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潔白

ある者は明日に、他の者は来月に、さらに他の者は十年先に希望をかけている。

誰一人として、今日に生きようとする者がいない。           ルソー


















 第三条【潔白】














 「嘉希・・・」

 悪魔に取りつかれても尚、脳を喰われても尚、全てを侵食されることはなかった人間として、梓愛加に話を聞きにきていた。

 梓愛加は、以前隼人に犯罪の罪を着せようとしたことがあった。

 悪魔に喰われながらも、なぜか梓愛加は発狂することもなく、平然と生きることが出来た、珍しいタイプだ。

 通常は、単語のみを並べて会話をするため、正直言って面倒なこともある。

 「ああ。悪魔使いの男で、人間に悪魔を憑依させることが出来る。俺達はそいつを探してんだけど、てんで手掛かりがねぇんだ」

 「・・・・・・悪魔。抵抗。無意味。嘉希。存在。悪魔。創出。人間。脆弱」

 「やっぱ知らねえか」

 紅蓮と渋沢は、何を言っているかわからないが、隼人は分かっているのか、単に推測しているだけなのか、とにかく多少理解は出来ているようだ。

 胡坐をかいたまま、後頭部をかいていると、梓愛加がまた手を伸ばしてきた。

 何がしたいのか分からないが、しばらくそのままでいると、梓愛加は無表情だった顔を少しだけ不機嫌そうにした。

 唇を尖らせて、肩が抜けそうなほどに隼人に向かって腕を伸ばしてくる。

 「・・・はぁ」

 それを見て、隼人も腕を伸ばした。

 梓愛加は隼人の手に触れることが出来ると、うっすらと微笑み、隼人の指に自分の指を絡めた。

 「悪魔。美味。悪魔。制裁。否強者。人間。傀儡。哀。輪廻」

 「もしもお前が悪魔を操れるとしたら、何処に身を隠す?どうすれば俺達は見つけられると思う?」

 予知が出来るわけでもないのだから、無茶な質問なのかもしれない。

 だからといって、このまま帰るわけにもいかないのだ。

 隼人の手を握っている梓愛加は、隼人の顔をじーっと見つめながら、頬をほんのり赤く染める。

 「悪魔。闇存在。追放。復讐」

 「・・・・・・」

 すると、急に梓愛加が力いっぱい隼人を引っ張ったため、胡坐をかいていた隼人はバランスを崩し、前のめりになってしまった。

 顔をあげると、すぐそこには梓愛加がいる。

 鼻先だけをくっつけると、梓愛加はそっと目を閉じ、少しすると隼人の鼻先に唇を落とした。

 それをみて、なぜか渋沢が恥ずかしそうに顔を手で覆っていた。

 指の間が開いていて、丸見え状態だったが。

 「非正統。悪魔使い。人間。侵食。愚行」

 「・・・・・・」

 言い終えると、梓愛加は掴んでいた隼人の腕を離した。

 立ちあがる隼人を、未だ名残惜しそうに見つめている梓愛加だが、きっと見ているのは隼人自身というよりも、隼人の目に住まう悪魔たちなのだろう。

 ―この女、前よりも悪魔に対する崇拝が落ち着いてきたな。

 ―キシシシシシ!落ち着いてきたんじゃねえよ!!自分と悪魔の区別さえついてねえんだよ!!!

 ―俺達を見る目は熱いなぁ!!!

 ―こいつなんかじゃなく、この女の身体を借りた方が良さそうだな!!!

 ―そんなことしたら、俺達の方が喰われちまうんじゃねえか?

 ―ギャハハハ!有り得るな!

 隠されている隼人の目からは、どす黒い色の気体か何かが漏れ出していた。

 それが見えているのは、きっとこの場において梓愛加だけだろうが。

 他の者は、体内から悪魔を取りだされ、徐々に普通の人間に戻りつつある。

 一方の梓愛加は、生まれながらに悪魔が見えており、その身体に悪魔が宿ったとき、まるでお腹に子を孕んだ感覚のように喜んでいた。

 脳が喰われてもこうしてほぼ正常の状態でいられるのは、梓愛加が特殊だとしか言いようがない。

 ―ああ、なんてきれいなんだろう。

 ―どうして悪魔に選ばれたのが、私ではなくて、この男なの?

 ―私ならもっと、あなたたちを幸福にすることが出来るというのに。

 ―それとも、私にはあの赤い目がないから?

 ―この心も身体も、もう悪魔のものなのに、これ以上愛してはいけないの?

 ―この火照った身体を、どうすればいいの?

 紅蓮達は帰る為に、踵を返した。

 隼人の背中を見つめながら、まだ自分には見えている黒い影に、心奪われたまま。

 ―ねえ、どうして私じゃダメなの?

 ―脳だけじゃ足りないでしょ?

 ―もっともっと、私があなたたちを愛しているように、私のことも愛して!!

 そう、隼人の悪魔に向かって投げかけてみると、通常隼人の目の中にいるはずの悪魔たちは、梓愛加に声だけを届ける。

 梓愛加が呼吸をする度に、程良く出ている胸が膨らんだり元に戻ったりする。

 それを見ている周りの男たちは、ただそれだけの仕草にも、ごくりと唾を飲みこむ。

 ―そんなに悪魔とひとつになりたいのか?

 その甘い甘い問いかけに、梓愛加は快感さえ覚える。

 ―ひとつになれるなら、どんなことでもするわ!!

 ―ケケケケ。お譲ちゃん、君は一生、俺達とひとつにはなれやしないよ。

 ―どうして?私じゃダメなの?何がいけないの?なんで?なんで?

 梓愛加に欲情した男たちは、梓愛花を取り囲んで、足や背中、腕に触れて行く。

 舌を這わせて愛撫してくる男までいる。

 だが、梓愛加にとっては、虫が身体を這ってきているような感覚であって、決して気持ち良いものではない。

 ―人間と悪魔は相入れない。君は悪魔に喰われることは出来ても、ひとつにはなれないんだよ。

 ―嫌よ。嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌!!!

 背中にファスナーがついてたのか、いつの間にか梓愛加の身体は裸同然になっていて、男たちによって弄ばれていた。

 ―なら、君を救世しよう。

 ―救世・・・?愛してくれないの?

 ―救世もまた、愛の一つだと解釈してほしい。

 ―・・・分かったわ。私を助けて。私を赦して。私を奪って。

 ―よぅし、それなら。

 悪魔がそう言った途端、梓愛加の周りにいた男たちの身体が、一斉にブクブクと膨れあがってきて、そのまま破裂してしまった。

 普通の人間ならば、これを見たら叫んだり泣いたりするのだろうが、梓愛加はそんな光景を見ても、何も反応しなかった。

 そして、男たちが全員倒れてしまうと、自分の目の前に現れた、今まで見てきた悪魔とは違う姿の悪魔。

 「さあ、私と一緒に、地獄へ堕ちよう」

 手を差し伸べられると、梓愛加は顔を紅潮させて、嬉しそうにその手を取った。

 その後梓愛加が何処へいったのか、誰も知らないそうだ。

 ただ、梓愛加のいた牢屋の中には、人間の身体を喰っている、人間のような生き物がいたとか、いないとか。




 「それにしても、隼人良く分かったな。あいつの言ってること」

 「分かるわけねぇだろ。お前聞いてたのか?あんなもん、会話になんかなるか!」

 「闇存在、とか言ってたな」

 部屋に戻りながら、梓愛加が何を言っていたのかと渋沢は隼人に喰いついていた。

 そんな渋沢の頭をぽこすか叩いていた隼人だが、紅蓮の言葉でその手を止める。

 「歴史から葬り去られた奴ら。身を隠すのも簡単ってわけだ」

 「そうすると、・・・あいつに聞いてみるしかないか」

 「・・・あいつな。俺苦手なんだけど。紅蓮一人で行ってこいよ」

 「断る」

 「え?え?誰の事?」

 紅蓮と隼人は通じているようだが、渋沢だけは分からなかった。

 すると、それを見て、隼人はにっこりと怖いくらいに満面の笑みになり、渋沢の肩に手をぽん、と置いた。

 「何事も勉強だ!俺の代わりに渋沢行ってこい!」

 「はあ!?」

 「な!紅蓮!」

 「そうだな。お前も一度会ってみるといい」

 なんだか強引に言いくるめられ、渋沢はテキパキと地図を書いた隼人に背中を押され、地図に書かれた場所までやってきていた。

 薄暗い森の中、霧も深くて視界が悪い。

 「こんなところに誰がいんだよ」

 文句を言いながら足を進めていると、目の前の霧が薄くなってきて、そこに大きな城があるのが見えた。

 「すげー」

 戸を叩いてみるが誰も出て来ず、渋沢は重たい扉を開けてみると、中は想像していたよりも暗くて汚かった。

 至るところに蜘蛛の巣が張ってあるし、床もところどころ抜けそうだ。

 「・・・なんだよ。誰もいないじゃん。無駄足だったかな」

 さっさと帰って、隼人に文句の一つでも言ってやろうとしたとき、ふと、何かが背中を通った気配を感じた。

 勢いよく振り返ってみるが、そこには誰もいなくて、余計に不安になってしまう。

 出口に向かって足早に向かっていると、ぼうっと、急に部屋の中に灯りがついた。

 蝋燭に灯っただけの灯りだが、今の渋沢からしれみれば、唯一の灯りでもあり、誰かがいるということでもあった。

 こつ、こつ、と足音が響くと、渋沢は声にもならない声を上げて、その場に尻もちをついてしまう。

 あわわわわ、と顔を青くしていると、部屋の中がまたいっきに明るくなった。

 そこら中にあった蝋燭全てに火が灯り、誰かが大きな階段を下りてくるのが見えた。

 「貴様、どこから来た」

 「え?え?え?ごめんなさいごめんなさい。成仏してくださいいいいいい!」

 「成仏だと?貴様、ここで骨も残らないように滅してやろうか」

 「ひいいいいいいいい!!!!」

 渋沢の前に現れたのは、銀色の少し癖っ毛のある髪に、隼人のような赤い目を両目に持っている男だった。

 全員黒いスーツのような服を着ていて、マントまでつけている。

 「何をしに来た」

 「よよよよよ、嘉、嘉希、って男のこと、しし、知らない、知らないかなー、なんて、思って・・・」

 「嘉希?」

 「はははは隼人が行けっていうから来ただけです!そうなんです!呪うならあいつを呪ってくださいませ!!紅蓮も呪ってほしいところだけど、それはちょっと怖いから隼人だけでいいや!」

 「てめぇぇぇぇ!!!!なんで俺だけなんだよ!紅蓮も同罪だろうが!!俺だけ呪われるなんて不本意極まりないだろうがああ!」

 「ぎゃああああああああ!!!!!!もう霊となって現れたぁァぁァぁァぁァぁ!!」

 「五月蠅い」

 気付けば、隼人も紅蓮もいて、渋沢はパニック状態だった。

 隼人に胸倉を掴まれているから余計だろうか、ぎゃーぎゃーと騒ぎながら、悪霊退散と何度も言っている。

 紅蓮がすぱん、と渋沢の額を叩いたところで、男が呆れたようにため息を吐いた。

 「なんだ、貴様等か」

 「よ、よお。久しぶりだな」

 「相変わらず掃除してないんだな」

 男は部屋の中央にあるテーブルまで向かうと、自分用の椅子に腰かけ、足を組んだ。

 すると蝙蝠が二匹現れ、男の前にワインとステーキを用意した。

 よく躾がされてるな、なんて感心している場合ではないのだが、なにぶん、蝙蝠を見るのが初めてな渋沢は、全てに感動していた。

 赤いワインをグラスに注ぎ喉を潤すと、レアのステーキを口に含む。

 その男の身勝手さを知っているのか、紅蓮と隼人は適当な場所に座る。

 「それで、嘉希とかいう奴を探してるとか」

 「ああ。普通の人間同士の間に産まれちまった、悪魔使いの男なんだ。探してんだけど、見つかんなくてよ。お前なら何か知ってんじゃねえかと思って」

 「貴様等は本当に馬鹿だな」

 「頼むよ、シャルル。闇系に強いのはお前くらいだろ?」

 シャルルという男は、ステーキをペロリと食べ終えると、再びワインを喉に流し込んだ。

 長い足を組みかえると、頬杖をついてダルそうに紅蓮と隼人を見た。

 「確かに、ここ最近妙な男を見かけたことがある。明らかに人間のその男は、俺達には悪魔を憑依させることが出来ないとわかると、何処かに消えたがな」

 「え、そんな怖い者知らずなことしたの?」

 「ああ。俺にそんな愚かなことをしようとした、愚かという言葉にも失礼なほど愚かな奴だ」

 渋沢は紅蓮の後ろに隠れて話を聞いていると、シャルルはどうやら吸血鬼のようだ。

 だが、昼間にも活動することが出来るし、太陽の光を浴びても平気で、自分が思っていた吸血鬼とは大分違うようだ。

 「そっか。何処行ったかまではわかんねぇよなぁ・・・」

 がく、と肩を落とした隼人に、シャルルの蝙蝠たちが慰めるかのように肩に乗っかった。

 それを見て、シャルルは目を細め、ムッとしていたようだが。

 「そんなに見つけたいなら」

 「見つけたいなら?」

 次の瞬間、シャルルは隼人を見て、イタズラを考えた子供のようにニヤリと笑い、指をさした。

 「悪魔を共鳴させて呼びだせばいい」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 渋沢と紅蓮は首を傾げていたが、隼人だけは何を言っているのか理解したようで、勢いよく立ちあがった。

 「それは絶対ぇぇぇぇ嫌だ!!!」

 「なぜだ?お前にしか出来ない立派なことじゃないか」

 「てめぇ!人のことだと思って、んな勝手なこと言ってんじゃねぇよ!」

 「出来ないのか」

 「でき・・・る、けどよおおお??!」

 「ならそれの方が手っ取り早い。こうして俺のところにまでわざわざ来て、答えなど分かっていることを聞きにくるのはなんとも嘆かわしいことだ!ならば、お前の持っている力全て出しきって、例えその時にお前の命が尽きようとも、俺は一切関与はしないから安心しろ!!ハハハハ!」

 「~~~~~~~!!!!!!」

 「隼人、落ち着け。シャルルの言っていることも一理ある。というか、それが良い」

 拳を握りしめ、今にもシャルルに襲いかかりそうになっている隼人の肩に手をおき、宥めようとしている紅蓮。

 半ば紅蓮に引きずられる形で、隼人は城から連れ出された。

 「もう二度と来るな」

 そんな照れ隠しだと勝手に解釈している言葉を投げかけられて。

 帰り道の途中、渋沢が紅蓮に尋ねる。

 「隼人が呼ぶってこと?」

 「ああ。隼人の目を使ってな。多分、こいつは疲れるから嫌だったんだろうな」

 「ああ、成程ね。でもさ、これで突破口が見つかったんだから、良かったよね」

 「よかねーよ」

 部屋に着いたとたん、隼人はソファに顔面から倒れ込んで行った。

 泣いているのか、それとも泣き真似なのかは知らないが、とにかく、うっうっ、と嗚咽交じりの声を出しながら倒れていた。

 紅蓮が邪魔だと言わんばかりに、倒れている隼人の背中に乗っかって、渋沢にコーヒーを頼んだ。

 「今日は隼人の好きなステーキにしてあげるから、元気だして」

 「あいつが喰ってるのみたら、喰う気失せたわ」

 あいつとは、きっとシャルルのことだろう。

 ならばと、渋沢はハンバーグを作ることにしたのだが、隼人の機嫌が直るかは不明だ。

 紅蓮に乗っかられているのにも関わらず、ぐちぐちと何か言っている隼人のもとに、訪問者が現れた。

 「あ、聖だ」

 「・・・・・・おい、あいつは何をしてるんだ?」

 「ああ、あれね。実は」

 部屋に入っていきなり、紅蓮がうつ伏せになっている隼人の背中に乗っている姿を見て、思わず驚愕の顔をしていた。

 それに対して渋沢が簡単に説明をすると、聖は納得してくれた。

 「何しにきたんだよ。お前も俺を馬鹿にしに来たのか」

 以前、紅蓮に乗られうつ伏せのままの隼人は、顔を上げずに言葉を綴る。

 「お前に用はない。これは紅蓮裁判長に、こっちは渋沢に」

 「あ、ありがとう」

 渋沢は受け取りながら御礼を言うと、聖が持ってきた資料を自分の部屋に持っていく。

 自分に用がないことを知ると、更に落ち込んだ面倒な隼人は、今度は足をブンブンと動かし始めた。

 これでは、落ち着きの無い子供のようだ。

 「そうだ。隼人、焼肉ならどう?」

 「・・・・・・焼肉」

 魔法の言葉を聞くと、ぴたりと足の動きを止めて、大人しくなった。

 「今のうちに精をつけておくってことで。ね!聖も一緒に食べてく?」

 「いや、俺はいい」

 「そ?なら今度ね!」

 聖が帰っていき、紅蓮がコーヒーのおかわりを淹れようと立ちあがったその時、隼人が力の限り身体を起こし、焼肉に向けて全力で待つのだった。

 「手伝ってほしいけどね」




 「焼肉―!!!」

 ご飯の時間になると、隼人は復活していた。

 「ちょ、食べ過ぎじゃない?隼人」

 「体力勝負だからな!腹が減っては戦は出来ねえんだぞ!」

 「米足りなくなるじゃん。てか、五合炊いたのに、なんでもう無いわけ?俺二杯で紅蓮は一杯しか食べてないのに・・・」

 もりもり食べている隼人のお腹は、少しだけ出ている気もするが、気にしないでおこう。

 おかわりを続け、肉も食べる専門で、渋沢をこき使って焼いてもらっている。

 そんな隼人に負けじと、渋沢は肉を焼きながら頑張って食べていたのだが、隼人のスピードには敵わなかった。

 そんな光景を眺めていた紅蓮は、もう諦めたのか、隼人と渋沢が喧嘩をしている間に、二人の皿に乗っている肉を奪うのだった。

 わいわいとした食事が終わると、渋沢は後片づけを始めた。

 「まったく。結局隼人にほとんど喰われた」

 「んなこといつまでも気にしてんなよ。小せぇ男だな、お前は」

 ソファに横になって、テレビをつけ始めた隼人は、親父のように爪楊枝で歯をしーしーといじっていた。

 いつもより少し膨れたお腹は、きっと今頃胃が懸命に消化活動にあたっていることだろうが、そんなことちょっとも気にせず、隼人は呑気に本を読み始めた。

 背表紙に書かれているタイトルは、『太陽と月の王国』とあった。

 隼人にしては珍しく、おとぎ話のようなタイトルの本を読んでいた。

 「懐かしい本を読んでるな」

 そう話しかけてきたのは、嘉気の資料を手にした紅蓮だった。

 「かなり古いな」

 「ああ。初版だからな」

 「そういうことじゃない」

 「わかってるよ。昔はこれ読んだって、結局何が言いてぇのかわかんなかったが、不思議なもんで、歳取るとそれなりにわかってくるもんだよな」

 「お前、ここじゃ若い方だろ」

 そこに、洗い物を終えた渋沢がやってきて、お茶を飲みながら一息ついた。

 隼人が読んでいた本をじーっと見ていると、隼人にぽいっと渡されたため、それを受け取って読み始める。

 橙色の背景には、大きく描かれた太陽と月がいて、太陽も月も泣いていた。

 「俺、これ初めて見る。俺が生まれる相当前に出たの?」

 その言葉に、隼人はケッと笑う。

 「お前、俺よりちょっとガキなだけじゃねぇか」

 上半身を起こすと、今度は身体を捻って通常の体勢でソファに座ると、首を動かしながら立ちあがった。

 そして少し離れた場所にマットを敷くと、隼人は最近サボり気味だった筋トレを始めた。

 柔軟体操から始めると、腕立て伏せにスクワット、ずっと前に自分で設置した太いパイプを使って、懸垂までしている。

 「っかあぁァぁァぁァぁァぁ!!」

 今度はパイプに逆さにぶら下がると、腹筋を鍛え始めた。

 「隼人ってさ、なんで筋トレ好きかな」

 「好きじゃねぇよ!好きじゃねぇよ!断じて好きじゃねぇよ!」

 そりゃあ、学生の頃は本を読んでいるというイメージしかなかった隼人だが、一緒にこうして仕事をするようになってからは、筋トレをしているイメージの方が強くなってきた。

 だからといって、すごくマッチョというわけでもなく、細マッチョよりはもう少しマッチョかな、という具合だ。

 くるん、と回転をしてマットに着地すると、隼人はもう汗だくだった。

 「はあっはあっ、渋沢っ、水!」

 「えー」

 文句を言いながらも、渋沢は冷蔵庫に入っているペットボトルの水を持ち、そのまま胡坐をかいて待っている隼人の元に向かった。

 「おう、さんきゅ・・・」

 隼人が受け取ろうとしたが、渋沢はひょいっとペットボトルを持ち上げると、隼人を見てニイっと笑った。

 「・・・何お前、何してんの」

 「欲しいでしょ?なら、『渋沢様、これまでの行いをどうか赦してください』って言って。そしたらあげるよ」

 「ああ?」

 恨みが募ったのか、単にそういう気分になったのか、おかしなことを言った渋沢を見て隼人は怪訝そうな表情になる。

 何度か水を奪おうと試みたが、渋沢にしては珍しく、全く渡す気配がなかった。

 「・・・・・・」

 しかし、身体が水分を欲していた隼人にとっては、そんな渋沢の小細工なんて興味はなくただひたすらに水が欲しかった。

 「うおっ!!!」

 そこで、隼人は仁王立ちしている渋沢の足を引っ掛けてバランスを崩すと、足で渋沢の手を蹴って、ペットボトルをゲットした。

 そしてその恨みをすぐ払うかのように、隼人は仰向けになって倒れてしまった渋沢の腹に乗っかると、そこで悠々と水分補給をした。

 「ちょっ!待って!マジで下りて!隼人そんなに軽くないんだから!!」

 「キャラじゃねぇことするからだ。もう今後一切、俺をおちょくるような真似しないと誓うなら、下りてやってもいいぞ」

 「誓う誓う誓う誓う誓う誓う誓う!!誓います誓います誓いますぅぅぅぅぅぅう!!!」

 「渋沢、もうちょっとねばれよ」

 思ったよりも早いギブアップに、隼人だけでなく、紅蓮もため息をついてしまった。

 渋沢の上から下りると、隼人は洗面所からタオルを持ってきて、汗まみれになった自分の身体や顔を拭いた。

 「いててて。それより、明日の嘉気の裁判は大丈夫そうなの?」

 お腹を摩りながら、渋沢は紅蓮に聞く。

 「裁判はしない」

 「え・・・?えええ!?そうなの?俺、てっきり裁判するために嘉希を誘き寄せるのかと思ってた・・・」

 「下手に裁判をすると、叶南のときのように成りかねない」

 「ああ、そっか」

 悪魔使いである嘉希を裁判所に呼びだすことが出来たとしても、まずは嘉希の傍にいる悪魔たちをどうにかしない限り、また逃げられてしまう可能性がある。

 「裁判しないってことは、俺達だけでなんとかするってこと?」

 「俺と隼人だけだ。あといるとしたら叶南くらいだな」

 「え?俺は?」

 自分の名前があがらなかった事に対し、渋沢は思わず紅蓮に掴みかかるそうになった。

 急に近づいてきた渋沢に驚いたのか、それとも反射的になのか、紅蓮は背中をぐぐっと仰け反らせていた。

 「一度憑依された奴を連れていけると思うのか」

 「こ、今度は大丈夫だから!俺も!」

 「止めとけ止めとけ」

 「隼人・・・」

 いつの間にかシャワーを浴びてきていた隼人は、腰にタオルを巻いただけの状態で、髪の毛をガシガシかきながら現れた。

 冷蔵庫からコーヒー牛乳を取り出すと、コップに注ぐことなく、開け口に直接口をつけてガブガブ飲む。

 「悪魔に舐められてちゃあ、仕事になんねぇぞ」

 「それは・・・そうだけどさ」

 しゅん、と落ち込んだ渋沢の頭に、紅蓮はぽん、と資料を置く。

 「なにこれ?」

 「お前にはやってほしいことがある。聖と二人でな」

 「聖と?」

 そこには、渋沢と聖は、嘉希から悪魔を追い払ったあと、その悪魔を吸い込む装置を持っているということが書かれていた。

 悪魔を地獄に連れて行くためには、悪魔自らが門をくぐるか、数が少なければ携帯用に入れて連れて行くことが主流なのだが、今回、嘉希がどれだけ悪魔を連れているか分からない。

 そこで、大きめのひょうたん型の袋を用意し、それで吸い込んで連れて行こうという計画のようだ。

 袋とはいっても、悪魔が通り抜けられないように細工が施してある、とても丈夫なもので、重さもそれなりにある。

 「わかった。今回はフォローに徹するよ」

 素直にそれを受け入れると、隼人はさっさと着替えて寝ると言いだした。

 紅蓮はもう少し資料を見ると言うことだったので、先に渋沢は風呂に入らせてもらった。

 「紅蓮、おやすみ」

 「ああ」

 明日の事はどうなるかわからないが、それでも明日は来てしまう。

 来てしまったら、もうどうにもならないから、やるしかないのだ。

 「よし」

 明日は早めに起きて、サンドイッチでも作ろうなんて、そんなことを考えながら。




 翌日、紅蓮たちはとある裁判の部屋を貸し切っていた。

 聖と叶南も合流し、渋沢と聖は部屋の外で袋を用意し、部屋の中と外を繋いでいる僅かな隙間にその袋の口をきっちりくっつける。

 「聖、初めて?」

 「いや、前にやったことがある」

 「そうなの!?」

 「袋の中に入っても悪魔は暴れるから、油断するなよ」

 「わかった」

 二人を部屋の外で待機させると、紅蓮と叶南は裁判長席の方で座って待つ。

 隼人だけは部屋の真ん中に立って、ふう、と何度か深呼吸を繰り返す。

 「行くぞ」

 ゆっくりと目を閉じ、またゆっくりと目を開けると、頭のターバンを外す。

 炎のように燃えた赤い目から、どんよりとした赤黒い気体の塊が漂う。

 室内で起こるはずの無い風が吹くと、隼人の髪も自然に揺れる。

 そしていよいよ、隼人の目からぬっと黒い物体が出てきたかと思うと、まるで人間のように腕の力を使って目から脱出してきた。

 決してその黒い身体が全て、隼人の目から出てくることはないのだが、生きているかのように動くその物体は、正直いって気味が悪い。

 ―出た出た出た出た出た出たぁァぁあああアァぁァアぁ嗚呼ああああぁぁぁぁ!!

 ―ヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!狭い場所じゃあ好きに動けねぇからなぁぁ!!

 ―キシシシ!!最高だぜ!!!

 「・・・・・・」

 隼人から出てきた悪魔たちを見て、紅蓮は少し眉間にシワを寄せたのを、叶南は見逃さなかった。

 「どうした?」

 「いや・・・。前よりもはっきり見えるようになったと思って」

 「ああ、確かにな」

 気のせいかとも思ったのだが、以前はそこまでくっきり見えたわけではなく、形がある程度見えるほどだった。

 だが、今見えている悪魔は、それより確実にはっきりと紅蓮の目に見えていて、普通に触れることが出来そうだ。

 ―で?今日は何の用だ?

 「悪魔使いをここに連れてくるんだ。そのために、そいつの悪魔と共鳴しろ」

 ―他の奴に憑いてる悪魔と共鳴しろってか。それなりに代償は支払ってもらわねぇと、困るぜ?

 「好きにしろ」

 ―キャハハハハ!!!交渉成立だな!

 ―キシシシ!!焼きが回ったか!!

 「早くしろ」

 その隼人の言葉に、悪魔たちは姿を変える。

 真っ黒で棘のついている羽根を広げると、口に収まる程度だって牙は大きくなり、顎より下まで伸びる。

 頭についている角もぐるん、と曲がりながら伸びて行き、爪も二十センチほどの長さへと変わった。

 ―キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッッッッッ!!!!!

 瞬間、とてつもない耳鳴りが部屋中に響き渡った。

 いや、きっと部屋の外にいた渋沢たちにも聞こえるくらいのものだっただろうか。

 とにかく、紅蓮も叶南も、思わず耳を塞いでしまった。

 隼人は慣れているのか、耳を押さえる様な仕草をすることはなかったが、呼吸を乱して苦しそうに心臓の部分をグッと握りしめていた。

 悪魔を共鳴させることは、初めてじゃなかった。

 これを自分の体内だけで行われた場合、きっと吐き気に襲われて、今すぐにでもトイレに駆け込んでいることだろう。

 体内から出ているだけで、気持ちは多少楽になるが、やはり身体にかかる負担というものは変わらない。

 「・・・っ」

 ―気持ち悪い。心臓が震える。脳がおかしくなりそうだ。

 額、口元、お腹、色んな場所に手を置いて自分を落ち着かせようとしても、どうにもこうにも胃液が逆流しそうな感覚は拭えない。

 冷や汗も出てきて、服の袖で雑に拭く。

 それを見かねて、紅蓮が隼人のもとに行こうと席を立とうとしたとき、叶南が腕を引っ張り、制止した。

 「来るぞ」

 刹那、部屋の中が竜巻のような強い回転した風によって包まれた。

 部屋の雰囲気も変わり、昼間だというのに、真夜中のようだ。

 ズシン、と重くなった空気の中、隼人の悪魔とは異なった悪魔たちが、次々に部屋中を飛び交い始めた。

 「おお、こりゃまた盛大な」

 この状況は始めてなのか、さすがの叶南も立ちあがって、その場に佇んだ。

 高音の耳を突き抜けるような悪魔たちの叫び声を聞きていると、その中心にふと、人影が現れた。

 それが嘉希だと分かるのに、そう時間はかからなかった。

 紅蓮は嘉希に近づきながらも、あまり近寄りすぎないように注意しながら。

 「悪魔使いの嘉希だな。お前を無縁地獄へ逝かせる」

 「・・・断る」

 そう言うと、嘉希は自分の周りの悪魔を使い、紅蓮に向かわせた。

 紅蓮は大きな十字架のネックレスをしているが、十字架を持っていても万全ではないことは、渋沢の件で分かっている。

 「おっと」

 「!?」

 その時、叶南が紅蓮の前に立ちはだかって、悪魔避けの呪文が書かれた札を向けると、悪魔たちは二人に近づけないまま、だが狙う事も止めずにウロウロしていた。

 「おー。効くんだな」

 「なんでそんなもの持ってるんだ」

 「これか?ちょいと知り合いに貰ってな。いやー、それにしても効果があるなんて思ってなかった」

 ハハハ、と笑った叶南だったが、一枚の札では、そう長く時間を稼ぐことは出来なかった。

 悪魔が攻撃してくる度に、札はどんどん破れていき、ついには縦横一センチほどの小さな紙切れになってしまった。

 やばいな、と思っていた二人だったが、その心配はなかった。

 ―キシシシシシシシ!!!大した野郎を引き連れてねぇじゃねえか!!!

 ―ひいヒヒヒヒ!!遊びにもならねぇってな!折角共鳴までしたのによ!

 ―無駄な体力使っただけだったな!隼人!

 隼人の悪魔によって、嘉希の悪魔たちは、次々に外で待機している渋沢たちの持っている袋へと吸い込まれていった。

 どうして隼人の悪魔は吸い込まれないのかというと、それは単純に、隼人の目から離脱していないからだ。

 それに、隼人の悪魔たちの行動は、隼人によってある程度規制されてしまう。

 一方で嘉希の悪魔たちは、嘉希に操られていて、それに慣れてしまっているのか、意思というものを持ちあわせていないように感じる。

 「!?どういうことだ?なぜ俺の悪魔がお前なんかの悪魔に負ける!?」

 次々に悪魔を召喚し、隼人に向けて攻撃をする嘉希だが、また簡単に吸い込まれる。

 どうしてこういう状況になっているのか分からない嘉希は、一体の悪魔を素手で掴むと、自分の口の中へと入れて行く。

 また一体、また一体と、合計五体の悪魔を自分の体内へと入れると、嘉希に異変が起こった。

 「ぐっ・・・ああああ・・・」

 「なんだ?吐くのか?」

 「叶南、今そんな冗談を言ってる場合じゃないだろ」

 「はーい」

 見た目はさほど変わらなかったが、嘉希の目がカッと見開いた途端、その目は真っ黒に染まっていた。

 通常なら白目の部分もあるのに、今は全体が黒くなっていて、瞳の部分は赤かった。

 「はあっ・・・!?」

 証言台に寄りかかって休んでいた隼人も、その嘉希の変化には目を見張っていた。

 「お前等に・・・何がわかる」

 吸い込んだ悪魔が言っているのか、嘉希自身の言葉なのか。

 どちらにせよ、嘉希は正常ではない。

 「俺は悪魔と一体化し、この身を悪魔の住処をする。そしてお前等を滅ぼしてやる」

 「なにやら大層なこと言ってるよ」

 「叶南、お前は何をしに来たんだ」

 「何って、ただ見学に来たんだよ」

 前のめりになって、興味津津で見ている叶南を見て、紅蓮はやれやれと言った風にため息を吐く。

 すると、嘉希の姿がみるみるうちに変わって行き、背中からは黒い羽根も生えてきた。

 頭には二本の角、立派な牙、そして爪。

 ひゅん、と風を切って、すでにへろへろの隼人の前に飛んでいくと、その爪で喉を引き裂こうとした。

 だが、それよりも早く、隼人の悪魔たちが嘉希の身体に纏わりついて、半分悪魔になってしまった嘉希の身体に噛みついた。

 「!!!ぐあああああああ!!!!」

 ―ケケケケ。いよいよ喰われちまうぞ、こいつ。

 ―散々悪魔の生気を吸い取ってきたんだ。安い対価だと思うぜ。

 ―ヒヒヒヒヒヒ!!!良い気味だな!

 通常、憑依されることはあっても、今の嘉希のように、直接人間の肌に悪魔が触れることは出来ない。

 だが、悪魔を体内に取り込んでしまった今の嘉希は、悪魔も触れられる身体になってしまったのだ。

 悪魔が噛んだ個所からは、黒いものがモヤモヤと浮かび、どんどん濃くなって嘉希の体内へと入って行く。

 「さて・・・仕上げといくか」

 ―へばってんじゃねえの、ええ?

 ―へへへへへ、いつもより体調悪いだろ?

 ―さっさとこいつを地獄に落として、俺達はこいつから報酬を貰おうじゃねぇの。

 「何馬鹿なこと言ってんだよ。地獄になんか行かせてたまるか」

 ―ああ?まさかお前、こいつをこの状態から救うつもりか?

 ―ハハハハ!!!!無理無理!!!もうここまできたらどうにもならねぇよ!

 ―いっそ、俺達で喰っちまうか!

 「お前等、いつからそんな偉くなったんだ?」

 ―ああ?なんだと?

 ふう、と息を吐きながら、隼人は天井を仰いでいた。

 体力にも精神的にも、ギリギリのところでやっているのだろう。

 隼人の言葉に突っかかってきた悪魔たちは、嘉希から離れ、今度は隼人の周りを回りだす。

 ―お前を喰おうと思えば、簡単に食えるんだぞ。

 ―何処から喰ってやろうか?どこかいい?

 「喰うのは構わねえけど、俺を喰ったら、お前らも消滅することを忘れるなよ」

 ―ちっ。契約さえなけりゃあ、こんな小増丸のみにしてやるのに。

 睨みをきかせる悪魔だが、普通なら恐怖さえ感じるそれにさえ、隼人はニヤリと笑う。

 額からは汗が出ているし、呼吸も不規則に乱れていて苦しそうだが。

 ふと、嘉希の方を見てみると、嘉希の体内から出てきた悪魔が、嘉希の心臓を喰らおうとしていた。

 「!!」

 身体の一部を喰われてしまえば、嘉希が悪魔から逃れる術が無くなってしまう。

 手を伸ばそうとした隼人だが、その手は虚しくも届かない。

 伸ばした腕が虚しく風を切って、思わず目を瞑ってしまった隼人だったが、嘉希の近くにいた悪魔は、なぜか壁の方に吹っ飛ばされていた。

 「???」

 何が起こったのかと思っていると、叶南が悪魔を蹴り飛ばしていたのだ。

 普通、普通の人間ならば、直接悪魔に触れることは出来ないはずだ。

 「よっと」

 それには悪魔も驚いていたようで、隼人を睨んでいた悪魔たちも、今やみながみな、叶南の方を見ていた。

 これまで全く気にしていなかった人物の、まさかの偉業。

 「おま、なにして・・・」

 「あれ?言ってなかったか?」

 きょとん、とした表情から、叶南はニコリと笑みに変える。

 「俺、強いんだわ」

 まったく答えになっていないが、とりあえず納得せざるを得なかった。

 立ち上がろうとしていた嘉希のもとに紅蓮は近づくと、悪魔を体内から追い出す為に、嘉希の背中に刻印をつけるため、自分の右手でぐぐっと押した。

 すると、どれほど嘉希の中に悪魔が滞在していたのか、何十体もの住処を失くした悪魔たちが飛び出してきた。

 そして外と繋がっている隙間に一斉に逃げ込んだ。

 その頃外の二人は、いきなりきた衝撃に耐えるのだった。

 「うおおおお!どういうことどういうこと!?」

 「堪えろよ。ここで逃がしたら大変なことになるからな」

 「わわわわかってるけど・・・!」

 そんな二人の苦労など知らず、身体から全ての悪魔を取りだされてしまった嘉希は、紅蓮のことを睨みつけた。

 「本来であれば、処分するところだが、今回は無縁地獄の追放にする」

 「俺は悪魔使いだ!!また悪魔と共に生きる!何度だって生まれ変わる!」

 「まずは、もとの年齢に戻ることからだな」

 嘉希は紅蓮と叶南に連れられて、地獄へと送られることになった。

 「ほれ」

 「?」

 部屋から出て行く際、叶南に何かを渡され、隼人は反射的にそれを受け取った。

 何だろうと思うと、それは棒つきの飴玉だった。

 「おつかれさん」

 外にいた渋沢と聖も、袋の口をしっかりと閉じて、悪魔用の地獄へと連れて行く。

 一人残された隼人は、悪魔を目に収納する。

 ―折角良い宿り木を見つけたと思ったんだけどなー。

 ―けどあれじゃ、俺達を飼うには身体が脆すぎるな。

 ―キヒヒヒヒ。何にせよ、俺達はこれからお楽しみがあるじゃねぇか。

 しゅうう、と隼人の目に大人しく収まった悪魔たちが、隼人から何を対価として貰ったのか、それは誰にも分からない。

 ただ、隼人は吐き気が収まらずに、その日一日ずっとトイレに籠っていたそうだ。

 「・・・っはぁ・・・」

 口元を手の甲で拭い、床に尻をつけて壁に凭れかかる。

 普段なら汚いと思うところなのだろうが、今はそんなこと気にしていられない。

 片膝を曲げてそこの肘をつけ、額に手をつけていると、貧血気味だったのも収まってきて、徐々に気持ち悪さは消える。

 「はあ・・・はあ・・・」

 トイレからなんとか脱出すると、隼人は洗面台で口の中をすすぐ。

 そしてターバンを少しだけずらして、顔を勢いよく洗う。

 特に、左目をごしごしと、取れるんじゃないかと思うほどに強く。

 「あー・・・」

 余程疲れたのか、隼人はそのまま意識を手放した。




 『隼人、あなたはあなたの思うままに生きれば良いのよ』

 『隼人、お前は千石家の跡取りとして、しっかりと悪魔を管理するんだぞ』

 『隼人、いつかこの世界が平和になれば、悪魔を飼うなんて、きっとなくなるわ』

 『隼人、この俺の血は永遠に受け継がれてうかねばならない。分かってるな』

 『隼人、ほら、空を見て。自由そうに見える鳥たちだって、生きるために必死なのよ』

 『隼人、お前は出来損ないだが、それでも血を絶やすようなことだけは、何があっても赦されない』

 『隼人、海にいる魚たちだって、生きることは簡単じゃないのよ』

 『隼人、お前はどうして俺の血を強く受け継がなかったんだ』

 『隼人、隼人、隼人、隼人・・・』


 「ん・・・?」

 目が覚めると、そこは隼人の部屋だった。

 確かトイレにいた気もするが、久しぶりのベッドはあまりにもフカフカで、気持ち良くて二度寝出来そうだ。

 もぞもぞと動いていた隼人だが、自分のお腹から鳴ったぐうう~~、という音がした。

 「・・・・・・出たくねえ。けど腹は減った。俺はどうするべきか」

 なぜか自分に問いかけ出した隼人だが、寝ようと思っても、空腹には敵わなかった。

 「腹減ったー」

 「あー!隼人やっと起きた!」

 「なんか作れ」

 「いきなり命令?まあいいけどね。それより、トイレで寝るなんて、隼人にしては珍しくもないね」

 「珍しくないなら言うなよ。てかやっぱ俺トイレで寝てたよな?なんでここにいんだ?」

 「あー、なんかねー」

 どうせ聖とかあたりがまた偶然通りかかったんだろう、と思っていた隼人だったが、返ってきた答えは違った。

 「それがさ、功黄ってやつが連れてきてくれたんだよね。知り合い?」

 「?誰だそれ」

 隼人は首を捻った。

 渋沢がしらない内部の人間を、隼人が知っているはずもない。

 「紅蓮知ってるか?」

 「新しい東監獄支部長だ」

 「・・・えええええええ!?」

 知っていたのなら教えてくれればいいものを、紅蓮はしれっと答えた。

 渋沢は思わず隼人に淹れていたコーヒーを、隼人の頭上に零してしまった。

 タオルで適当に拭きながら、隼人はふーん、と納得したような返事をする。

 「なるほどね」

 「え?え?何?」

 一人あたふたしている渋沢に、隼人は落ち着けと頭を叩く。

 「俺達が知らねえ支部長が、俺のこと知ってたとなると、情報源は叶南だろ?」

 「ああ、そういうことね」

 どうして連れてきてくれたのかは知らないが、放っておけなかったということか。

 渋沢が作った親子丼を受け取ると、隼人はものの五分で平らげてしまった。

 「ゆっくり食べなよ」

 「シャワー浴びたらまた寝るから、いいんだよ」

 「何がいいの」

 良く分からない隼人の持論を聞いたあと、宣言通り隼人はシャワーを浴びて、腰にタオルを巻いたまま部屋に行ってしまった。

 紅蓮はこれから裁判に行かねばならないということで、部屋から出て行ってしまった。

 残された渋沢も、そういえば仕事が溜まってたな、ということで、事務仕事を終わらせるために自室へと向かった。

 だが、自室に入って十分も経たないうちに、渋沢は自室から出てきて、隼人の部屋へと入っていった。

 「隼人―・・・」

 ぐーすか寝ている隼人は、うつ伏せになって顔だけを横にして、だらしない格好で気持ちよさそうに寝ていた。

 「隼人―、お願い。これ手伝って・・・」

 最初は、ゆさゆさと優しく揺らしていたのだが、あまりに起きないため、徐々に激しく揺らしていく。

 「・・・・・・だぁぁぁぁああああああぁアあああああっっっ!!なんなんだよ!いい加減にしろよ!」

 ようやく起きてくれた隼人に、渋沢は半泣き状態で笑みを作り、資料を渡した。

 「・・・はぁ」

 着替えだけすると、隼人と渋沢は仕事を必死にするのだった。




 紅蓮が仕事を終えて部屋に帰ってくると、ソファには横になって片足をあげ、目元にはタオルをおいている隼人と、真っ白になっている渋沢がいた。

 「・・・・・・」

 何があったのかなんて、一目瞭然だった。

 口から魂でも抜けているのではないかというくらい、渋沢は目を開けているにも関わらず、紅蓮が帰ってきたことに気付いていないようだ。

 紅蓮は特に声をかけることもなく、コーヒーでも飲みながら部屋に向かおうとした。

 「俺にも」

 「・・・起きてたのか」

 目元のタオルをずらしながら、ムクッと身体を起こして座り直した隼人は、足を組んで膝に肘をつけて、下を向きながらまたタオルを目元に当てた。

 淹れたてのコーヒーと、それからコーヒーには合わないだろうスルメイカを用意すると、一人用の椅子に腰かける。

 スッと隼人の前にコーヒーを出せば、タオルを持っていない方の手で軽く手をあげた。

 「どれくらい溜まってた」

 「・・・これくらい?」

 渋沢が牢屋に入れられているときのものだろうと予測は出来たが、どの程度溜まっていたのかは知らなかった紅蓮が聞くと、隼人はタオルを口にあてて少し考えたあと、タオルを膝の上に置いて両手で伝えてみる。

 きっと高さにすると、三十センチほどあっただろうか。

 それを見ると、紅蓮は憐れむような目を向けて、コーヒーに口をつけた。

 「明日はゆっくり寝てろ」

 「そうさせてもらうよ」

 少しの沈黙が、二人の間に流れる。

 「隼人」

 「んー?」

 スルメイカを頬張りながら、隼人は眠そうに目をしょぼしょぼさせる。

 本当なら、今頃夢の中だったのだろうが、現実は甘くなかった。

 「嘉希は、上が引き取ったそうだ」

 「・・・・・・へぇ」

 無限地獄逝きを言い渡された嘉希だが、上層部の方で引き取ると言われたらしい。

 悪魔使いとして再び世に放つ心算なのか、それとも何かの実験台にする心算なのか。

 わからないが、きっと碌なことではない。

 「最高裁判長の判決も、上があっさり覆しちまうわけだ」

 タオルをひょいっと首にかけると、隼人はソファに片足を乗せる。

 どこかの主婦がこれを見たら、行儀が悪いと言われそうだが。

 「だから組織ってやつァ・・・」

 そう言いながら、隼人はコーヒーをぐいっと一気に飲み干すと、寝る、とだけ言って部屋に入ってしまった。

 「・・・・・・」

 どうしようもない権力や地位というものは、時に握りつぶしたくなる。

 もう一杯コーヒーを淹れると、紅蓮は部屋に入ってゆっくり寛ごうとした。

 しかし、未だ放心状態の渋沢が目に入ると、額をなかなか強い力でペシッと叩く。

 「いて!あ!紅蓮!おかえり!」

 「俺は部屋で休むから、片づけしておけよ」

 「うん!」




 「どういうことか、説明してもらえると嬉しいんですけどね」

 「叶南支部長、君はただ黙って、我々の言う通りに動いてくれればいいんだよ」

 「悪魔使いの嘉希は、もともと普通の人間として産まれるはずでした。悪魔を追い出した今、彼を無理に悪魔使いに戻すこともないと思いますけど。それに、どうして悪魔使いを復活させようとしているのか、それも教えていただけますか?」

 上からの命令だとしても納得がいかず、叶南は珍しく自分の部屋から出て、幹部たちの会議中に部屋に押し入った。

 良い目を向けられないのは分かっていたが、どうもこのまま引き下がることも出来ない。

 「君は、千石家の末裔と親しいようだね」

 「?それが何か」

 「いや、ただ確認しただけだよ。詳しい説明は、文書にして後で渡そう。それでいいかね?」

 文書だなんだの、机上の話しあいなんて求めていない。

 だが、ここにいる連中には、正義だとか悪だとか、そういうものよりも重要な、くだらないことがあるのだ。

 「・・・わかりましたー。じゃあ、最後に一つだけよろしいですか?」

 「何かね?」

 そこに集まっている、自分よりも年配の男女に向かって、叶南はにこやかに話す。

 「もしもあいつらに何かあったら、その時は、俺があんたらを完膚なきまでに叩き潰すので、そのつもりでお願いしますね」

 「なっ・・・!」

 「おい!貴様!」

 バタン、と閉められた扉の中では、今頃嘉希の話しあいどころではなくなっていることだろう。

 フンフフン、と鼻歌を唄いながら廊下を歩いていると、向こう側から知った顔が歩いてきた。

 挨拶も会釈もなしですれ違うと、向こうから声をかけてきた。

 「どうして、あなたはあいつらを助けるんです?」

 「何のことー?」

 優秀だとか、秀才だとか、そんなものはここでは必要最低限のものに過ぎない。

 にっこりと、無邪気な子供のように答える叶南に、功黄は苛立ちを覚える。

 「上を敵に回してまで、あいつらを守る価値なんてあるんですか?確かに、あの隼人とかいう男は、厄介になるかもしれませんが、そうだとしても・・・!」

 「君は、何を言ってるの?」

 「へ?」

 夕焼けに染まった叶南の顔は、逆光になっていて良く見えない。

 きっと顔が笑っていると思うが、聞こえる声の限り、笑っていない。

 「価値があるから守るとか、ないから守らないとか、君が言っているソレは、あいつらと同じだよ」

 「そんなこと!」

 「今時いないよ」

 「へ?」

 叶南は功黄に背を向けると、手をあげながら去って行く。

 「あんなに突っ走って行く奴ら」

 それが聞こえたかは分からないが、別に聞こえなくても良かった。

 叶南は部屋に戻ると、テーブルの上にどん、と置かれた資料を見て思わず失神しそうになった。

 翌日、ゆっくりと寝る予定だった隼人だが、叶南に呼びだされて仕事を手伝う羽目になり、結局ゆっくり休めなかった。

 「マジで。渋沢もあんたも、俺のことなんだと思ってんの」

 「ちょっと見た目派手だけど仕事が早い召使」

 「さいってーだな!んなこと思ってんのかよ!さいってーだな!」

 ケラケラ笑いながら、仕事は全部隼人に押し付けて、自分はのんびりティータイムを送っている叶南。

 コンコン、とノックをする音が聞こえてきて、叶南ははーいと答えるだけ。

 ここに来る者はそれを知っているようで、誰もが勝手に入ってくるシステム。

 「あれ、紅蓮どうしたのー?」

 「隼人、此処にいたのか」

 「おうよ。見てくれよ。このザマだ。この扱いだ」

 「紅蓮、何か用―?」

 「叶南支部長の一言欄を全て埋めてくれと言われてもってきた」

 「・・・・・・」

 そこに出された厚さ一センチほどの資料に、叶南はめんどくさい、と言ってテーブルの上でだらだらし始めた。

 というか、一言欄ってなんだ。

 そこにまた、コンコン、とノックをする音がして、渋沢がやってきた。

 「あー!隼人ここにいたー!探してたんだよー!手伝ってもらおうと思って!」

 「自分でやろうとは思わないのか、お前たちは。なんかこう、気持ちやろうと思うだけでも、素晴らしいことだと思うんだ」

 いつの間にか、わいわいと始まってしまった叶南の部屋は、お祭り騒ぎ。

 とはいっても、騒いでいるのは渋沢一人で、叶南は酒を持ってこいと紅蓮をお使いに行かせるし、隼人は渋沢の分の仕事まで請け負う事になってしまい、肩を揺らして泣きながら笑っている。

 紅蓮が酒を持って帰ってくると、叶南はさっそくぐいぐい飲む。

 すると、調子にのった叶南がこんなことを言いだした。

 「そうだ。聖も誘ってみる?」

 それを聞くと、紅蓮、隼人、渋沢は一斉に叫んだ。

 「「「それはダメ」」」

 「?」




 その頃、夕飯を食べていた聖。

 「くしゅっ・・・。風邪か?」



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