第15話 説得。そして和解
元亀2年(1571年)10月 上総国天羽郡 佐貫城
今回の来訪は、『当主義弘公へのご機嫌伺い』という名目であったはずだが、義継は、父上との話を早々に切り上げたらしく、すぐに私の所へとやってきた。
「梅王丸殿。疑って申し訳ない」
「あにうえ。あたまを上げてくだされ。しんじられなくて、あたりまえです」
「お許しくださるか!」
「はい、もちろんでございます!」
「して、梅王丸殿。貴殿は何をなさるつもりじゃ?」
「まずは、ときけ《土岐家》とわぼく……」
義頼には、今後の情勢の見通しと、私の考えている策を全て語って聞かせた。
間もなく、甲斐-相模の同盟が成立する。間違いなく北条の圧力は増す。里見家が生き残るためには、どこかで必ず和睦が必要になる。
ところが、里見義堯と里見義弘は、三船山合戦の勝利と、『北条憎し』で凝り固まっていることもあって、北条とまともに交渉してこなかった。おかげで現在、北条への伝手がほとんど無い。
しかも、本国のすぐそばに、万喜の土岐家と、勝浦の正木左近家という北条方の有力国人がいる。これもどうにかしないといけない。
そこで、土岐家との和睦だ。
まだ負けていない状況で、いきなり北条との交渉は難しくても、過去に共闘していた土岐家なら、どうか。
大人同士は、色々な柵があるから、簡単にはできないかもしれないが、幼児である私を間に挟めば、成功率は上がるのではないか。
和睦にあたっては、私が『曾祖父を訪ねる』という名目で人質になっても構わないと考えている。
最終的に、土岐家と、盟約を結べれば上々だ。しかし、此度は、北条へのつなぎを作っておくことが目的なので、国境線を決めて、相互不干渉の約束ができればそれでいい。欲張って、破談になることだけは避けたい。
土岐家との和約が成れば、勝浦の正木家に圧力をかければいい。味方が中立(もしくは敵)になるうえ、下総の所領の件(※勝手に味方の千葉家を攻めて奪った)で、北条から叱責された今なら、寝返らせることは可能だろう。
この2家をどうにかできたなら、後は、遠慮無く北進すればよい。
全力を挙げれば、房総では良い勝負ができるはず。上総だけでなく、下総東部3郡(※香取、下海上、匝瑳)。上手くいけば、千葉郡、下埴生郡辺りも獲れるかもしれない。
ただし、どんなに優勢でも、下総の関宿城が落ちたら、確実の交渉を始めないといけない。
上総からは遠いが、関宿城は関東の要。ここで梁田氏が睨みを効かせているから、北条も、好き勝手に、東関東に入れない。
関宿を奪われたら、大河が迷流する下総・武蔵国境の低湿地を避けて、安定した台地上で軍勢を動かすことが可能になる。そうなれば、下総はもとより、常陸や下野の南部も、北条の軍勢が瞬く間に席巻することだろう。
里見家だって小櫃川以南を保てるかどうか。そうなる前に和睦の交渉に入ってしまいたい。
いち早く交渉にかかれば、それなりの条件が引き出せるはず。なるべく良い条件でまとめたい。そのためには、梅王丸が、餌となって、条件を引き上げることも厭わない。
父や母は反対するだろうが、「北条とて、里見の力、執念は身に染みてわかっているから、決して粗略に扱われることはない」と言って、説得する。
切り札による成果が出て、東総3郡を勢力圏に残せれば、水軍衆を香取海に入れて、常陸に進出すれば良いし。上総までなら、内政に力を注ぎ、国力を増せば良い。
私が御仏にお言葉を頂戴したのは、せいぜい15年分で、それほど先までわかるわけではない。しかし、その15年間で、北条が更に強大化するのは間違いない。
その後は、北条が、もっと強くなるなら、同盟者として大きな顔で振る舞えば良し、取って変わる勢力が現れたら、そちらに誼を通じても良い。ただ、少なくても、北条一辺倒の外交は避けたい。
舌足らずの子どもの口なので、だいぶ長い話になってしまったが、義頼は、一切口を挟まず、私の話を聞いていた。
そして、話が終わると、おもむろに話し始めた。
「氏康は武田の同盟破りに腹を立てていたから、生きていれば、武田との同盟はないと思っていた。が、死んでしまえば話は別。氏政は同盟に動くでしょう。そして、武田-北条の同盟が成っても、簡単に上杉と再同盟はできぬ当家は、このままでは先細りになるのは必定。この義継、感服いたした。
ときに梅王丸殿。このことを、義堯様や義弘様でなく、なぜ私にお話しくださったのかな?
わしでなく、このお2人に話せば、『御仏の声が聞けるうえ、4歳にして、お家の行く末まで考えられる神童じゃ!』とお喜びくださるであろうに」
「だからでございます。わたくしは、こがくぼうけと、つながっています。とはいえ、よつぎはあにうえです。ところが、このはなしを父うえが知ったら、きっと、わたくしを『よつぎに!』と、いいだします。そんなのは、お家のみだれのもとです」
「……そこまで考えておいでであったか!」
「あ、そうだ。もし、いせの、ひとじちに行くときは、わたくしをあにうえのようしにしてください」
「……なるほど! 考えましたな! 梅王丸殿が義弘様の子であり、古河公方家の連枝である事実は同じだが、義継の養子になることで、家督の継承の道筋もできる。それほど重要な人間を人質に出すとなれば、北条も相当譲歩せざるを得まい」
「さすがはあにうえ! さいしょに、おはなししてよかった!」
「いやいや、驚きましたぞ! この策が成れば、里見家もしばらくは安泰ですな」
「はい! あにうえの、お力ぞえを、よろしくおねがいします。それから、わたくしは、おとうとなのですから、たにんぎょうぎなことばは、むようにねがいます」
「心得た。梅王丸殿。……いや、梅王丸。今後も何なりと、この義継に申せ!」
「はい! あにうえ!」
東総3郡《香取、下海上、匝瑳》
下総の東部にある3つの郡
香取郡:現在の千葉県香取郡、香取市の全域と、旭市、匝瑳市、茨城県稲敷市、稲敷郡の一部。香取神宮の神郡(領地)だった。当初はもっと狭かったが、徐々に拡大した。
下海上郡:現在の銚子市、旭市の一部。正式には海上郡だが、上総にも海上郡があったため、区別するため『下』を付ける。古代は海上国造の領域。茨城県の鹿島地方や香取郡の西半分も含む広大なものだったらしい。
匝瑳郡:現在の千葉県匝瑳市、旭市、山武郡横芝光町の東半分。古代にはもっと広かったが、徐々に香取郡に侵食された模様。
千葉郡
現在の千葉市の大半と船橋市、習志野市、八千代市あたりにあった郡。千葉氏の元々の根拠地。
下埴生郡
現在の成田市の大部分と印旛郡栄町の東半分からなる郡。正式には埴生郡だが、こちらも上総に埴生郡があったため、区別するため『下』を付ける。




