第3話 灰狼傭兵団
山間地へ入ってから、どれほど歩いただろうか。
荒野を抜けた先に広がっていたのは、切り立った岩山と深い谷だった。
道は細く、左右には巨大な岩壁がそびえ立っている。
乾いた風が谷間を吹き抜け、砂埃を舞い上げていた。
ライル・アーヴィングは、その道を一人で歩いていた。
魔物。
盗賊。
ここ数日だけでも、ライルは幾度となく襲撃を受けていた。
そのすべてを、彼は一人で退けてきた。
「――止まれ」
前方から声が響いた。
ライルの足が止まる。
次々と姿を現した。
その数――四十。
ただの荒くれ者ではない。
装備は統一されておらず、鎧も武器もそれぞれ違う。
立ち位置だけは異様なほど整っていた。
明らかに何度も実戦を経験している集団だった。
ライルは目を細める。
「……傭兵団か」
「ご名答」
一歩前へ出たのは、大柄な男だった。
年齢は四十代ほど。
右目に古い傷があり、肩には大型の戦斧を担いでいる。
「俺たちは《灰狼傭兵団》だ」
その言葉とともに、後方の男が一枚の羊皮紙を掲げた。
「そして――アルヴェリア王国から正式な討伐依頼を受けている」
羊皮紙には王家の紋章。
そして、王国軍の正式な印章が刻まれていた。
「依頼内容は単純だ。
ライル・アーヴィングの討伐」
ライルの表情は変わらない。
「生死は?」
「問わない。いや、正確には――生かして帰すな、だ」
「……そうか」
「ずいぶん淡々としているな」
「慣れた」
「何?」
「ここ数日、似たような連中ばかりだからな」
「なるほど。噂以上に生意気だ」
団長は笑った。
周囲の傭兵たちからも、笑い声が漏れる。
「元王国騎士とはいえ、今はただの追放者だ」
「逃げ続けて、随分と粘ったみたいだがな」
ライルは黙って傭兵たちを見回した。
「……王国も、随分と金を使ったものだ」
「ん?」
「俺一人を殺すために四十人か」
「勘違いするな」
団長が戦斧を地面へ下ろした。
ズンッ!!
大地が震える。
「お前の首には、それだけの価値があるってことだ」
団長は懐から一枚の紙を取り出した。
それをライルへ向ける。
「見ろ」
そこに書かれていた金額を見て、ライルはわずかに目を細めた。
「……高いな」
「だろう?」
団長は楽しそうに笑う。
「喜べ、ライル・アーヴィング。
お前の首に懸けられた賞金は――アルヴェリア王国史上でも歴代トップクラスだ」
「王都じゃ有名だぜ。
仲間を守るためなら自分が傷つくことも厭わなかった男が今じゃ、王国に追われる犯罪者扱いだ」
別の傭兵が笑った。
「……犯罪者、か」
その声音には、怒りすらなかった。
「それともう一つ」
団長が戦斧を構える。
「……何だ」
「お前については、かなり調べた」
周囲の傭兵たちが一斉に武器を構える。
「黒焔剣士――ライル・アーヴィング。王国騎士団で最強と呼ばれた男。
そして――黒焔剣技の使い手」
その言葉に、ライルの目が細くなる。
「調べはついている」
剣士が剣を抜いた。
「お前の剣技については、王国騎士団の記録まで漁った」
「俺たちはお前が使う技を知っている」
「どの構えから、どんな斬撃が来るか」
別の傭兵が槍を構える。
「だからこそ――俺たちは勝てる」
傭兵たちが一斉に殺気を放つ。
「なら、試してみればいい。
お前たちが調べたのは――技だけだ」
ライルの瞳が鋭くなる。
「行くぞ。第一班!」
団長の声が山間に響いた。
剣士二人。
槍兵一人。
盾兵一人。
斧兵一人。
五人の傭兵が飛び出した。
盾兵が正面から突進する。
《鉄狼壁》
巨大な盾がライルの正面を塞ぐ。
ライルはほんの半歩動き、盾兵の死角へ入り込む。
鞘が盾兵の顎を打ち抜いた。
その左右から剣士が同時に斬り込んだ。
《裂空斬》
《双牙斬》
左右から同時に刃が迫る。
盾兵の身体を踏み台にして、ライルが跳ぶ。
剣が閃いた。
二人の剣士が同時に吹き飛ばされた。
《穿牙突》
槍が一直線にライルの胸を狙う。
着地。
振り向きざまに槍を斬る。
槍の穂先が宙を舞う。
そして最後に――
《剛砕――》
技を放つ前に、ライルの剣が斧を断ち切った。
「……え?」
斧兵の手元に残ったのは、折れた柄だけだった。
「第一班が……十秒も持たなかっただと……?」
団長は、倒れた仲間たちを見つめた。
五人。
灰狼傭兵団の中でも、連携戦闘に長けた精鋭たちだ。
それが――。
たった一人の男を相手に、十秒足らずで地面へ転がされている。
「……馬鹿な」
団長の表情から余裕が消えた。
「ならば……全員、陣形を組め!」
団長が戦斧を掲げた。
残った傭兵たちが一斉に動く。
「《灰狼・牙殲滅陣》!!」
号令と同時に、傭兵たちが一つの生き物のように動き始めた。
盾、槍、剣、斧、矢、魔法。全方向から殺意が牙となって迫る。
「これが《灰狼・牙殲滅陣》だ。一人では突破できん!」
団長が叫ぶ。
ドンッ!!
ドゴッ!!
ガンッ!!
ほんの数分。
「押し返されている……?」
一人の傭兵が呆然と呟いた。
「嘘だろ……?こっちは四十人で戦っているんだぞ!」
別の傭兵が叫ぶ。
「なのに……なんで一人に押されている!?」
「……何なんだ、こいつは」
団長は目の前の光景を見つめる。
脳裏に、先ほどまでの言葉が蘇る。
『黒焔剣技については、調べがついている』
過去の戦闘記録。
技の種類。
対策も用意した。
だから勝てる。
そう思っていた。
――目の前の男は。まだ一度も、黒焔剣技を使っていない。
「……まさか」
団長の顔が強張る。
自分たちは最初から、何かを勘違いしていたのではないか。
「お前……!」
ライルが振り返る。
「なぜだ……!なぜ黒焔剣技を使わない!?」
団長の声が震える。
団長は戦斧を握りしめた。
「……一回くらい使えよ」
ライルは静かに団長を見つめた。
「……言ったはずだ。お前たちが知っているのは俺の技だけだ。俺自身を知ったわけじゃない」
その言葉が落ちた瞬間。
団長の背筋を、冷たいものが走った。
自分たちが研究していたのは、ライルという男の一部に過ぎなかった。
そして。
その『一部』すら使わずに――。
ライルは、灰狼傭兵団四十人を圧倒していた。
「……勝てない」
「逃げろ!」
傭兵たちが一斉に背を向ける。
「待て」
ライルの声が響いた。
全員が振り返る。
その瞳には、一片の慈悲もなかった。
「依頼を受けたんだろう?最後まで果たせ」
傭兵たちは震えた。
そして次の瞬間。
ライルが地面を蹴った。
一閃。
二閃。
三閃。
逃げようとした者たちが次々と倒れていく。
剣が振るわれるたび、戦場に静寂が戻っていった。
山間地には、風の音だけが残った。
ライルは倒れた傭兵たちを見渡す。
王国が、自分を恐れている証拠。
「王よ。俺を殺すために、これだけの兵を送り込むか」
誰もいない山間へ向けて、低く呟く。
ライルは歩き出す。
背中に夕日が差し込む。
長い影が荒野へ伸びていく。
「無駄だ。お前が俺から奪ったものは、もう戻らない」
ライルの瞳に、静かな炎が宿る。




