03 変身、王都の街にて
「はぁ。」
つい溜め息が漏れた。
「…………。」
ヒムロは速度を一切緩めることなく、ライの横を歩いていた。
ライの溜め息の理由──それはヒムロと合流する少し前までさかのぼる。
「このスカート、可愛いと思わない?」
クラスの友人達と談笑していた時のことだ。
1人が最近王都で流行している本を取り出し、女性向けの雑誌に掲載されている服の話になったのだ。
ライも年相応の女の子である、可愛いものに興味がある。
たとえやんちゃでがさつで髪がぼさぼさで、あまり淑やかな女の子とは言えない彼女であっても、可愛い服装や化粧に相応の興味があった。
なので当然、話は盛り上がった。
婚約者がいるライなんかは特に話題の標的になった。
もしデートをするなら服はこれ、靴はこれが良い、髪型はらしさを残しながら凝ったものを。
ライはヒムロが反応を返すとは思えなかったが、それでも想像してみるのが楽しかった。
放課後の教室に賑やかな声が響く。
そんな賑やかさを壊したのは、教室でなんとなしにその会話を眺めていたクラスメイトの男子であった。
「ライにはそういう可愛い服は似合わなさそうだけどなー。」
「そうそう、ライが色気付いてもなあ?」
端的に言うならショックであった。
その後、一緒に話していた友人達は庇ってくれたが、いたたまれなくなり教室を出た。
ちょうどヒムロとの約束の時間、高等部の授業が終わる時間帯だったため引き留められることはなかった。
「はぁ。」
こうして話は冒頭へ戻る。
今日はヒムロに頼んで王都の街を遊び倒す予定だったのだが、楽しい気持ちにはなれそうにない。
これから向かうワッフルの美味しいお店でも、気分はこのままだろう。
ちらりと横を歩くヒムロを見る。
ヒムロの容姿はとてつもなく美しい。
営業用の笑顔を浮かべる以外はぴくちりとも表情の動かないヒムロは、遠巻きから見つめる女性達が観賞用の芸術品だと口にしているのを聞いたことがある。
一切の汚れのない雪のような肌、整えられたさらさらの髪、肉体は一切の無駄がなく美しいラインを保っている。
そして歩き方すら、品があり彼の美しさを強調している気がした。
この美しい男の横で、ライは自分のぼさぼさな髪を見て急に恥ずかしくなった。
「…………はぁ。」
溜め息が追加で零れた。
そりゃあ、似合わないだなんて言われるはずだ。
……ライは自分が思っている以上に、似合わないと言われたことに傷付いていた。
「……。」
ライの足はとある店のショーウィンドウの前で止まった。
そこには可愛らしい服装が飾られていた。
「……そんなに似合わないかしら。」
じわりと、涙すら浮かんできた。
母の言い付けを守らず逃げ回ってきたツケなのだが、それでも仕方なかったのだ。
彼女はそういう風に育ったのだから。
「ライ。」
気付けば、ヒムロがライの腕をがっしりと掴んでいた。
「ヒムロ? あ、違うのこれは、」
「行くぞ。」
「待って、ワッフルなら今度に……え?」
腕を引いて入ったのは今しがた見ていたブティックだ。
それなりに値の張る店らしい。
品の良い店員がいらっしゃいませ、とヒムロに笑いかける。
「彼女に似合う服を見繕ってくれ。」
「ヒムロ!? い、いいわよ私に似合わな──!」
店員がそんなことございませんよと、にこにこ笑いながらライを店の奥へと連れていく。
似合わないのに。
そう俯くライの横顔を、ヒムロはじっと見ていた。
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鏡を見てライはがっかりした。
服はとても可愛らしい。
だが服が良くても自分自身の素材が悪すぎた。
良くお似合いですよと店員が笑って、面倒になった私はならこれで、と適当に返した。
代金すでに払ってあったらしい。
制服に着替えると手早く服は手提げのかみぶくろに包まれていた。
「着ないのか。」
彼は相変わらずの無表情で問う。
ライは先程のクラスメイトの言葉を思い出して、首を横に振った。
「私には似合わないわ。」
「なら似合うようになればいい。」
また彼はライの腕を引いて、いつの間にか呼んだらしい馬車に押し込んだ。
「待って、ヒムロ!」
それからはあれよこれよと、転がるように物事が進んだ。
キネヤ家の使用人達に肌、髪、化粧。
髪なら足の爪まで綺麗に飾られた。
肌はつるつるに、ふわふわになった髪は結い上げられ、指の爪までつやつやだ。
もう一度ヒムロの前に出てくる頃には、ライはまるで別人のように変貌していた。
「すごい……。」
ライはショーウィンドウに写った自分を見て呆然としていた。
化粧はナチュラルメイクで、顔立ちがそこまで変わったわけではない。
それなのに、そこに立っていたのは美少女そのものだった。
「ヒムロって童話に出てくる魔法使いみたいね。こんな私でも可愛くしちゃうんだもの。」
「ライ、それは違うぞ。君は誤解している。」
ヒムロは淡々と返事をした。
その言葉には特別な感情は感じられないほど、いつも通りの声色だった。
だからこそ、その言葉に真実を感じさせた。
「君は元から魅力的な存在だ。何を言われた知らないが、そんな言葉には傷付く必要はない。」
ヒムロを見る。
星空の瞳が自分を見ていた。
「ライ、君は綺麗だ。もっと自信を持て。君が手を伸ばせば、手に入らないものなどない。」
その言葉は真実だった。
少なくともヒムロという男にとって。
この美しい男が、ライを綺麗だと言ったのだ。
「そう、かしら。」
ライは頬が熱くなるのを感じた。
心拍数の上昇を確認──などと心の中でおどけてみてもおさまりそうにはない。
どうしていいか分からなくってヒムロの数歩先を歩いた。
……迎えの時間は近付いていた。
「あ、」
この王都アイビスは、かつて輪の国の移民を多く受け入れた。
そのため、王都やこの周辺の町はヒムロのような名前の者が多く暮らしている。
そして、移民者とともに、輪の国らしい食べ物もこの王都には沢山あった。
輪の国の文化がほとんどない町から来たライからすると、それはとても魅力的なものだった。
「たい焼き屋さん……。」
ライは当初の予定のワッフルを思い出した。
ヒムロを待たせるだけ待たせてお礼も何も言ってないことも。
少しの逡巡の間に、シャレット家の者が顔を見せた。
ヒムロはライの名を呼ぶが、彼女は屋台へ駆け寄ってたい焼きを2つ購入した。
「今日はありがと、」
照れ隠しにたい焼きを1つ押し付けて、ライは迎えの元へ駆け足で向かった。
「お嬢様!そのようなものを食べ歩くなどと!」
「あーもーうるさーい!」
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「ねぇ、ばあや。」
「どうしましたかお嬢様。」
髪はいつもよりつやつやだ。
いつもは烏の行水なお嬢様は、今日は機嫌が良いのか使用人にされるがままに髪を洗われていた。
「レディの歩き方……ううん、マナーを学びたいのだけど、今からでも間に合うかしら?」
使用人達は手に持っていたものを一斉に落としてしまった。
「えっ、なに、今更何言ってるんだってこと!?」
「いいえ! いいえお嬢様!頑張りましょうね!」