30. 最後の夜
クルドヴルムの城下町を訪れ、ティアが無詠唱魔法に成功してから一週間。
その間にティアは無詠唱の精度を高め、今では感覚を掴めたのか苦労なく発動出来るようになっていた。
「ティア、貴女にセウェルスから連絡が入りました」
シリルは伝書用の小鳥を肩に載せて訓練場に姿をあらわした。
シリルの言葉を聞いたティアの表情が険しいものになる。ローランはついに来たかと、動揺を悟られないように拳を握りしめた。
それを見たシリルはティアを見て告げる。
「明日、迎えを森の入口に寄越すそうです。…準備は間に合いますね。ティア、そしてローラン」
そう言ってシリルはローランを見た。
ローランはシリルを見て「はいっ!」と肯定する。ティアは哀し気な瞳でローランを見たが、シリルに向き直った時には表情を窺わせないものに変わっていた。
その夜、シリルに呼び出されたローランはシリルの部屋に訪れた。
ローランの訪れに気付いたシリルは読み掛けの本を置くと立ち上がる。
「貴方の修行も今日で終わりです。ああ…昔はもう少し小さくて愛らしかったのに、大きくなりましたね」
そう言って、懐かしむようにローランの頭を撫でてやる。今も僅かにシリルの方が高いが、目線はほぼ変わらない。弟子入りした頃が思い出され、シリルは目の奥が熱くなった。
「これは師匠である私からの贈り物です」
コツンと額を合わせた。面前にこの世の者とは思えない美しい顔があるが、少し眉を顰めている。
額同士を合わせたまま、シリルはブツブツボヤくように言う。
「私にも無詠唱以外は使わないという矜持があるのですが、これは流石の私でも詠唱が必要になるんです」
「師匠?」
「これから貴方に何よりも強力な、誰にも看破されない変化の魔法をかけます。解除は決められたキーワードでのみ可能ですから、忘れないようにね」
「どうしてそこまで…?」
「貴方は私の大切な弟子ですよ。私の矜持より貴方の方が大切です。破られたら殺される。それが分かっているのに何もしない訳がないでしょう」
シリルのさも当たり前といった台詞にローランはいよいよ我慢が出来なくなり、声を殺して泣き始める。
シリルは目を閉じると、ローランが聞いた事がない言葉を使い詠唱を始めた。
シリルの口から発せられる言葉は文字となりローランの身体をリボンで包むように覆っていく。
そうしてシリルの全身を覆った文字がパラパラと消え始めると、ローランの黒髪はシリルと同じ白銀色に、瞳の色は深い青へ変化していた。
「ローラン、貴方の選ぶ未来を。貴方が選択する道を。私はずっと応援していますよ」
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「ローラン⁈髪色と瞳が違うと印象も変わるわね。でもとてもその姿もとても素敵だわ」
ローランは自分の部屋に戻る前にティアの部屋に立ち寄った。ローランの姿に驚いた様子のティアだったが、ローランの目が赤い事に気付いたらしい。部屋の入口に立つローランの手を取ると部屋に招き入れ、バルコニーに繋がる扉を開けた。
優しい風がふたりの身体を撫でる。そのままローランをバルコニーへ誘導し、ティアは満天の星空に浮かぶ月をみながら独り言のように話し始めた。
「綺麗な月ね…。ねえローラン。わたくし、ここに来てから沢山の常識を破っていますのよ。でも不思議な事にひとつも後悔はないの」
ローランの手を離してからバルコニーの手摺りに身体を預けるようにして、ティアはローランを見た。
月の光が黄金色の髪色に降り注ぎ、ティアの髪は後光が差している様に輝いている。
逆光で表情は見えないが静かに微笑んでいるようだ。
ローランはティアの顔が見たくてティアの前に立ち、より近くで見るために手摺りに両手をついてティアを腕の中に収めた。ようやくティアの笑顔が間近で見れたローランは紫色の瞳を真っ直ぐに見つめ
「…愛してるよ」
そう、心からの想いを吐き出した。
ティアはゆっくりローランの顔を包みこみ、幸せそうに頬を薔薇色へ染めながら濡れた唇を動かす。それは子供に言い聞かせてるような、柔らかく優しい声音。
「わたくしも、ローランを愛しているわ」
知っているでしょ、と恥ずかし気に微笑んだ。
ローランは少しだけ顔をずらし、包み込まれたティアの手のひらへ口付ける。
「最後の時まで側に居させて」
ずらした顔はそのままで青なのに熱く燃えるような視線だけをティアへ送った。
最後の時。それは目的の達成を指すのか、それとも生命を終える時を指すのか、恐らくその両方を指すのだろうとティアは思う。今、触れているローランがシワだらけのお爺さんになっても、自分がシワだらけのお婆さんになっても、その生命を終えるまで共に居たいと心から願う。
「貴方が望む限り、わたくしの心は貴方だけのものよ。心から、貴方だけを…」
最後の言葉はローランによって遮られた。
ローランの腕は手摺りからティアの腰へ移動し、ティアの両手はローランの首に回される。
これが最後かもしれない、そう予感していたふたりは無言でお互いの気持ちを確かめあった。
そんなふたりを包みこむように、月の光はただ優しく降り注いでいた。




