8.さざ波
予想外に、ヴァロアと公爵家官吏一同はあっさりと引き下がってくれた。
『また遣いを寄越すので返事が欲しい』
とだけ言い残すと、騒がせたことを詫び、店内に数点だけ置いていたヘルミの手作りのビーズアクセサリーを全て購入し、あっという間に去ってしまったのだった。
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時刻は既に夕刻に差し掛かっており、ヘルミは閉店の札はそのままに、夕食の支度をしながら最近の怒涛の出来事について思いを馳せていた。
パンを一切れ取り出し、チーズを乗せて窯の中で温める。作り置きしてあったベーコンと野菜たっぷりのスープの鍋を火にかけた。
鼻腔をくすぐるいい香りに、緊張で忘れていた空腹感が一気に押し寄せてきた。
自分は一体何がしたいのかを考えてみる。
正直、ヴァロアの話にあった王都や公爵領への出店はかなり魅力的ではあった。この国では古い物を大切にする文化が息づいており、タハティ修理工房の他にも物を修理する工房が多数存在するのはそのためだ。
だが、今の町でタハティ修理工房は、両親からヘルミへと数えたところで2代目。他の工房はどこも数百年規模の歴史を誇っており、肩身が狭いことは事実だ。
それに加え、古い文化も変わらずに引き継ぐことが良いとされる価値観が、前世で日本社会を生きた記憶のあるヘルミにとっては、正直受け入れ難いものとなっていた。
婚約者ひとつ決めるにしても、親が決定することが常識になってしまう。恋愛結婚もあることにはあるが、推奨されることは無い。一説によると、神話の時代、七神以外の神たちがあまりに性に奔放で、骨肉の争いが何度も引き起こされたため、争いがなくなる様に婚姻関係は他人から勧められたものでないと結べない決まりが作られたとか。
自分の人生も自分で決められない。前世の記憶があるからこそ、ヘルミの中には『誰とも結婚しない人生』という選択肢すらあるにも関わらず、それを表に出してはいけないのだ。と、父から婚約者が決まったと伝えられた時に悟ったのだ。
結果的に婚約は破棄になったが、両親の死を悲しむ一方で無理に結婚しなくて良くなったことを安堵したのも事実だった。
だが、両親が苦労して開業し、両親が自分たちの技量でもって増やした顧客を自分の一存で全て手放す覚悟はヘルミには無かった。
ミラの様に自分のことを受け入れ、心配してくれる存在がいることも、この場を離れがたくしている。両親の築いたコミュニティを捨てることは、それ即ち両親の技術や人柄、その思いまでもを反故にすることではないかと思ってしまうのだ。
子供らしくない子供だった自分を心を込めて育ててくれた。
子供の言うことだからと無碍にせず、ヘルミの疑問に真摯に向き合ってくれた。
早々に決められた婚約者も、ヘルミの将来を思っての事だと十分理解しているつもりだ。
ヘルミはパンとスープを皿に盛り付け、台所に備え付けられた簡単な机で1人の夕食を終えた。
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翌日、ヘルミは店を開け、ミラから預かっていた温冷コップの修理に取り掛かっていた。
タハティ修理工房で取り扱うのは、主に小型の生活雑貨である。具体的には、食器や文房具、高級ではない宝飾品、その他両手で簡単に持てる大きさの小物製品だ。
この世界の物品には、ほとんど全てに魔法がかけられている。そしてかけられた魔法が複雑であればあるほど価値は上がり、修理の難易度も上がっていく。
宝石や衣類などは、取り扱いに専門の技術が必要なため、取り扱う店も異なっている。
今回修理する温冷コップは、金属のマグカップに火魔法と水魔法が刻まれており、持ち手のスイッチを左右どちらかに倒すことで入れた飲み物を冷やしたり温めたりできる代物だ。
魔法の流れを見れるゴーグルを掛け、全体を確認したところ、魔法の回路が途切れている箇所がいくつか見つかった。ミラが温冷どちらも効果が薄くなっていると話していたが、部分的に魔法が発動していたため中途半端に効果が残っていたのだろう。
このように満遍なく魔法の回路に支障が出ている場合は、大抵経年劣化が原因である。ミラの家でこの温冷コップが長年大切に扱われてきた証拠だ。
ヘルミは一本の魔鉱ペンを手に持った。
アヨルミ石という真っ白な鉱石で出来ており、これで途切れた回路を魔法を込めつつ引いていくことで、もともと掛かっていた魔法の効果を取り戻す事ができるのだ。
アヨルミ石はこの世界の様々な場所で発見されている、どの魔法の傾向も持っていない珍しい鉱石だ。そして、どの魔法とも相反せず馴染んでくれる。魔法道具の修理には欠かせない道具だ。
まずは火魔法の回路から。ヘルミはゴーグルを掛けると、スイッチを温める方に倒し、火魔法を込めながら魔鉱ペンで途切れた回路を新しく繋げていく。
ただ線と線を繋げる作業ではない。魔法にはそれぞれ魔法が『好む』回路の在り方があり、また発動の強弱も考慮する必要がある。
マグカップの側面にまるで迷路を描くように、ヘルミは迷いなく魔鉱ペンを走らせた。
火魔法が終わったら次は水魔法。休みなく作業は続いた。
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その後、4名の常連の来客があり、普段通り依頼品を預かる。家庭から持ち込まれる日用品、ホテルの備品など、いつも通りの顔ぶれだった。
だがしかし、祭りの騒ぎの影響か。普段より2、3人は少ない客足に首を傾げつつ、ヘルミの1日は過ぎていった。




