、伊豆の領地を合わせれば、関東の海の7割を支配しているといっても過言ではない。


 やるからには、西国の勢に一泡も二泡も吹かせてやる覚悟じゃ。









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 石廊崎いろうざきの沖合で、両軍は激突した。


 一艘の大船を先頭に進む里見水軍。その大船目がけて、敵の小早が近づき、焙烙玉ほうろくだまを投げ入れる。


 炎を上げながらも減速せずに進む里見の大船。


 そして、敵の大船に激突すると、帆柱に結わえてあった巨大な丸木が倒され、敵船の舷側は破壊された。敵は船を引き剥がそうとしているが、丸木には鉤爪が付いていて、そう簡単には外れない。


 ……そして、暫くの後、里見の大船は業火に包まれた。


 積んでおいた油に引火したのだ。



 瀬戸内の水軍衆が焙烙を好むことなど、こちらはお見通しじゃ!


 それを逆手に取り、まんまと火船の計で嵌めてやったわい。


 それにしても、あのような大物が釣れるとは思わなんだ。

 あの『輪違い』の家紋は脇坂家のもの。もしや、敵の副将、脇坂安治(淡路守)殿のご座船を沈めたかもしれん。なんとも幸先の良いことじゃ。



 見れば、他にも何艘もの火船が、敵の大船を道連れに炎上しているのが見える。その成果もあって敵は大混乱に陥っていた。







「ここが勝負所じゃ! 押せや!」




 里見の船が、混乱する敵勢に突撃をかける。


 これは日ノ本では、おそらく里見の船にしかできない芸当じゃ。


 里見の船には、南蛮船と同じ『きーる』という物を付けるようにした。以前、小田原に来た南蛮船で見た物を参考にしたのだ。この『きーる』には、船を頑丈にする効果がある。おかげで我が軍の船は、敵船に正面から衝突させても、板が緩まないぐらい頑丈にできておる。



 だからこのようなこともできる。


 船の先端に付けた角で、敵船の土手っ腹に穴を空ける。


 接舷したら、帆柱に付けた丸木を落として両艦を固定する。

 頑丈な分だけ、こちらの方が乗員も多い。数に物を言わせて切り込みをかける。



 そうやって、次々とを敵船をぼふっていった。




 私か? 当然先頭に立って突っ込んだぞ。


 人間、死が怖くなければ、何でもできるものじゃ。




 突撃で2艘を沈め、3艘目に穴を空けたとき、その敵船から1人の男が飛び込んできた。




「その下り藤の紋に富士山形張懸兜。もしや加藤吉明(左馬助)殿ではござらんか」


「いかにも」


「それがし里見左衛門佐。左馬助殿。むざむざ命を捨てる物ではない。下られよ」


「何を申すか! この船を乗っ取って手柄とするつもりで来たのじゃ。それにしても大将首とは縁起が良い。そこもとの首をあげて、勲功一位となってやろうぞ!」


「話が通じぬやからであったか。では、斬ったところで何も惜しくはないな!」


「ほざけ! 田舎侍が!!」




 加藤吉明は槍を繰り出す。

 流石は賤ヶ岳の7本槍に入る剛の者。なかなか槍筋は鋭い。



 ……しかし、そこまでじゃ。


 こちらは一刀流の皆伝をいただいておる。槍持ちとの戦い方などお手の物じゃ。



 突き出された槍の穂先を、一刀のもとに切り落とした私は、一気に間合いを詰めると、刀を抜く間さえ与えず、富士山を真っ二つに切り断ち割っていた。




「敵将、加藤左馬助討ち取ったり!!」




 勝ちどきの轟く中、私は、『師匠は盗賊ごとかめを割ったと言うが、兜を割った私は師匠に少し近づいただろうか?』などと、益体やくたいもないことを考えていたのだった。














脇坂安治

 淡路洲本城主。淡路守(当時)。賤ヶ岳の七本槍の1人。小田原征伐では水軍の副将を務めた(※主将は九鬼嘉隆)。関ヶ原では、小早川秀秋に呼応して裏切った者のうちで唯一減封をされなかった。



加藤吉明

 加藤嘉明。吉明は当時の名前。淡路志知城主。左馬助(全て当時)。賤ヶ岳の七本槍の1人。小田原征伐では水軍武将として参戦。船を乗り移るエピソードは、朝鮮出兵時の逸話を基にしました。



下田城

 静岡県下田市にあった城。三方を海に囲まれた半島に気付かれた湊城で、北条水軍の拠点の一つ。史実でも豊臣方水軍衆1万の攻撃に50日間耐えた。



太田城

 茨城県常陸太田市にあった城。小田原征伐で佐竹氏が常陸1国を与えられ、拠点を水戸城に移すまで、長らく佐竹氏の本城だった。



茨城郡

 現在の茨城県中部にあった郡。東茨城郡、水戸市、笠間市、小美玉市等が郡域。おおむね霞ヶ浦以北、那珂川以南あたり。栃木県境から太平洋までの広範囲が郡域だが、古代はさらに広かったらしい。



那珂川

 栃木県那須岳を源とし、同県東部から茨城県に入り、太平洋に注ぐ川。河口部には那珂湊・大洗という良港を抱える。



久慈川

 八溝山を源とし、福島県の八溝山地と阿武隈高地の間を南へ流れ、茨城県に入って太平洋に注ぐ川。



波勝崎はがちざき

 伊豆半島の西端付近にある岬。現在は波勝崎モンキーベイという野生サル園が整備されている。



石廊崎いろうざき

 伊豆半島の最南端にある岬。



『きーる』

 竜骨キールのこと。あると幾つかの利点があるが、その一つに『船が頑丈になる』が挙げられる。和船には無かったため、船をぶつけると板が緩みやすかった。西洋のガレー船などでは一般的だった、衝角ラムによる攻撃が日本では発達しなかったのはそのためらしい。

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