涙の理由
唐突に泣き出してしまったレナの様子を見て、共有スペースにいる他の来館者から怪訝な視線を向けられる晃一。
しばらく、周囲からの注目を集めていたが真剣な面持ちでレナを心配する晃一の態度を見て認識を改めたのか、注目を集めこそしたもののそれ以上周りが何か干渉してくるような事態はなかった。
初めはオロオロと不安と動揺から落ち着きのない様子を見せていた陽菜もようやく落ち着きを取り戻したのか、ポケットに仕舞っていたハンカチを取り出してレナの瞳から落ちる涙をすくい取り始める。
そうしているうちにレナの涙は徐々に瞳の奥へと引っ込んでいき、それまで声にならなかった言葉を少しずつ紡ぎだした。
「す……すみません。ほんと、なにやってるんでしょ……」
理性が戻ってきたレナはいきなり泣き出し、晃一や陽菜に迷惑をかけてしまったことが申し訳なくなったのか、自己嫌悪に陥りしょんぼりとした様子を見せ始めた。
「ま、まあ急に泣き出した時はさすがに驚いたけど、そんなに気にすることないんじゃないか?」
もしかしたら自分が彼女の涙の原因に一役買ってしまったかもしれない可能性があった晃一は、どこか遠慮がちな様子でレナに声をかけた。
そんな晃一の存在を今になってしっかりと認識したのか、先ほどまで陽菜と話をしていたときの明るい態度が再び鳴りを潜めてしまう。
「あの……あなたは?」
その問いかけを聞いて初めて自分のことを説明していなかったことを思い出した晃一。どう説明しようかと悩んでいると、レナを挟んで反対側にいた陽菜が代わりに晃一について説明を始めた。
「この人は私のお兄さんです!」
これ以上ない簡潔でわかりやすい説明ではあったが、それだけでいいのだろうか? と内心思う晃一であったが、レナは陽菜の言葉を聞いてどこか納得した様子を見せた。
「そうだったんですね。ごめんなさい、お世話をかけてしまって。
それと、ありがとうございます……。さっき私が泣いている間ずっと優しく背中をさすってくださいましたよね。
お兄さんの手、温かくて……。私泣きながら少しだけ安心しちゃいました。
見た目は怖そうな人だけど、優しい人なのかなって思えて」
「そうか。見た目に関してはこれまで散々周りからも言われてきてるから、そんな気にしてないぞ。
それよりも、陽菜と話をしてて急に泣き出しちゃったみたいだけど何か陽菜が失礼なことでも言ったか?
そうだとしたら、ごめんな。もしかしたらほとんど初対面だったのに馴れ馴れしかったかもしれないな」
晃一としては何気なく呟いた一言ではあったが、それを聞いた陽菜はムッとした様子を見せ、心外そうに反論する。
「失礼です! そんな風に言われるようなこと私はした覚えありません!」
「いや、俺はさすがに少し離れて二人の様子を見てたから、どんな話をしてたかまでは聞こえていなかったし。
……もしかしたらってこともあるだろ?」
「ムムム~! お兄さんってば~! なんでもっと私のこと信用してくれないんですか!
この間はお姉ちゃんとばっかり仲良くして、せっかく今日はこうやって一緒に過ごしてるのに、私の肩を持ってくれたっていいじゃないですか~」
「そう言われてもな~」
「お兄さんのバカバカバカ!」
レナの隣から晃一の元へと駆け寄り、ポカポカと晃一を両手で叩き始める陽菜。
そんな二人の様子を唖然とした様子で見ていたレナであったが、やがてクスリと微笑んだと思うとクスクスと笑い声を上げ始めた。
「ふふっ。ご、ごめんなさい……。失礼だとは分かってるんですけれど、お二人のやりとりが面白くって……。
本当に仲がいいんだなって思えて」
そんなレナの様子を見た晃一と陽菜は顔を見合わせると、言いあいをするのが馬鹿らしくなったのか、どちらからともなく笑い合った。
「ハハッ。ようやく、笑顔になった。よかった、もう大丈夫そうだな。
改めて、初めまして。俺は逸見……じゃなかった。春日晃一。
三山高校に通う一年生で、そこにいる陽菜の兄だ」
「こちらこそ初めまして。天川レナと言います。
陽菜さんと同じ中学の一年です」
お互いに自己紹介を終えたところで、レナが自分を名前で呼んだことに気がついた陽菜は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「天川さん、今私の名前を呼んでくれましたね」
そう陽菜に指摘されて、無意識の内に彼女の名前を口にしていたことに気がついたレナは、「あっ!」と驚いた様子で口元に手をあてた。
「こうして名前を呼んでもらえたことですし、私もレナちゃんって呼んでもいいですか?」
物怖じしない彼女にしては珍しく遠慮がちにレナにそう問いかける陽菜。そんな陽菜にレナもまた笑顔を見せ、
「はい! 陽菜さんさえよければそう呼んでもらえると私も嬉しいです」
いつの間にか先ほどまでの居心地の悪い空気はどこかへと消え去り、ほんわかとした空気が周囲に漂い始める。
そんな二人と同じ場所にいるのに、どこか自分の存在を忘れ去られたようで、晃一はどこか一抹の寂しさを感じていた。
そんな晃一は先ほどからどうしてもレナが急に泣き出したことが気になっていた。
せっかく良くなった空気に水を差すのもどうかとも思えたが、先ほどの彼女の様子がちょうど一年前にこの場所で見たある光景を晃一の記憶から思い起こさせ、意を決してレナに問いかける。
「話を蒸し返すようで悪いんだけど、もしよかったら先ほど急に泣いた理由について改めて聞いてもいいか?
陽菜が原因じゃないってことは分かったんだが、どうして急にレナちゃんが泣き出したのか分からないんだ。
もしかしたら、俺や陽菜で力になれることがあるかもしれないし、話すことで気持ちが楽になるようなこともあるかもしれない。
……どうかな? 話したくなければこれ以上はもう聞かないって約束する」
晃一の言葉を聞いたレナは、またしても驚いた様子を見せる。だが、この短いやり取りの間で大まかにではあるが晃一の人となりを理解した彼女は、お礼の言葉と共に先ほどの自分の行動の理由を話し始めた。
「ありがとうございます。もしご迷惑でなければ聞いていただけますか?」
そうしてレナが語り始めた内容は聞いていて決して気持ちの良い話ではなかった。
彼女の両親はレナに話しかける前に晃一が陽菜から聞いたとおりにフランス人の父親と日本人の母親であった。
そんな両親の間に生まれたハーフの彼女は幼い頃から周りから物珍しさの視線に晒されることも少なくなかったという。
だが、それでも幼少時はその容姿の愛らしさから周りのたちから可愛がられて過ごしていたとのことだった。
状況が変わったのは彼女が当時通っていた小学校の最高学年に上がってしばらく経った頃だったという。
思春期が近づき、周りと違うことが気になっていた彼女ではあったが、生まれも育ちも日本で過ごしていたこともあって言葉の壁で悩むといった問題はなかった。だが、容姿だけは変えることはできず外国人の遺伝だろうか周りの友達よりも身体の成長が早く、同学年の男子たちから、からかわれることがしばしば増え始めたという。
そのことに恥ずかしさを感じることはあっても、それ以上になにか思うことはレナにはなかったという。だが、周りの友達やクラスメイトの女の子たちは違った。
『レナちゃんってばさ~。最近男子たちからいっぱい声かけられて調子に乗ってない?』
『わかる、わかる。なんだかお姫様気分って言うか、正直イラつくかも』
『やっぱり外国の人って綺麗だから、自分は私たちと違うって思ってるのかもね~』
ある日の授業後、忘れ物を取りに一度は出た教室に戻ろうとしたレナが聞いたのは、それまでいつも仲良くしていた友達の口から発せられる信じられない言葉の数々だった。
自分がそんな風に周りから思われているは想像したこともなかったレナは、信じられない気持ちでその場に立ち尽くしたという。
本当はすぐにでもその場から逃げ出したいという気持ちで一杯だったと彼女は語る。だが、その時は衝撃のあまり頭が真っ白になってしまい、少しも足が動かなかったのだ。
更に運の悪いことにその場に留まるレナの前に先ほどまで話していた友達が帰るために教室を出て遭遇してしまい、いらぬ誤解を更に与えてしまう。
『うわ、なに? レナちゃんいたの? もしかして盗み聞きしてたの?』
『なになに? どうしたの? えっ! 嘘!? やだ、信じられない!』
『性格悪い~』
容赦なく浴びせられる悪意ある言葉の数々。つい昨日まで仲良くしていた友達だったものが、今は得体の知れない何かへと変わっていく。
結局、そのまま侮蔑の視線を向けられて去っていく少女たちに一言も言葉を発すことができないままレナはその場に泣き崩れたという。
そうして、それまで明るい性格をしていた彼女はその日を境に少しずつ人見知りな性格へと変わっていってしまうのであった。
事態はそれで終わらなかった。次の日、陰鬱な気持ちで学校に登校した彼女を待っていたのは、クラスの女子生徒たちから感じる距離感だった。
気になって普段からよく授業やテレビな話題を交わす友達に声をかけたレナだったが二言三言、言葉を交わすと少女はレナから去っていってしまう。
レナは気づいた。先ほどまでレナと言葉を交わしていた少女は昨日レナの話をしていた友達だったものの輪に入っていってしまったのを。
男子たちもそんな彼女たちの様子に気がついたのか、これまでのようにからかいの言葉すらレナにかけてこない。
そしてレナは教室で孤立した。
唯一の救いであったのが、小学校ももう六年の半ばを迎え、あと少し時間が過ぎれば卒業となるということ。それと物理的な被害にあうことはなかったということ。
だが、それでも幼いレナでも今の状況が一般的にどのように呼ばれているかということは理解できた。
そうして、半年。毎日憂鬱な気持ちで学校に向かい、家に帰ると枕を涙で濡らす。折れそうになる心を必死で支えて、どうにかレナは小学校を卒業した。
中学校へ進学すればきっと今の状況から抜け出して何かが変わるはず。そんな淡い希望を抱いて進学した彼女であったが、中学生になった彼女を待っていたのは、ありもしない尾ひれのついた噂と同じ小学校から進学してきた同級生の少女。その一部だった。
小学校だった当時のクラスの空気を作り出していた少女こそいなかったものの、間接的に状況に加担していた少女が同じクラスに属していること、本当の噂に混じり流れるありもしない悪意ある噂。
それに加えて彼女の容姿の特異さが、クラスメイトとの距離を作ってしまう。小学校時代の焼き直しのような毎日にレナの精神は限界を迎えていた。
それまで一人で抱え込んでいた問題。それが夏休みに入る直前に家族で食事を取っていた時に両親が発した何気ない一言で彼女の溜め込んでいた感情が爆発してしまったのだ。
国の気風から毎日のように父が口にするジョーク。
『レナは父さんと母さんの血を引いているから、将来はきっと美人になるぞ』
テレビに映るハーフタレントの活躍を見ながらそう口にしたレナ。だが、その容姿のせいで毎日心に傷を負っていたレナは何気ない父のその一言で、心の奥底を流れていたドロドロとした醜い感情が一気に表に噴出した。
『私がこの外見のせいで、どれだけ苦労していると思ってるの! もういや! こんな家に、お父さんとお母さんの間に生まれてきたくなんてなかった!』
レナが口にしたその言葉にそれまでなごやくだったお茶の間は凍りついた。そして、そんなことを口にしてしまったレナはハッと己がどれだけ酷いことを両親に向けて言ってしまったかということに気づき、すぐさまその場から逃げ出し部屋に引きこもった。
もう嫌だ。何で私ばかり。この場から消えてなくなってしまいたい。そんな悪い感情ばかりが、レナの頭の中をグルグルと駆け巡りながらその日は眠りについた。
それからすぐ、学校は夏休みに入った。ようやくクラスメイトと会うために登校しなくてもよい安心感と、例の一件以来両親に謝ることができていなかったレナは家に帰りたくないという気持ちの板ばさみにあっていた。
だが、幼い自分がいける場所など限られている。そうして悩んだ末に導き出した答えが、日中を図書館で過ごして、夜は部屋にこもることによって両親とできる限り顔を合わせないようにするというものだった。
「それで、レナちゃんはここにいたんですね」
話を聞き終わった陽菜は沈鬱な表情を浮かべてそう口にする。
「……はい。元々読書は好きでしたし、本を読んでいる間はお話の中に入っているみたいで、それ以外の余計なことを考えなくて済みますから……」
そんな彼女の姿を見た晃一は胸が締め付けられる思いでいっぱいだった。今の彼女の姿にかつて幼い頃に似た経験をしたことを思い出したからだ。
もっとも、その時の晃一には彼を支えてくれることになるある人物の出会いがあり、そのことによって今の彼の性格が形成されることになるのだったが、その人物ともとある出来事を境に疎遠になってしまっていた。
そして、そんな晃一と似たような思いを抱いている少女がこの場にはもう一人いた。
「レナちゃん。本当はこういうことは軽々しく言うべきじゃなってことも分かってます。
でも、私も今のレナちゃんの気持ちはすごくよく分かるんです。だって、一年前の私がそうだったんですから……」
そう口にして陽菜はチラリと隣にいる晃一に視線を向ける。奇しくも、今の彼女を取り巻く状況はちょうど一年前、陽菜と晃一が出会うことになったある出来事と似通ったものであった。
「もしよければ、今度は私のお話を聞いてもらえますか?」
そうして陽菜は語りだす。今から約一年前、目の前のレナと同じように周りとの価値観の違いに悩み、膝を涙で濡らしていた時のことを……。




