第3話
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目を開けると、見慣れた教室の風景だった。
(……さすがに疲れたな)
別れを惜しんで縋りつかれ、泣きじゃくる姫とピストをなだめつつ、オーレリアとエステラのバチバチな空気に当てられて、踊り子と商人と竜人族の少女と海賊姫と希少種族の末姫と――もはや数え切れない美女達に囲まれて、割と精神が疲弊した。
魔法陣の消えた教室は、しんと静まり返っている。
この一瞬だけは、必ず人がいない。そうなるように細工されている。どうやっているのかは不明だが。
「あ……っ、山田くん!」
その時、聞き覚えのある声がした。
「よかった、こんなところにいた」
「藤崎さん?」
三日前――こちらの時間で言えばついさっき、自分と別れたはずの彼女が、なぜか息を切らしていた。
「峯田くんに殴られたって聞いて……。頭を打ってたら大変だし、どこかで倒れてるんじゃないかって思ったら、気になって」
「……探してくれたの?」
「お節介でごめんなさい。でも……あの、何かあったら嫌だから」
大丈夫? と聞かれる。
少しの沈黙の後、山田はこくりと頷いた。
「頭は打ってないんだ。運が良かったのか、偶然肩がぶつかって。怪我もしてないよ、ありがとう」
「ならよかった」
彼女がほっとした顔になる。
異世界の美女達に比べ、地味でひかえめなクラスメイト。
自分を気にかけてくれるが、それが特別なものである保証は一切ない。むしろ恋心はないだろう。なんとなく、それは察する。
あちらの世界は居心地がいい。楽だし便利だ。空気もいい。何よりも、自分を歓迎してくれる。
――だけど、それでも。
「勇者ヤマダじゃなくて、普通の高校生だしな、俺」
どれだけ強い力があっても、その力は異世界のものだ。空間を渡る際、ほとんどあちらに置いてきた。
今ここにいる自分は、地味で無口な男子生徒。
だから。
「心配してくれてありがとう。その……嬉しい」
「どういたしまして」
答える顔はやっぱり可愛い。
美女にしがみつかれてもびくともしなかった心臓が、ほんの少しだけ音を立てた。
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「あれー、山田ってどこだっけ?」
「今日休んでるんじゃない? いたっけ?」
「ていうか、クラスに存在してたっけ?」
ひどーい、やだーと笑いながら、少女達が歩いていく。その横にいるのが本人なのだが、彼女達が気づく事はなかった。
「相変わらずだよなあ、山田……」
それを見ていた男子から、同情交じりの声が漏れる。
「俺、女子にあんなこと言われたら登校拒否になりそう」
「ていうかなってる。二度と学校来たくない」
「山田の心臓強いよな。あれだけ言われてるのに、びくともしない」
「つーか……慣れ?」
違いないと、彼らが頷き合っている。ある意味、彼女達より失礼だ。
「根暗だし、地味だし、ほんっと目立たないやつだよな。あいつ、何が楽しくて生きてるんだろう」
「妄想じゃね?」
違いないと、男子達が頷き合っている。
それは否定しないけれど、全部でもない。
あの世界に行ってよかったと思う事が、もうひとつある。簡単な魔法が使えるようになった事だ。
この世界の理を壊すレベルでの使用は無理だが、ささやかな事象なら操れる。
そう、たとえばやさしい少女に幸運が訪れたり、親切な教員のいる図書室に埃が溜まりにくくなったり、面倒なクラスメイトの怒りを削いだり。あくまでも手助けレベルなので、調節はできないが。
「でも……なんか山田って、妙な感じがするんだよな」
その中のひとりが首をかしげる。
「よく分かんないんだけど、すごい力を秘めてそうな……うーん、なんていうか……」
「勇者とか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「ないだろ」
どっと彼らが笑い崩れる。
「あれが勇者なら、俺は英雄になってるって。異世界転生ってやつ? 美女と美少女達に囲まれて、理想の楽園! ハーレムじゃん」
「いいなぁ、憧れるよなぁ」
「俺絶対巨乳の女戦士。あとはケモミミと、ツンデレ魔法使いと……やっぱお姫様は外せねーな。うわ最高」
「踊り子とかもいいよなぁ」
話が盛り上がる彼らの横を、「失礼」と山田は通り過ぎた。
放課後になるまでに、もう一冊本を読んでおこう。
土木事業について聞きたいと言っていたから、そちら関係の資料にしようか。
やる事はたくさんある。いくら時間があっても足りない。
「……そうだ」
そこでふと気づくと、山田は後ろを振り向いた。
「ハーレムは思ってるようなものじゃない。神経がもたない」
「…………へ?」
「せいぜい四人が限度だな。それでも結構きついけど」
それだけ言うと、「それじゃ」と立ち去っていく。
取り残された彼らはぽかんとして、小さくなっていく背中を見送っている。
「なんで山田が、ハーレムについて詳しいんだ……?」
「妄想……じゃね?」
「だよなぁ」
彼らが真実を知る日は来ない。
(口がすべったな)
図書室へ急ぎながら、山田はちょっと反省した。
目立つのは好きじゃない。
ただでさえ異世界で勇者なんかになっているのに、現実世界でも目立つなんて冗談じゃない。こんな事が知られたら、普通の日常が崩壊する。
誰にも知られず、ひそかに、目立たず、堅実に。地道な努力が実を結ぶ。
国を治める人間は、それくらいの方がいい。
「あれ、山田くん? 今日も図書室?」
「藤崎さん……」
「勉強熱心だね。頑張って」
手を振る彼女に頷いて、山田は少し背筋を伸ばした。先ほどより足が軽くなっているが、本人は無自覚だ。
この後異世界で三日過ごし、こっちに戻って知識を蓄える。
魔王軍の残党が出たら討伐しなければならないし、剣の鍛錬も欠かせない。インフラも早急に整えねば。
本当に、やる事はたくさんある。
山田は地味な男である。
クラスメイトの藤崎さんが気になっていて、図書室の常連で、たまには人と会話もする。異世界では勇者だが、この世界ではただの高校生。
勇者ヤマダ。またの名を山田タカシ。
彼は、今日の放課後も異世界へ行く。
了
お読みいただきありがとうございました! 一話で収めようとしたのですが、長すぎたので分割しました。これが一番初めのお話です。山田くんの名前はタカシです。




