第47話 王国の現実、そして小さな光
王城は、かつての威厳をまだ取り戻せていなかった。
かつては威厳と秩序を象徴していた大広間も、今はその面影をかろうじて残しているに過ぎない。
高い天井には焼け焦げが残り、崩れた壁の修復は途中で止まっている。
床には細かい瓦礫が残り、歩くたびに微かな音を立てる。
赤い絨毯は本来、王の道を示すはずのもの。
今は、ところどころが焦げ、破れ、その“赤”すらくすんで見えた。
そして――玉座の左右。
本来であれば、整然と並ぶはずの近衛兵たち。
だが、その列は明らかに歪んでいた。
間隔が空きすぎている。
空白が目立つ。
人数が、足りない。
“守るべき場所が、守られていない”という現実が、そのまま視覚となって突きつけられていた。
私は玉座に腰を下ろしながら、胸の奥に冷たい痛みを覚えた。
(……思っていた以上に、国は傷ついている)
玉座がこんなにも重いものだとは知らなかった。
そこへ扉が軋む音とともに、軍務官カルドと数名の側近が入ってきた。
彼らの足取りは重く、疲労と焦りがその背中にあらわれている。
カルドが一歩前に出て、頭を下げた。
「殿下……現状報告の準備が整いました」
私は小さく息を吸う。
逃げたい、とは思わなかった。
ただ。怖かった。
エルシア
「ええ。……聞かせてください」
自分の声が少し震えているのがわかる。
「まず……最も深刻な問題からご報告いたします」
エルシア
「兵力、ですね」
軍務官カルド
「……はい。王国兵の五割が戦死、さらに数多くが重傷を負い……戦線復帰は困難です」
「五割……っ。」
言葉が漏れる。
数字として理解していたはずなのに。
実際に“口にされる”と、それは別物だった。
玉座の間の空気がさらに冷たくなる。
「王城防衛は、ほぼ壊滅状態。
城門の守備も手薄で、巡回隊の数も平時の半分以下。 衛兵の欠員は深刻で……
本来四十名立つべきこの玉座の間に、十名以下です」
エルシア
「……徴兵は?」
軍務官カルド
「民は疲弊しており、反乱の余波で治安も悪化。
“強制徴兵は第二の反乱の火種になる”との判断で、急ぐことができません」
側近A
「“王都を出るのも怖い”という声が多いのです。
とても兵を募る空気では……」
私は、そっと目を閉じた。
側近B
「今の王国は……守るので精一杯です」
“守るので精一杯”。
その言葉は、鋭い刃のように心へ突き刺さった。
エルシア
「……わかっています。だからこそ、焦って動けば国が崩れます」
言葉にしながらも、心の奥では焦燥がくすぶっている。
兵力が足りない。
守る力さえろくにない。
本当に、こんな状態の国を私が背負えるのだろうか?
――いいえ。背負うしかない。
文官のラウルが進み出る。
文官ラウル
「次に……エルディナ連邦の件について」
その名が出た瞬間。
思わず息を呑んだ。
胸の奥に、抑え込んでいた何かが、一気に噴き上がる。
(エルディナ連邦……あの連中には……!)
頭の奥で、過去が蘇る。
(聖血統の儀を提供し、父を魔導具のように扱い……
王国を“実験場”にし……
仲間を傷つけ、国を壊し……
全部、好き勝手に踏みにじった)
指先が、わずかに震える。
気づかれないように、玉座の肘掛けを強く握った。
ラウルの声が、静かに続く。
「……裏で好きに動いていた連邦の暗部勢力ですが、こちらから抗議するにも“武力が支えられません”」
「……どういう意味ですか?」
分かっているのに、あえて聞いた。
言葉にして、突きつけられなければならない現実があるから。
軍務官カルドが、代わりに口を開く。
「連邦が武力示威を行えば……
今の王国では反撃どころか、防衛すら、成立する保証がありません」
その声には、悔しさが滲んでいた。
文官ラウル
「抗議文を送っても、無視される可能性が高いかと……外交的圧力をかけるための“裏付け”が、我々は不足しております」
エルシア
「……報復どころか、何かの弾みで隣国が侵攻してくれば……王国は耐えられない」
自分の声が、はっきりと震えた。
歯が、強く噛み合う。
悔しい。どうしようもなく、悔しい。
怒りがあるのに、振るう力がない。
守りたいものがあるのに、守りきる手段が足りない。
――王女として泣くわけにはいかない。
「……今は“耐える”しかありません。報復は……国を立て直してからです」
私は小さく息をついた。
感情を押し殺し、目の前の現実へ向き合う覚悟だけを固める。
続けて、内務官が前へ出た。
「各地で、不安材料が続出しております」
その声には、隠しきれない疲労があった。
「……聞かせてください。」
内務官は資料を広げる。
「北部地方――治安悪化。
複数の盗賊団が勢力を拡大し、村落を襲撃しています。領主側の対応も追いついておらず……一部では放棄された地域も」
ざわり、と空気が揺れる。
「商人ギルドは、交易路の安全性低下を理由に、他国が王国領へ侵入する可能性を警戒しています。
さらに、南部では帝国の密偵らしき影を見た、との報告も」
文官ラウルが、静かに付け加える。
「財務官からも報告が来ております。
国庫の残存資金が、危険水準に達しています」
エルシア
「……そんなに酷いのですね」
内務官
「はい。このままでは冬を越すことすら、難しいかと」
王国の問題は、兵力だけではない。
治安、財政、外交。
すべてが崩壊寸前。
「……国がどれほど荒れていようと、私が立ち止まる理由にはなりません」
声に出した瞬間、玉座の間の空気が、ほんのわずかに揺れた。
内務官
「殿下……」
「ここで倒れるなら、私は初めから王女である資格なんてありません」
震える心を押し殺しながら、私は背筋を伸ばす。
そのまま臨時会議が開かれた。
軍務官カルド
「現状、戦闘能力は極めて限定的です。
よって、戦略は“守勢”に徹するべきと考えます」
エルシア
「具体的には?」
軍務官カルド
「壊れた魔導障壁の再構築です。
王都周辺だけでも完全防衛圏とします」
側近A
「殿下の巡回を計画しています。
民心の安定には、“王が動いている”という事実が必要です」
少しだけ照れたが、私はうなずいた。
「行きます。
王女としてではなく、この国を立て直す一人として」
側近たちは驚いた顔を見せつつ、やがて微笑んだ。
内務官
「外交方針はどういたしますか? 強気な姿勢は取れませんが……」
エルシア
「“慎重かつ友好的”。今は敵を増やすべき時ではありません。」
その言葉に重臣たちが頷く。
軍務官カルド
「……今は“守るべき時”。
王国の傷を癒やすことを、最優先に」
エリシア
「はい。
そのために、できる限りの手を尽くします」
王座の間に満ちていた重苦しい空気が、少しだけ和らいだ。
そのとき
――バンッ!!
玉座の間の扉が、勢いよく開いた。
側近C
「エルシア殿下! 緊急報告です!」
エルシア
「落ち着いて。どうしました?」
側近C
「砂漠の遊牧民――“アルダラ族”より伝令が!」
エルシア
「アルダラ族……?」
側近C
「近日、正式に殿下を“新王女として承認し、挨拶の使節を送る”とのことです!」
空気が、一瞬で軽くなる。
側近B
「本当に……? それは大きな朗報です!」
軍務官カルド
「少なくとも、敵ではない勢力がひとつ増えたということですな……!」
胸の奥に、温かな火が灯るのを感じた。
エルシア
「……来訪を歓迎する準備をしましょう。
たとえ小さくても、この国に届く“信頼”は、何よりの力になります」
私は玉座からゆっくりと立ち上がる。
まだ王国は傷ついている。
守る力も、攻める力も足りない。
不安は尽きない。
それでも――
(私は立ち止まらない。絶対に)
アルヴェリアを立て直すために。
誰かの操り人形ではなく、“自分の意思で国を導く王”になるために。




