第10話:気弱なエルフと指先で弾いた小石
武器の完成まで5日。
時間を潰すついでに、少しばかり日銭でも稼いでおこうと、俺は冒険者ギルドの依頼ボードを眺めていた。
簡単な薬草採取から、厄介な魔物討伐まで、依頼は様々だ。
その中で、一枚の依頼書の前で立ち尽くす少女の姿が、自然と目に入った。
長く尖った耳に、陽の光を透かすような翡翠色の髪。儚げな雰囲気を持つ、エルフの少女だった。彼女は「迷いの森での薬草採取」と書かれた依頼書を、今にも泣きそうな顔で見つめている。
放っておけばいいのかもしれない。
だが、かつて誰にも助けてもらえず、絶望の中にいた自分と、その姿が重なった。
「何か、困っているのか?」
俺が声をかけると、彼女の肩がビクッと跳ねた。翡翠色の大きな瞳が、怯えたように俺を見上げる。
しまった。威圧するつもりはなかったんだが。俺はできるだけ優しい声を意識して、言葉を続けた。
「その依頼を受けたいのか? 俺も時間を潰せる依頼を探していたところなんだ。もしよければ、一緒に行くが」
「え……あ、あの……」
少女は、おどおどと視線を彷徨わせる。
「で、でも…『迷いの森』は、最近ホブゴブリンの群れが出て、とても危険だって…」
「だから、一人じゃ無理なんだろ?」
「は、はい……私、治癒師なので、戦いは苦手で…。他の冒険者の方々にも頼んだのですが、護衛代が高いとか、足手まといだって、断られて…」
俯いてしまう彼女の姿に、俺は「深紅の爪」にいた頃の自分を思い出し、胸の奥がわずかに痛んだ。
彼女が必要としているのは「月光草」という、この森にしか生えない特殊な薬草らしい。どうしても、手に入れなければならない事情があるようだった。
「なら、決まりだな。俺が護衛をする。報酬は依頼料の折半でいい」
「ほ、本当ですか!? で、でも、あなたのランクは…」
彼女は、俺が腰に下げた真新しいギルドカードに気づき、不安げな表情を浮かべた。Cランク。ホブゴブリンの群れが出るには、確かに心許ないランクだろう。
俺は、そんな彼女の不安を吹き飛ばすように、ニッと笑って見せた。
「まあ、見ててくれ。あんたに指一本触れさせやしないさ」
その根拠のない自信に何かを感じたのか、彼女――エリアは、しばらく逡巡した後、小さな声で「…お願いします」と頭を下げた。
こうして、俺はエルフの治癒師エリアと、臨時でパーティーを組むことになった。
迷いの森は、その名の通り、薄暗く、方向感覚を失わせるような不気味な場所だった。エリアは、絶えず周囲を警戒し、小さな物音にも肩を震わせている。
「大丈夫だ。何か出たら、俺がやる」
「は、はい…」
俺がそう言った、まさにその時だった。
茂みの奥から、下卑た笑い声と共に、棍棒を握った緑色の醜い魔物が姿を現した。一体、二体…その数は、あっという間に10体を超えた。ホブゴブリンの群れだ。
「ひっ……!」
エリアが息を呑み、顔を青ざめさせる。Cランクの冒険者と、戦えない治癒師。絶望的な状況だ。
俺はそんな彼女の前に立ち、静かに言った。
「エリア。少し下がっててくれ」
俺は、武器を持っていない。だが、必要もなかった。
足元に転がっていた、親指の先ほどの小石を数個、ひょいと拾い上げる。
「ギシャアアアアッ!!」
ホブゴブリンたちが、一斉に襲いかかってくる。エリアが思わず目を固く瞑った。
俺は、襲い来る魔物の群れに向かって、拾った小石を、指で軽く弾いた。
デコピンをするような、本当に、ただそれだけの動作。
ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ!
弾かれた小石が、空気を切り裂く鋭い音を立てて飛んだ。
それは、もはや石ではない。見えない弾丸だった。
次の瞬間、先頭を走っていたホブゴブリンの眉間に、風穴が開いた。
二体目、三体目も、全く同じように眉間を正確に撃ち抜かれ、悲鳴を上げる間もなく地面に倒れ伏していく。
ほんの数秒。瞬きをするほどの時間で、あれほど脅威だったホブゴブリンの群れは、一体残らず骸と化していた。
「……え?」
エリアが恐る恐る目を開けると、そこには、無傷で立つ俺と、静寂の中に転がる魔物の死体の山が広がっていた。
「な……なにが……起こった、のですか…?」
「ん? だから言ったろ、俺がやるって」
俺は、何でもないことのように言って、手に残った最後の一つの小石を、ぽいと捨てた。
「さ、これで邪魔者はいなくなった。薬草を探そうか」
エリアは、目の前で起きた超常的な光景が信じられず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
Cランクの冒険者が、武器も使わず、指で弾いた小石だけで、ホブゴブリンの群れを瞬殺する? 魔法? いや、詠唱はなかった。スキル? 聞いたこともない。
彼女は、俺がただのCランク冒険者ではないことを、この時、はっきりと悟った。
そして、その規格外の強さと、自分をいとも簡単に守ってくれた優しさに、彼女の白い頬が、わずかに赤く染まっていた。
無事に目的の「月光草」を採取し、ギルドで依頼完了の報告を済ませると、エリアは俺に向かって深々と頭を下げた。
「あの…アルトさん! 本当に、ありがとうございました! このご恩は、一生忘れません…!」
「気にするな。こっちもいい時間潰しになった」
別れようとした、その時だった。
「あ、あのっ!」
エリアが、何かを決心したように、俺の服の袖をきゅっと掴んだ。
「もし、もしよろしければ……また、一緒に依頼を受けては、いただけませんか…?」
上目遣いで、不安そうに俺を見つめる翡翠色の瞳。
断る理由など、どこにもなかった。
「ああ、いいぜ」
俺がそう答えると、彼女の顔が、ぱあっと花が咲いたように輝いた。
こうして、俺の新しい冒険者人生に、初めての「仲間」ができた。それは、5年間の孤独な日々では、決して得ることのできなかった、温かい繋がりだった。




