31. オスカー・アルトワ伯爵
翌朝、シリルに見送られた二人は森の入口付近までフェンリルで移動した。入口が近付くにつれ顔が険しくなっていくティアの背を、ローランはポンポンと労わるように叩く。ティアは緊張している自分に気付き、深呼吸を繰り返した。
共に歩く視線の先には森の切れ目が見え、人の姿も捉えられた。
「ティターニア様!!」
シリルに許されない者は森の中に入れない。
そのためティアに気付いたエブリンは淑女である事を忘れているかのように、ティアに向けてブンブンと手を振る。
ティアもそれに気付き片手を大きくあげて応えた。
森を出た二人を待っていたのは数名の護衛とエブリン。
「ティターニア様、お帰りをお待ちしておりました」
そして深々と頭を下げるオスカーであった。
エブリン達もオスカーに倣い、それぞれの方法でティアに向けて拝礼する。
ティアは背筋をピンと伸ばすと、迎えに来た者達の顔をゆっくり見渡し優雅に微笑んだ。
「わたくしが不在の間、苦労をかけましたね」
ローランが初めてみる王族としてのティア。
オスカーは頭をあげ恭しく手を差し伸べると、ティアはその手に自分の手をそっと重ねた。
そうしてからティアはローランを示し、
「この方はわたくしの兄弟子です。わたくし達に助力いただく事になりました」
皆に紹介されたローランは複雑な感情を隠しながら一歩前に進み出て頭を下げた。
「ローランと申します」
そう名を名乗ると、エブリンは顔を真っ赤にして固まり、衛兵達は賢者の弟子に頭を下げて貰うなど申し訳ないと慌てる。オスカーだけがローランを真っ直ぐ見据え少しだけ眉を寄せた。
「ローランと仰るのか?貴方は」
「いかにも。オスカー・アルトワ伯」
ローランは感情をのせずに答える。ローランという名前は珍しくない。そのため偽名までは使わなかったが、賢者の弟子となると絞られてくるだろう。
オスカーはティアに視線を移すと「宜しいのでしょうか」と確認する。ティアはローランの目をじっと見つめ、オスカーを見ないまま頷いた。オスカーは僅かに目を見張ると改めてローランに視線を戻す。
「感謝申し上げますローラン様。私の事はオスカーとお呼び下さい」
「ローランでいい。オスカー」
そう言ってローランに向けて深く頭を下げたオスカー。
(聡い男だ。俺がクルドヴルムの王族だと気付いた)
自身が去った後、ティアを守る男が思ったよりも有能で安堵すると共に、いまティアに触れている手や、この先自分の求めるものを全て手にするオスカーに対して仄暗い嫉妬心がローランを包みこむ。
「まずは拠点である私の屋敷に戻りましょう」
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オスカーの屋敷で当てがわれた部屋の長椅子に腰を下ろしたローランは頭を天井へ向けながら、長い溜息をついた。
「分かってたんだが、分かってなかったなぁ」
ローランは基本的に誰に対しても悪感情は抱かない。出会ったばかりの人間に対しては尚更だ。だからこそ、ローラン自身も持て余すくらいの暗い感情が溢れてくる事に驚いている。
あの時もティアはローランを見つめてくれていた。
オスカーだってその事には気付いただろう。
「小さいな、俺」
ティアに対してだけ想像以上に狭量な自身に呆れてしまう。
ローランが自問自答している時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。侍女が扉を開けるとオスカーが立っていた。
(きたか…)
オスカーは部屋の中にいた侍女に退室を命じると、部屋の扉を閉めてから膝をつく。
「改めてましてご挨拶に参りました。クルドヴルム第一王子殿下」
ローランは長椅子に座ったまま「ローランでいい」そう改めて言った。
オスカーは立ち上がるとローランの前に置かれた長椅子に腰掛ける。そうして深い緑色の瞳を少しだけ和らげた。
「ティターニア様は恋を知れたようですね。
この一ヶ月。修行の目的はありましたが、ティターニア様自身の時間を作って差し上げてたかった。
それが叶ったようで何よりでございます」
「お前…」
ローランは目を見張った。この男の目的はティア自身の時間を作ってやる事だったと。ティアが恋に落ちる可能性も想定内であったと。
「お前がした事は正しいと言えるのか?」
「正直分かりません。ですが宝物はティターニア様をより強くすると信じておりますから」
オスカーに既視感を覚えたローランは考えを巡らせて、姉の婚約者に辿り着いた。姉を立てながらも見事に姉をコントロールする様子を見ているとクルドヴルム最強の男はシャルルだと思う。オスカーはシャルルに比べると騎士に近い体格を持ち、与える印象も全く異なるが、恐らくシャルルと同系統なのだろう。
「見事だオスカー」
ローランは素直に感想を述べる。ティアへの気持ちや力だけは負ける気がしないが、その他の事は敵わないだろうと思う。全てオスカーの盤上の上で踊らされているようだ。
「ありがとう。ローラン」
言葉を崩して笑うオスカーは実際の年齢より若く見える。
ローランはニヤリと笑って
「それでは本題に入ろうか」
そうオスカーを促すと、オスカーも心得たとばかりに不敵な笑みを浮かべた。




