第55話 師匠は今日も逃げ足が速い
果てのない砂原を、一行はゆっくりと歩き続けていた。
照りつける太陽は容赦なく体力を奪い、吹きつける乾いた風は肌を刺すように熱い。
足を踏み出すたび、砂が沈み込み、単調な景色が延々と続いていた。
先ほどまでルネの『バカンスだったのに』という愚痴や、ライルとミレーヌが遭遇した裏切り者の話で盛り上がっていた一行だったが、その余韻はまだ残っていた。
グロスが豪快に笑いながら肩を揺らす。
「がっはっはっ! サンドリアにいた数日だけでも退屈なんざする暇はなかったな!」
エリシアは苦笑する。
「本当にそうですね。補給を済ませて静かに出発するだけのはずだったのに……気がつけば、皆さんがそれぞれ何かしら騒ぎを起こしていて、最後まで退屈する暇なんてありませんでした」
グロスが豪快に笑った。
「がっはっはっ! おかげで最後は街中がお祭り騒ぎよ! 敵もまとめてぶっ飛ばせたし、酒もうまかった!」
「威張るところじゃありませんよ……」
エリシアは苦笑するしかない。
砂漠の暑さも忘れるほどの、穏やかな空気が一行を包む。
そんな賑やかな空気の中。
「ふふっ……」
セリアも、小さく口元を緩める。
「どうした?」
ライルが尋ねると、セリアは肩をすくめた。
「いえ……少し思い出しただけよ。
交易都市で、懐かしい人に会ったことをね」
その言葉に、一同が視線を向ける。
カラム「……知人か。それとも、敵か」
「ええ。私にとっては恩人であり、因縁の相手でもあるわ」
少しだけ遠くを見るように目を細める。
「私に魔法の基礎を叩き込み、炎の扱いを教え、何度も何度も地獄のような訓練をさせた人……。
もう二度と会うことはないと思っていた相手よ……。
だから再会した瞬間、嬉しさあまり魔法を撃ってしまったのだけれど」
その言葉とともに、セリアの記憶は一週間前に遡る。
露店が並び、人々の笑い声が響く大通り。
旅人、商人、冒険者が入り乱れる雑踏の中を歩いていた、その時だった。
不意に、人混みの向こう側で、一人の青年が立ち止まった。
見間違えるはずがない。
年齢は二十代半ばほど。
若々しいその姿は、セリアの記憶とはまるで違っていた。
それでも。
歩き方。立ち姿。そして漂う魔力。
それだけで十分だった。
「……バレスタ」
その名を口にした瞬間、青年がゆっくり振り返る。
穏やかな笑みを浮かべ、どこか困ったように肩をすくめた。
「おやおや。人違いではないかな?」
セリアは即座に首を横へ振った。
「いいえ、間違いないわ」
「本当に?」
「ええ」
「いやいや、落ち着いて私の姿を見たまえ」
青年は両手を広げ、自分の身体を見せるように一回転する。
「どう見ても若者だろう?」
「そうね」
「君の知っているバレスタ・クローンは、もう少し年をとっていたはずだ」
「そうね」
「つまり。私はそのバレスタという人物とは別人だ。私もバレスタ・クローンのことはよく知っている。大魔導師として有名だからな」
青年は得意げに人差し指を立てた。
「…………」
セリアは無言で見つめる。
青年も笑顔のまま見つめ返す。
セリアは、深くため息をついた。
「師匠」
青年を顎を撫でる。
「困ったな。私は師匠ではないのだが?」
「その言い方も、考え事をすると顎を撫でる癖も、そのままですね」
「ほう。人違いという可能性は?」
「ありません」
「即答とは、少しは悩んでくれてもいいではないか」
「教えを受けた師匠を見間違えるほど、私は物覚えが悪くありません」
「……やれやれ。弟子というのは、成長すると誤魔化しが利かなくなるものだな」
青年は肩をすくめ、苦笑を浮かべた。
「……バレスタ」
セリアの表情から笑みが消える。
「あなたは……私が倒したはずよ」
赤い魔力が全身から噴き上がる。
「私の炎でもう一度――あなたを終わらせる!!」
巨大な魔法陣が街中へ展開される。
周囲の人々が悲鳴を上げ、一斉に逃げ始めた。
「《最終術・紅蓮葬華グレナ・リクイエム》――ッ!!」
紅蓮の業火が一直線に放たれる。
「おいおい。
よく分からんが挨拶がそれか」
バレスタは呆れたように笑った。
杖を軽く掲げる。
【禁呪・虚無焔界アナイアレーション・ヴォルカノ】
漆黒の炎が渦を巻く。
轟ッ!!
二つの極大魔法が正面衝突した。
紅蓮と黒炎。
互いを喰らい合いながら相殺され、爆風だけが街を揺らす。
セリアは目を見開いた。
(……嘘。前は、この魔法で終わった。
つまり……。あの時、本気じゃなかったのね。
私に勝たせるために、手を抜いていた)
胸の奥に複雑な感情が広がる。
悔しさ。呆れ。
そして、少しだけ嬉しさ。
「相変わらず化け物ね……」
「褒め言葉として受け取っておこう。
では、今回はここまでだ」
バレスタは笑いながら踵を返した、その瞬間だった。
「待ちなさい!!」
セリアの凛とした声が交易都市へ響き渡り、その姿が視界から消えた。
《紅蓮空歩グレン・アクセル》
足元に幾重もの赤い魔法陣が展開された。
魔法陣を踏み台にするように空間を蹴り、爆発的な加速で一気に距離を詰める。
ドンッ!!
空気が弾ける。
赤い軌跡を描きながら、セリアは屋根から屋根へ、路地から大通りへと駆け抜けた。
市場の大通りを二人が駆け抜ける。
「お待ちなさい、バレスタ!」
「おっと、怖い怖い!」
買い物客は突然始まった追いかけっこに慌てて道を空けた。
果物屋の荷車が倒れ、香辛料の袋が宙を舞う。
大道芸人は芸を止め、衛兵たちも突然の事態に対応できず呆然と立ち尽くしていた。
そんな喧騒の先。
屋台の椅子へ腰掛け、一人の女性が優雅に食事を楽しんでいた。
聖女セラフィア・ルミナス。
バレスタの表情がぱっと明るくなる。
「おお! セラフィア君!」
救世主でも見つけたかのように大きく手を振る。
「助けてくれ!
よく分からんが襲われているんだ!」
セラフィアはスプーンを止め、静かに瞬きをした。
静かに顔を上げた。
視線はバレスタへ。
続いて、猛烈な勢いで追い掛けてくるセリアへ。
二人を交互に見つめる。
「……。」
バレスタは満面の笑み。
セリアは怒りを隠そうともせず、巨大な魔法陣を展開しながら仁王立ちになっている。
セラフィアは小さく息を吐き、にこりと微笑む。
「知りません。
勝手にやっていてください」
何事もなかったかのように食事へ戻った。
「おいぃぃぃぃぃっ!!?」
バレスタの絶叫が交易都市中へ響き渡る。
その隙を、セリアは見逃さない。
魔法陣を完成させ、巨大な紅蓮の魔法陣が空を覆い尽くした。
熱風が街を吹き抜ける。
石畳が赤熱し、建物の窓ガラスが震える。
市場中の人々が思わず空を見上げた。
「なんだ、あれ……!」
「空が燃えてるぞ!」
「バレスタ」
セリアは穏やかに微笑む。
その微笑みは美しく、そして恐ろしい。
「今度こそ……終わりです!!」
紅い瞳が真っ直ぐ師を射抜く。
《獄炎殲滅砲インフェルノ・エクスキューション》
轟音。
極限まで圧縮された紅蓮の奔流が一直線に解き放たれる。
街路を埋め尽くすほどの灼熱の閃光が、石畳を溶かしながらバレスタを飲み込まんと迫る。
その一撃には迷いがなかった。
弟子としてではない。
一人の魔導士として。
かつて倒したはずの最大の因縁を、この場で終わらせるための全力。
ゴォォォォォォォォッ!!
天地を震わせる轟音。
「やれやれ。
弟子の成長は嬉しいが……。
少々、張り切りすぎだ」
迫り来る紅蓮の奔流を前にしても、その表情に焦りは一切ない。
むしろ、成長した弟子を見守る教師のような穏やかな笑みすら浮かべていた。
右手をゆっくり掲げ、静かに術式を紡ぐ。
その指先から、黄金の光が静かに溢れ出した。
光は瞬く間に空気を満たし、周囲へ神聖な波動を広げていく。
耳を澄ませば、どこからともなく澄み切った鐘の音が響いた。
まるで神殿で祈りが捧げられる時のような、神々しく厳かな音色。
神聖術第七等級《聖皇結界セイクリッド・ドミニオン》
キィィィィィン……。
黄金の巨大結界がバレスタの前方へ展開された。
まるで神殿そのものが顕現したかのような神々しい光。
周囲の人々は思わず息を呑み、その光景を見上げていた。
轟ォォォォォォォォンッ!!
《獄炎殲滅砲》が真正面から激突する。
紅蓮と黄金。
二つの超高位術式が激しく衝突し、凄まじい衝撃波が交易都市全体を揺らした。
衝突の瞬間、世界が白く染まった。
市場に並んでいた露店が吹き飛び、砂煙が空高く舞い上がった。
黄金の結界は、一歩たりとも揺るがない。
灼熱の奔流は結界の表面で四散し、炎は空へと弾け、熱だけが街を吹き抜けていく。
やがて紅蓮の奔流は完全に霧散した。
結界の内側で、バレスタは何事もなかったかのように服へ付いた埃を軽く払う。
「ふむ」
少しだけ感心したように頷く。
「威力は申し分ない。術式の完成度も以前とは比べものにならないほど高い」
セリアを見つめ、穏やかに微笑んだ。
「だが……まだ私を燃やすには、少し火力不足だね」
「……っ!」
セリアは悔しそうに歯を食いしばる。
全力だった。
今、自分が放てる最高峰の炎魔法。
それが真正面から防がれた。
その光景を見ていたセラフィア・ルミナスも、さすがに目を見開いていた。
「……嘘でしょう」
普段は滅多に感情を表へ出さない聖女の声が、わずかに震える。
「……神聖術第七等なの」
黄金の結界を見つめたまま、小さく息を呑む。
「この世で、第七等級を扱える術者なんていないはず……」
その視線は自然とバレスタへ向いた。
(……バレスタあなたは何者なの)
セリアは額へ浮かんだ汗を拭いながら、大きくため息をつく。
「もう……なんなのよ、あなたは。
いい加減にしてください。昔からそうだけど、弟子の全力を"少し頑張ったね"程度で受け流さないでください!」
バレスタは、肩を落とし、呆れたように笑う。
「いやぁ、褒めているつもりなんだが」
そのやり取りを見ていたセラフィアは、小さく笑みを漏らす。
ゆっくりと立ち上がり、二人へ歩み寄った。
そしてセリアへ向かって、静かに頭を下げる。
「初めまして。私はセラフィア・ルミナスと申します」
柔らかな笑みを浮かべたまま続ける。
「一つ、ご相談があるのですが……」
ちらりとバレスタを見る。
バレスタは『困ったなぁ』とでも言いたげな顔で立っていた。
「あなた……彼を捕まえるのに、少し協力していただけませんか?」
セリアは一瞬きょとんとしたあと、思わず吹き出した。
「ふふっ……」
そして真っ直ぐセラフィアを見つめる。
「私はセリア。ええ、しょうがないわね」
炎の魔力を静かに収めながら、にやりと笑った。
バレスタへ視線を向ける。
「昔から一人じゃ捕まえられない相手だったし」
ゆっくりと右手を差し出した。
「協力しましょう、セラフィア」
セラフィアも穏やかに微笑み、その手を握り返す。
「ありがとうございます」
二人の女性が握手を交わす様子を見たバレスタは、嫌な予感しかしなかった。
「……待ちたまえ。
その笑顔は、どう考えても私にとって良くない相談がまとまった顔なんだが?」
冷や汗を流しながら一歩後ずさる。
セリアとセラフィアは互いに顔を見合わせる。
「逃がしません」
「今日は色々と聞きたいことがありますので」
「…………」
バレスタは数秒だけ空を見上げた。
「人生とは、どうしてこうも理不尽なのだろう」




