人と違うということ
晃一の胸に約一時間ほど泣きついていた陽菜であったが、流す涙もようやく底をついたのか、真っ赤に腫れた目元をゴシゴシと拭う。
出会って間もない他人に恥も外聞も全て投げ出し泣きついてしまったという羞恥心から陽菜はシュンとした様子で身体を縮こまらせていた。
「ご、ごめんなさい。会ったばかりの見ず知らずの人にこんな風に泣きついてしまって……」
申し訳なさそうにする陽菜にどう答えたらいいものかと晃一は悩んだ様子を見せる。ひとまず、彼はこれほどまでに陽菜が涙を流した理由をまず問いかけることにした。
「気にするなって言いたいところだけど、さすがにこれだけ泣くってことは何かしら理由があるんだろ?
胸を貸した借りを返してもらうってわけじゃないけれど、もしよければ訳を話してもらってもいいか?」
「えっと、それは……」
そう問いかけられ陽菜は彼に自分が抱えている問題について話すべきか僅かに迷った。
だが、ここで話さなければ先ほどまでの自分と何も変わらないことに気がつき、自分の今の状況について話す決断を下すのであった。
もっとも、後になって振り返れば心のどこかで誰かに話を聞いてもらいたかったというのも陽菜の本心であった。
家族にも話せない今の自分の状況や心境を見ず知らずの他人だからこそ話しても余り気が咎めない。それに第三者の視点からの忌憚のない意見を知ることができると思ったからだ。
「聞いていてあまり気持ちのいい話じゃないかもしれないですけれど、かまいませんか?」
そうは言っても例の一件を改めて口にするのはまだ幼い陽菜にはとても勇気がいることだった。そんな陽菜の心境を察したのか、晃一は彼女の肩に優しく手を置いて。
「ああ、心配するな。ゆっくりでいいから話してみな。
まあ、俺も君とそんなに年の離れていないガキだから、話を聞いてもたいして力になれないかもしれないけれど」
まだ話をしていないにも関わらず、自分のことを思って力になると口にしてくれた少年に陽菜は驚きと感動を覚えた。
外見は怖そうに見える少年だが、その性格は真面目で本当に優しい人物なのであろうということを改めて実感したからだ。
そんな彼だから陽菜も彼に対する信頼をこの時陽菜はハッキリと抱き、この人になら話をしても真剣に彼女の話を聞き入れてくれると確信した。
「実は……」
そうして陽菜はゆっくりと、しかし彼女が心の内に溜め込んだ思いの丈を晃一に向かって吐露し始めた。
詳しい事情は省いたが、片親であるということ。ここ最近元々友人であったみんなが家族に対する不平不満を口にすることが多く、嫌な気持ちを毎日抱いていたこと。
そんな毎日が続き、ついには彼女たちが口にした無粋な一言に腹を立てて手を上げてしまったこと。
それが原因でクラスで孤立してしまい、家族に心配をかけないようにこの場所で時間を潰していたということ。
しかし、先ほど自分が読んだ小説の内容に考えさせられ、自分にも悪い点があり話もせずに一方的に手を上げてしまったことを後悔しているということを。
後悔しても、もう起こってしまった事実は消すことができず、それがどうしようもなく悲しくてこの場所で一人で膝を涙で濡らしていたこと。そうして、不意に現れて声をかけた晃一に泣きついてしまったのだと……。
自分の境遇や、今の自分を取り巻く状況やそれに対する思い。その全てを彼に語った。
晃一は陽菜の話に口を挟むこともせず、彼女が全てを語り終えるまで黙って聞き続けた。
そして、陽菜が全ての話を語り終え、目の前にいる彼がどのように思っているのだろうと不安そうな表情を浮かべて晃一を見つめていると、それに気づいた晃一は明るい笑顔を浮かべながら彼女に向かって呟いた。
「そっか……。すごいな、君は。
俺よりも小さいのに、そんな風に色々と考えて家族のことを思って一人で問題を抱え込んでいたんだな。
本当にすごいと思うよ。きっと悲しかっただろうし、辛かったと思う。だから、これは俺が言っていいか迷うけれど、伝えるよ」
陽菜の肩に置いていた手を彼女の頭へと移し、先ほど泣きじゃくる陽菜をあやしていた時と同じように優しくその頭を撫で、
「よく頑張ったな。
でも、もう我慢しなくていいんだぞ。少なくとも君にはここに一人、悩みを話せる人ができたんだから」
陽菜が心の底から求めていた言葉を与えてくれた。
その言葉を聞いた陽菜は底をついたはずの涙が再び湧き上がるの感じた。
「我慢……しなくていいんですか?」
「……ああ。もうしなくてもいいんだ」
「愚痴を話しても……迷惑に思いませんか?」
「俺なんかでよければ幾らでも聞いてやるさ」
「私……頑張ったと思いますか?」
「普通は自分のことを悪く言った相手のことまで考えられないさ。君は立派だよ」
再び涙で滲む視界。頭から伝わる晃一の手の温かさと優しさが陽菜をゆっくりと包んでいく。
ポロポロと再び溢れ始める涙の粒。しかし、その意味合いは先ほどまで流していたものと大きく違っていた。
嬉しかった。自分の考えや思いを受け入れてもらったということや、今の自分が何より求めて止まなかった言葉を与えてくれたということが陽菜に取っては本当に嬉しかったのだ。
「おかしいです……悲しい涙はさっき全部出たはずなのに」
「悲しくなくっても涙は出るよ。いいんだよ、そういう時はそのまま泣いても。
俺も似たような経験があるから、気持ちはすごい分かる」
そう言って目の前の少年が陽菜に話を始めた。
彼もまた陽菜と同じ片親だということ。昔はそのことを周りからからかわれ、苛められていたということ。
辛い時期を過ごしていたがある人物とであったことで状況が変化し、とても救われたのだと。
そんな彼の告白に陽菜はとても驚いたが、同時に納得した。彼もまた陽菜と同じような経験をしたことがあったからこそ、ここまで親身に話を聞いてくれているのだと。
「人と違うってだけで謂れのない陰口を叩かれたり、価値観が違うって決め付けられるのって辛いよな。
本当は何も変わらない同じ人間なのにさ。
話しても分かってもらえないことのほうが実際多くて……。
でも、分かってもらうための努力を捨ててしまったら、もしかしたら分かりあえたかもしれない人がいたとしても、分かり合えないまま終わっちゃうかもしれない」
そう言って晃一は陽菜の頭を撫でていた手を離し、両手の人差し指で彼女の口角を上げ、
「だからまずは一度自分の思いを伝えてみる。それでダメならその時は仕方ないって諦めるしかないけど、中にはきっとそんな自分を受け入れてくれる人がいるはずだ。
けど、その時は笑顔で話すんだぞ? 緊張した顔で話をしたら俺みたいに何もしてないのに怖がられる羽目になるからな?」
冗談めかした言葉で彼女に表情に笑顔を作るのであった。明るい笑顔を浮かべてそう語る彼の姿を見て陽菜は自分の心臓がトクンと脈打つのを感じた。
(私も……この人みたいになれるかな?)
自分と同じような経験をして、それでもこうして明るい笑顔を浮かべて過ぎた過去の出来事を語る少年の姿を見て憧れと今の彼女には分からない名前のない感情を陽菜は抱いた。
「私も、お兄さんみたいになれるでしょうか?」
思わず考えていた言葉がそのまま陽菜の口から飛び出す。そんな陽菜の問いかけに晃一は茶化すことなく返事をする。
「ああ、きっとなれるさ。なにせ俺が君と同じ状況だった時は情けなく泣いているだけだったんだから。
そんな俺でもこうやって昔の出来事を笑って話せるくらいにはなってるんだ。君みたいに思慮深い子なら大丈夫に決まってる」
断言する彼の言葉に陽菜は言い表すことができない安心感を感じた。耳元ではドクドクと早鐘を打つ心臓の脈動が鳴り響く。それは先ほど感じたものよりも遥かに大きかった。
「そうだな……。俺は基本的に夏休みの間は毎日この図書館にいて勉強する予定だ。
色々と話したけれど、実際に君が行動を移すとしても今すぐってわけにもいかないだろ。夏休みに入ってクラスの子に会う機会もないだろうし。
もしさっき話しに聞いたように問題が解決するまで家族に話をしたくないってまだ思うのなら、俺を理由に使ってもいいぞ?
例えば〝図書館で知り合った新しい友達に会いにいく〟とか説明してな。
そうすれば変な心配をかけることもないだろうし、もしも問題が解決したら今の状況も含めて改めてしっかりと家族の人たちに説明してあげればいいさ。
もし、仮に問題が解決しなくても俺が話を聞いてあげるよ。まあ、学校が始まったら中々会う機会は作れないかもしれないけれど……。
こう見えても俺受験生なんだ。でも、約束する。都合が合うのなら君の話を絶対に聞くってな?」
そうして晃一は陽菜の目の前に小指を差し出す。陽菜は彼の意図を察し、その小指に自分の小指を絡ませる。
「指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます」
そうして晃一は陽菜と一つの約束を交わした。指切りを終えた後、晃一は学生服のポケットから携帯を取り出し、画面に表示されている時刻を確認する。
「……っと、もうこんな時間か。そろそろ帰らないと家族の人が心配するだろうし、今日はもう帰るとしようか」
そう言って晃一は陽菜の手を取り、彼女を立ち上がらせる。そのまま彼女は晃一に手を引かれて人気のない非常階段から図書館の外へと出ていく。
いつの間にか明るかった空は夕日が沈み始めていた。
これまでは学校の帰りに毎日憂鬱な気持ちになりながら、夕日が沈む中帰り道を歩いていた陽菜であったが、今の彼女はこれまでと違った明るい気持ちでその光景を眺めていた。
「それじゃあ、俺はこっちだから」
そう言ってそれまで繋いでいた陽菜の手を離し、帰り道に向かって歩き出そうとする。
そんな彼の姿を見た陽菜は、ようやく自分が彼に対して名前を名乗ってすらいなかったことを思い出す。
「あ、あの!」
「ん? どうした?」
「ごめんなさい! 私まだ名前も名乗っていませんでした! 私の名前は春日陽菜っていいます!
今日は、お話を聞いていただいて本当にありがとうございます!」
「そっか。君は陽菜って言うのか。そういや、確かに名前も聞いてなかったな。
それじゃあ、陽菜。また明日な!」
当たり前のように〝また明日〟と呟く彼に陽菜もまた満面の笑みを浮かべて返事をする。
「はい! また明日……」
そこまで口にしてその後に続く、先ほど聞いた彼の名前を口にしようとする。だが、彼の名前を呼ぶことに何故だか陽菜は言葉に言い表すことができない気恥ずかしさを感じ、代わりにこんな言葉を紡いだ。
「また明日会いましょう! お兄さん!」
そうして二人はそれぞれの家へ向けて歩みだした。
それからの毎日は陽菜にとってとても楽しい日々だった。夏休みの間ほとんど毎日図書館へと向かい、受験勉強に勤しむ彼の隣で陽菜もまた夏休みの宿題を片付ける。
毎日上機嫌な様子で図書館に向かっては帰っていく陽菜を家族は感じていたが、問いかけても新しくできた説明する友達について陽菜は『秘密です!』と口にするばかりであったため、益々その相手がどのような人物なのか気になるのであったが、それはまた別の話である。




