第2話 王国最強に挑んだ愚か者たち
焼けつくような日差しが、果ての見えない荒野を照らしていた。
乾いた風が吹き抜け、砂埃が地面を這うように舞い上がっている。
そこを、一人の男が歩いていた。
ライル・アーヴィング。
かつて王国最強の騎士として、王都の誰もがその名を知っていた男だ。
王の命令に従い、数え切れないほどの戦場を駆け抜けた。
国境を襲った魔物を討ち。
王国へ侵攻した敵軍を退け。
幾度となく仲間たちの命を救ってきた。
そのたびに、ライルは同じ言葉を口にしていた。
『命ある限り、この剣を王国に捧げます』
それが、ライルにとって揺るがない信念だった。
今の彼は、王城から遠い場所にいた。
肩には砂埃が積もり、傷んだ鎧はすでに捨てている。
残っているのは、腰に帯びた愛用の剣だけ。
その剣だけは、何があっても手放さなかった。
(裏切り……)
脳裏に、あの光景が蘇る。
何年も背中を預けてきた仲間たちの顔。
『お前は邪魔だった』
あの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
(許さない。王も、あいつらも。
俺を切り捨てたすべての者を……)
「……ん?」
ライルが足を止めた。
荒野を吹き抜けていた風の中に、異質な音が混じっている。
ザッ、ザッ、ザッ。
複数の足音。
こちらへ近づいている。
砂煙の向こう側に、人影が見える。
一人。
三人。
五人。
さらに、その後ろから次々と人影が現れる。
「……十人以上か」
ライルは数えることをやめた。
相手の人数など、今の彼には大した意味を持たない。
やがて砂煙を抜け、盗賊たちの姿が露わになった。
粗末な革鎧。
刃こぼれした剣。
血と錆が染みついた斧。
中には弓を持った者までいる。
総勢、三十人。
その誰もが、獲物を見つけた獣のような笑みを浮かべていた。
「おいおい。こんな荒野を一人で歩いてる奴がいるぞ」
先頭に立つ大柄な男が笑う。
「見たところ、騎士崩れじゃねぇか?」
「腰に剣を持ってやがる」
別の盗賊がライルの剣を見て、舌なめずりする。
「ありゃ高そうだな。売れば結構な金になるぜ」
「剣だけじゃねぇ。服もそこそこ上等だ」
「じゃあ、身ぐるみ全部剥いじまおうぜ」
下卑た笑い声が響く。
「……おい、無視してんじゃねぇぞ!」
男が怒鳴りながら近づいてくる。
そこで、盗賊団の頭目が手を上げた。
「待て」
「頭?」
「いきなり殺すな」
頭目はライルを値踏みするように眺めた。
「まずは武器を捨てさせろ。抵抗するなら……腕の一本でも折ればいい」
「そうすりゃ大人しくなるだろ」
「その後でゆっくり身ぐるみ剥いじまおうぜ」
「「ギャハハハ!」」
盗賊たちが一斉に笑った。
「可哀想になぁ!」
「一人でこんな場所を歩くからだ!」
やがて全員が、ライルを取り囲んだ。
ライルは動かなかった。
ただ静かに、盗賊たちを見ている。
その瞳に恐怖はない。
怒りだけがあった。
「こいつ……」
妙な違和感。
目の前の男は、一人である。
なぜか。自分たちのほうが追い詰められているような感覚があった。
ライルから、殺気が滲み出していた。
「腕を……折る?
お前たちは今、俺の腕を折ると言ったのか?」
ライルの声は静かだった。
「ひっ……な、なんだよ……こいつ……」
盗賊が無意識に後ずさる。
「……ただの騎士崩れじゃないな」
頭目も眉をひそめた。
ライルが腰の剣へ手を伸ばし、鞘から抜かれる。
「悪いが今の俺は、手加減する気分じゃない」
剣先が、盗賊たちへ向けられる。
「舐めやがって!やっちまえ!」
頭目が叫んだ
「「うおおおおっ!」」
三十人が、一斉に動いた。
次の瞬間。
ライルの姿が消えた。
真正面から盗賊へ突っ込んだだけで。
「ど、どこに……」
ザシュッ!
「ぐあっ!」
最初の一人が倒れる。
その瞬間には、ライルはすでに四人目の懐へ入っていた。
「な、なんだこいつ!」
「後ろだ!」
盗賊たちが叫ぶ。
左右から同時に斬りかかる。
二本の剣が、ライルのいた場所で交差する。
「なっ!?消えた!?」
「遅すぎる」
右の盗賊へ一閃。
左の盗賊へ返す刃。
二人が同時に倒れた。
「死ねぇ!」
背後から別の盗賊が飛びかかる。
ライルは振り返らない。
剣を後ろへ突き出した。
「ぐ……っ!」
盗賊の動きが止まる。
「背後から来るなら、もっと気配を消せ」
「ひ、ひぃっ!」
盗賊たちの表情から、余裕が消えた。
三十人いた。
それがあっという間に半分以下になっている。
「化け物だ……」
「嘘だろ……こんなの、人間じゃねぇ……!」
逃げようとした盗賊の前へ、一瞬で回り込む。
「どこへ行く?」
「ひっ!」
剣が閃く。
「次」
ライルが呟く。
まるで敵が何人いるのかなど、最初から問題にしていない。
「う、うわああああっ!」
盗賊の一人が恐怖に耐えきれず、ライルへ突撃した。
ヤケになった一撃。
ライルは、それを正面から受け止めた。
ガキィン!
盗賊の剣が止まる。
「な……」
ライルの剣は微動だにしない。
「これが、お前の全力か?」
「ひっ……」
ライルが剣を押し返す。
男の身体が大きくよろめいた。
一閃。
男が倒れる。
「残りは……」
ライルが顔を上げる。
頭目を含め、残っている者たちは数人。
「待て!金ならやる!剣も、鎧も全部やる!」
頭目が叫んだ。
ライルの足音が近づく。
「だから……!」
ザッ。
ザッ。
ザッ。
「来るな……来るなぁ!お、お前は何者なんだ!」
その問いに。
ライルは答えた。
「……ライル・アーヴィング」
剣閃が走った。
最後の盗賊が倒れる。
「……弱い。こんな連中に時間を使っている暇はない」
ライルは血のついた剣を軽く振った。
刃についた血が、砂の上へ散る。
剣を見つめる。
かつて、この剣は王国のために振るっていた。
「……俺はもう、誰かに命じられて剣を振るうつもりはない」
ライルは歩き続けた。
荒野を抜けても、足を止めることはなかった。
乾いた大地が次第に姿を変えていく。
砂と岩ばかりだった景色に、少しずつ草木が増えていく。
遠くの地平線に、巨大な山々が姿を現した。
険しい山肌。
頂上付近には白い雪が残り、雲がその中腹を覆っている。
「……山か」
そのまま山へ向かって歩き出す。
ライルが足を止める。
周囲を見渡す。
何かがいる。
一体ではなく、複数。
岩陰から、一頭の魔物が姿を現した。
巨大な狼だった。
全身を硬質な鱗が覆っている。
口からは、獲物の血を思わせる赤黒い唾液が滴っている。
「……鱗狼か」
ライルが呟いた。
鱗狼。
山岳地帯に生息する危険な魔獣。
その鱗は鉄板のように硬く、並の剣では傷一つつけることができない。
牙は鉄を噛み砕くほど強靭。
そして何より恐ろしいのが、群れによる狩りだった。
熟練の冒険者ですら、数体を相手にすれば命を落としかねない魔物だ。
「グルル……」
さらに一頭。
二頭、三頭と岩陰から次々と現す。
鱗狼たちがライルを取り囲む。
「グルルルル……!」
「ガァアアアアッ!」
十体の魔物が、一斉に牙を剥いた。
「ふっ」
ラインは小さく笑った。
先ほどの盗賊たちを相手にしたときより、楽しそうであった。
鋭い牙が、ライルの喉元へ迫る。
ギリギリまで引きつける。
そして、前へ出た。
鱗狼の牙が空を噛む。
その懐へ、ライルが潜り込んだ。
ズバァッ!
剣閃が走る。
硬い鱗をものともせず、刃が巨体を斜めに切り裂いた。
「ガァッ!?」
鱗狼の巨体が地面へ落ちる。
二頭目が横から飛び込んできた。
ライルは身体を捻る。
「甘い」
逆手に持ち替えた剣が閃く。
ザンッ!
鱗狼の前脚が切り飛ばされ、二撃目が鱗狼の頭部を正確に貫いた。
「「グアアアアッ!」」
残った八頭が、一斉に襲いかかった。
「……まとめて来い」
ライルは剣を構えた。
鱗狼たちが動きを止める。
仲間が次々と倒されていく。
理解したのだ。
自分たちが狩る側の獲物ではない。
一頭が後ずさる。
もう一頭も、唸り声を上げながら距離を取る。
「どうした。来ないのか?」
鱗狼が震える。
ライルが近づく。
鱗狼が一斉に走り出す。
「逃がすと思ったか?」
ライルは地面を蹴った。
爆発したような勢いで加速する。
逃げる鱗狼との距離が、一瞬で縮まる。
牙を剥き、最後の抵抗を試みる。
ライルは真正面から受け止めた。
ガキィン!
牙と剣がぶつかる。
鱗狼が押し込もうとする。
ライルの腕は微動だにしない。
「……これで最後だ」
力を込める。
鱗狼の巨体が押し返される。
一閃。
巨体が地面へ倒れた。
ライルは周囲を見渡す。
十体。
すべて地面に倒れている。
そのどれもが、ライルへ一撃すら与えられなかった。
「……弱いな、これでも鱗狼か」
ライルは再び歩き出す。
数歩進んだところで足を止めた。
ふと、王国の方角を見る。
あそこに自分を裏切った者たちがいる。
「……俺は戻る」
その言葉には強い意志が込められていた。
「俺を敵に回したことを、後悔させてやる」
かつて王国のためだけに振るっていた剣。
今度は、自分自身のために振るう。
裏切った者には、刃を。
立ちはだかる者には、力を。
自分を裏切ったすべての者へ、復讐するために。
王国最強の騎士。
ライル・アーヴィング。
その男の復讐の旅は、まだ始まったばかりだった。




