第7章 アスタロット公爵
「随分と悠長ですね、公爵様。」
とアキレスは大蛇を右肩に侍らすアスタロットに言った。よく見ると大蛇の頭部はすでに再生している。
『我は貴様に興味を持った。』
と、突然アスタロットが言った。
「残念ですが、あなたは僕のタイプではありません。」
アキレスが悪戯っぽい笑みを浮かべながら、胸の上で十字を描いた。
「アキレス様、気をつけてください!アスタロットの能力は…」
ガブリエルがアキレスとアスラの防御と攻撃力を上げる補助魔法を唱え終えてから、アキレスに向かって叫んだ。
すると、アキレスは小さくガブリエルにウインクした。
『黙示録の9。底知れぬ所の穴を開けよ、我が名は『神の言葉』。召喚、第五の御使。鉄の胸当てを鳴らし、その尾と針を振り下ろせ。』
アキレスが詠唱を終えると、大理石の地面と平行に、空中に魔法円陣が浮かび上がる。そして、大きな炉から立ち上った黒い煙の様に、蝗の様な虫が大量に魔法円陣から飛び出した。それは一斉に走る軍馬の大群の様にアスタロットに襲いかかる。その虫の一匹をよく見ると、その顔は人の様であり、その歯は獣の様に鋭かった。その背についた羽の音が、前戦に急ぐ軍馬の足音の様に地下空洞に響いている。
以前に魔法実技の講師イアオンが呟いていた通り、黙示録の力には2通りある。主に物理攻撃に昇華される閃光や電撃等で構成される攻撃を展開させる詠唱が通常である。さらに上の段階として黙示録に出てくる聖獣や神の御使を召喚できる後続詠唱が存在する。サピエンティアでは召喚術の座学でそれが詳しく教示されているが、実演できるものは学生ではいない筈だった。
「おえっ、気持ちわりいな!」
アスラはその異形の召喚獣を眺めながら顔を顰めた。
だが、アスタロットの跨る竜が大口を開き、召喚された蝗の大群を焼き払っていくかの様に応戦する。ある蝗は炎に焼かれ、またある蝗は竜の口の中に入り込んだ。
『禍々(まがまが)しき、力よ。己は何者か。』
とアスタロットが怯みながらアキレスに尋ねる。
「オラッ、よそ見してんじゃねえ!」
アスラが続けてアスタロットの頭上から襲い掛かかる。鋼鉄の様な両手の爪を合わせ、アスタロットを目掛けて重量感のある斬撃を連続して浴びせる。その斬撃は迎え撃つ大蛇を貫き、加えてアスタロットの両目を覆う紫色の布も引き裂いた。
「女…?」
アスラが驚いた様にアスタロットを見つめる。その顔は跨る竜と投げ倒された大蛇とは裏腹に天女の様に美しかった。
『獣よ、退け。』
するとアスタロットが緋く染まった両目を見開き、両手から鋭い閃光を発した。それは枝状に大理石の空間を切り裂き、アスラとアキレス、そしてガブリエルの身体に突き刺さった。
特にアスラは心臓の近くの胸と両足を貫かれ、致命傷に近い。咄嗟にガブリエルが回復魔法を唱えるが、その口元からは血が吹き出している。
同時にアスタロットの竜は全ての蝗を駆逐していた。だが、その体に入り込んだ大量の蝗のせいか、戦車が転がる様に地面に這い蹲っている。
「ふふ、痛み分けどころじゃないですね…」
とアキレスが力なく微笑む。その頬は血と汗で滲んでいた。加えて利き腕と左腿を刺し貫かれている。立っているのがやっとだ。
そしてアスタロットがアキレスの前に立ちはだかった。
『己の内を、我に見せよ。』
アスタロットはアキレスの顔面を鷲掴みにすると小声で何かを囁き始めた。
「いけない、アキレス様っ…」
ガブリエルはなんとか回復魔法を終えるとそのまま気を失い地に倒れた。