路地裏の邂逅(商人ルート前日談)
それは俺らしくもない、まさに、魔が差したといった感じの出来事だった。
いつもの俺なら人さらいの場面に出くわそうとも、助けてやろうなど血迷ったことは考えなかったはずだ。ましてや、服装からして明らかに貴族のガキである。助けてやったところで、階級意識の強いお貴族さまのことだ。感謝の言葉ひとつ寄越さんどころか、言いがかりで牢にブチ込まれるのがオチだろう。
だがその時、俺はすごく機嫌が良かった。
ただ、それだけだったのだ。
気が付くと、俺の周りには数人のならず者どもが転がっていた。びっくりしたように立ち尽くしている少女は、年のころは四つか五つといったところか。
――失敗した。
こいつは身なりが良すぎである。
良いとは、金がかかっているというだけの意味ではない。この国にはその階層の人間にのみ許される服装という、胸糞悪いものがある。そして当のこいつの服には、高位貴族のみが身に着けられる意匠が使われているようだった。
面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。だが……こんな裏路地に小さな子供を一人で放っておけるほど、俺は鬼じゃない。俺はひとつ嘆息すると、少女の前にしゃがみ込んだ。
「お嬢ちゃん、あんた名前は……」
「いたぞ! お嬢様だ!!」
俺が口を開いた途端。ばたばたという足音と共に、護衛騎士とおぼしき男たちが数人、俺らを押し囲んだ。
「お嬢様、ご無事でございますか!? そこの浮浪児、お嬢様から離れよ!」
「いや、俺は……」
さっそく面倒事が押し寄せてきたようである。俺がげんなりしながら立ち上がろうとしていると、色めき立つ騎士たちと俺の間をさえぎるように、少女が立ちはだかった。
「おやめなさい! このお方は、わたくしをたすけてくれたのです」
「ははっ」
従者達がひかえると、少女は再びこちらへくるりと振り返った。
「わたくし、エルザスこうがだい一女、フロランス・ド・ロシニョルともうします。あなたのお名まえをうかがってもよろしいかしら?」
よりにもよって侯爵閣下のご令嬢とは、これまた大物が引っかかったものだ。名乗るのも面倒だが、名乗らず怪しまれるのもまた、面倒である。
「ギィです。家名はありません」
「ギィさま。きでんのごじょ力、心よりかんしゃいたします」
しぶしぶ名乗った俺に向かって、彼女はスカートの端をつまんで優雅に一礼してみせた。
これが、貴族というものなのか――
路地裏に住まうガキをどれだけ探しても、こんな所作を取れるヤツはいないだろう。その姿に衝撃を受けた俺は、らしくもなく話に聞く騎士の真似事をしてみたくなったのかもしれない。
俺は少女の眼前に跪くと、手を差し出した。
「お手に口づける栄誉をお与え下さいますか? 我が令嬢」
たちまち間に割って入ろうとする騎士たちを、少女はすっと手で制す。
「ゆるします」
彼女はそう言って微笑むと、白く小さな手を少しのためらいもなく、俺の荒れた手に重ねた――
*****
子は親の背を見て育つというが、フロランス嬢のご父君も、どうやらまともな人物だったのだろう。その謝礼で路上の暮らしを抜け出す機会を得た俺は、ここから成り上がることを決めた。
『生まれ』で全てが決まってしまう。そんな運命に、抗ってみたくなったのだ。
あの生まれながらの貴族の少女と、気付いたら路地裏に捨てられていた俺。ただの人間の努力だけでその差を埋められるのか、確かめてみたくなったのである。
――あれから数年。
ヴァランタン商会の主人に見いだされ養子のうち一人となった俺は、ロシニョル家が跡取りを亡くして困窮していることを知る。
一代にして豪商へとのしあがった養父の期待に応えるように手腕をふるっていた俺は、たちの悪い商人共に悪用される前に、ロシニョル家の借用書を買い集めることにした。
この頃貴族と商人の財力が逆転し、金を手に入れた次は法術師の血筋を、と、借金のカタに貴族の娘を手に入れる手口が横行しているのである。そんな手合いに、あの花が手折られるところなど見たくなかったのだ。
義父の反対を押しきり大枚を叩いて借用書の多くを手に入れた俺は、少しの期待を胸にロシニョル家の門をくぐった。だがその期待は、甘く潰えた。
――あんな小さな子供が、何年も前の事を覚えてなどいるはずないだろう。ましてや以前のみすぼらしい俺とは、何もかもが違っているのだ。
解ってはいたが……俺は一抹の失望と、同時に腹立たしさを感じていた。
少しだけ、困らせてしまおうか? さて、あの幼くも凛とした淑女は、どういう反応を見せるだろう。
正直、上手く行くとは思っていなかった。確実に途中でロートリンジュ公爵の介入を受けることになるだろう。まあ何らかの手打ちを引き出せれば上々と言ったところか。
だがその結果は想像の遥か斜め上へといくもので、俺は内心舌を巻いた。ロシニョル家への投資は次々と回収され、俺がヴァランタンの養子達の中で不動の地位を築く礎となったのだ。
再び眼前に跪いた俺を前にして、何かを思い出そうとしている彼女を遮るように……俺は言った。
「尚更、貴女を手に入れたくなりましたよ」
「だから、言ったでしょう? 貴族の血を入れたところで、今後は法力持ちによる貴族制度なんて形骸化していくわ」
「それは元より承知しておりますとも」
胸に手を当て微笑む俺に、彼女はまだどこか幼さを残した容貌にそぐわぬ訝しげな視線を向けた。
長期戦になるかもしれないが……何年かかっても、いくらかけても惜しくはない。これまでも、俺は自分の力だけで欲しいものは必ず手に入れてきたのだ。
――必ずだ。
おしまい